第21話 直刃/慕
年若いながらも、未散は抜かりない人だ。からりとした晴天の下、庭先で相撲に興じている子供たちを眺めながら、直刃はここにいない少女の姿を思った。
未散は、ルチアーノらとの待ち合わせ場所を長浜城に定めた。もとより織田家への恭順を誓っている彼女は筑前守からも一定の信を得ている。巷を嗅ぎ回っている南蛮人との話を取り付けたとあっては、断られる理由もなかった。
これで先日のような無体を働かれる可能性はぐんと下がった。──が、何を思ったか、ルチアーノは個別の面談を希望した。今は未散が呼び出されているところだ。
当然ながら、ルチアーノだけではなく、彼の護衛であるサルヴァトーレも同行している。羽柴の目があるとはいえ、以前のようなことが絶対にないとは言い切れない。もしまかり間違うようなことがあれば、今度こそ切り刻んでくれる──沈黙の中で、直刃は決意を新たにする。
「直刃様? 深刻なお顔をされて、一体どうされてしまったの?」
無言の時間は直刃自身が思うよりも長かったのか、横合いから同じく面談を待っている万由が顔を覗き込んできた。大きな瞳が、心配の色を宿している。
不思議なことだが、彼女が現時点で最も心を許しているのは直刃らしい。自分から話しかけるとなると、必ずと言って良い程直刃の方を向く。
こういう時、まず気を許すのは同年代の同性ではないかと思うのだが、万由に関してはこれまでの複雑な事情が絡んでいるのだろう。歳の近い未散は必要な措置だったとはいえ片古家を焼いているし、あやめとは屋敷にいた頃からそこまで親しい間柄ではなかったようだ。であれば、消去法で自分に話しかけるのも道理か──と、直刃はひとりで納得する。
「然して重大なことではなし。未散が無事に戻ってくることを祈念していた」
誤魔化す必要はないので正直に──しかし戦慣れしていない万由のために多少語彙を軟化させて直刃は答える。未散もそうだが、武働きに縁遠い者は血なまぐさい話題を忌避するものらしい。岐阜──明確には直刃の周囲──では大盛り上がりなのに、不思議なこともあるものだ。
「直刃様は、本当に波分様のことが気がかりでいらっしゃるのね。それに比べて、あやめさんときたら……少しは直刃様の親切なところを見習っていただきたいわ」
直刃の答えを受けた万由は、今はここにいない人物に密やかな抗議をぶつけた。本人がいたところで受け流されるだろうが、万由の心が少しでも晴れるなら不在であることが悪いとは言えない。
彼女の言うとおり、同行してきたあやめは席を外している。厠に行きたいと言って近くにいた使用人らしき女を捕まえて、その場を離れてしまった。自由気ままなあやめらしいことである。
何はともあれ、万由から見た直刃は純粋に未散の無事を案じている風に映ったらしい。この身の内に秘めたる仄暗い情念が明らかとなっていないことに、ひとまず直刃は安堵する。
直刃は基本的に人の目を気にしない。……が、使者の肩書きを背負っているのなら話は別だ。今までにない欲が我が身を渦巻き、炎となって心ごと焼き尽くそうとも、初めて直刃が得た人としての立ち位置は織田家の武人。与えられた任を放棄しては、存在意義を放り捨てたも同然だ。何より、祐成が黙ってはいまい。
故に、直刃はこれでも自制している。未散を害さず、人の身に見合った感情表現にとどめている──つもりだ。未散が聞いたら腑に落ちないといった顔をするだろうが、それはそれ。直刃の中では遠慮しているので、それでよしとしよう。
己の中で一区切りつけたところで、直刃は万由に向き直る。未散のことばかり考えているのはよろしくない。他者からの印象も、この際に把握しておかなければ。
「お前には、直刃が親切に見えるのか」
淡々と尋ねたつもりだが、何か引っ掛かることがあったのか万由は目を見開いた。
おかしな発言だっただろうか、と内省しかけるも、直刃が思う限り違和感はない。どちらかと言えば、これまでの人付き合いで親切と形容されたことの少ない直刃の方が新鮮な気持ちになっていたところであった。
祐成が同じ場にいたら、言い方が悪いとか、無表情だからいけないのだなど、口うるさく言ってきたことだろう。しかし、万由は直刃を責めることはなく、何故か面映ゆそうに頬を染めながら解を導いた。
「見えるというか……実際に親切だったから、確証を持って言えるの。直刃様は、わたしのことを捨て置かなかった。おかしくなってしまった使用人の皆さんが襲いかかってくる中、わたしのことを助けてくださった……。危険を冒してまでわたしを救おうと考えたあなたが親切でないなら、誰を親切だと言えば良いんでしょう?」
本当のところを話すと、急に敵がわらわらと湧いて出てきたのでこれ幸いと屠っただけなのだが──皆まで言うなというのはこういうことだろう。直刃は真実を飲み込み、そうか、と相槌を打つ。
「……ねえ、直刃様」
特に訝しむ様子はなく、万由はそっとこちらの顔を覗き込んでくる。黒目がちな瞳と視線が交わった。
近くで目視したことで、はたと直刃は気付く。彼女は平生──未散やあやめと共にいる時と、明らかに様子が異なる。頬はうっすらと染まり、目元もどことなく潤んでいるように見える。
熱でもあるのだろうか。だとすれば安静にしておいた方が良いと思うが──辛そうには見えない。むしろ、仄かな幸福感さえ醸し出している。これまで見てきた人々の中で近しいものを挙げるとすれば、程よく酒に酔っているような──気分が高揚して快くなっているのと似ている、ような気がする。
「この騒動に区切りが付いたら、直刃様はどうなさられるの?」
どんな浮かれた問いを投げ掛けられるかと思いきや、万由が差し出した疑問は意外に現実味を帯びていた。
今後について、まだ確実なことは言えない。……が、何事もなく事態が終息したのなら、直刃は再び
「恐らく岐阜へ戻るだろう。新たな任務を命じられれば、そちらへ向かうこととなろうが」
憶測にはなるが、可能性は高いのでご寛恕願いたいところだ。曖昧な情報を流さないよう直刃なりに注意して告げると、万由はそう、と上目遣いに見上げてきた。
「あの……もし、もしもね? 直刃様さえ迷惑でなければ、わたしも岐阜に連れていってはくれないかしら」
「お前を、岐阜に?」
「……前にも申し上げたけれど、わたしには行くあてがないようなものだもの。実家に出戻ったところで父は許さないでしょうし、近江に身を寄せられる知人はいない……片古家が滅茶苦茶になってしまった今、わたしに居場所はないの。今は直刃様や、波分様のご厚意でごいっしょさせていただいているけれど、いずれ任務は終わってしまう。そう思ったら、いてもたってもいられなくなって……。せめて、よく見知っていて、信頼できる……直刃様といっしょにいられたらって思ったの」
未散ならば、嫌な顔をせずに面倒を見てくれるのではないか。そんな意見も頭を過ったが、二人の関係性を鑑みてそれは悪手だろうと取り下げる。いくら未散が許したところで、一度生じた
まさか自分に白羽の矢が立つとは。驚きはあったが、戸惑いはしなかった。万由が身の振り方に悩んでいることは、既に知るところであったからだ。
「直刃は常なる武士らとは異なる。任務とあればどこへでも行き、仮の宿りはあれど属するべき家はない。お前を養えないとは言い切れないが、側にいてやることはできないだろう」
万由の想像する直刃の生活がどれだけ現実に則していようとも、世間一般的な武士のようには過ごせない。一応岐阜に家はあるものの、基本的に任務で空けている。仮に万由が厄介になるのなら、彼女はひとりで過ごす時間の方が圧倒的に多くなるはずだ。たとえ彼女にとって直刃が信頼に足る人物だったとしても、同じ時間と空間を共有できないのなら意味がないのではないか。
現実を突き付けることになってしまったが、自分の側にいたところで万由が満ち足りた日々を送れるとは思えない。ならば、彼女の思いを否定してでも真っ当な幸せを得られる選択肢を示唆するのが、人らしい優しさだと直刃は思う。
一度、万由は瞬きをした。眉尻が悲しげに下がる──しかし、彼女が退くことはない。
「わかっているわ。直刃様には大切なお役目があって、主家に尽くすことこそが生き甲斐なんだってことくらい。その結果、わたしが二の次になることだって……心を決める前から、理解していた」
それでも、と万由は強く続ける。長い
「わたし、どれだけ孤独になったとしても、直刃様といっしょにいたい。あなたは親切で、わたしのことを心配してくださっているから断っているんだってわかっていても、わたしは諦めきれないわ。ねえ、わたしがどうなったって、直刃様は気にしなくていいの。わたしのことを、お側に置いて。わたしは──万由は、直刃様のことを、」
万由がなんと続けようとしたのかはわからない。しかし、彼女が言い淀んでいる隙を突くかのように、直刃の腰にとん、と温かな重みが抱き付いた。
「こんにちは、直刃。びっくりした?」
ぎゅっと短い腕を回しながら問いかけるのは、大きな目をくりくりとさせる子供──以前この城で知り合った波分家の少年、真木だった。悪戯好きなのは相変わらずらしい。
取り立てて驚くことはなかったが、子供特有の柔らかな体と仄甘いにおいは割と好きだ。直刃は無表情を変えず、然れど僅かに目元を弛めて応じる。
「真木か。今日も一人でいるのか?」
「ううん、後から細波と、あやめも来るよ。未散が来るって約束してたから、最近は手習いもがんばったの。えらいでしょ。ほめてね」
「こら真木、己から称賛を求めるなぞはしたないぞ」
真木が言った通り、ややあってから細波と、何食わぬ顔で彼の横を歩くあやめがやって来る。細波は変わらず堂々たる佇まい──だが、以前未散から指摘されたのが効いているのだろうか。声量はやや落としている。
そんな彼を横目でちらと見遣ってから、あやめはしずしずとこちらに近付いた。直刃にくっついている真木をやんわりと引き剥がし、視線を向けてくる。
「こちらの……細波様、とおっしゃったかしら。とにかく、彼がお話しをされたいとのことです。万由様と真木様はあたしが見ておきますから、どうぞお二人でご歓談くださいませ」
「細波が? この場ではいけないのか」
「ああ、一対一でなければ話にならん。真木、あまり人の子に迷惑をかけるなよ。波分家を担う者として、礼節をわきまえることだ」
「わかってるよ。ね、あやめ。いっしょに市松のおやつ食べに行こ。いちばん隠してる場所がわかりやすいんだよ」
「まあ。それは楽しそうですけれど、怒られませんか? 真木様ならともかく、あたしは無礼討ちにされても文句を言えない立場ですよ」
「だいじょうぶ、だってこの前こっちのおやつを取られたんだもの。やり返されないと思ってる方がおかしいよね。これも戦国の習い」
「真木、何かにつけて戦国の習いと言い訳にするのはやめろと言っているはずだ。くれぐれも人の子を困らせないこと、良いな?」
「ふふ、だいじょうぶ、うまくやるから。いざという時は助作にかくまってもらうといいよ」
いつの間にか、あやめと真木は意気投合していたようだ。あやめも諌めているようで、真木の悪戯を止めようとはしない。叱ってばかりの細波や、生真面目な未散とは異なる人種だ──故にこそ懐いた、とでも言うべきか。
溜め息を吐く細波にほんの少しの同情を寄せつつ、直刃はふと万由の方を見る。気配を消すようにうつむく彼女は、皮膚が白く変色する程に強く袖口を握り込んでいた。
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