第5話 直刃/辯

 波分家は伊吹山の校倉の他に、幾つか拠点──というには小ぢんまりとした隠れ家を有しているらしい。

 引き続き人里で調査するのと、戦闘後ということもあって、未散は一行を長浜に程近い、琵琶湖を臨む隠れ家へといざなった。彼女自身どっと疲れた様子で、家屋に入るなり人食い虫の死骸を検分すると一方的に言い放つと奥まった部屋にこもってしまった。勝手に開けるな、それから返り血を浴びた者はさっさと身を清めろと厳命して。

 この中で一番血を浴びている自覚はあったが、女人もいるのに一番乗りというのは祐成が聞いたら説教を食らいそうなやり方だったので、あやめと万由に先に行ってもらうことにした。あやめはともかく万由の汚れは微々たるものだったが、そもそも彼女は武人ですらない。少し血が跳ねただけでも気にかかるだろう。

 身分の違いもあってか、万由が先に湖畔で身を清めることとなった。一人で行かせるのは少し気がかりだったが、じろじろ見られながらというのはさすがに嫌だろうと思い、何かあればすぐに動けるよう玄関口で待つことにする。


「人を殺すのは大変なのですね」


 直刃の隣に控えるあやめが、ぽつりと呟く。屋内で待っていても良いはずだが、何故か彼女は直刃といることを選んだ。日中には殺しにかかってきたというのに、存外心を許されているのだろうか。直刃は根に持たない性分なので、特に気にすることなくあやめの存在を許容していた。


「あなたに命を救われてから、以前よりも体が軽く、なんでもできるような心地でした。それでも、あの使用人の命を奪うのは容易いことではなかった。息の根を止めるまで、何度刃を振り下ろしたことか……。武士の皆様は、すごいのですね。初めて思い知りました」


 直刃の霊気は、あやめの中で前向きな方向に作用したらしい。元気になってくれればそれで良いと思っていたが、積極的に戦闘へ参加してくれるのなら心強いと思う。

 今回は手元にあるものを使うしかなかったが、これだけやる気があるのなら技量を蓄えることで戦力になるだろう。あやめは式神ではなく人間なので限界もあろうが、直刃は後ろ向きに捉えてはいない。女子供でも使いようによっては侮れない戦力になることを、これまでの経験から理解しているが故だ。


「初めから何もかも完璧にこなす者はそうそういない。慣れと経験がものを言う──今後も戦闘に加わる心積もりがあるのなら、己に合ったやりようを試行してみると良い。得るものがあるはずだ」

「それは、直刃さんの経験から言えることですか?」

「是。加えて、直刃は周囲の者から多くの助言を得た。単身での鍛練も肝要だが、経験者の声程得難きものはない。見て、聞いて、触れて体得するのを推奨する。直刃で良ければいつでも相手となろう」

「まあ、頼もしい。では近々お願いするとしましょう。直刃さん、良いところもあるんですね」


 最後に相当失礼な発言をぶつけられた。直刃には主従の礼こそ備わっているが、対等な人間には基本的におおらか──というか直刃が相手の言動に無頓着なだけ──なので、一切気にすることなくうなずくだけだったが。

 そんな直刃の反応を、あやめがどのように捉えたかは直刃の知るところではない。彼女は薄く微笑んで、お礼代わりですけれど、と切り出した。


「直刃さんが良い方なので教えて差し上げます。……とはいえ、未散さんには片古家を片付けている時にお教えしたことなのですがね。せっかくだからお伝えしておきます」

「何だ」

「万由様のことです。未散さんは誤解していらっしゃったけれど……あの方は、片古家の娘ではありませんよ。彼女は前当主様の奥方です」

「奥方……」

「前の奥方が亡くなられたので、後妻という形にはなりますがね。前当主様は、隠居後もお家のことを切り盛りされたいご様子でした。それ故に、既に長じておられるご子息様よりも、扱いやすい幼い跡取りの方が好都合だったのでしょう。万由様は、その苗床として輿入れされたのです」


 こそりと耳打ちされ、直刃は何度か瞬きする。驚きはなかったが、意外ではあった。

 未散が勘違いしたのもうなずける。直刃は万由の詳細な素性など気に留めていなかったが、あの年齢──恐らく祐成よりも幾つか年下なくらいだろう──であれば、嫁入り前と見てもおかしくはない。使用人たちに甲斐甲斐しく付き従われていたのもあって、片古家に連なる者なのだろうという予想を飛び越えて、娘という立ち位置が一番的確なように思えてしまった。


「前当主……というと、人食い虫の襲撃以前に死亡したのか」

「はい、昨年に。もう良い年齢としでしたから、致し方ないことなのかもしれませんが」

「病か?」

「いいえ。道行く武家の方に斬られました。織田家の方の不興を買ってしまったのです」


 この発言を受けて、直刃は合点がいった。片古家の人々が織田家に強い不快感を示したのは、かつての当主を殺められたが故であったか。

 直刃はちらりと隣の女を見遣る。途方もない理不尽に襲われた割には、やけに晴れ晴れとした顔をしている。


「……喜んでいる訳ではありませんよ? ただ、前当主様は気性の激しい方でしたから、度々折檻を受けることもあって……あたしが折檻されている時、ちょうど武家の方が通り掛かって、不快だからと前当主様をお手討ちになられたんです」


 こちらの疑問を感じ取ったのか、あやめは涼しい顔で弁解する。そこに申し訳なさは微塵もない。前当主に好印象を抱いていないことは明らかだった。


「あたしは余所者ですから、当たりが強くて。優しくしてくださるのは、珠芽様ただ一人でした。あのような死に方をすべき方ではなかったと、心から思いますけれど……人の生き死にはどうにもなりませんから。まずは人食い虫を根絶やしにすることへ専念したく思います。当主様も今回の騒動で亡くなられましたし、この機会をみすみす無駄にしたくはありませんもの」

「そうか。殊勝なことだ」

「でしょう? いつまでもうじうじしてはいられませんもの。住むところが灰塵と帰した程度で落ち込んでいたら、命がいくつあっても足りはしません」


 あやめはくすくすと、密やかに笑う。彼女が万由を皮肉っているのだと、直刃にもわかった。

 使用人たちを始末した後、宣言通り未散は片古の屋敷を焼き払った。万由はやめてくれと何度も懇願していたが、未散の決断が揺らぐことはなかった。彼女の術は並の火種ではおこすことの能わぬ業火を生み、片古の屋敷は瞬く間に炎上した。あの炎の中では、虫はおろか定命の生物は皆焼け死んでしまうことだろう。

 これまで日常を過ごしたであろう屋敷を目の前で焼かれた万由は、酷く打ちひしがれた様子だった。上等な着物が土に汚れるのを気にすることもなく、地面にへたり込んで燃え落ちる屋敷を眺めていたのを覚えている。彼女ははらはらと涙を流したが、声を上げて泣くことはなかった。

 あやめは見ての通りけろりとしており、燃える屋敷を前にしても平然としていた。珠芽の骨は事前に持ち出しており、それ以外に大切なものなど何一つないかのようにもとの職場を後にする。彼女は屋敷を顧みることすらなかった。未散と話したのはその時だろう。

 何にせよ、万由が精神的に参っていることは誰の目にも明らかであった。身辺が落ち着くまでは身柄を預かる──そう未散が提案したのは、彼女なりの心遣いかもしれない。

 悲嘆にくれる万由と、心を動かした様子のないあやめ。二人にはそれぞれ思うことがあるのかもしれないが、直刃にとって最も印象的なのは未散だった。

 言霊使いなのに詠唱ひとつ唱えることなく屋敷を炎で包み込んだ未散は、毅然とした表情で自らが顕現させた炎を睨み付けていた。一仕事終えたとは思えない程悔しげに、柔らかそうな唇を噛んでいた姿がまなうらへと甦る。

 彼女が何を思っていたか、直刃にはわからない。聞いたところで、教えてはもらえないだろう。

 だが──今に泣き出しそうにも見えるその表情の奥底に、直刃は底知れぬ覚悟を感じた。

 人食い虫を根絶することか、あるいは他者に恨まれようとも近江の民を人食い虫から守ることか。どちらにせよ、未散は己を傷付けながらどうにか屹立しているように見えた。自らが発した炎を、酷く憎んでいるようにも。


「──そろそろ交代ですね。それでは、あたしはこの辺りで」


 暗がりにぼんやりと人影が浮かぶ。万由が戻ってきたのだ。

 彼女と入れ替わりで、あやめが湖畔に去っていく。相変わらず細い背中だが、しゃんと伸びていた。少なくとも、彼女は心身共に健やかと見て良さそうだ。

 さて、見るからに落ち込んでいる万由はというと、直刃の横を通り過ぎず、目の前でぴたりと足を留めた。水気を帯びた黒髪が、白い頬に張り付いている。


「……直刃様」


 名を呼ばれて、直刃はゆるりと焦点を合わせる。

 片古の屋敷が焼け落ちた時よりは幾分か落ち着きを取り戻したようだったが、万由の顔には未だ憂いが残っている。ぽたぽたと輪郭を伝って落ちる水滴は、涙のようにも見えた。


「少し……お話をしてもよろしいでしょうか。このまま独りで床についたら、眠れないような気がして……」

「構わない。愉快な話は苦手だが良いか」

「大丈夫です。いてくれるだけで、良いのです」


 あやめと同じように横へと並び、万由はほうと息を吐く。新緑の瑞々しい季節であるから、余程濡れ鼠でなければ風邪はひかないだろう。尤も、式神の直刃は疾病とは無縁なので、目視で判断する他ない。


「……あの……日中は、どうもありがとうございました」


 未散の代わりに文句を言われるくらいの気持ちでいたが、開口一番に差し出されたのは感謝の言葉だった。ぱちぱちと、直刃は目を瞬かせる。

 責められる謂れはあろうとも、何か礼を言われるようなことをしただろうか。人食い虫に寄生されていた可能性が高いとはいえ、直刃は片古家の使用人を皆殺しにした。寄生されていない者もいるにはいたようだったが、彼らは屋敷の前で既に事切れていたのでどうしようもない。様子のおかしくなった者たちに殺されたのは一目瞭然だった。

 そういった訳で、恨み辛みをぶつけられる心積もりでいたのだが──万由にそのつもりはないらしい。首をかしげていると、彼女は僅かに相好を崩した。


「お屋敷で、わたしのことを守ってくださったでしょう? そのお礼をしなければと思って。見ず知らずのわたしのために武器を振るってくださった方に、何も言わないままというのは無礼ですから」


 直刃としては敵が現れたから対応したに過ぎないのだが、今ここでいちいち説明するのは野暮というものだろう。ひとつうなずいてから、大したことではない、と告げる。


「人食い虫を絶やし、その騒ぎを収束させるが直刃に課せられた任務。為すべきことを為しただけだ」

「直刃様は謙虚でいらっしゃるのですね。恐ろしげなお方なのかと思っていたわたしが、馬鹿みたいです。武家の方に対する見方も、改めなくてはなりませんね」

「無理せずとも良い。世の中には色々いる」


 万由の夫──前当主を斬ったのは誰だろうと、直刃は思いを巡らせる。顔見知りだったら、今度こそ万由に責められるかもしれない。な人物をまなうらに思い浮かべ──すぐにやめた。心当たりがあるだけでも十人をゆうに越える。

 何はともあれ、万由は直刃のことを部類と見なしたようだ。先程よりも表情が和らいでいる。


「ねえ、直刃様。お嫌でなければ、もう少し気軽に話しかけてもよろしいでしょうか? あなたとなら、隔たりなく──お友達みたいに、お話しできるような気がするんです。ほら、年齢としもあまり変わらなさそうですし」

「気軽に……」

「わたしは永禄四年の生まれです。よろしければ、直刃様のお歳もお聞かせくださいな」


 すっかり気を許したらしい万由が、ずいと身を近づけてくる。夜は涼しかろうに、その肌は仄かに火照っているようにも映った。

 年齢のことを問われると、直刃はいつも困ってしまう。式神として稼働した年数は、己が意識を認知してから数えると五年から六年。血肉を得てからとなるとそれよりも短くなる。

 馬鹿正直な年数を伝えるのはさすがにまずいと直刃も理解している。言ったところで信じてはもらえないだろうし、万由が見かけによらずとんでもなく荒い気性の持ち主であったならば舐められたと見なされて暴力沙汰になりかねない。ここはそれらしく年齢詐称するのが最善だろう。


「……永禄元年」


 結果として、直刃はいつも用意している応答──祐成の生年である──を返した。祐成いわく自分は同年代に見えるとのことなので、年齢を問われた時は祐成の生まれ年を借りることとしている。

 これを受けた万由は、あら、と瞬きした。何か差し障りがあったかと一瞬気にかかるが、相手がすぐに微笑みを浮かべたので杞憂だと察する。


「でしたら、あやめさんと同い年ですのね。あの方も閏年のお生まれと言っていました。わたしにではなく、珠芽さんとのお喋りをしている際に聞いたことですが」

「なるほど……同い年なのか」


 あやめと祐成の顔を交互に想像し、たしかに同じくらいかもしれない、と直刃は一人で納得する。そこに自分の顔も入れてみたが、己の外見年齢をいまいち把握していないので、これといった実感は得られなかった。

 直刃があれこれと思考している中、万由はにこにこと朗らかな笑みを浮かべた。ますます身を乗り出し、弾む声色で切り込む。


「やっぱりわたしたち、そう変わりない年頃でしたね。それで、その……如何でしょう?」

「……? 如何とは」

「もう、意地悪はやめてください。お友達のように話せないか、という提案です。勿論、直刃様の意向に従いますけれど……是非だけでも、お聞かせ願えませんか?」


 直刃としては余程礼を欠いてでもいなければどのような接し方でも構わないのだが、万由には並々ならぬこだわりがあるようだ。

 いつまでも答えを焦らしていると思われたくないし、何より万由の気が晴れるのなら振る舞いくらいどうということはない。短く是と答えると、万由はぱっと顔を綻ばせた。


「嬉しい! それじゃあ、これからは碎けた物言いにするわね。ああ、夢みたい。わたし、お友達って初めてなの!」

「そうか」

「そうよ。うふふ、直刃様のおかげで心が明るくなりました。お屋敷は大変なことになってしまったけれど、直刃様にお会いできたのなら不幸なことばかりでもないわね。こんな時だし、前向きにならなくては」


 碎けた物言いとは言いつつも、万由の言葉には若干の堅苦しさが残っていた。今までずっとしてきたものであるが故に、直刃の許可ひとつで抜けはしないのだろう。直刃は気にしないことにする。

 おやすみなさい、と歌うように告げて、万由は家屋に入る。その足取りは軽やかだった。まるで踊っているみたいだと、直刃は誰にでもなく思う。

 彼女の気持ちはわからないでもない。自分も、名前を呼ばれると嬉しい。直刃。髪の毛と瞳の色から、祐成が編み出してくれた呼称だ。この身を識別する、名前。

 面頬の下が弛む。任務も大事だが、この名を呼んでくれる人物が増えるのは嬉しい。

 知らず目を細めながら、直刃はあやめの帰りを待つ。黒く凝った返り血など、気に留める程のことでもなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る