躊躇いとか、少しは持ち合わせてたりしないんか?


 胸が揺れ、肋骨が震え、胃と横隔膜と肺と血管と……、とにかく腹部から連なる内臓各位が強烈に震盪させられる。


 痩身の令嬢の掌底とは思えないような重く深い衝撃によって目黒めぐろの体内で酷い吐き気が醸造された。


 痛みと吐き気で腹を抑えて泣きわめきたくなる。


 だけどダメだ。


 そんなことをしていたら嬉々とした追撃が降って来るに違いない。


 足蹴にされるか、地団太を踏むように踏みつけられるか……。どちらにせよ上半身から繰り出される攻撃より下半身から打ち出される攻撃の方がより致命傷に至りやすい。故に今この場で地に伏すというのは相当にマズい。


「あらぁ? 倒れないのぉ? いいのよ、倒れちゃっても。ちゃんとしっかり殺してあげるからねぇ」


 今の一撃に相当の自信があったのか、不後取ふしどりは一度目を見開いてからぱちくりと数度瞬きを繰り返して驚いた。


「……、嫌よ、私死にたくないもの……っ」


 目黒めぐろはふらつく足で不後取ふしどりの背後に回り込むような形に位置取りをし直してから、後退りしつつ片手で腹部を抑え、もう片方の手を銃の形にして構える。


 そして――、

 出来る限り高速に手首のスナップを聞かせて連続で指先から水のつぶてを滅茶苦茶に乱射する。


 パパンッ!! ドパンッ!! パンッ!! パパンッ!! と水弾の音が響く中で不後取ふしどりは驚きと共に喜びを感じていた。


「すごいっ!! そんなに顔を青くしてるっていうのに、まだ戦意があるなんてっ!! 尊敬しちゃうわぁ!!」


 切り立った崖の半ば辺りという地形が幸いした。


 連射している水のつぶてはそのほとんどを躱されてしまってはいる。が、それでも移動可能な範囲が狭いために易々と距離を詰められることには繋がらない。


「避けられるけれど、前には進めないわね。面倒くさぁいっ!!」


 どう見てもその表情は笑っているし、どう聞いてもその声は楽しいおもちゃを見つけたときのように弾んでいる。


「バケモノ女め……」


「そういうのもっと欲しいなぁ。あなたのありったけの敵意、ぶつけていいのよ?」


 腕がつりそうなほどに引き金を引き続けて稼げた距離はたったの十メートルと少し程度。


 吐き気は相変わらずひどいし、内臓を強烈に揺さぶられたことで平衡感覚もかなり危うい。


 そんな状態でほとんど一瞬に近い速度で間合いを詰めてくる相手から上手いこと逃げおおせられるとはとてもじゃないけれど思えなかった。


 だけれど、もう間もなく腕が持たなくなる。


「ちょーっとだけ、緩んできたかなー? もうおしまい? もうちょっと遊びたいんだけどなぁ」


 喜びに弾んだ声が一転して退屈そうな響きを帯びる。


 まるで猫のような気分や加減だ。


「余裕かましてられるのも今の内よ。この弾幕が途切れたときがアンタの終わりの時と思いなさいっ!!」


「アハッ!! いいねっ、最期に何か隠し玉あるんだっ!! 見たいっ、早く見たいっ!!」


 相手の底が見えたと思ったらすぐに興味を失くして、まだ何かあるかもしれないと思えばまた興味を取り戻す。子供よりも子供のような素直な反応。


 腹部を抑えていた手をそっと背中側へと回し、痛みを堪えるように大きく息を吸って無理やりに呼吸のリズムを整える。


 直後、腕の振り過ぎで熱を持った肘と肩がストンッと上がらなくなった。


「最期の底、みせてよねっ!!」


 不後取ふしどりは即座に連続した横ステップから前方への移動に切り替えて目黒めぐろの懐へと飛び込んでくる。


 ダンッ!! と蹴りつけられた地面から音が鳴り、一瞬で四メートル近い距離が詰められる。


 二拍後にはもう〇距離まで寄り切られるのは必至だ。


 それは目黒めぐろが想定していたよりもワンテンポ速い。


 スッと背中側に回された手が前へとむけられる。


 その手はサバイバルナイフを逆手持ちしていた。


 無防備に近づいてきたところをナイフでぐっさりという算段だったという訳だ。


 そして柄頭を抑えている親指と握り込んだ人差し指がピンッと伸ばされる。


 手首が跳ねあがってナイフが上方向に振るわれる。


「ッ――!!」


 息を呑んだ不後取ふしどりがにやりと口角を持ち上げ、素早く手のひらを顔の前へと引き上げて、眼前に迫りくる水のつぶてを防御する構えを取る。


 その行動は凄まじい速度で行われた。


 まるであらかじめそうなることを予想して行動を用意していたかのようだ。


「チッ!!」


 舌打ちが響き、バリンッ!! と水のつぶてが弾かれた。


 そして間合いが〇距離まで詰められる。


 下から掬い上げるような形で腹部を狙う不後取ふしどりに対して、目黒めぐろは上から逆手持ちしたサバイバルナイフで背中を狙う。


 そのまま行けば両者の攻撃がクリーンヒットして相打ちになる。


 そのはずだった。


 だのに、攻撃が交錯するその瞬間に目黒めぐろの身体がぐらりと不自然に傾いだ。


 元々平衡感覚がぶれていたせい……、ではなく鎖骨中央に突き刺さった鋭い氷の塊のせいだ。


「い、あ、ぇ……?」


 ドゴッと鈍い音が響く。


 届いた攻撃は不後取ふしどりの側のモノだけだ。


 衝撃に耐えきれず目黒めぐろの身体は地面から浮いて、二、三メートルほど宙を舞った後、ドゴッ!! と地面を転がった。


 不後取ふしどりは手のひらの感触を確かめるように幾度か手を握って開いてを繰り返し、そしておもむろに手で銃の形を作り出して動かなくなった目黒めぐろに向かって軽く引き金を引くような動きをした。


 するとバシュンッ!! と水のつぶてが射出されて彼女の身体を無慈悲に叩く。


「なるほどねぇ? これは少し便利だけどあんまり楽しくはなさそうね」


 奪った"力"の試し打ちを試みて、想定出来得る使い方に口を尖らせて文句を一つ。


 "力"の奪略が行われているということは、つまりは目黒めぐろ有亜ゆあの体機能の完全な停止を意味している。


 それから、はぁーっと大きく息を吐きだした後で軽くゲホゲホと咳込んだ。


 しばらく咳込んでから、彼女の死体のそばへとよってそのまま見下ろす。


 その表情は冷たかった。


 冷たい表情のままでペッと口の中から血を吐きだす。


「あっ、やっぱり口の中少し切っちゃってたみたい」


 どうやらもう目の前の死体にはすっかり興味がないらしかった。

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