第27話 直刃/訝

 直刃とあやめを出迎えたルチアーノは、相変わらず気さくな笑みを浮かべていた。傍らに佇むサルヴァトーレが仏頂面なことで、室内の均衡を保っている……ように、見える。


「やあ、少年ラガッツォ。待ちわびたよ」


 ルチアーノの声色は、表情と同様に柔らかい。……が、目の奥は決して笑んでいないとわかる。まるで獲物を見定める猟師の目だ。

 何が彼らをそうさせたのかはわからないが、少なくとも獣と判断されるだけの確信を得たのだろうと直刃は判断する。大方未散との面談が原因だろうが、彼女は個人情報を軽々しく口にするような人物ではない。ならば、ルチアーノの洞察力が優れているのだろう。


「粗方の情報共有は、未散ちゃんが済ませてくれたからね。二人には、二人にしか聞けないことを確認しようと思うんだ」

「まあ。勿体ぶった言い方をされますのね」


 心当たりがあるのかないのか、あやめの態度は平生と変わらない。誰に対しても臆することなく応じられるのは、ある種の才能である──などと考える直刃も似たようなものなのだが、己のことは案外見えないもの。特に自覚なく、直刃は感心の念を抱いた。

 ルチアーノはそっと片眼鏡に触れてから目をすがめる。新緑を思わせる双眸が、鈍い光を湛えた。


「じゃあ、飾らずに言うけど……少年、こちらのお嬢さんに細工したでしょ。未散ちゃん一筋だと思ってたんだけど、意外だなあ」


 やはりルチアーノは、あやめに霊気を分けたことを察していた。サルヴァトーレの目によって気付いた可能性もあり得るが──どちらにせよ、彼らの目は誤魔化せまい。

 是、と直刃はうなずいた。……が、ひとつ訂正しなければならない点がある。


「彼女に霊気を分け与えたのは、個人的な好悪によるものではない。瀕死であった彼女を行動可能にするための応急処置だ」

「ええ、全くもって望まぬ処置です」


 たしかにあやめも人食い虫を根絶する上でなくてはならない存在だが、未散と同じようには考えられない。直刃も自分自身の感情全てを理解している訳ではないが、未散は特別なのだ。

 異を唱えなかったのはありがたいが、あやめは強引に延命されたことを未だに根に持っているらしい。これ見よがしに吐かれた溜め息に、ルチアーノは憐れみの目を向けた。


「いくら生き延びられたからって、本人の意思とは関係なしに体をあれこれされるのはねえ。少年にとってはよかれと思ってやったことなんだろうけど、彼女はただの人間なんだからさ。自分が与える影響とか、もっとちゃんと考えなよ。少年が人じゃないってことは、術者連中には一目瞭然だ」

「……そういうものか。気に留めておくこととしよう」


 ルチアーノの忠告は尤もなものだ。たしかに、後々になって考えてみれば、常人であるあやめに自らの霊気を何の下準備もなしに注ぎ込むのは性急だった。しかし、そうしなければあやめは今ここにいなかったかもしれない。あの時は、可能な限り人食い虫の手がかりを掴みたかった。多少の問題はあれど、やり直しを希求する程ではない。

 直刃はゆるりと修道士を装った異国の術者に向き直る。

 彼は優秀なのだろう。だからこそ、直刃の正体を見破った。もしかしたら、初めに声をかけられた時から、こちらの本性は筒抜けだったかもしれない。

 ルチアーノいわく、直刃はわかりやすいという。人の肉体に似せてはいるが、その形態はあくまでも式神。外見だけ似せたところで、本業の者たちを誤魔化すことは容易ではなさそうだ。

 

 であれば──何故、未散は気付かなかったのだろう?


 直刃の目から見た限り、未散は特別優れているとまではゆかないが、相応の実力を有した術者だ。彼女の形作る炎は苛烈で、眩く、美しい。炎にまつわる術ばかり目にするのは、一点集中型であるが故だろうか。

 何にせよ、未散は決して平凡な術者ではない──そう、直刃は信じている。未散に格別の思いがあるという点を除いても、その能力は単純な武力のみに頼る直刃からしてみれば得難いものだった。

 だというのに、未散はこちらから告白するまで直刃の正体に気付いていなかった。良くも悪くも己を偽らない彼女のことだ、あの時に見せた驚きの表情は全くの本心であろう。

 未散とルチアーノは何が違ったのか。未散には何が足りなかったのか。人食い虫の根絶から逸れてしまう内容とはいえ、追い求めずにはいられない。自分自身と、他ならぬ未散が絡む問題ならば。


「──誤解があってはいけませんから申し上げますけれど、直刃さんに延命されてから、今のところ悪影響は感じられません。むしろ、体が軽くなり、戦闘にも参加できるようになりましたから、その点についてはありがたく存じております」


 あやめの声で、直刃の意識は現に戻る。未散のことを考えているのは自分だけのようだ。

 小さく鼻を鳴らす音がする。不思議そうな顔をしたサルヴァトーレが、腕を組みながら問うた。


「ふうん、これからどうなるかはわかんねえが、ひとまず目に見えてそうとわかる弊害はないってことか。それならよ、なんであんたはそうも不満げなんだ? 悪いことがねえならもっと機嫌良くするもんじゃねえのか」

「決まっているでしょう。他でもないあたしの人生を、赤の他人が勝手に左右したんですから。あたしの意思を悉く無視されたことが、一等我慢ならないのです」

「うーん……まあ、生き残れたんだし、結果的には良い方向にいってるんだけどね。少年は、もう少し配慮した方が良かったかな? ともあれ、君は今もこうして生きていられるんだから。揉めるならせめて、騒動が落ち着いてからにしようね」


 先輩風を吹かせるルチアーノを、あやめはじろりと睨め付けた。彼女よりも体格で勝っているルチアーノでさえも怯ませる程の目つきだ──余程、彼の発言が癇に障ったと見た。


「生きているだけで幸福だとでもおっしゃりたいの? あなたは理解し得ないでしょうけれど、あたしには何者にも代え難い主がいたのです。彼女のためなら、命なんていつでも捨てられるくらい大切なお方……あのお方のために、この人生を使いたかった。彼女よりも先に死ぬなんて、言語道断です。あの場から逃げたのは、彼女の遺命があったから──彼女が他の家人を案じ、助けを呼ぶようにとおっしゃったが故。その使命を終えたのなら、あたしは死ぬるつもりでした。主君を亡くして尚のうのうと生きている臣など、見苦しいことこの上ない。そんな卑しい生き様、考えたくもありません。あたし、死に損なったことが悔しくて仕方ないんです」

「ええ……? いや、俺はそういう……君を批判するつもりで言ったんじゃないよ。お嬢さんだってまだ若いんだから、これから色々良いことあるって」

「口だけの慰めは結構。こうなってしまった以上、あたしはお嬢様の命を奪った虫と、その奏者をぶち殺すためだけに生きます。あたしのやり方を如何様に思おうとも構いませんけれど、出しゃばった口出しはしないでいただけるかしら。再び舐めたことを抜かされた時はその首をもぎますので、ご承知おきくださいね」


 率直な見た目だけならば、あやめはとんだ大言壮語を抜かす女として映ることだろう。しかし、彼女は全身に殺気──おおよそただの女が持つには過分である──を纏わせている。その気迫は、直刃でさえも武者震いを覚える程だった。

 真っ向から殺意を向けられたルチアーノはというと、そのままおののく──ことはなく、呆れ顔で溜め息を吐き出した。腹の中の空気が全部出たのではないだろうか。それだけ盛大な嘆息だった。


「まったく……せっかくの美人さんなのに、もったいない。何というか……君はスパルタに生まれてた方が良かったのかもね」

「あら、あたしは自らの不徳を悔いることはあれども、生まれにまで難癖は付けなくてよ。どれだけ恵まれた人生があったのだとしても、あたしが駿河の古くさい武家に生まれていなければ、お嬢様との出会いはなかったのですもの。それに異国は困ります。言葉がわかりませんから」

「そういう問題?」

「いいじゃねえか、あんたには日本が合ってるってことだ。悪いな、宣教師ってのは他人の人生に文句付けるのが仕事なんだよ。しょうもないこと抜かしたらしばいてやって良いからよ、初犯は水に流してくれや」

「俺は宣教師じゃないし、人聞きの悪いこと言わないでよ! トトー君は誰の味方なのさ⁉」


 七転八倒のルチアーノはともかく、サルヴァトーレはあやめに好感を抱いたらしい。あやめ本人は嬉しくも悲しくもなさそうだが、任務にあたる上で確執がないのは良いことだ。

 これ以上この話題を擦ったところで自分が追い込まれるだけと気付いたのだろう。わざとらしいくらい大きな咳払いをして、ルチアーノは話題を変える。


「何はともあれ……戦力が増えるのはありがたいよね。そういった訳で質問なんだけど、お嬢さんってもともと霊感は強い方? 変な意味じゃなくて、少年の霊気が初めてとは思えないくらい馴染んでるし……何より、あの食いしん坊な人食い虫に襲われたとはいえ、辛くも生還してるからさ。何かそういう素質でもあるんじゃないかと思って」

「見てわかるものなのですか?」

「まあね~。まず常人なら、他者の──それも人ならざるものの霊気を取り込もうものなら、多かれ少なかれ反応が生じるものだよ。酷い時は苦痛が伴うこともあるし、最悪の場合死に至る。でも君は見ての通りけろっとしてる訳で……言い方は悪いけど、君は体を作り替えられたようなものだからね。何もないっていうのは、まず例外になる訳」

「おれがいい例だな。この異物を埋め込まれた直後、今までかかったことのない高熱に襲われた。あんまり気持ち悪かったんで、色々な手立てで取り出そうとしたもんだが……まあ、この様だ。諦めも肝心ってことだな」

「なるほど、理解した。お前の火傷はそれ故か」


 意識していなかったが、自分の発言は無神経だったのだろう。ちょっと、とルチアーノが眉をひそめたが、張本人のサルヴァトーレはどこ吹く風だった。叱責を受けるよりも先に、首をかしげたあやめが発言する。


「であれば、不思議なことですね。あたし、伝承に語られるような不可思議と関わるのは、これが初めてなんですの。それまで妖怪変化はお伽噺の類だと思っておりました。無論、退魔の誉れ高き源氏の血縁でもございません。申し訳ないけれど、心当たりはありませんね」

「ゲンジ……とやらじゃなくても、何か変わった風習や日課はなかった?」

「変わった……そういったものも、特には。集落の養蚕や織物を統括する家系故でしょうか、以前よりも虫の気配を読み取りやすくはなりましたが……単に、怪異を見付ける力が強まっただけかもしれません。生まれ持っての血筋は関係ないかと」


 それにしても、とあやめが視線を動かす。向かった先は自分──直刃に話を振るつもりらしい。


「織田家が懸念する程だといいますのに、最近は人食い虫の話をとんと聞きませんね。直近の遭遇は、このお城から帰る最中だったかしら。明確な打開策が出ない中で被害が減っているのは、少し気にかかります。これまでの被害も、この程度の頻度だったのですか?」

「いや──現在よりも連続的だったと伝え聞いている。一度に複数の場所で被害が出ることはないが、おおよそ二日から三日の頻度で観測されていた。先の襲撃が我々に対する変則的な対処と考えれば、片古家を最後に出現が途切れている。──そちらで観測しているのなら、話は別だが」

「いや、こっちはもう十日以上被害を確認していないよ。人食い虫の後ろに奏者がいるのだとして、彼らは君たちに注意を払っているみたいだね。残念ながら、俺たちは人食い虫そのものさえほとんど目にしたことがない。大体が、異変に気付いた周辺住民の目撃談だ。日の出が近付くと、人食い虫は示し合わせたように退散するらしい──あの虫はとにかく逃げ足が速いから、確認しようと思った時点で取り逃がしちゃうんだけどね」


 術者としての腕前は未知数だが、少なくともルチアーノの腕っ節に関しては人並み以上だ。恵まれた膂力と言っても良い。

 そんな彼と、直刃と互角のサルヴァトーレでも苦戦するというのだから、片古家で人食い虫の死骸を入手できたのはお手柄だろう。さすが未散だ、と直刃は内心でここにいない相棒を賞賛する。直刃が同じ立場なら、報労として触れ合いを所望していたところだ。未散も望んではくれないだろうか。たまには自分から未散の頭を撫でてやりたい。

 ──と、考え事をしている場合ではないのだった。直刃が意識を戻した時、まだ話者は出ていなかった。密かに安堵し、話出そうとするルチアーノを注視する。後で祐成に説教されそうな態度は避けたい──とにかく長いのだ。


「もしかしたら、少年たちの存在を認識したことで、黒幕は一点集中を狙うようになったのかもしれないね。その焦点が君なのか未散ちゃんなのか、はたまた二人なのかはわからないけど……次の出現時に、かまをかけたいところだ。可能なら、術者の人格を炙り出したい」

「人格……そういえば、以前──」


 ルチアーノの発言を受けて、ふと直刃は思い出す。

 かつて邂逅した、いちといなる人物──あれは、執拗に未散を追い詰めようとしていた。何を言われたかは不明だが、あの時の未散は酷く打ちひしがれているように見えた。

 まさか──いちといは、未散ただ一人を悪意のはけ口にしようと企んでいるのでは?

 その考えが浮上したのとほぼ同時に、直刃の眼前に火花の散るような衝撃が炸裂した。突如飛来した痛みと重力に、受け身を取れなかった直刃の体は追い付けない。ぐらりと視界が傾ぎ、須臾の間ではあるものの平衡感覚を失う。


「──虫が出ました。近くのようですので、潰して参ります」


 わんわんと耳鳴りのする中で、何でもないようなあやめの声が反響する。ルチアーノやサルヴァトーレが反応する間もなく、たたた、と足音が遠ざかる。

 殴られたのだ、と少し遅れて直刃は理解した。方向からしてあやめだろう。彼女は功を立てたがる節がある──以前は牽制されるだけだったが、ついに実力行使に出たという訳か。

 痛い。今も頭が上手く回らない。口と鼻に鉄錆の味が広がる──折れてはいないだろうが、この様子だとしばらく鼻血は止まるまい。

 だが、血の気の多い者は嫌いではない。むしろ好きだ。それでこそ、功を争う醍醐味があるというもの。何より、彼女は殺戮を本質とする己の隙を突いて圧倒した──これほど面白いことはない。

 知らず、直刃の口角はつり上がっていた。たれてきた血液を舐めてから、勢いを付けて起き上がる。


「ちょっと、大丈夫なの少年⁉ てか、何⁉ 仲間割れ⁉」


 ぼやける視界の中で、全体的に黒っぽい大きな塊──恐らくルチアーノ──がおろおろしている。とりあえず手当しないと、などと宣っているが、今は他にすべきことがある。


「さっきの女なら、向こうに走ってったぜ。どっちを目指してるかは知らねえが、競争するんならとっとと行け。おれらもじきに追い付く」


 あやめの向かった先を目視できずにいたが、こちらの心情を汲んだのだろう。サルヴァトーレがぶっきらぼうに指さす。

 未散を傷付けたことは未だ許していないが、こういった場で止めてこないのはありがたい。直刃はひとつうなずいて、止血を放ったままあやめを追って駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る