ゼブラと信号機のレディ

ちくわノート

第1話

 傘のデザイン、今流行りの曲、四間飛車対棒銀の7五歩からの仕掛け、今日の時間割、頂くといただくの違い、横を通り過ぎる冴えないおじさんのこれまでの人生とこれからの人生。


 僕はそんな雑然とした思考を行ったり来たりしながら、歩道を歩く。


 家を出る前はぽつぽつとしか降っていなかった雨は5分もしないうちに土砂降りになり、僕の貧弱な折り畳み傘では当然全ての雨を防ぎきることはできなくて、地面から跳ねた雨粒がズボンの裾を濡らした。


 黒く濡れた車道を車が走り、水を跳ね飛ばす。

 前に見えたセブンイレブンの看板を目印に、左に曲がる。その後、突き当たりで右に。

 そうすると、目の前に片側二車線の車道が現れる。近くに一部、白が禿げかかった横断歩道があって、そこの歩行者信号は青色になる時間が短いのか、待たずに渡れたことは滅多にない。


 信号が止まれを示す赤色になっているのを確認して、横断歩道の前で止まる。

 向かい側の歩道には僕と同じように信号待ちをしている人が数人居て、片手に傘を、もう片方の手でスマホを弄りながら進めの合図が出るのを待つ。


 僕はその中に今日も彼女の姿を見つける。黒い無骨な傘をさし、白の使い捨てマスクをつけていて、表情は読み取れない。


 車両用信号が黄色に変わり、数人が足を数歩前に進める。歩行者信号はまだ赤い。

 一台の車がスピードを上げて、交差点を突っ切っていく。


 車両用信号が赤に変わる。

 ひとりは既に横断歩道を渡り始める。車は停止線で止まり、その後ろにも続々次の車が来て長い列を作っていく。


 歩行者信号が青に変わった。

 僕は横断歩道を渡る。

 向かい側にいた歩行者たちとすれ違う。

 彼女との距離は徐々に縮まり、彼女の脇を通り過ぎると再び離れていく。


 横断歩道を渡り終えると、僕は再び思考する。


 傘のデザイン、今流行りの曲、四間飛車対棒銀の7五歩からの仕掛け、今日の時間割、頂くといただくの違い、横を通り過ぎる冴えないおじさんのこれまでの人生とこれからの人生。毎朝、横断歩道で見かける彼女のこと。


 〇


 高校の前まで着くと、人だかりができていた。

 僕が通う高校の目の前には幅の狭い車道があって、そこを渡るための信号のない横断歩道の周りだった。


 普段はその道路には滅多に車は通らないはずなのに、その人だかりのせいか二台の車が横断歩道の手前で立ち往生をしている。


 その中に丸井の姿を見つけて声をかける。


「おお、円。おはよう」


 丸井は呑気にそう挨拶をする。


「おはよう。これ、なんの騒ぎ?」

「あれだよ、あれ」


 丸井は指を差すが、その指の先は人の背中に呑まれてわからない。


「ああ、もう」


 丸井は焦れったそうに指を下げ、人を掻き分け、前に進んでいく。僕はその丸井が作った道を体を縮めて通る。


「ほら」


 丸井の声で顔を上げると、視界は開けて、いつもの横断歩道が見える。その上には横断歩道とお揃いの縞々模様をした見慣れない生物がいる。しかもそれは一頭ではなくて、数えてみると五頭もいた。


「シマウマ」


 丸井はそう言う。


「なんで?」

「知らないけど。動物園に搬送中のトラックから逃げ出したとか?」

「ニュースとかになってるんじゃないの? そういうの」


 僕はポケットからスマホを取り出して、Twitterアプリを開く。その真偽は別にして、こういうニュースが流れるのは早いと思った。

『シマウマ 脱走』『動物園 脱走』『高校 シマウマ』『シマウマ 搬送』

 いずれの単語で検索してもめぼしい情報は見つけられない。


 そのとき、予鈴が鳴った。


「やば、遅刻じゃん」


 生徒たちは続々と駆け足で校舎に入っていく。

 僕も人の流れに乗り、校舎に向かって歩き始めて、一度振り返る。五頭のシマウマはまだ所在なさげに横断歩道に佇んでいる。


「ねえ、このシマウマってこのままにしてもいいの?」

「知らね。大人たちがなんとかするでしょ」


 丸井はそう答える。

 僕はもう一度、シマウマたちを見る。


「あ、一時間目、体育。着替えなきゃ」

「そういえば」


 僕と丸井は足を速める。


 〇


 昼休みになり、ふと教室の窓から横断歩道を見ると、シマウマは既に消えていた。


「なあ、シマウマ。消えてる」

「え?」


 弁当を持って僕の席まで歩いてきた丸井にそう話しかけると、丸井は持ってきた弁当を僕の机に置いて、窓の外を覗き込む。


「ほんとだ」

「な?」


 丸井は窓から目を離し、近くの椅子を引っ張ってきて座ると、弁当の包みを開いた。


「まあ、居なくなるだろ。これだけ時間が経ってれば。あのシマウマたちが脱走してきた動物園に連絡でもして引き取られたんだろ」

「シマウマを輸送出来るようなトラックなんて来てたか? 気づかなかったけど」


 僕は授業中、窓際の席に座っている周平の姿を見つけて呼ぶ。


「おい、周平。授業中にトラック見た? あのシマウマが輸送できるようなやつ」

「トラック? いや、見てねぇけど。ってかシマウマいなくなってんだな。気づかなかった」

「周平も見てないの?」

「おう」


 周平は窓から離れて、渕とともに周平は菓子パンを、渕は弁当を持って僕らから離れたいつもの定位置に座り、昼ごはんを食べ始める。


「見てないって」

「聞いてたよ」


 丸井はタコさんウインナーを口に運びながらそう言う。丸井の弁当にはいつもその赤いタコさんウインナーがふたつ入っていた。

 僕は残ったひとつを丸井の弁当から取り、口に入れた。


「なんか興味なさげなカンジ?」

「そういうんじゃないけど。いつまでもあそこにいる方が不自然だろ」

「不自然」


 僕は繰り返す。


「その不自然な出来事が今朝あったばかりなのになんかみんな落ち着いてない?」

「落ち着いてる?」

「うん、特にあそこらへんの女子とかいつまでもシマウマの話してそうじゃん」


 僕は教卓の近くに集まってご飯を食べている5人の女子グループを指す。


「あー、たしかに。そう言われてみればそんな感じするな」

「あの女子たちが今、シマウマについて騒いでないのは不自然じゃない?」

「言われてみれば不自然っちゃ不自然だな」

「……それだけ?」

「それだけって?」

「いや、なんていうか、いや、やっぱいいわ」


 丸井は不思議そうな顔をする。僕はふりかけのかかった冷えたご飯をひと口食べる。なにか違和感があって、僕はご飯を咀嚼しながらその違和感の正体を探す。


「そういや、お前、今日こそは話しかけたの?」

「話しかけた? 誰に?」

「いつも同じ横断歩道で会う女だよ。気になってるんだろ」


 横断歩道で会う彼女のことは以前、丸井に話したことがあった。


「いや、話しかけてないけど。っていうかシマウマの話。なんでそんなすぐに流せるんだよ」

「は?」

「いや、いつもならもっとさ。なんでシマウマが現れたのかとかいつ消えたのかとか話すもんじゃない?」

「そうか? じゃあ考えてみる? なんでシマウマが現れたか」


 うーん、と丸井は箸を置き、腕を組んで考える。


「やっぱ輸送中に脱走したってのが有力だけど、それだけじゃつまんねーよな。例えばUFOが運んできたみたいな、キャトルミューティレーションじゃないけど、そんな感じのオカルトチックな方がいいか?」

「あ」

「なんだよ」

「わかった。そうだ。今朝Twitterでシマウマって単語検索したらヒットしなかったんだ。出てくるのはそれこそ動物園のツイートくらいで」

「それが?」

「おかしいじゃんか。普通、あれだけ女子高生がいたら誰かしら写真撮ってツイートするもんじゃないの」


 僕は席の近くを通りかかった玲を呼び止める。


「なあ、玲。今朝のシマウマ見たろ?」

「え、うん。ってかみんな見たんじゃないの」

「ツイートした?」

「え、なんで?」

「いや、普通あんな変なことあったらツイートするじゃん」

「あー、たしかに。しとけばよかったね。大バズしたかも」

「女子高生なのに」

「それは別に関係ないでしょ」

「写真は? 撮った?」

「撮ってないけど」

「変じゃない?」

「なにが?」

「坂本とか吉田も写真撮ってないの?」


 僕は玲がよく話すクラスの女子の名前を出す。


「あー、訊いてないけど、撮ってないんじゃない? たぶん」

「そのふたりと今朝のシマウマの話したろ? そのときに訊かなかったの?」

「え、うん。今朝も珍しいねって少し話しただけで、今円に言われて思い出したくらいだから」

「なんでお前そんな今朝のシマウマに執着してんの」


 会話を聞いていた丸井がそう口を挟む。


「いや、執着っていうかさ。気になるだろ普通」

「いやいや、執着だよ。なんかちょっと怖いもん」

「別に怖くないだろ。いつも通りだろ、俺は」


 玲が坂本に呼ばれて席から離れていく。

 丸井はブロッコリーを嫌そうに端っこだけ齧る。


「なんか変な感じ」


 窓の外はまだ雨が降っていて、教室はいつもより暗い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る