第14話

「シマウマの縞模様はサバンナの草模様に紛れ、肉食獣が獲物であるシマウマを判別しにくくする役割があると考えられてきたが実の所そうではない。縞模様は吸血性のハエによる伝染病から身を守る役目があるのだ」

「へえー、マジ? 初めて知ったわ」


 僕は『サバンナの動物の生態』という本を閉じる。学校の図書室には僕と丸井、それから受付をしている話したこともない図書委員しかいなかった。


「てかさ。なんでそんな本読んでんの。なんか課題とか出てたっけ」

「出てない」

「じゃあなんで?」

「たぶん、言っても信じないだろうし」

「心外だな。友人の言うことを信じないわけがないだろ。仮にお前が絶対に儲かるから全財産俺に預けてくれと言ったって俺はお前を信じて全財産を預けるよ」

「それはやめておいた方がいいだろうね」

「まあそれはいいよ。それより話してくれよ。『サバンナの動物の生態』を読む理由を。普段小説すら読まないお前がなんで『サバンナの動物の生態』を読んでいるのか」


 僕は息を吐く。


「僕がどんなに荒唐無稽な話をしたとしても信じられるか?」

「当たり前だろ」


 周囲を見て、僕ら以外いないことを再度確認する。


「シマウマが地面に溶けて消えるところを見た」

「何言ってんだ。寝ぼけてんのか」


 図書室は静かで空調の音と外から聞こえるサッカー部が練習する音しかない。ゴンという音がして振り向くとそれは受付の図書委員が舟を漕いで頭をカウンターにぶつける音だった。図書委員はハッと顔を上げて持っていた文庫本を読み始め、そしてすぐに、再び眠気に襲われて頭をぐらぐら揺らした。


「……信じるって言ったろ」

「友人の言葉を信じるのが友としての役目なら、友人が妄言を吐いた時、修正をしてあげるのもまた友の役割だ」


 丸井は飄々と言ってのける。


「お前なあ―――」


 ブーッと机の上に置いてあったスマホが振動する。丸井は画面を見て顔を顰める。


「ごめん、親から」


 スマホを耳にあてながら丸井は図書室の外に出ていく。


 一人残された僕は『サバンナの動物の生態』の表紙を見る。右下にライオンが大きく写っており、周りでサイやキリンが表紙を彩る。シマウマは端の方にいた。サバンナの草模様に紛れるようにひっそりと。


 図書室の扉が開く。丸井かと思って顔を上げ、それが意外な人物で驚く。舞城さんだった。


「あれ、円くん」


 舞城さんはすぐに僕の存在に気がつき、近くに来る。


「なんでここに?」


 僕が訊くと舞城さんは窓を指差す。


「窓?」

「そう」


 僕は立ち上がって窓に近寄る。なんてことはない。普段の放課後の校庭だ。しかしすぐに舞城さんの意図がわかる。


「周平か」

「うん。ここなら周平くんがグラウンドのどこにいても見つけられるし」

「いつもここに?」

「毎日じゃないよ。でも頻繁に」


 サッカー部はコーンを立ててドリブルの練習をしていた。一人がコーンの隙間を器用にボールを蹴りながら縫うように走っていく。


「あ、周平」


 周平は明らかに前の人に比べてもたついていた。僕はサッカーについて詳しくないので技術的なことは何もわからないがそれでも上手ではないことはわかる。


「遅いね」

「うん」


 改めて舞城さんは周平のどこを好きになったんだろうと考える。舞城さんは一心に周平のことを見つめていて、その横顔は美しかった。


 サッカー部は集合がかけられたのかボールを持って一様に同じ方向に走っていく。


「円くんは? どうしてここに?」


 舞城さんの大きな瞳が僕を捉えた。思わず目を逸らす。


「ちょっと調べもの」

「ふうん」


 舞城さんの目線が机の上に移動する。


「『サバンナの動物の生態』」

「ちょっといろいろあってね」

「いろいろって?」

「話しても信じてもらえないようなファンタジックなことが原因で」

「いいよ。話してみて」

「……自分のことを頭がおかしいやつだとアピールする気はない」


 舞城さんは僕が先程まで座っていた席に腰を下ろして『サバンナの動物の生態』を手に取る。


「ライオン」


 ほっそりとした白い指が表紙に堂々と写るライオンを指す。


「キリン」


 指は移動する。長い首が特徴の動物へ。


「サイ」


 再び指は縮小されたサバンナの上を移動する。僕は思わずその指の動きを目で追ってしまう。


「もしかして円くんが言っているのはこれのことじゃない?」


 舞城さんの指は縞模様の動物の上へ移動した。ひっそりと佇むシマウマの上へ。


「……え」

「この前、学校の前にも居たよね。シマウマ。あのシマウマたちがどこに行ったか知ってる?」


 舞城さんは何かを知っているのか。シマウマの変について。いや、この前シマウマが学校にいたことと今机の上にある『サバンナの動物の生態』から僕がシマウマの謎の正体を探しているのは想像に難くない。しかしシマウマについて自分から言及する人は僕の周りにはそれこそA子さんしかいなくて、その他の人は僕の方から話を振ればそういえば居たね、と反応はしてくれるものの、そこから話が発展することは無かった。


 舞城さんは僕やA子さんのようにシマウマの存在に違和感を持つ人間なのだろうか。


「……そのシマウマが地面に溶けて消えたのを見た」

「溶けて?」

「そう」


 舞城さんはそのまま黙り込んでしまう。『サバンナの動物の生態』の表紙を見ながら。


「舞城さんは何か知ってるの? シマウマについて」

「シマウマについて」


 舞城さんは繰り返す。


「そうかもしれない」


 僕の心臓は跳ねた。やはり舞城さんは僕やA子さんと同類なのだ。舞城さんも突然のシマウマの出現に違和感を抱き、恐らくは一人で僕たちのようにシマウマについて調べていたのかもしれない。そして舞城さんの知っている情報がシマウマの正体を掴む手がかりとなるかもしれない。


 舞城さんは忙しなく『サバンナの動物の生態』のページをパラパラと捲る。特定のページを探すというよりはそうするのが落ち着くかのように。


「教えてよ。知ってること」


 ページを捲る手が止まる。目線は一瞬窓に注がれ、すぐに下を向く。


「たとえば、一連の出来事に黒幕と呼べる存在がいたとしたなら」


 外からサッカー部の声が再び聞こえてくる。練習が再開したようだった。空調の音が妙に気になった。


「その正体は私だということ」


 ゴンという音がしてその方向を見ると図書委員はとうとう完全に夢の世界に入ってしまったようで、カウンターに頭を乗せ、微かな寝息を立て始めた。

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