第4話
シマウマは僕の姿に気がつくとくるりと後ろを向いて僕と反対方向に歩き出した。僕はシマウマに追いつこうと足を早める。
シマウマに追いついて、どうするのかは考えていなかった。正直、追いついたところで僕がそのシマウマに対して出来ることは少なくて、僕が動物園に(この場合は警察に?)通報したとしてもシマウマを捕まえておける自信はなかったし、逃げられてしまったら、動物園も警察も、丸井や渕のようにシマウマに対して興味を失ってしまう気がした。なんとなく。
だから僕は社会的意義や正義感というよりは、ただ道に落ちているきらきらしたBB弾を拾うような、ささいな興味や好奇心でシマウマを追いかけた。
郵便局の前を通り過ぎ、歩道も徐々に狭くなって住宅街に入り込む。
僕はいつの間にか全力で走っていることに気がついた。荒く息を吐き、額に汗が滲む。学ランの内側に熱が篭っていて、走りながら学ランを脱いだ。
シマウマはゆったりと歩いているように見えるのに距離は一向に縮まらない。蹄がコンクリートを蹴りカッポカッポと小気味よい音を立てる。むしろシマウマは僕をからかっているのかもしれないと思い始める。
脇腹が痛い。
僕はもともと体力に自信がある方ではない。中学の頃はバスケ部に入っていたが、それは不真面目に参加していたし、高校に入ってからはほとんど運動なんてしていない。だから体力の限界はすぐに来る。
10分か20分か、もしくはそれよりももっと短かったかもしれないけれど、走り続け、僕がもうそろそろ力尽きて倒れるかもしれない、と思った時、シマウマは道を脇に逸れて小さな公園の中に入り、立ち止まった。
そこは砂場と滑り台だけが設置された小さな公園で、家柄木緑地公園という名前らしかった。
僕は公園に入ると膝に手を置いて呼吸を整える。汗が落ちて、地面にしみを作る。
シマウマは僕の頭の二歩先でのんびり砂場に鼻を近づけて遊んでいる。
結局、僕は制服に砂がこびりつくのを厭わずに地面に腰を下ろした。足が痛かった。シマウマを観察する。
やはり、あのシマウマは横断歩道にいた五頭の内の一頭なのだろうか。それとも別個体か。もちろん僕はそれを判別する手段を持たなかった。
そのとき、カッポカッポという先程まで聞いていた音が聞こえてきた。僕が追ってきたシマウマは目の前にいる。
音は徐々に大きくなり、僕らが入ってきたところと反対方向にあった入口から別のシマウマが姿を現した。そのシマウマは僕が追ってきたシマウマの側まで歩いていき、また彼(はたまた彼女)ものんびりと砂場で遊び始める。
僕は混乱する。混乱しているうちに今度は人間の足音がして、まるで先程の僕のように満身創痍の女性がシマウマの後に現れる。
彼女も公園に入ると膝に手を当て、息を整えようとしていた。
僕は益々混乱する。もしかしたら見間違いなんじゃないか、と自分を疑う。
ただその女性が顔を上げた時、疑念が確信に変わった。
その人は僕が毎朝横断歩道で見かける女性だった。横断歩道のレディ。
「あ」
彼女は僕の存在に気がついたようでそう声を上げた。
なんと返すのが正解かわからず、とりあえず「どうも」と言ってみると「ど、どうも」と返ってきた。
いつも同じ横断歩道でお会いしますね。そう話しかけようとして踏みとどまる。
相手が僕のことを認知していなかったら気持ち悪いんじゃないか。だいぶ。僕は彼女のことが気になっていたからよく知っているけれど、思い返してみると同じ横断歩道である人は彼女以外にもいるはずで、その人たちの顔を覚えているかと言われたらとても自信はなかった。彼女にとって僕は毎日横断歩道にいる有象無象の中の一人に過ぎないのかもしれない。
「あ、あの、いつも横断歩道でお会いしますね」
「はい!」
彼女から言われて、思わず運動部仕込みの返事をする。その声量と反応速度は中学の頃に先輩に叩き込まれたもので挨拶は人を気分良くさせると教わったが、この場合は少し、もしかしたら結構、気持ち悪かったかもしれなかった。
しかし、彼女は引くどころかすこし笑ってみせてくれ、「どうしてここに?」と訊いた。
「えっと、あの、シマウマを追って……。もしかして、あなたも?」
彼女は頷く。
「よかった。やっぱりシマウマのこと、気になっていた人いたんだね」
「気になっていたっていうか、ええと、あれ、あなたもシマウマのことを知ってるんですか。あの、高校前のシマウマを見た、とか?」
「高校前?」
彼女は艶やかな黒髪をかきあげて小首を傾げる。僕はその所作に見惚れる。
「ええと、俺、僕の場合、高校前に突然五頭のシマウマが現れたからそれで気になって、その次の日、つまり今日なんですけど下校途中にシマウマがいたのを見つけて、その高校前にいたシマウマのうちの一頭なのかもしれないと思って追いかけてきたんですけど」
「へえ、五頭。そんなにいたんだね。私の場合は少し違って.......、え、あれ」
彼女が慌てたように辺りを見渡す。僕も彼女につられて周囲を見て、すぐに気がつく。
シマウマがいない。
二頭いたはずのシマウマがきれいに居なくなってしまっている。
「シマウマは?」
彼女に訊かれ、僕は首を振る。
入口は僕の後ろにあるものと彼女が入ってきた二つしかなく、二頭のシマウマがそこを通ってどこかへいったのなら僕が彼女のどちらかは気がつくはずだった。
文字通り、シマウマは煙のように消えてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます