第25話 直刃/論
あやめと真木が出払ってしまったので、直刃は再び万由と待つことになった。ともあれそれなりの時間は経過しているので、じきに未散も戻るだろう。
沈黙に耐えかねたのか、はたまた本気で直刃のことを知りたいのか定かではなかったが、万由は絶えず質問を投げ掛けた。直刃の好きなもの、嫌うもの、趣味や日課など、彼女はとにかく知りたがった。初めからこうなることを見越して問いを用意していたのではないかと、直刃は応答しながら疑問を抱く。もしも即興であったなら、万由の引き出しは大したものだ。
「では直刃様、波分様のことはどのようにお思いなの? 親しくされているところをよくお見かけするけれど」
そして、やはりというべきか、万由の質問は直刃個人から近しい者も含むようになった。その皮切りが未散というのは、個人的に嬉しいものだ。万由には、自分と未散が親しい間柄に見えているのか。
弛みそうになる頬を、なけなしの理性で引き締める。祐成をはじめとする職場の人間からはあまり笑わないと評判だが、未散と出会ってからは自覚できる程度に笑いが表出して仕方ない。軽薄でだらしない使者と悪評が立たないよう、細心の注意を払わなければ。未散の評判まで落ちようものなら、如何にして責任を取るべきか考えることになろう。
己が未散に向ける感情。一言では言い表せないが、脳裏によぎる未散は見事にしかめっ面をしている。包み隠さず伝えれば、きっと現の未散も同じ顔で直刃を責めるだろう。褒められるのは嬉しいが、叱られたくはない。
「頼りになる相棒と感じている。共に任務にあたるのが未散だったことは、直刃にとって得難い僥倖だ」
万由を怯えさせては、未散の好感度が下がると直刃も理解している。故に、当たり障りのない答えを選んだ。いくら武人の身であるとはいえ、直刃も常識的な──武働きが身近ではない者が忌避する範囲の線引きは解したつもりだ。ここ数日で、その理解はよくよく深まった。
幸い、万由がおそれを抱いた様子はなかった。しかし、その眼差しは納得していない。
「そうかしら。わたしの勘違いかもしれないけれど、直刃様は波分様にだけ、わたしたちに向けるのとは違った目をされるわ。わたしにも、あやめさんにも向けない、特別な眼差しを注いでいるように見えるの」
「特別? 具体的な表現を求める」
「具体的……ね。そうね……まるで、子供が親を追うのと似ているわ。姿が見えなくなったら、つい追いかけてしまうような……。直刃様は無意識なのかもしれないけれど、とても不安げで、焦りが見えます。それだけ波分様を慕われているのかと、わたし、気になって仕方ないの」
「へえ、未散殿の話か。私も混ぜてくれないか」
ずい、と身を乗り出した万由ではあるが、横合いからかかった声によって質疑応答は中断された。真由の表情が訝しげな色を宿す。
直刃が視線を移ろわせると、その先には二人の男──少年と青年のあわいにある──が立っていた。見覚えはないが、この様子だと羽柴の子飼いか、長浜の主となってから新たに雇い入れた人材だろう。年の頃はどちらも未散や万由と変わりなさそうだ。
声をかけてきたのは、二人のうち背の高い方だった。もう一人は乗り気でないのか、眉をひそめて相手を見上げている。
「是。お前たちは未散の何だ」
「顔見知りだ。真木の面倒を見ることが多いから、その縁でな。貴殿は織田家からの使者殿か」
「おい、無駄話はよせ」
奇異の目で見られることも少なくない直刃ではあるが、この相手は臆することなく言葉を返してきた。もう片方は止めてきたが、気にした様子はない。
是、と再びうなずけば、彼は合点がいった、というような顔をした。ちらと真由に目を遣ってから、何でもない風に会話を再開する。
「未散殿はどうだろうか。無理はしていないか」
「任務に関しては、滞りなく連携できている。無理は……していないとは、言い難い」
誰が相手であろうと、未散は強がって大丈夫と言うだろう。彼女が他人に弱みを見せたがらないことを、直刃もこれまでの付き合いで把握したつもりだ──でなければ、自らの心臓を無理矢理に移植する真似には及ばない。
直刃と出会う前から、未散は一人で何もかもを抱え込もうとして生きてきたのだろう。波分家を支え、存続させるために、己を殺しながら──贖罪のためだけに。
前にいるのが誰であろうとも、未散の在り方は変わらない。彼女らしいことだと思いつつも、直刃は苛立ちを覚える──未散というただ一人が存在していればそれだけで十分なのに、何故そのひとつが叶わないのか。
「使者殿も苦労されているようだな。未散殿からしてみれば聞き飽いた言葉だろうが、使者殿さえ良ければ自愛するように伝えてくれないか。真木もずっと彼女の心身を案じているし、何より未散殿に倒れられては我々も困る。出会った時よりああだから、少し諫めただけでどうにかなるものではないだろうが……諫言する者が多いに越したことはない」
何にせよ、直刃としても未散には我が身をいたわって欲しいところだ。先日の強硬手段も効いていれば良いのだが……それでも意思を曲げない未散が好ましいのだと思う自分もいる。人の心とは難儀なものだ。
──と、ここで図ったように足音が聞こえた。
一同が揃って顔を向けた先には、きょとんとした未散がいる。ちょうど話が終わって出てきたところだろうか。何度か瞬きをした彼女に、背の高い少年はにこりと笑みを向けた。
「噂をすれば……といったところかな。未散殿、息災のようで何よりだ。南蛮人と話をつけてきたと聞いた。相変わらず仕事熱心のようだな」
「いい加減帰るぞ、いつまで怠けるつもりだ」
「まったく、わかったよ。未散殿、しつこいと思うだろうが、くれぐれも無理はせぬようにな。真木も、こちらの使者殿も心配されている」
「あ……うん。気を付ける……」
相方に急かされて──というよりは引きずられるようにして、未散の顔見知りを名乗る少年は去って行った。仕事の最中か何かだったのだろうか。職務に影響のない範囲で雑談して欲しいものだ。
ふと未散を見遣ると、彼女は心ここにあらずといった風で二人の去った方向を見つめていた。その横顔には、いつも鎧った険しさがない──年相応の、下手したらずっとあどけなく見える顔付きに、直刃も自然と吸い寄せられる。
「──波分様?」
しかし、万由の声が彼女を現へと引き戻したのだろう。次に未散が振り向いた時、多少の隙はあったものの、彼女は波分家の名代たらんとする少女の顔をしていた。
「ああ──待たせてすまなかった。あやめ殿の姿が見当たらないが……」
「あやめさんなら、弟さんといっしょに城内を散策されているところです。本当に気ままでいらっしゃるんだから……」
呆れ混じりの溜め息を吐いてから、それよりも、と万由は話の筋を変える。
「波分様は、任務を抜きにしても男の方と気軽にお話しされるのね。随分と親しげなご様子でしたし……お城に知り合いがいらっしゃるなんて、波分様も隅に置けませんね」
「彼らには、真木の世話をしてもらってもいるからな。苦労ばかりかけて申し訳ないと思っている。それ以上でも以下でもない」
「そうなのですね。でもわたし、驚いてしまいました。武家の、いいえ、武家にお仕えされている方とも気軽にお話しなんて、わたしは恐ろしくてできませんもの。この一件が収束したら、ああいった方々との交流を深めるのも良いのではないかしら」
この数日間でだいぶ緊張がほぐれたのか、万由はやけに饒舌だ。未散への忌避感も、段々と薄れているのだろうか。自分から話しかけるとは珍しい。
未散も直刃と同じ感想を抱いたようで、不思議そうな表情で万由を見つめる。──が、彼女は万由との対話をそれ以上は続けなかった。とたとたと、可愛らしい足音が直刃の耳にも入る。
「未散! お話、終わった?」
ぎゅうと未散に抱き付きながら、真木が声を弾ませる。一目散に駆け寄ってきた故か、その頬は上気し、息は上がっていた。
「真木、廊下を走るなと日頃から何度も……」
「良いではありませんか、元気が一番ですもの。束縛してばかりというのも考えものでは?」
「む……それも一理ある……。──が、いくらなんでも貴様は放任が過ぎる! 子供のいたずらに便乗してどうするつもりだ!」
少し遅れて、相変わらず騒がしい細波とあっけらかんとしたあやめがやって来た。ずっと真木に付いていたのだろう。どちらが正しいかは、直刃に判じられることではない。
未散は少々驚いたようだったが、すぐに慈愛のこもった目で真木を見下ろした。赤みがかった茶色の髪の毛を優しく撫で、幾分か柔らかい声色で応じる。
「今しがた終わったところだ。ちょうど良い頃に来られたな」
「うん、そろそろかなって思ってたから。ね、今日はお話できるよね? この前、約束したもんね」
「ああ、勿論。ゆっくり話そう。あなたからの話も聞かせてくれるか? 時間はたっぷりあるから」
「うん!」
嬉しげに笑んだ真木に笑顔を返し、未散はぐるりと一同を見回す。一度咳払いをしたが、彼女の声は平生よりも幾分か高かった。
「ルーカ殿がお呼びだ。この先の応接間にて、同じように待っている──直刃、そしてあやめ殿、何も問題がなければ疾く向かわれよ」
「えっ……あやめさんまで?」
直刃一人が呼び出されたものと考えていたのか、万由が疑問を呈した。ちらと不安げに見上げられるが、直刃にはどうしようもない。万由には悪いが、未散たちと共にいるか、一人で待つ他ないだろう。
直刃とあやめが二人まとめて呼ばれた理由は容易に予想できた。恐らく、ルチアーノは──サルヴァトーレが先んじたのかもしれないが──あやめに仕掛けた細工に気付いている。
表立って言うことはないが、未散は万由をこの手の話に巻き込みたがらない。現に直刃が式神ということは秘匿されているし、あやめの体のことも知らせていない節がある。一般市民たる万由を、血なまぐさい渦中に引き込むのは不本意なのだろう。お人好しの未散らしいことだ。
「あたしは先んじて未散さんのもとにたどり着きましたから。かの南蛮人らは、時系列をなぞりながら状況をまとめたいのでしょう」
腑に落ちないといった顔つきの万由に、無表情で告げるのはあやめである。彼女は何でもない風に歩み、じろりと直刃を横目で見る。お前も不服かと問うように。
「……では、行ってくる。その間、お前は」
「待っているさ。私の用は既に済んでいるのだから」
未散を置いていくのは些か気がかりだったが、本人が納得しているのならしがみ付いても仕方ない。
早くしろと目線で訴えるあやめに続き、直刃もまたその場を離れた。
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