第13話

「ありえない」


 僕は言う。


「でも見たでしょ。シマウマが横断歩道に溶けて消えるところを。どんなに常識からかけ離れたことだとしても観測した事実は受け入れなければならない」


 A子さんの言葉に僕は渋々頷く。

 今までのシマウマに関する一連の出来事は不思議ではあるものの全くありえないと否定できるものではなく、どこかに理論的に説明できる可能性が残されていた。しかし、シマウマが溶けて消えたというのは明らかに異様で、あのシマウマが世界の秩序から外れた(少なくとも僕が把握している秩序から外れた)超常的な存在であると結論づけていた。


「わたしたちがシマウマを追って公園で鉢合わせた時にいつのまにかシマウマが消えていたというのも、シマウマがさっきのように地面に溶けていったんだよ。きっと」

「待ってください。頭が混乱している。整理する時間を下さい」

「混乱するのは常識に囚われているからだよ。そこから抜け出して広い視点で見ることが出来ればわたしたちは納得できる」

「無茶言わないでください。僕は生まれてから十数年、このいわゆる常識の中で暮らしてきて、それが僕が見る世界の基盤となっているんです。常識を抜け出せなんて簡単に言うけれどそれは世界を1度壊して創り直すのと同じで常人には困難です」

「ふうん、わたしが常人じゃないと?」

「そうかもしれない」


 A子さんは不服そうに頬を膨らませる。


「仮にわたしが常人ではない、頭のおかしい女だったとしてもやはりこういうことには素人で全てを理解して納得するのは難しい。こういうことに詳しい人知らない?」

「待ってください。そこまでは言ってない」

「言ったかどうかは関係ない。相手にどう伝わるかが全てなの」


 暴論だと思った。しかしA子さんの言うことも少しだけわかるような気がして謝る。


「⋯⋯すいません。僕が言ったのは頭がおかしいとかではなく、A子さんは非凡な人というか、ええと褒め言葉です。誤解があったようですけど」

「そんなのはどうだっていいの。それより知らない? こういうことに詳しい人。シマウマが地面に溶けて消えるような現象に詳しい人」


 そんなピンポイントに詳しい人なんているはずがない。そう思う。しかしなぜか僕の頭には『図書館』の葉蔵さんの顔が浮かんだ。


「調べてみます」


 僕は言う。


 〇


 次の日、僕は『図書館』に向かっていた。『図書館』までの道を覚えていた訳ではないのに僕の足は迷いなく進み、町のはずれの方にある深い森を抜けて簡単に『図書館』まで辿り着いた。


「やあ、いらっしゃい」


 扉を開けると葉蔵さんは僕が来るのをわかっていたかのように出迎え、淹れたての珈琲を提供してくれた。


「その顔は例のについて進展があったって感じだね」

「シマウマの変?」

「出来事には名称があった方がいいだろ? だから君から聞いた一連の出来事を勝手にそう呼ばせてもらっている」


 僕は納得して珈琲を一口飲む。珈琲は熱く、心地よい苦味が口に広がった。


「なんだか葉蔵さんはなんでも知っているみたいだ」

「まさか。僕が知ってるのは世界のごく一部さ。それに、なんでも知っているとしたらそれはつまらないだろうから。理解することが人にとって最も尊く、求めるべきことだと僕は考えていて、仮に全てを知っているとするとそれは叶わないだろ」


 僕は頷く。


「ちなみに最も尊いことが理解だとして、最も忌むべきことは理解した気になることだ。僕が考えるに。まあそれはそれとしてシマウマの変について聞かせてくれよ。その話をしに来たんだろう?」

「はい。シマウマを見つけたんです」

「よかったじゃないか」

「そのシマウマを捕らえようと追いかけていったらシマウマは横断歩道の真ん中で立ち止まって、次の瞬間には横断歩道に溶けて消えたんです。信じられないかもしれませんが」

?」

「はい。まるで横断歩道に吸い込まれるみたいに」

「なるほど⋯⋯。確かにそれは信じ難い出来事だ。それは見間違いや比喩表現ではなく、文字通りに?」

「文字通りに」


 葉蔵さんは腕を組んで天井を見上げる。


「残念ながら僕はその出来事の明確な答えを君に提供することは現段階では不可能なようだ」

「⋯⋯そうですか」


 もちろん、その答えは想定していたがそれでも僕は少し落胆した。


「ただし」


 葉蔵さんは言葉を区切る。


「ヒントのようなものであればあげることができるかもしれない」

「ヒント?」

「⋯⋯え? 言っている意味がよくわかりません」


 葉蔵さんは首を横に振り、時計を指す。


「残念ながら18時になってしまった。今日はお開きだ」

「待ってください。もう少しだけ―――」

「閉館時間は18時。この『図書館』のルールだ。君のお願いを聞くわけにはいかない」

「あと10分、いや5分でいいんです。話をさせてください」

「どんなに祈ってお願いをしたって太陽が地平線に沈んでいくのを止められないように、これは決まったことでどうしようもないことなんだ。君にとっても僕にとっても」

「ちょ―――」


 僕は『図書館』の外にいた。外に出るまでの過程が綺麗さっぱり損なわれてしまったかのように、僕が見ていた室内の景色は瞬きする間も無く『図書館』前の青々とした森の景色となった。

 後ろを振り返り『図書館』の扉を引いてみるが、既に鍵が厳重にかけられているようだった。



 僕は葉蔵さんの言葉の意味を考える。

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