第2話
あの突如現れたシマウマは夢かと思うほど、いつも通りの日常は始まる。
いや、そもそもあのシマウマの出現を大事に捉えているのは僕だけであって、他の人からしてみれば全校集会で何組の誰々が貧血で倒れた位のもので、次の日には綺麗さっぱり忘れ去られる様なものかもしれなかった。しかし、僕の脳には昨日のシマウマの姿はくっきりと刻まれていて、その日の朝になんの異常も見られなかったことに少し違和感を抱く。
セブンイレブンの看板を目印に左に曲がり、突き当たりを右に。
路面には昨日降った雨の痕跡が、水溜まりが至る所に残っている。
歩行者信号は今日も赤で、向かいの歩道には彼女が信号待ちをしている。今日は雨が降っていなかったため、彼女の顔を隠すのはその使い捨ての白いマスクだけで、僕は世界中に流行ったウイルスを疎ましく思う。
信号が青に変わる。僕は歩き始めて、彼女に近づき、また距離は離れていく。
学校に着いて、教室に入ると丸井がすぐに話しかけてくる。
それは周平に彼女が出来たという話で、近くにいた周平は照れくさそうに頭を搔く。
「え、誰?」
僕は訊く。
「ヒント出してやろうか。2組だよ2組」
丸井がそう口を出す。
2組の女子を頭の中で思い浮かべ、周平と関わりのありそうな女子をピックアップする。
「仲さん? あの髪の短い」
「ブブー」
「あー、じゃああの人だ。なんだっけ。ほらバレー部の」
「須賀さん?」
「あーそうそう。須賀さん」
「まあ、違うけどね」
なんだよ、と口の中でぼやく。
「もしかして、矢田さん?」
「ブー」
「青山さんだ」
「違いますー。ってかお前なんで女バレしか言わねぇんだよ。つーか、2組の女バレをそこまで把握してるのキモイわ」
「あーだめだ。わからん。降参、ギブ。答え教えてくれ」
「降参だとよ。周平、教えてやれ」
周平は恥ずかしそうに目を背けながら、言う。
「舞城さん」
「え?」
「だーかーらー、舞城さんだってよ」
「舞城さん」
僕はその名前と顔を頭の中で結びつける。僕の知っている2組の舞城さんは一人しかいなかった。
「え、あのめっちゃ可愛い人?」
「そう、その人」
「……えー、うっそだぁ」
「それがマジなのよ」
「え? だって周平、舞城さんと話したことあったか? 関わりないだろ」
「いや、たしかにそうなんだけどさ。昨日の放課後急に呼び出されてさ。それで……告白された。俺が部活で練習してるとこ、いつも見てたらしくて」
「……うっそだぁ」
力のない「うっそだぁ」が口から零れる。舞城さんは学年で、というか学校一の美人で、周平なんかが、いや、そういってしまうのは周平には申し訳ないが、しかし、その二人は明らかに不釣り合いに思えた。
僕は今日の日付を確認して、今日が4月1日でないことを確認する。
「実はドッキリでしたー、みたいな?」
「いやぁ……ないだろ。舞城さん、そういうことやるキャラじゃないし」
シマウマが出現したからだ、と思った。変なことは立て続けに起こる。
僕はそう納得をする。
そんなことわざがなかったっけ。一災起これば二災起こる。少し違うか。
教室のドアが開き、渕が教室に入ってくる。
「おう渕おはよー」
丸井は渕に手招きをする。
「なあなあ、ビッグニュースがあるんだ」
そう言って、渕の肩に腕を回す。
僕は窓に目を向ける。そこからは高校の目の前にある横断歩道がよく見える。
Zebra crossingっていうらしい。横断歩道を英語で。
昨日の横断歩道の上で佇むシマウマを思い出す。ゼブラ。
そういえば、先生なら知っているんじゃないか。なんで横断歩道にシマウマがいたか。
昨日のホームルームでは特に口に出していなかったけれど、先生だってシマウマがいたのを知っているはずだし、動物園かどこかに連絡してシマウマが引き取られたなら、連絡をした人がいるはずで、それは先生の可能性が高いように思えた。
「俺、職員室行ってくるわ」
そう言って席を立った。おう、と手を上げて、丸井は周平の新しくできた彼女の話を渕にし続ける。
〇
「シマウマ?」
「はい。いたでしょ。昨日。校門前の横断歩道に」
佐伯先生はあー、と頷く。
「いたねぇ」
「はい。いました。そのシマウマってどうなったか知ってます?」
「そういえばいなくなってるね」
おっとりとした口調で佐伯先生は話す。頼りにならない。
隣に座って、パソコンのキーボードを叩いていたクラちゃんに声をかける。
「クラちゃん。知ってる? 昨日のシマウマがどうなったか」
「倉敷先生でしょー」
佐伯先生がそう言う。
「いいんですよ。佐伯先生。ええと、シマウマだっけ。私もよく知らないんだよね。気づいたらいなくなってて」
「誰か知ってる人とかいないの?」
「うーん、どうだろ。そもそも円くんはなんでそんなにシマウマのことが気になってるの?」
「逆になんで気になってないんですか。気になるでしょ。急にシマウマが横断歩道に現れたんですよ。どこから来たのか、とか、どうやってあそこからいなくなったのか、とか知りたいでしょ、普通」
「Five zebras were at the zebra crossing」
クラちゃんは流暢な発音でそう言う。
「あ、Zebra crossing。横断歩道ですよね」
「そうそう、よく知ってるね」
「昨日なんか気になって調べてて」
「ZebraがZebra crossingにいた。これってよく考えると面白いね」
「wereって必要ですか」
「え」
「今の文の。were」
「あー、横断歩道に5匹のシマウマがいましたっていう文にしたければbe動詞の過去形、wereが必要だね。Five zebras at the zebra crossingなら横断歩道にいる5匹のシマウマ。文というよりは名詞だね」
「文と名詞」
「そうそう。まあ、私があのシマウマたちのこと知ってる人いないか訊いてみるよ。だからその間にシマウマのことは忘れて英単語勉強しててね。今日小テストやるから」
「え」
「え、じゃない。やるって前の授業の時に言ってたでしょ」
「聞いてない」
「円くんは聞いてなくても私はちゃんと言いました。ほらホームルーム始まるから早く教室戻んなさい」
僕は追い出されるようにして職員室を出る。
「Five zebras were at the zebra crossing」
一人でそう繰り返す。クラちゃんのような流暢な発音ではない。一単語一単語を区切るようなカタコトの発音。
そっか。be動詞が必要なのか。そう納得しながら廊下を歩く。
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