第21話

 やがて、記憶の中の僕らは連れ立って歩き始めた。


 行き先はわかっている。近くにあるチェーンの喫茶店だ。そこでA子さんはアイスコーヒーを飲んでいた。僕たちは突如目の前から消えてしまったシマウマについて話し合い、その正体について考察をした。


「シマウマは気体だった」A子さんは言った。


 そして、僕たちは同盟を組んだ。『午前と午後のゼブラ』。


 痛いくらいに鮮明な記憶がそこにはあった。


「何なんですか。これは」僕は言った。


 回るランドリーボウイは顎髭を右手の人差し指と親指で摘んで、一本引き抜いた。そして興味なさげに引き抜いた毛を眺めると、ふいにその毛を車内に捨てた。彼の美しい手がそのような行為に使われることに一種の理不尽さを覚えた。子どもがアスファルトの上を移動する一匹の蟻をつまみ上げ、無邪気な残酷さで、その足を一本一本もいでいく様子を僕は想像した。つまりはそういう類いの理不尽さだった。回るランドリーボウイはその一連の動作を終えたあとで、「君はあれには干渉できない」と言った。


「過去とか記憶とかパラレルワールドとか、まあ、呼び方はそれぞれだが似たようなものだ。どれもそうだと言えるし、そうではないとも言える。しかしそれは今、大した問題じゃない。君が求めているのはA子さんに再会することであって、この世界の本質を見抜くことではないはずだ。そうすると君が気にすべき点は、君はこの世界に干渉できない、ということだけだ。そうだろ?」


 僕はその小さなワゴン車の中で、公園から歩き去っていく僕らの後ろ姿を見ながら、彼の言葉について考えた。


「つまり、僕は過去を再び見ることができるわけですね? 逆に言えば僕は過去を見ることしかできない。そしてそれを見て再会のヒントを探せと。そういうことですか」


「ふむ」回るランドリーボウイは言った。


「どれくらいの過去を見ることができるんですか」


「それは私にもわからない」回るランドリーボウイは首を振った。とても残念そうに。「決められていないんだよ。一時間後かもしれないし、三日後かもしれない。三十秒後かもしれない。でも、終わるときになればわかる」


 終わるときになればわかる。


 ワゴン車のドアが力が抜けたみたいに唐突に開いた。自動開閉機能でもついているのだろうか。しかし回るランドリーボウイが何かを操作した様子はなかったし、そもそもこの車にそのような機能がついているとは考え難かった。


「終わる頃にまた迎えにくる」と回るランドリーボウイは言った。


 降りるしかなかった。僕がワゴン車から降りると車はよろよろとバックして、蛇行しながら街に消えていった。


 僕は公園に一人取り残された。


 僕とA子さんを追いかけるべきだろう。僕はそう考える。実際、それ以外の選択肢は残されていないのだ。


 ひとけのない公園を見回し、何も無いことを確認した。それから、シマウマが横断歩行に溶けて消えたことを思い出し、地面を見た。あの時消えたシマウマもやはりこの地面に溶けて消えたのだろうか。地面は一切の異変を見せずにただの地面であり続けていた。僕は息を吐いて公園を出た。そして、僕らが向かった喫茶店に足を運びながら、回るランドリーボウイが話したことについて考えた。


 君はこの世界には干渉できない。


 干渉できないとはどういうことだろう。僕は幽霊のような存在で、この世界の住人に僕の姿は認知できず、話したり触ったりすることができないということだろうか。しかし、僕は確かにこの世界のアスファルトを踏んでいるし、実際に触れもする。道端に落ちている小石を拾い、投げてみると、その小石の座標は確かに移動している。あるいは干渉をしようとしてもそれがどのようなルートであれ、決められた運命に向かって進んでいくといったものだろうか。そういった映画も観たことがある。主演をジョン・テイラーが務めていた。ヒロインの死の運命を変えるため何度もタイムリープするというありきたりな設定だった。ジョン・テイラーがいくら過去に戻って死の原因を排除しようと、ヒロインはその度に別の方法で死んでしまう。運命が定まっているのだ。あの映画のラストはどうなったのだろうか。思い出せない。小学生の頃、ひとり家で留守番をしていた時に観たのだ。その時の心細さが映画のストーリーの記憶と混じりあっている。


 しかしいずれにせよ、僕は干渉できないし、しようとしてはいけないのだ。無理に干渉をしようとして、元の世界に強制送還される可能性だってある。なんのヒントも得られないまま。なるべく僕という存在を隠し、この世界の僕らには見つからないようにして、観察をするべきだろう。


 それから、世界の変容についても考えた。17年前の8月13日。その日、いったい何が起きたのだろう。それが起きた時、世界は変容し始めた。変容。


 変容というのもわからなかった。シマウマが出現するまで、僕は僕の暮らす世界に違和感を覚えたことはなかった。僕が生まれてから17年間、変化はあったが、どれも自然な変化だった。技術力の向上や周囲の人間関係、僕の生物的成長に伴う生活リズムや考え方の違い。考えてみると不変なものなんてこの世には存在しないのだ。回るランドリーボウイが言う変容とはこのような変化のことだろうか。いや、違うんだろう。なにか、もっと大きなものについて話している。それは僕にとっては大きすぎて見えていないのかもしれない。


 そういえば、とズボンのポケットをまさぐり、スマートフォンを取り出した。この世界でも電波は通じるのだろうか。もし通じるのならば、インターネットにアクセスして17年前に何が起きたのかを簡単に調べることができる。


 しかしスマートフォンの電源は入らなかった。葉蔵さんとドライブをする前は70パーセントの充電は残っていたはずだ。この世界に入り込んだことによって壊れたのかもしれないし、そういうルールなのかもしれない。わかったのはこの板状の機械がこの世界では役に立たないだろうということだ。


 思考は行き詰まっていたが、目的の喫茶店にはきちんと辿り着いた。進めばいずれ目的地に着くというのは実にありがたいことだった。窓際の席に僕とA子さんがいるのが見えた。


 干渉できないし、してはいけない。


 僕は喫茶店の中に入らず、その店の駐車場の陰で窓越しに僕らの様子を見守った。何も変わったことはなかった。僕らは几帳面に記憶通りの行動をしていた。何かを話して黙り込み、逡巡して、また話す。その繰り返し。


 一時間くらい経っただろうか。結局、ヒントのようなものは見つけられないまま、喫茶店の中にいた僕たちは立ち上がった。そうだ。この後、僕らは解散する。僕はシマウマの消失とA子さんと思いがけない繋がりが出来たことで興奮し、その日のことを反芻しながら帰路につく。


 ヒントとはなんだ? それはどういったかたちをして、どこに落ちている? このまま過去の僕らを見守るだけでヒントは手に入れられるのだろうか?


 過去の僕らは外に出て、簡単に別れの言葉を交わし、背中を向ける。僕はその背中を見る。


 待てよ。と考える。このままA子さんについていけばA子さんの自宅がわかるんじゃないか。


 発想はストーカーじみている。倫理から外れている。しかし、それしかない。A子さんの自宅さえわかれば、僕が元の世界に戻ったとき、彼女の家を訪ねることができる。A子さんに会える。それに、僕には時間が残されていない。回るランドリーボウイの言う、終わるときというものがいつ来るのかわからない。今お迎えが来たっておかしくない状況なのだ。この機会を逃すわけにはいかない。


 それしかない。


 僕は深呼吸をした。手足が軽く痺れ、冷たくなっていた。手を何度か握っては開く動作を繰り返して、血をめぐらせた。首を左右に振り、動かした。そのようにして身体の調子を確認したあとで、そっと駐車場から抜け出した。気づかれないように息を潜めて。


 辺りは薄暗くなっていて、道路の脇に並ぶ街灯が僕のことを見ていた。彼らは僕の行動について軽蔑も非難も推奨も礼賛もしなかった。ただそうするのが義務であるかのように、無感情に僕のことを眺めていた。


「ふむ」と誰かが言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る