第15話
「ええと、それはどういうこと?」
「言葉通りの意味だよ。学校にシマウマが現れたのも、そのシマウマが横断歩道に溶けて消えるなんて馬鹿げた現象が起きたのも全て私に責任があるのかもしれない」
「君がシマウマを出したり操ったりしていたってこと?」
「どうかな」
舞城さんの言うことはいまいち要領を得なかった。それは彼女が意図してやっているのか、それともその話し方が自然なのか、舞城さんと話した経験があまりない僕にとっては判断がつかなかった。
図書室の扉が開く音がして僕らはそちらに目線を向ける。入ってきたのは丸井だった。不機嫌そうにスマホの画面を見ながら僕の方へ向かって歩いてきて、口を開いて僕に愚痴を言おうとしたところで舞城さんの存在に気づいた。
「あれ、舞城さん……? なんでここに?」
「廊下で会わなかったの?」
僕は訊く。この図書室は入口がひとつだけなので、図書室のすぐ外で電話をしていた丸井と後から入ってきた舞城さんはてっきり廊下で顔を合わせているものだと思っていた。
「丸井さん、電話に夢中だったから私には気づいてなかったかも」
「そうかも」
「丸井さんと話すの、もしかしたら今が初めてじゃない?」
舞城さんは微笑んで首を少し傾ける。その仕草は可愛らしく、その微笑みを向けられた男たちは舞城さんに夢中になってしまうだろうと思った。
「2回目かな。まあ1回目は入学式のときに俺が教室までの道を教えただけだから覚えてないのも無理ないけど」
「ああ、あの時の。覚えてるよ。そっか、あれ丸井さんだったんだ。校内について詳しいからてっきり先輩だと思ってた。それにあの時丸井さんは今みたいなジャージじゃなくてまともに制服を着ていたし」
「俺だってそういう時くらいちゃんとするさ。ひらひらしたスカート履いて、うふーん、私入学しましたのよってね。俺が校内を案内できたのは避難経路を見てたからね。入学式の最中に。ほら、あるだろ。緊急時にはここを通って逃げなさいみたいなやつ。渡されたパンフレットに構内避難経路あったからさ。校長の話をBGMにして眺めてた」
「変なの」
「まあよく言われる。ただそれを言うなら舞城さんだってそうだろ?」
「私?」
「体育の授業でのサボり」
舞城さんが僕の方を向く。
「話したの?」
「あー、いや、どうだったかな」
「舞城さんはその容姿だし、運動神経だっていいし、この前のテストは学年で4位だろ。当然それだけ出来すぎていたら嫌でも目立つ。それなのに君は誰にも気が付かれることも無く度々授業を抜け出してる。そうだろ?」
「誰にも気づかれることも無く、と言うけれど、少なくとも丸井さんには気づかれてるね。それにこの前は玲ちゃんに気づかれて連れ戻されたわ」
「それは大きな問題じゃない。今の問題は君はそれだけ目立つにも関わらず、大多数の人の目線を避けることが出来るということだ。舞城さんが授業を抜け出すことに気づいてから体育の授業中、俺は舞城さんの動きを注視していたけど、いつもいつの間にかいなくなってる。そんなことが可能なのか?」
「それは単に丸井さんの注意力が散漫だったのかもしれない。実は私がいないことに皆気づいてはいるけど私が優等生だから、黙って見逃してくれているだけかもしれない。少なくとも私が授業を抜け出せることは世界の秩序から外れた行為ではないでしょ」
チャイムが鳴った。図書委員は夢の世界からよたよたと帰還し、目を擦りながら閉館でーす、とまだ眠気の孕んだ声を上げた。
「閉館だって」
「うん」
舞城さんは再び窓の外に目を向ける。サッカー部は紅白戦をやっているようだった。
「違和感があるんだよ」
丸井は言う。
「違和感?」
「シャツのボタンをかけ違えたみたいに」
「じゃあ丸井さんはボタンをかけ直すべきだと思うわけだ」
「誰だってそうだろ?」
「違和感を受け入れる選択肢は持たない?」
「少なくともその違和感の正体がわからない限りは」
「円くん。あなたもそう?」
急に話を振られて僕は戸惑う。
違和感。それは僕が世界に対して抱いているもので、丸井は舞城さんに対して。
この喉のつっかえは違和感を解消しなければとれていかないと思う。だから舞城さんの質問に対する答えはイエス。いや、それは考えが浅いのかもしれない。少なくとも僕はその質問をよく咀嚼して、逡巡する必要があった。
「今は……まだわからない」
「無難だね」
舞城さんは笑う。
僕は確かな答えを出せなかったことに恥ずかしさを覚える。教師に問題を当てられて答えられなかった時みたいに。
閉館でーす、図書委員はもう一度言う。
「舞城さん。君は僕らが抱えている違和感の答えを持っている。そうだろ?」
「だから言ったでしょ。黒幕は私だって」
へ、い、か、ん、でーす。図書委員の声。
「黒幕? どういうことだ?」
丸井は訊く。
舞城さんは答えない。
「私を殺したら違和感は解消出来るかもね。違和感を解消したいんでしょ? 2人とも」
舞城さんの口から出た殺すという物騒な言葉は小さい子どもが大人ぶって無理に難しい言葉を使おうとしているかのようにまるで似合っていない。
「出来ればもっと穏便な方法で」
「唯一の方法だとしたら?」
「試すような訊き方はやめてくれ」
「でも考えなくてはいけない。近いうちに」
彼女の言い方はまるで未来のことがわかっているようだった。これから何が起きて、僕らがどのように行動するのか。
「閉館ですっ!」
図書委員が僕らの間に割って入った。
「延長とかは?」
「出来ません!」
仕方がなく、図書委員に睨まれながら僕らは荷物を纏めて図書室を出ようとする。
「この本は借りないの?」
舞城さんが訊く。『サバンナの動物の生態』。
僕は表紙を見て、「うん」と答えた。
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