第24話 未散/愁
「
己を責める言葉が飛んでくるものと覚悟していた未散は、実際に投げ掛けられた問いに拍子抜けした。知らず、大きな目がぱちぱちと瞬く。
「直刃? 私ではなく?」
「スィ、俺が聞きたいのは少年のこと。未散ちゃんの評判なら、お城の人たちから十分過ぎるくらい聞き出せたからね」
「実際にあんたが張った結界とやらは、こいつが調べたからな。今のところは異常なし、民に害を与えるものでもないってことで、人食い虫を優先するんだとさ。ま、この先あんたが変な動きをしたら、その時は遠慮なくとっ捕まえるけどな」
「トトー君はちょっとくらい反省しなよ。無実の女の子に乱暴したとか、本当にあり得ないからね? 任務の達成でチャラにしてあげる俺の器の大きさに感謝してよね」
「あーはいはい、グラッツェグラッツェ」
「発音まで適当なのどうにかしてくんない?」
サルヴァトーレに反省の色がないのはだいぶ問題がある──が、ひとまず未散の疑いは晴れたようだ。嫌疑をかけられてからというもの、ずっと心に
しかし、城の者に自らの評判を聞いて回られたとなると、また別の気恥ずかしさというか、己はどのように見られているのかという緊張感に苛まれる。どうか悪評が立っていなければ良い。実力はともかく、倫理観に関しては祐成──もとい悪評がついて回る武将とは違うのだ。
何はともあれ、今の話題は直刃である。未散は息を吐き出してから、まずは相手の出方を窺うこととする。
「……本人に聞くのが最も手っ取り早いと思うが。あれも協力関係を築く相手であれば、そう邪険にはしないだろう」
ルチアーノが協力的とはいえ、共に任務にあたる相棒の情報を易々と提供するのは直刃に対してあまりにも不誠実だ。未散は声を落としながら、意識してすげない返事を寄越す。
つっけんどんな態度を取れば大抵の人間は嫌な顔をするものだが、ルチアーノは笑みを崩さない。むしろ上機嫌にうなずきながら応じた。
「いやあ、聞いていた通りだね。やっぱり、短期間の付き合いとはいえ任務を同じくする仲間を売るような人じゃないか。今の世の中では損になることの方が多いかもしれないけど……うん、俺としては好感触。グラツィエ、未散ちゃん。君みたいな人を見ると、この世の中もまだまだ捨てたもんじゃないって思えるよ」
「……?」
「あー、あんまり深く考えんなよ。こいつは変なところで厭世的だからな。あんたみたいに純な奴を見ると、すぐ感極まるんだよ。ほっといていいからな」
よくわからないが、純粋に褒められたと見て良いのだろうか。戸惑う未散を前に、ルチアーノはにこやかな表情を保ったまま軌道修正する。
「すぐには信じられないかもしれないけどさ、俺たちは未散ちゃんと少年の仲を裂こうって訳じゃないんだよね。ただ、単純に疑問を持っただけ。ほら、少年って人じゃないだろ?」
「……気付いておられたのだな」
「まあね~、こういう仕事してるんだから当然だよ。まあ、少年に関してはトトー君も一目で気付くくらいだから、その手の方々からしてみればかなりわかりやすいのかもしれないね。未散ちゃんも目視で気付いた口?」
「……ああ。本人から伝え聞いたということもあるが」
ひやりと、未散の背中を冷たいものが流れる。自分は今、上手く受け答えができているだろうか。
ルチアーノとサルヴァトーレは、直刃の姿を認めたと同時に彼が人ならざるものであると看破した。ルチアーノならともかく、後天的に異能を手に入れたサルヴァトーレでさえも確信するくらいだから、相手の言う通り直刃は非常にわかりやすい部類なのだろう。
──だが、未散は気付けなかった。
彼が己について開示し、その本性を目の当たりにするまで──未散の眼に映る直刃は、多少風変わりな見目をした人間としか思えなかった。
膝の上に置いた拳を握る。どこかに力を込めていなければ、平静を装えない気がして恐ろしかった。
「して……貴殿らは、直刃を如何様に見る」
直刃は自分自身を式神と名乗った。主人はおらず、周囲から血肉を賄って存在しているのだと。
彼を疑うつもりはないが、その言を鵜呑みにする程未散はものを知らぬ訳ではない。式神という存在が主人たる人間なくしては容易に成立せず、況してや人の仲に溶け込める程地に足を付けるには、ただ戦場や任務で霊気を手に入れるだけで事足りるなどあり得ないのだと、端から理解していた。
故にこそ、未散は知りたいと思う。直刃という人に似て非なる化生の本質を。
それと同時に、内なる声は詮索すべきではないとも言う。知ったところでどうなる。直刃が何者であろうと、彼が織田家に仕える武人である限り、共に人食い虫を追う間柄には変わりがない。他者を暴き、好き勝手に素性を追い回すなど、直刃のみならず彼を信頼して派遣した織田家への背信も同然だ──と。
「あいつか……ま、鬼だわな。見たことないが、ああいう性質をしてるってのはわかる。勘だけどな」
未散の問いに答えたのは、意外なことにサルヴァトーレだった。彼は硬めの黒髪をがしがしと掻きながら、ぶっきらぼうに言う。
鬼。サルヴァトーレははっきりと断言したが、鬼という怪異がただひとつの形を持つ訳ではないと、未散はよくよく理解している。一括りに鬼と言われても、なるほどと肯うことは難しい。
「スクーザ、トトー君って見ての通り大雑把なところがあるんだよね。オニってのが複雑な存在って、異人の俺もよくわかってる。戸惑うのも無理ないよ」
返答に困っている未散を見かねたのか、ルチアーノが擁護してくれる。女好きなのはどうかと思うが、これまで若年の女という身の上を理由に侮られることも少なくなかった未散としてはありがたい限りだった。
ルチアーノの言う通り、鬼とは複雑な成り立ちを持つ。一般的には異形の様相と恐るべき戦闘力を有する、人に似て非なる怪物を指すものだが──そもそも鬼とは大陸においては死者の霊魂であり、日本における鬼の語源は隠であるという。日の目を見ず、常なる領域を脅かすもの──それは怪異のみに限ったことではないだろう。かつてまつろわぬ者として扱われた人々も、ヤマトの大王に連なる者たちにとっては人智の及ばぬ脅威であったにちがいない。
怪異としての鬼にも、いくつかの性質があると未散は聞いた。古来より日本にあった鬼の血族、北方、あるいは印度など南方より流入した鬼に通ずる気質の怪異。後者は定かではないが、日本を源流とする鬼はおおよそ平安の時代に行われた蝦夷征討によって根絶したとのこと。もしも今この時代に鬼の性質を有する怪異があるとすれば、それは余程の幸運が働きでもしない限り異国より来る異形か、それに連なるものであろう。
中には人であったのが何らかの出来事をきっかけに鬼となる話も存在する。宇治の橋姫や安珍清姫伝説が良い例だ。必ずしもそうとは言い切れないが、そういった伝承に語られる鬼と化する人は、もともと鬼の血統を継いでおり、何かしらの要因を引き金として化生のものに成り果てる──真木の父である波分家の前当主の見解だ。
直刃がそのいずれに該当するのか、現時点では計り知れない。ただ、その恐るべき情念は鬼に通じるものだ。勘だと言うが、サルヴァトーレの言葉はあながち間違っていないのかもしれない。
「……直刃の本質は、私にもわからない。だが、織田家の使者としての使命を全うし、近江の平穏のために心を砕いてくれるのならば、彼が何者であろうとも良いと思う」
問題行動が見受けられない訳ではないが……それでも、直刃は使命を共にする相棒だ。今更化生であったからといって、排除しようとは思わない。
ルチアーノは片眼鏡に触れ、居心地悪そうに息を吐き出した。朗らか彼にしては珍しい眼差しである。
「未散ちゃんの言うことも、間違ってはないんだけど……俺としては心配な訳よね。彼、未散ちゃんにぞっこんでしょ。少年はよかれと思っていてもさ、未散ちゃんは人間なんだから。行き過ぎた干渉が害をもたらすこともあるって、理解してない訳じゃないよね?」
「……無論だ」
明確な言葉にされた訳ではないが、ルチアーノ、そしてその傍らで白眼視してくるサルヴァトーレの真意は痛い程伝わった。
彼らは、こちらが直刃にされたことを察している。
こればかりは未散も口数を減らすしかない。抵抗する間もなく、強引に式神の心臓を飲まされたのだ。昨日は驚きと困惑ばかりで気にする余裕もなかったが、冷静になって考えてみれば自身に何らかの身体的影響があってもおかしくはない。
波分家を救えなかった責任を取るために死を希求する未散ではあるが、今更ながら直刃の心臓を共有させられた事実が恐ろしくなってきた。死ねるのならまだ良い。もしも、こちらの意に反して極端な長命になってしまったら? 人間社会でまともに生きてゆけなくなる程の変容が訪れたら? ……あらゆる可能性が未散の脳裏を駆け巡り、首筋がひやりと冷たくなる。
「……ま、何ともないなら心配しすぎることもないと思うけどね! なんだっけ……き……き……キュンってやつだよ!」
「杞憂だろ。ときめいてどうする」
さすがに不安を煽りすぎたと思ったのか、すかさずルチアーノが明るい声を出す。流暢に日本語を操る彼でも、故事成語には不慣れらしい。
たしかに、今は人食い虫を根絶する方を優先すべきだ。直刃の素性は、その後でも調べられる。
それに、手段は褒められたものではないが、直刃は未散を案じている。多少強引な部分もあるが、彼はこれまで未散を害したことはない。むしろ、率先して守ってくれる場面の方が多かった。
甘いとはわかっている。だが、未散としては裏切られるその時が来るまで、直刃を信じていたかった。たとえ彼が人ではなく、人の理を超えた先にあるものだったのだとしても──人の世で人のように生きることを選択した彼の心が、我々に通じるものであるのだと。
改めて、未散は前を見据える。直刃に何かあれば、自分が全ての責を負おう。それが、今の己に見せられる甲斐性だ。
「ご助言、痛み入る。貴殿の警告を念頭に置いた上で、任務の遂行に尽力するとしよう」
未散としては、限りなく正しい返答のつもりだった……のだが、向かい側の二人からは何故か呆れた目を向けられた。何か間違っていただろうかと腑に落ちない気持ちを抱えつつ、未散は脳裏に人食い虫の対策に関する所感を準備した。
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