第11話 直刃/霖

 雨粒が軒を叩いている。太陽が出ていないと、時間の感覚が曖昧になる──今は昼時を僅かに過ぎた頃だろうかと、直刃はぼんやり推測した。

 本来ならば、今日は人食い虫について嗅ぎ回っているという南蛮人を捜す予定だった。──が、先日の戦闘で負傷した未散を休ませるため、当初の目的は一時的に延期となった。未散本人は大した傷ではないからいたずらに時間を浪費するなと抗議したが、直刃としてはそれが真実であろうとも彼女に無理をさせたくはなかったので、最終的に万由に休息を与えるという建前を使って了承を取り付けた。これで駄目だったら天気を理由にしようと思っていたが、案外雨よりもこちらの方が効果覿面かもしれないと、今になって実感する。それだけ、頑なな未散があっさりと首肯したということだ。

 初日から察していたことではあるが、未散は万由をやたらと気にかけている。戦闘となれば誰よりも真っ先に彼女を守ろうとするし、不器用ながらも気を遣っている姿は何度となく見かけた。

 たしかに、万由の境遇はあまり恵まれたものとは言えないだろう。望まないまま嫁ぎ、その嫁ぎ先は無惨にも人食い虫に食い尽くされた。直刃からしてみれば喜ばしい連日の荒事も、慣れていない者にとっては心身を疲弊させるだけかもしれない。

 しかし、直刃の目に映る万由は未散が思う程打ちひしがれているようには見えない。軒下で白布を採寸している直刃の隣に腰を下ろす彼女は、心なしか嬉しげに見える。少なくとも、未散のように無理をして気を張ってはいない。


「直刃様、何をしていらっしゃるの?」


 物差しを片手に白布を広げる直刃の視界に、少女の小さな顔が映り込む。三つ編みにした両側面の髪の毛が動きに従って揺れた。


「見ての通り採寸だ。お前もやるか」

「今のところは大丈夫。それにしても、その白布は何に使われるの? 今朝、雨の中急いで買いに行かれていたけれど……」

「何、包装に使うだけだ。そう大した用途ではない」

「包装……ということは、誰かに贈り物でもされるの? それなら、何か柄のあるものの方が喜ばれると思うわ」

「いや、これで良い。直刃の好みよりも、慣例に則った方が相手も喜ぶ」


 我ながら面白みに欠ける受け答えだ。人の身を得たばかりの頃に比べれば大幅に増えた語彙だが、それでも世間一般に比べれば少ない方である。必要以上に言葉を飾ったり、話題を増やしたりするのが苦手なのだと自覚したのは、つい最近のことだ。

 それでも万由に飽きた様子など微塵もなく、依然として側に留まり続けている。どうやら彼女は、まだ自分との会話に見切りを付けてはいないらしい。


「そうかしら。わたしだったら、直刃様が選んだものならなんだって嬉しいと思うわ。贈り物をいただけたというだけで、幸せな気持ちになると思う」

「それは何故」

「な、何故って……直刃様が、素敵な方だから。それ以外の理由なんて、ありません」

「素敵……」


 ぱちぱちと何度か瞬きし、直刃は作業の手を止めた。傍らに座する万由の顔を見る──彼女は面映ゆげに頬を染め、上目遣いにこちらを見上げていた。

 直刃にも人の好き嫌いはある。嫌いな人間というのはなかなかいない──敵に対しては基本的に対立するものという認識しかないのでそもそも嫌悪感を抱くまでに至らないのである──が、好ましい人間はこれまで過ごしてきた中で数多く見付けた。心を惹き付けられる彼らこそ、直刃にとっての『素敵な』人間なのだろう。

 じっと万由の目を見つめてみる。彼女ははにかみながら逸らしたが、誤魔化しや偽りは見受けられないから、先程の言葉は本心と受け取って良さそうだ。以前、仕事を共にした同輩から、人は凝視され続けると居心地の悪さを覚えるから適度に視線は外した方が良いと指摘されたことがあるので、万由が目線を移したのは単にいたたまれなくなったが故であろうと判断する。


「直刃は取り立てて面白い存在ではない。世間には色々な者がいる」


 布に折り目をつけながら、直刃は淡々と告げる。卑下ではなく、直刃なりの助言だ。

 万由は己に何かを見出そうとしている──ように見える。その何かの正体はわからないが、彼女が舞い込んできた非日常をどうにか良い方向に導こうとしているのは傍目にも明らかだった。先日言っていた、厳しい父親への意趣返しもあるのかもしれない。その行動自体に文句をつけるつもりはない──万由が、主家や未散の害にならないのならば。

 だが、直刃は自分自身のことを、たまたまきっかけとなった人物というだけで全てを預けるに足る存在だと認識してはいない。無味乾燥とした式神のみに固執するのではなく、せっかく現状を打破するのならもっと広く世間を知るべきではないかとも思う。

 そういった意味を込めて先程の助言に至ったのだが、万由は聞き分けよく納得してはくれなかった。そんなことはないわ、と苦笑を向けてくる。


「たしかに、わたしは世間知らずだわ。でも、今よりも世の中のことをよく知っていたとしても、きっと直刃様のことを好ましく思うはず」

「直刃は、お前に何か特別なことをしただろうか」

「片古の屋敷で使用人の皆さんに襲われた時、直刃様はわたしのことを助けてくださったでしょう? それに、優しく接してくださる。直刃様にとっては特別なことではないかもしれないけれど、わたしはそれが嬉しくて堪らなかったの。こんな理由では、駄目?」


 駄目ではない。ただ、それなら自分でなくとも──それこそ、日頃から気にかけてくれる未散でも良かったのではないかという思いがある。

 万由は未散に苦手意識を抱いているようだ。明らかに険悪な間柄という訳ではなく、話しかけられれば拒まずに応対し、言葉を交わす──が、屋敷を焼かれたことが尾を引いているのだろうか。未散の側にいる時の万由はどこかよそよそしく、表情が硬い。

 未散が片古の屋敷を焼き払ったのは事実だ。直刃はその決断を受け入れているし、適切な処置であったと評価している。住む場所を失ったのは確かだが、元凶は人食い虫とそれを操る首謀者。故に、万由の心情を理解できても同情はできない。むしろ、万由にとっての未散は恩人と言うべき存在ではないかとさえ考えられる。

 そんな直刃の、表情に出す程ではないが時と共に霧散する程軽くもない反感を余所に、万由は目を伏せながら言葉を紡ぐ。こちらに話しかけているというよりも、独白に近い言葉だった。


「……わたし、ずっと男の人のことが恐ろしかった。父は絶対に逆らうことのできない強大な存在だったし……旦那様も、冷たく苛烈なお方でしたもの。わたしにとっては、いつ牙を剥いてくるかわからない、上手く立ち回らねばいけない相手だった。……命のやり取りに比べたら、ずっと些細で、小さな問題かもしれないけれど……わたしは、死ぬ訳ではないとわかっていても、身を裂かれる思いだったわ。己を偽り、殺しながら過ごさなければならなかったから……」


 けれどあなたは違う、と万由は顔を上げた。黒い瞳の中に、人に似せていながら人よりも無機質な式神が映っている。


「直刃様の前でなら、わたしはわたしでいられる。自分自身を殺さなくたって、直刃様は怒ったり、望む形になるよう強制したりしないでしょう? そんな当たり前を、当たり前のこととして扱ってくださった殿方は、直刃様が初めて。だから、後にも先にも、直刃様は万由にとっての特別なんです」


 そこまで言い切ると、万由はやにわに立ち上がった。今日は雨天で、晴れている時よりも涼しいだろうに、何故かその顔は赤く、しっとりと汗ばんでいる。


「そ、そういうことですから、わたしはこれで。お夕飯くらいは手伝わないと、ここにいる意味が見出せないわ」

「直刃は気にしない」

「わたしが気にするのっ。その……贈り物、どちらに渡されるかは存じ上げないけれど、喜んでいただけると良いわね」


 それじゃ、と早口に告げて、万由は室内へ戻る。声が上擦ってひっくり返っていたが、大丈夫だろうか。

 この隠れ家に来てからというもの、食事はあやめが主体となって用意している。使用人として働いていた経験もあってか、彼女は料理が上手い。その上要領も良く、大抵の作業は一人でそつなくこなしていた。万由は、本来自分もすべき仕事にひとつも関われなかったことを後ろめたく思っているのだろう。

 本当に気にしていない直刃としては、首をかしげる他ないが──万由には万由の基準があるのだろう。少しでも満足のいく結果になれば良いと思いつつ、直刃は採寸から裁断の行程へと移った。

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