第14話 未散/𤇆

 一日中雨の降っていた昨日が嘘のように、この日は朝から太陽が顔を覗かせていた。絶好の外出日和と言える天気に、未散は内心で安堵する──これ以上自分を静養させる理由ができてはいけない。


「お天気が回復して本当に良かった。わたし、一度は城下町に行ってみたいと思っていたんです」


 露店をきょろきょろと忙しなく見回しながら、弾む声音で言うのは万由だ。心なしかその足取りは今まで見たものよりも軽く、声色だけでなく動きそのものも飛び跳ねているように見える。

 近江は交通の要衝でもある。京に近く、現在権勢を誇る織田氏の拠点たる尾張や美濃を繋ぐ中継地点としての役割も果たしている。国の中央に位置する琵琶湖とそこから流れ出る河川は水運業を育て、織田氏の開発を得て各地の港は急速な発展を遂げた。

 長浜も例外ではなく、城下町は盛況の一言に尽きる。万由が年相応にはしゃぐのもうなずけた。


「遊びに来た訳ではないのですよ。やる気がないのなら、ここで万由様だけ離脱してはいかがかしら」


 いつになく表情を輝かせている万由に対し、あやめの反応は相変わらずすげないものだ。市の賑わいには不釣り合いに過ぎる冷ややかな視線が万由へと降りかかる。

 その様子を見守る直刃は万由の振る舞いを肯定も否定もしなかったが、普段と変わらぬ無表情なのでお世辞にも乗り気には見えない。未散は何度も城下町を訪れているから今更はしゃぐ気にもいかず、結果的に万由だけが浮かれているような絵面になってしまった。

 あやめの言う通り、一行の本分はきな臭い動きをしているという南蛮人の捜索だ。──が、ここ数日の惨劇を思えば、たまの休息は必要だと未散は思う。昨日は一日隠れ家で休むこととなったが、じめじめした雨の日に引きこもっているだけでは心を癒やすことなど不可能だろう。万由を責める気にはなれなかった。


「まあまあ、あやめ殿。せっかくの機会なのだ、あまり万由殿を咎め立てないでいただきたい。初めて城下町を訪れた時は、私も浮かれ騒いだものだった」


 苦笑しながら万由を庇うが、あやめの表情は変わらない。反省するどころか、これ見よがしに溜め息を吐かれた。


「相変わらず、万由様には甘くていらっしゃる。甘やかしたところで利はないかと存じますが」

「まあ、あやめさんったら失礼ね。わたしだって、誠意に対するご恩返しくらいできますっ」

「別に見返りを求めている訳では……。そうだ、私は馴染みの者に挨拶をしてくるから、しばらく三人で調査してはいかがだろうか。南蛮人の情報を集めがてら、城下を散策してもらっても構わない。ずっと堅苦しい雰囲気というのも疲れるだろう?」

「別行動ということか?」


 我ながら良案だと思ったのだが、全会一致とはいかない。嬉しげな顔をしている万由と呆れかえるあやめを制するかの如く、即座に直刃が問いかけてくる。

 今の彼は面頬を装着している。素顔を晒しているよりもこちらの方が見慣れている──が、仰々しい見た目であることに変わりはない。喜怒哀楽、いずれの感情も反映しない眼差しと声色で疑問を投げ掛けられれば、相応の威圧感を覚えずにはいられない。

 それに何より──直刃とは、ただ任務を同じくする協力者という関係以外のしがらみができてしまった。一晩経っても、その気まずさは振り払えない。


「……そうだ。何、時間はかからない。一通り回り終わったら、あわい屋という茶屋へ向かうから、そこで落ち合おう」

「短時間で終わるなら直刃も同行するが」

「南蛮人のこともあるだろう。効率を考えたら、手分けした方が良い。城下は歩き慣れているから、心配するな。では任せたぞ」


 直刃に有無を言わせぬまま、未散は背を向けてすたすた歩き出した。あやめと万由も同行している以上、彼女らを置いてまで自分を追いかけるような真似はしないだろう。直刃は言葉少なではあるものの、協調性は高い。それを信頼しての行動だった。

 振り返らずに、未散は雑踏の中を進む。長浜の城下町には何度も訪れている。個人的な買い物をすることはほとんどないが、ある程度の地理は把握しているつもりだ。


「……なばれ」


 吐息に言の葉を乗せ、誰の耳にも入らぬ程の小声で囁く。ただの独り言ではない──隠形の術だ。

 波分家に連なりながら言霊を不得手とする未散ではあるが、基礎的な術は一通り体得している。人の中で気配を消すくらいなら、慣れたものだ。

 慎重に周囲を見渡して、未散は歩を進める。いくつか辻を越え、人の隙間を通り抜けた先で、未散は民家の間にできた路地へと体を滑り込ませる。

 人一人がやっと通れる程の狭い路地。周囲に人がいないのを確認してから、未散はその場にしゃがみ込んだ。土で汚れるのも構わず、掌で地面に触れる。


(やはり、私程度では時間経過と共に結界も弱まるか……。破られた痕跡がないとはいえ、厄介なものだ)


 掌を通して、微弱な熱が伝わってくる。それはかねてより城下町に張り巡らされた、未散の霊気に他ならない。

 人食い虫の被害が散見された頃から、未散は自らの霊気を地中に送り込むことで城下町を害する術から防御している。近江全体を覆うことはさすがに不可能だが、最低限の虫除けにはなっているらしい。今のところ、城下町で人食い虫に食われた民がいるという情報は入ってこない。

 瞼を閉じ、深呼吸する。自らの内に流れる霊気を、地中へと送り込む。

 己の力量は理解しているつもりだ。地中から湧いて出てくる人食い虫を防ぐことはできても、害意のある術者の侵入まで防げる訳ではない──それでも、できる限りの手は打っておきたかった。

 軽い眩暈を覚え、未散は眉間を揉む。先日の負傷のせいか、平生よりも消耗が激しい。健康な状態でも城下町全体に霊気を送れば昏倒するような眠気に襲われるので、現状で普段と同じようにし済ませるのは無謀というものだろう。

 唇を噛み、壁に手を当てて立ち上がる。結界は東西南北、四地点を支柱としている。今いるのは東の支柱──ここから尤も近いのは南の支柱だ。少々不足は出るだろうが、二地点も補充すればなんとか持たせることはできる。


(しゃんとしないと……私は、波分家の名代なのだから……)


 自分自身に言い聞かせ、未散は歩を進める。しばらくすれば眩暈は収まったが、どうにも疲労感は拭いきれない。

 市井を足早に通り抜けながら、未散は一旦行動を別にした三人のことを思った。彼らは何事もなく城下町を散策しているだろうか。あの様子だと、万由はあまり外出したことがなさそうだった。少しでも気晴らしになっていれば良いと思う。

 未散の横を、子を背負った女が過ぎ去っていく。片手でおぶった子を支え、もう片方で年嵩の子供の手を引いていた。

 彼らのような民を、もう無惨に死なせはしない。彼らの日常が脅かされるなど、あってはならない。

 民あってこその波分家だ。そう、未散は何度も言い聞かされてきた。彼らの支えがあったからこそ、波分家はその血を連綿と繋いでいる。故にこそ、波分の術者は民を思いやり、助けてやらねばならない──と。

 今がその時なのだと未散は思う。波分家に連なる者として、使命を果たさなければ。

 南の支柱へと辿り着く。人気のない祠を背にして、先程と同じように霊気を送る。目の前がふらついたが、気力を振り絞って耐える──こんなところで音を上げてはいられない。

 浅い呼吸を繰り返し、未散は胸元を押さえる。先程のように、すぐに立ち上がることは難しい。少しでも力の入れどころを誤れば、そのまま倒れ込んでしまいかねない。

 幸い、隠形の術は正常に作動している。調子が戻るまで、ここで休ませてもらおう。術が持続している限りは、只人に見咎められることもあるまい──。


「──おい、あんた。そこで何してる」


 そのはずだったのに、未散の頭上から声が降りかかった。やや掠れた、若い男の声だった。

 聞き覚えのある声色ではない。早鐘を打つ心臓に気付かないふりをして、未散はそっと顔を上げた。もしかしたら、自分にかけられた言葉ではないかもしれない。そんな、一抹の希望に縋りながら。


「ただの民じゃねえな。己が気を極限まで薄める術──隠形か。人だかりの中でもわざわざそんな術を使う程、やましい事情があるってことかよ」


 見上げた先にいたのは、元服はしているのだろうがあまりにも童顔の目立つ──少年と言っても差し支えのない──青年だった。

 真っ先に目を引くのは、左目を覆う包帯である。傷か、あるいはその痕を隠すためのものなのだろうが、全てを覆いきれはしなかったのだろう。露出する皮膚にも瘢痕が見受けられる。加えて大小様々な傷が幼さを残す顔に刻まれていた。

 ただ者ではない。即座に未散は直感する。

 隠形の術を直ちに見抜かれた。青年の出で立ちは粗野な野武士といった風だが、その挙動は素人目に見てもそうとわかる程洗練されている。いくら消耗しているとはいえ、声を発するまでこちらに気配を気取らせなかった──その上、体表に霊気を纏わせてはいない。彼は生身のまま気配を消し、未散の背後まで歩み寄ったのだ。

 咄嗟に身構えようとするが、それを察知したかのように青年は先行した。迷いなく手を伸ばすと、未散の細腕を掴んで強引に立たせる。視界が白くぐらついた。


「あんた、この城下に何を仕込んだ? いや、前々から準備してやがったな。そこまで大がかりな術を用いて、一体何を企んでる」

「……言いがかりだ。ただ結界を張っていただけだ……それ以上のことなどしていない」


 隠形の術を見破られた以上、下手な誤魔化しは効かないだろう。平静を装いながら、未散は首を横に振る。


「信じられないのなら、確かめてみれば良い。お前も術者の端くれならば、私の霊気が何に用いられているかくらいは読み取れるはずだ」


 武力で敵わないどころか、今の未散は霊気を摩耗している。単純な術のぶつけ合いでも不利なことは明らかだ。

 ならば、真っ向から潔白を証明する他ない。疚しいことなど何一つないし、己の実力では結界を張る以上の芸当は不可能だ。自らの無力を嘆いたことは幾度となくあったが、少なくとも今は利点になるはずだ。

 せめてもの抵抗にと、未散は青年を睨み付ける。彼は視線を外すことなく、平然とした口振りで告げた。


わりぃが、おれは術者でも何でもなくてな。ただ常ならざる術を見破ることしかできねえ下っ端だ。検非違使で言うところの放免だな」

「は……? 見破れるのに、術者ではないだと……?」

「あんたらみたいな、生まれつきそういう力を持ってる連中とは違うんだよ。おれにできるのは、怪しげな術者をしょっ引く程度……近頃、この辺りで人を食らう虫が蔓延はびこってるらしいじゃねえか。あんたがその下手人なんじゃねえのか」

「な……!」


 思わず未散は目を瞠る。心を揺さぶる衝撃によって、見える景色そのものもぶれた気がした。

 この青年は、あろうことかこの身を一連の騒動の主犯格と見なしている。その事実を目の当たりにした瞬間に、未散は全身の血液が沸騰するが如き感覚を抱いた。


「ふざけるな! 霊気の確認もせずに、軽々しく発言しないでいただきたい!」

「だから、その確認がおれにはできねえんだよ。そっち方面を得手とする奴が別にいるから、まずは大人しくしろ」

「第一、貴様はどこの手の者だ⁉ 名乗りもせずに疑わしきを引っ立てるとは、なかなかに強硬な手を取るではないか! 無礼千万にも程があろう!」


 青年が羽柴の手の者でないことはわかりきっている。織田家の家臣である秀吉が、一切の報なく未散の身を拘束する程短絡的な手を取るとは思えない。況してや身柄も明かさない、罪状も何も用意していない人物が単身で乗り込んでくるのもおかしい。未散が疑われているのであれば、織田家の使いたる直刃にも一報が入っているはずだ。

 身をよじり、青年の手から逃げようとするが、単純な力では勝てるはずもない。逆に手首を捻り上げられ、未散はか細く悲鳴を上げた。


「どこの手の者、ね。うちの主人は気ままだからな。所属する組織の中でも好き勝手に動いてるから、下手を打てば味方からも目を付けられかねないんだよ。要するに、ここじゃあんたに明かすことはできねえな」

「貴様……!」

「ああ、けどよ、怪しい理由ならあらあな。あんた、なんでそこまで抵抗する? 身の潔白を晴らしたいなら、さっさとおれの言うことを聞いて、言う通りにすりゃ良いじゃねえか。そうまでしてこっちの領分に入ろうとしねえと来たら、嫌疑のひとつもかけたくなるだろ」

「貴様は……貴様も、私を疑うのか……!」


 掴まれた手首が痛む。その痛覚を、未散は起点とする。

 ゆらりと、未散を取り巻く空気が揺らぐ。弾かれたように青年が手を離すのと、先程まで拘束されていた未散の左手を囲むようにして炎が生じたのは同時だった。風が熱気を乗せ、未散の頬を撫でる。

 追い討ちをかけるように、未散は左手を振るう。何もなかった空中で、火薬を思わせる火花が散った。これも見切っていたのか、青年は瞬時に飛び退いて回避する。


「名を、所属を名乗れ……! でなければ、貴様には応じない……!」


 喘鳴を交えながらも、未散ははっきり言い放つ。こうでもしなければ、相手はこちらの意思を汲むどころか対話に応じようともしないだろう。舐めないで欲しかった。

 明確な敵意を目にしたからか、青年の纏う空気が引き締まる。しかし彼は表情を険しくさせるどころか、にいと歯を見せて笑った。


「とんだお転婆だな。じゃじゃ馬は嫌いじゃねえが、身の程は弁えな。五体満足でお家に帰りたいだろ?」


 青年が腰の刀を抜く。一般的には大小で一揃いになっているはずのそれだが、彼の場合は二振りとも同一の大きさだ。

 二刀流か、と未散は目をすがめる。しかし青年は一本しか抜いていない──加減するつもりなのだろう。

 今更腕や脚の数本を惜しむ気持ちはない。奥歯を噛み締め、未散は霊気を練り上げる。背を向けて逃げるには、未だ隙が足りない。


「貴様が、帰れ……!」


 未散の頭上に幾つもの火球が浮かび上がる。かっと目を見開くのと同時に、それらは青年目掛けて落下する。

 ぐ、と喉の奥からせり上がるものがあり、未散は飲み下すこともできずにそれを口からあふれ出させた。舌の上にねっちゃりと絡み付く鉄の味──霊気の酷使により血反吐を吐き出したのだと、熱を帯びた頭の中で妙に冷静に認識する。

 青年は襲い来る火球を次々と避け、未散に接近しようと試みる。火球自体は地面に触れれば跡形もなく消滅したが、攻撃の手は緩めない。口と襟元を赤く染めながらも、未散は火球を絶やさない。青年が微塵も尻込みした様子を見せず、着実に迫り来ることを理解しているからだ。


(こいつ……火を恐れないのか……⁉)


 攻撃のひとつとして、当たってはいけないという認識はあるのだろう。だが、どれだけ至近距離を火の粉が掠めようとも、一切怯むことなく落ち着いた身のこなしで回避している。身が焼ける苦痛など、端から知らないとでも言うように。

 視界が霞む。だが、青年が近付いているのはわかる。

 咳き込みながらも、未散が膝をつくことはない。いくら傷付こうと一向に構いやしない──己が人食い虫を蔓延らせたという疑惑が晴れるならば。

 躊躇いなく火球を一刀両断した青年が、目前まで迫っている。まずは腕を切り落とすつもりなのだろう。一連の動作の中で、刀を構え直すのがわかった。

 ここで屈する訳にはいかない。圧倒的に不利な状況に陥ったことを理解しながらも、未散の闘志は尽きなかった。ぶれる視界がたわむ程に瞼を見開き、目尻が細かに痙攣する。


「──んあ? あんたまさか──」


 ぴくりと青年が眉を動かす。振りかぶった腕を穴が空きそうなくらいに凝視し、未散は吼える。


「散れ‼」


 瞬間、彼女の視線は光線となって射出される。さすがにこれは受けきれないと踏んだのか、青年は得物を手放して身を翻した。からん、と刀が地面に落ちる音が遠く響く。

 今だと思った。未散はよろめきながらも走り出す。鼻からも血が流れ出ているとわかったが、今はその程度の傷にかかずらってはいられない。

 胸が苦しい。今にも弾け飛んでしまいそうな程の動悸を繰り返す胸を押さえ付けながら、未散は無我夢中で駆ける。

 脚がもつれて地面へと転がり込む。全身が強かに打ち付けられるのを感じながらも、未散は何とか体勢を立て直そうともがいた。しかしそれよりも先に腹部へと重みが落ちる──先程の青年が馬乗りになっていた。


「あんた程気骨のある女は初めて見た。そうまでして疑いを晴らしてえんだな」


 青年が笑っている。残るもう一本の刀を抜いているのが見える。


「命は取らねえ。約束する。だが、ますます逃がす訳にもいかなくなった。悪いが手足は諦めな。後の世話ならおれが責任持ってやるからよ」


 白刃が閃く。右腕からいくつもりだと、瞬時に悟った。

 悔しいが、片腕は見限るしかない。切断という動作が伴う以上、青年には多かれ少なかれ隙が生まれるはずだ。その間隙を縫えば、人のいる方向へ逃げられるか──。

 限られた時間で思考を巡らせ、未散は来る痛みと断絶を覚悟していた──が、刀が振り下ろされることはなかった。

 青年の頬すれすれに、空気を切り裂きながら細長いものが飛来する。背後からの攻撃だったためか完全に避けきることはできず、青年の頬は僅かに切れた。彼は舌打ちしながら横へと転がり、攻撃を放った人物がいると思わしき方向へと体を向ける。


「まったく、何してるんですか、白昼の往来で! 乱取りでもなし、他人ひとの治める城下町で女性に乱暴を働くとは、よっぽどの勇気をお持ちと見える。その様子からして、貴殿は羽柴筑前殿の臣でも、況してや上様の下にある者ですらないでしょう」


 涼やかな声がする。若い男のものだろう。

 よろよろと未散は身を起こした。幸い、両腕両脚は無事である。

 口惜しげな空気を醸し出す青年の向こう側に、未散は新たな人影を見た。すらりとした、上背の高い男だ。ちょうど六尺に届くくらいだろうか。艶やかな黒髪をひとつに結わえた、見目麗しい色白の美青年である。身なりの良さから、並大抵の家柄ではないだろうと未散は予測した。


「なんだ、邪魔しやがって。こっちは仕事なんだよ、部外者はすっこんでろ」


 気色ばむ青年を前にしても、美青年は顔色を変えない。にこにこと笑顔のまま、あくまで朗らかに応じる。


「あはは、部外者ですがそれがいかがなさいましたか。俺が何者であれ、貴殿が上様の財産を侵害しようとしている事実にお変わりはないじゃありませんか。べきは貴殿ですよ。俺の武勲を増やしてくださるとおっしゃるのなら、無理強いはしませんが」

「何だと──」


 相手が言葉を発し終わる前に、美青年は動いている。瞬く間に抜刀すると、青年の首目掛けて刀を振るう。

 対する青年も素早く防衛の構えを取る──が、次の瞬間には腹部に膝蹴りを食らい、彼の体は地に沈む。


「立てますね!」


 ぐい、と腕を引かれて無理矢理起立させられる。こちらの是非などお構いなしに、美青年はにこりと微笑みかけた。


「とりあえず人のいるところまで退避しましょう! 落ち着いたお話はその後で!」

「え、あの、貴殿は、」

「ああ、武勲については心配ご無用です! 戦ならそのうち起きます。こんなところで無為に一人を追うよりも、戦場で手柄を得る方が効率的です!」


 なんだろう、何を言っているのかはわかるが、話が通じていない気がする。それと射干玉ぬばたまを思わせる真っ黒な目がどことなく怖い。

 美青年は近場に突き刺さっている飾り気のない長柄の素槍──先程青年の頬に傷を付けたのはこれが投擲されたが故であろう──をひょいと抜いて抱え、そのまま未散の手を引いて走り出した。ほとんど引きずられるような形で、未散はどうにか彼に付いていく。


「あっ、あの、貴殿、名前は……!」


 息切れしながらも礼を言わなければと、未散は必死で声を上げる。途切れ途切れになってしまったが、相手には届いていたらしい。速度を落とすことなく、長く美しい髪の毛をふわりと翻しながら、美青年はどこか薄ら寒さを感じさせる笑顔を浮かべて朗々と名乗る。


「俺は小比木おこのぎ祐成すけなりと申します! 見ての通り織田家に仕える武士もののふですが、怖くないのでお気になさらず!」


 現時点でもちょっと怖いよ、という指摘は野暮というもの。再び前を向いて駆ける祐成に、未散はそれ以上の言葉などかけられなかった。

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