第15話 直刃/甼
「ねえ、直刃様。どちらの
問いかけられ、直刃はぱちくりとひとつ瞬きをした。
目の前には、両手にそれぞれ違った意匠の簪を持った万由がいる。困ったように眉尻を下げて、もう、と 控えめに憤ってみせる。
「もしかしなくても直刃様、ぼうっとしていらっしゃったでしょう。人が質問しているのに、考え事とはいかがなものかと思いますけれど」
「すまない」
「一体何を考えていらっしゃったの? わたし、少し嫉妬してしまいそう」
何を考えていたか。その質問に対する答えがあるとすれば、間違いなく未散という一人の人間に思考を割かれていた──それが真なる解である。
今、直刃という式神の思考を支配するのは、波分家の名代たる少女──未散に他ならない。少しでも隙ができれば、脳裏に彼女の顔が思い浮かぶ。
記憶の中、そして現で相対する未散は、大抵しかめっ面をしている。直刃は彼女が笑うところを見たことがない。そう
単に笑顔を見たいだけではない。直刃は、未散のことをより深く知りたい。常に波分の名代、そして何かの犠牲であり続ける彼女を、彼女がひた隠しにしていながら意図せず直刃の前で垣間見せた本質を、この目で確かめてみたいと思う。
「……件の南蛮人に関してだ。改めて、妙な動きをしている──と」
しかし、万由の前で洗いざらい全てを語って聞かせる程、直刃の口は軽くない。きっと彼女を困らせてしまうことは目に見えていたので、当たり障りのない答えを選ぶ。
誤魔化しがないと言えば嘘になるが、情報収集を行った上で南蛮人の動きを奇妙だと感じたのは真実だ。これまで見て回ってきた露店や見世棚に聞いたところ、件の南蛮人は
南蛮人は若い男で、特に女たちからは概ね好感を得るだけの色男らしい。服装もあってよく目立ちそうだが、彼とその護衛がどこで寝泊まりしているのかは民たちの知るところではないとのこと。この辺りにはまだ教会もないので、伴天連に対して好意的な武家が寝食を提供しているのではないか──というのがこれまで聞き込みに応じてくれた人々の見解であった。
何はともあれ、その南蛮人は布教や交易といった世間一般的なものとは別のところに目的があるとみて間違いないだろう。万由も同様に感じていたようで、不服そうな色はありつつも、そうね、と同意を示した。
「人食い虫は、まだ近江にしか出ていないんでしょう? それを狙ったように情報を集めているのは、たしかに不思議よね。しかも、徒党を組んでいる訳でもなく、護衛の方を一人しか連れていないなんて。見ず知らずの異国で、不安じゃないのかしら」
「護衛は日本人に見えると聞いている。……が、近江の、少なくともこの辺りの者ではないだろう。皆一様に見たことのない顔だと言っていた」
「ええ。それに、その護衛の方はとても恐ろしげな風貌をしているそうじゃない。見かけた人がぎょっとするくらい……ああ、想像するのも恐ろしいわ」
ぶるりと万由が身を震わせる。正直、恐ろしげな見た目と言うと直刃自身も良い勝負だと思うのだが、顔見知り故に恐怖が緩和されているのだろうか。以前、任務で訪れた友軍武将の屋敷で、彼の幼い子供に顔を見た瞬間泣かれた身としては不思議なものである。その後はすっかり慣れたらしく訪問の度にじゃれつかれているので、怖いのは案外初対面だけかもしれない。
南蛮人の護衛とやらは、人によって情報はまちまちではあるものの、顔に大きな傷痕があるらしい。目玉が潰れているとか、火傷による瘢痕があるとか、とにかく尋常ではない様相であるとのこと。自らの牙と並べてみたら、どちらに軍配が上がるだろうと、直刃は脳天気な想像をしてみる。どのような結果になろうと、嬉しくも悲しくもないだろう。
そんな直刃は普段なら民に避けられがちだが、今日は一人ではないということもあって目視された瞬間に逃げられることはほとんどない。城下の町人たちは、南蛮人について知りたがっているお転婆なお嬢様に振り回される護衛とでも思っているのだろう。現在立ち寄っている露店を営んでいると思わしき中年の女も、微笑ましげな目をするばかりだ。
「まあ、怪しげな連中ってことは変わらんやろうねえ。南蛮由来の妙品やったら、安土のお城ができてからようさん入ってくるんやないの?」
「おば様、わたしは南蛮の品が欲しいという訳ではないわ」
「ほんなら、伴天連の教えに興味があるん? ほやったら、京辺りの商人に取り次いでもらいーな」
もう、と頬を膨らませる万由は楽しそうだ。品物もそうだが、町人と言葉を交わすことすら片古家ではなかったのだろう。この露店だけではなく、これまでの聞き込みでも、万由は積極的に会話に持ち込もうとしていた。
「お役目を放棄してお喋りですか。意外と怠慢でいらっしゃるのですね」
ざり、と地面を擦る音がする。直刃が振り返った先には、相変わらず物憂げな顔をしたあやめの姿があった。
彼女は個人的に見たいものがあるとのことで、一時的に直刃たちと別行動を取っていた。手ぶらで戻ってきたところから察するに、目当てのものは見付からなかったらしい。つまらなさげな顔をしているのも、思い通りに事が進まなかったが故であろうか。
「ただ雑談していた訳じゃありません。ちゃんと南蛮人についても聞き回っています──ね、そうでしょう直刃様」
怠慢の誹りを受けた万由はすぐさま反論し、直刃に同意を求めてきた。たしかに万由の言う通り、自分たちは雑談のみに時間を割いてきた訳ではない。ひとつうなずいて首肯すれば、万由はふふんと勝ち誇った顔をした。彼女はそのまま歩き出したので、露店の女に軽く会釈をしてから直刃はその後を追う。
「そう言うあやめさんこそ、今までどこにいらしたの? 波分様のように、知り合いがいらっしゃるとか?」
「まさか。あたしが近江の出でないと、万由様も存じ上げていらっしゃるはず。良い武器がないか見て回っていたのです。いつまでも彼のものを借りたままでは、申し訳ないですもの」
女には必要ないものだと追い払われてしまいましたけれど──とあやめは付け加える。あまり機嫌がよろしくないのはそのせいかと、直刃は内心で納得する。
貸し出している鎧通しに関しては、なくとも特に差し障りはないので任務の終了まで使ってくれて構わないと考えている。ただ、武器とは功をを立て、そして身を守る手段でもある。自らの命に関わるからこそ、生半可なものを使い続けるのは不適当だ。
武家の娘ならまだしも、市井を一人でうろついているあやめは従軍とは無関係の民にしか見えないのだろう。次は自分も付いていくかと、直刃は内省する。武器の目利きが得意という訳ではないが、多少の助けにはなれるはずだ。何か助言をするとなれば友人の受け売りになってしまうが、あやめの一助になるならば大いに結構である。
「ところであやめ。南蛮人に関する新たな情報は入ったか」
平坦な声で問いかけると、あやめは横目でこちらを見遣った。先程よりも、その眼差しに浮かぶ苛立ちや不満が薄まったように見える。
「そうですね……お二人も既にご存じかもしれませんが、例の南蛮人は同業者と群れることなく動いているとか。神出鬼没で、城下にいることもあれば、郊外をうろついているのを見かけた方もいらっしゃるそうで……。連れているのは、日本人らしき若い護衛がお一人とのことでした」
「ええ、存じ上げています。恐ろしげな風貌をした護衛、でしょう? わたしたちも聞き及んでいます」
「恐ろしげ……そう思うのは万由様だけかもしれませんが、顔に大きな傷のある男だそうです。あたしが聞いた限りでは、今日の城下ではまだ姿を見た者はいないそうで……少なくとも、毎日決まった経路を回っている肥売りは見ていないと言っていました。見落としがないとは言い切れませんが」
「ええっ、肥売り? そんな方にまでお声をかけたんですか」
すっと万由があやめから距離を取る。肥売りと聞いて、その臭いを想像したのだろうか。思えば、万由が声をかけるのはある程度清潔感のある者ばかりだ。
対するあやめは特に抵抗を示した様子もなく、平然とうなずいた。
「情報収集をするのに、えり好みなどしてはいられないでしょう? 尤も、南蛮人は万由様と同じように、人を選んでいるようですけれど」
「どういう意味かしら」
「美人に声をかけるそうで……。端的に言えば軟派ですね」
まあ、と万由が口元に手を遣る。何故か一度直刃の方を見て何か言いたげな目を向けたが、直刃にその真意は図りかねた。
「心配することはないでしょう。わたしたちには、直刃様が付いていらっしゃるのだもの」
ですから悪いようにはされないはず、と万由は朗らかに返す。なるほど信頼されているのかと、直刃は先の視線の意図を憶測してひとり納得した。
容姿端麗、その上女好きの南蛮人。宗教家としては珍しいものだが、清貧なだけが彼らの個性ではないのだろう。神仏に対する執着がほとんどないと言って良い直刃としては、咎める気も起きない。他者に迷惑をかけないのならそれで良い──無闇矢鱈な声掛けはいかがなものかと思うが。
そうなると、同行しているあやめや万由よりも、現在一人で挨拶回りに赴いている未散が心配になってくる。もしも彼女が下品な目で見られ、本人の意思に反する触れられ方をされていると思うと気が気ではない。南蛮人であろうとなかろうと、未散の身を脅かす者はこの手で排除したいところだ。
一度、未散が言っていた茶屋に向かうべきか。後方で落ち着いた声色ながらも舌戦を繰り広げている女性二人に提案しようと、直刃は振り返ろうとし──咄嗟に足を止めた。
背中に何かがぶつかる。きゃっ、という小さな悲鳴からして、万由が止まりきれずにぶつかったのだろう。転倒するような音は聞こえなかったので、大きな怪我はなさそうだ──何かあれば後程謝罪しよう。
直刃が立ち止まったのは、急に視界に入る人影があったからだ。黒い祭服を身に纏ったその人影は背が高く、その上背に見合った堂々たる立ち姿をしている。先日顔を合わせた細波と良い勝負だ。
「チャオ! モンテ・ビアンコの雪を思い出すなあ。それだけ綺麗な銀の髪が見えたものだから、つい駆け寄ってしまったよ」
ついと直刃は視線を上げる。耳慣れない発音の言葉がいくつかあり、その意を瞬時に解することは不可能と判断する。
声をかけてきたのは、二十代半ばと思わしき青年だった。明るい茶髪に、緑色の双眸。彫りが深く鼻が高い。一目で、日本人でないとわかる。天狗に例えられるのも無理はない。右目に、何やら鏡のようなもの──後程聞いたところによると
視線がぶつかる。青年は茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。自ら舞い込んできた好機に、直刃は目をすがめて相対する。
「美しいお嬢さん。良かったら、このルチアーノ・スキャヴァッツィと遊ばないか? 何、心配はいらないよ。全部俺の奢りだからね」
「直刃は男性体だ。お前の見解は誤っている」
まずは誤りを正さねばなるまい。性別を間違えられたのはこれが初めてだが、髪の長さや体つきのわかりにくい厚着では間違えることもあろう。加えて面頬で顔の半分を隠し、黙って歩いているとなればすぐに見分けがつくものでもなし。青年は背が高いので、直刃程度であれば多少高身長の女性に見えてもおかしくはない──のかもしれない。
これを受けた青年は、片目を瞑ったまま固まった。ぴしりと、さながら石のように。
しばらく観察していると、彼の口角がぴくぴくと痙攣し始めた。やがて彼の微笑みは苦笑へと変わり、やがて青年は天を仰いだ。
「……スィ、スィ。こればっかりは俺の目が眩んでたみたいだ。スクーザ、申し訳ないことをしたね。お詫びと言ってはなんだけど、どっかで軽くお茶しない? 本当に、俺が奢るからさ」
結局誘うのか、という思いと共に直刃は青年を見る。幾分か高い位置にある目は直刃の無言の訴えを受け、てへ、と軽く舌を出してみせた。
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