第2話 未散/点

 言霊とは、口にした言葉が吉凶に影響を及ぼす力を指す。

 つ国が音声言語に関してどのような思想信仰を有しているかはわからないが、少なくとも日本ひのもとは言霊の力によって幸福がもたらされる土地と見なされ、術者を除く民たちにもその思想は健在だ。

 未散みちるは言霊使い──波分はぶ家に連なる者である。実際に言霊の力を用いて超常を為すとなれば、言の葉の持つ霊力には一際気を遣わなければならない。

 言霊使いに欺瞞は御法度だ。口にしたのとは異なる行動に及ぶとなれば、いずれ報いが訪れるは必至である。

 特に未散は良くも悪くも正直者で、自身の本音を隠すことが苦手な性分をしている。それゆえ、己が言動には細心の注意を払わねばならない。まず相手に訝しまれることがあってはならないので、上手く平静を装い、感情を制御する必要がある。

 ──が。


「…………疲れた…………」


 額に浮かぶ汗を拭い、ぽつりと一言。表情には疲労感が滲み、心情を隠すどころではない。

 本日何度目になるかわからない溜め息を吐き出してから、未散は顔を上げる。視線の向かう先には、布団に寝かされた若い女性と、彼女を連れてやって来た織田家の使い──先程直刃と名乗った──の姿があった。


「……土産に手負いの女を連れてくるとはな。大した度胸をお持ちのようだ」


 ひとつ咳払いをしてから、未散は努めて低い声で切り出した。少しでも威厳を持たせられていられたら良いのだが、相手の目にはどう映ることやら。望ましい姿に見えていることを祈るばかりだ。

 此度、未散が直刃の来訪を受け入れたのは、決して怪我人の看護が目的ではない。近頃この近江国を騒がせる、人食い虫への対処を講じるためだ。

 それがどこから生じたのかは定かではない。しかし夜な夜な民家に湧き出でて、生きた人間を骨になるまで食らい尽くすという奇妙な虫の報告は後を絶たず、むしろ増えるばかりである。最近は民草のみならず、ある程度警固の行き届いている富裕層にも被害が広がっていることから、規模の拡大は否めない。

 四年前に旧領主たる浅井家を攻め滅ぼし、新たな近江の支配者となった織田信長も傘下である諸将の報告を受け、この状況を危惧したらしい。古くより伊吹山に居を構える波分家に対し、織田方より送る使者と協力して事態を調査するようにとことづけてきた。その使者こそが、眼前に座する直刃という訳だ。

 ただでさえ人食い虫で気を揉んでいるというのに、素性不明の怪我人を連れてくるとは、一体どういった了見なのだろう。聞いたところによれば、一度織田の家臣である羽柴秀吉が領する長浜を経由してから伊吹山に馳せ参じるとのことだったから、長浜の医者にでも預けてくれば良かろうに──などと後から不満を申し付けたところで後の祭り。この場で死なれなかっただけましと思う他ない。

 その直刃は、瞬きひとつせずにひたりとこちらを見つめている。髪の毛も目も、鋼のごとき銀色だ。その上顔の下半分を仰々しい面頬で覆っているから、物々しいことこの上ない。無口な性分なのか、未散の皮肉にもこれといった反応を寄越さぬまま、数秒が経った。


(……まあ、多少見かけがおどろおどろしくとも、突然怒り出して手討ちにしてくるような乱暴者でないだけ良いか……)


 置物のように動かない直刃から視線を外し、未散はどうにか己を言い含める。

 信長は若年の頃うつけだ何だと称される程度には奇抜な振る舞いをしていたそうだが、その気風が家臣にも継承されてしまったのだろうか。何かと物騒な噂が絶えないことを、未散は内心気がかりに思っていた。まともな者がまともであるが故に埋もれてしまっているだけなのかもしれないが、通りすがりに人を斬っただの暴れただの、そういった良からぬ話ばかりが目立つ。今回使わされる者も同じような輩だったらどうしようかと身構えていたが、今のところ直刃に問題行動は見受けられない。……顔を合わせて数刻で何か起こされるというのも大概だが、突っ込むのは野暮である。

 とにもかくにも、今の未散は波分家の名代だ。家名に泥を塗らぬよう、そして侮られることのないように、務めを果たさなくては。


(──それにしても)


 ぴくりとも動かぬ直刃はさておき、未散は布団に寝かされた女性が気にかかった。

 とにかく痩せた体が目立つ娘だ。未散も他人のことを言えないが、もっと肉を付けねば風に吹かれて飛んでいってしまいそうにも見える。髪の毛は肩口に届くまでしかないが、出家している訳ではないらしい。負傷した際に、勢い余って髪の毛まで切れてしまったのだろうか。青白い肌も相まって、何となく幸薄い印象を与えられる。

 見かけに関しても気になるところはあったが、何より未散が違和感を覚えたのは負傷具合である。先程脱がせた着物は、もとの色合いがわからぬ程の血に汚れていたが──肝心の体には、致命傷となるような傷は見受けられなかった。

 ならば返り血と見なすのが常道であろうが、戦でもあったならともかく、今日この頃の近辺はあっても多少のいさかい程度。それも若い女性が大暴れしたなどという話は聞いたことがない。

 彼女は何者なのだろう。疑問を胸にその顔を覗き込もうとすると、不意に直刃が動いた。


「その女性にょしょうは人食い虫の被害を受けたという。仕える家が襲われたと口にしていた」

「何……?」


 それならもっと早く言え、と文句を言いたいところだが、ぐっと我慢する。まずは手当てをしなければと必死で、事情を聞きそびれていた自分にも責任があると思い至ったからだ。声を落とし、冷静沈着を努めながら未散は口を開く。

 

「……人食い虫は、骨以外の血肉を食らう悪食と聞く。彼女には歯形ひとつなく、傷があるとすれば擦り傷や切り傷といった軽傷ばかり……。本当に人食い虫の仕業なのか?」

「是。尤も、大きな傷は直刃が治した。命に関わりかねなかったゆえ」

「治しただと?」

「霊気を分けた。直刃は式神だ」

「はあ⁉️」


 唐突な告白に、未散は普段ならまず上げない大声で応じてしまった。ひっくり返りそうになるが、すんでのところで全身に力を込めて踏みとどまる。

 式神。式神といったか、こいつは。

 言霊を得手とする波分家ではまず扱うことはないが、それが何たるかまで知らぬ無知ではない。未散は目をすがめながら、表情ひとつ動かさない直刃を観察する。

 式神とは、使役の能う鬼神──平易な表現をすれば妖怪変化のことだ。使い手によって格は異なるが、人ならざる超自然的な存在を従わせるという技術そのものが術者にとっては容易に為せることではない。平安の頃ならいざ知らず、時代の下った今現在では、かつての陰陽師と同格の術者などそうそういないだろう。

 加えて、直刃は単独で顕現している。式神は一般的に式札と呼ばれる人を象った符に鬼神を降ろしたもので、術者の霊気を込めなければ顕現することは不可能とされる。人とほぼ同じ姿かたちを維持し続けながら単独行動をとるなど、相当な霊気が要るにちがいない。

 直刃に主がいるとすれば、当世でも一二を競う──下手すればかの安倍晴明にも匹敵する才人だ。しかも、表の世でも勢いを強める織田家に与しているときた。未散はごくりと唾を飲み込み、緊張から来る震えを押さえ付ける。


「……織田家には優れた術者が在るようだ。それだけの信頼を波分に寄せられている……そう解釈して良いのだな?」

「否、術者はいない。直刃は直刃自身の意志で織田にいる。かつて直刃を練り上げた術者はあったが、それもとうに死した。この身は直刃が人に寄せて作り替えたもの。直刃に主があるとすれば、それは殿以外になし」

「術者がいない……? ではお前は、完全に自立しているとでも言うのか? 式神という枠組みに縛られていながら?」

「是。直刃は生まれた頃より式神である。その在り方は不変。縛りではない」


 今後こそ未散は卒倒しそうになった。鈍く痛む頭を振り、胸中であり得ない、と嘆く。

 式神とは、使役する人あってこそ成り立つ存在だ。その枠組みを脱すれば、鬼神は人の手を離れ、自由の身となる。

 直刃が自らの意志で式神の枠組みに収まっているということは、犬が好き好んで首輪を着け、飼育下にいるようなもの。その首輪から逃れる術を持っていながら逃げ出さない──真実ならば、直刃はとんでもない物好きになる。


「……式神は術者より霊気を補給しなければ顕現し得ないと聞く。主たる術者がいないお前は、如何様にして地に足をつけているのだ?」

「単純なこと。人の血肉をいただいている。余程の無駄遣いをしなければ爪や髪の毛、少しの皮膚で事足りる。それに、戦や外向きの仕事があれば血肉なぞ容易に手に入れられる。敵からも、味方からも」

「随分と燃費が良いな。如何程を必要とするかは置いておくが、それで他者を──獰猛な人食い虫に襲われた人間をほぼ無傷にまで回復させられるとは恐れ入る。霊気を分けるにしても、相当な量がいるだろう。それこそ腹でも切らねば足りないのではないか?」

「否、直刃の霊気は呼吸、あるいは体液に変換可能。故に人工呼吸の要領で分け与えた。加えてここは霊地──人里よりも霊気が濃い。直刃の霊気はすぐに回復するだろう」

「人工呼吸……って、お前まさか口移しで⁉️」

「是。何か問題が?」

「大有りだ馬鹿‼️」


 初対面の女性になんて破廉恥なことをするのだろう──そんな困惑からつい大声を出してしまった。未散ははっと瞠目し、先の発言を取り消すかのように一際大きく咳払いする。


「……何はともあれ、現場に向かうのがよろしかろう。人食い虫が出たのだ、放ってはおけぬ」


 事後報告なのが悔やまれるが、人食い虫の手がかりが掴めるのなら動かない訳にはいかない。もとより単独での調査に限界を感じていたところだ、式神の本領とやらを見せてもらおうではないか。

 直刃も異論はないようで、未散に続き腰を上げよう──として、ちらと布団の女性に目を遣る。気遣わしげ──と言うには些か淡泊な眼差しだったが、多かれ少なかれ気にかかる存在ではあるようだった。


「……この校倉あぜくら──いや、波分の所有する領域には結界が張られている。並の相手ではまず破られぬ……まずは休ませておくのが得策であろうよ」


 女性の具合に関して確実なことは言えないが、まずはそっとしておくべきだろう。一時的にこの校倉を留守にするとはいえ、内部から何か起こされない限りは侵入者を許すこともあるまい。

 ひとまず、人食い虫の被害があった場所について聞き出しておかなければ。今度こそ支度に取りかかろうと、未散はその場を離れようとした。

 ──ぱちり。


「あ……ここは……?」

「な……⁉️」


 瞼が開く。そして、何度かの瞬き。

 未散は思わず後方に飛び退いた。聞くところによれば瀕死だったという女性が、目を開けたのだ。

 まずどこから説明すべきだろう。当惑する未散を他所に、女性はひたと直刃の方を向いた。


「……あなたは……」


 ぽつりと口にするや否や、女性は体を跳ね起こす。そのまま床を蹴ると、目にもとまらぬ速度で距離を詰め、直刃を壁際へと追い込んだ。目視するのもやっとの出来事だった。

 病み上がりとは思えない動きに、未散はただただ戸惑うしかない。直刃は表情こそ変えなかったものの、僅かに首をかしげて疑問を表出させた。


「どうした。何か意見でもあるのか」

「あります。あるに決まっているでしょう」


 声を震わせ、女性は直刃の首に手をかける。全身から、そうとわかる程の怒気が滲んだ。


「どうして殺してくれなかったのですか? あたし、死なせて欲しいと言ったのに。主を失った従者は、殉じる他に道などない。それなのに、どうしてこのような、余計なことを?」


 ぼたぼたぼたと水滴が落ちる。泣いているのだ。

 顔に涙を落とされて、直刃の目が丸くなる。気の抜けた、どこかあどけない顔だった。

 女性が息を吸い込む。今にも裏返ってしまいそうな、引きつれた声で、首を絞めながら懇願する。


「あたしのこと、殺してください。さもなければ、あなたの息の根を止めます」


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