後に残されたモノたちの述懐


 極楽鳥ごくらくちょうの冷たくなった震える指先がそっと小鶴瓶こつるべの頬を撫でる。


 小鶴瓶こつるべはその手を掴んで握りしめる。


「偉い政治家になってみんなを幸せにするんでしょ!? だからダメっ……、ダメよっ、こんなところで死んだりなんかしたら絶対に、絶対にダメなんだから……!!」


 失われていく熱が何を意味しているのか、それが分からない小鶴瓶こつるべではない。


 だけれど信じていた。


 まだきっと何とかなると信じていた。


 今まで極楽鳥ごくらくちょうエマは頼りになるお姉さんだった。ずっと助けてもらっていた。この人ならきっと何が合っても大丈夫だと思えた。


 だのに、だのに、そんな人の鼓動が弱っていく。


 信じたくなかった。目の前の現実を信じたくなかった。


 だから極楽鳥ごくらくちょうエマのことを信じている。


 だというのに、小鶴瓶こつるべの言葉を聞いて極楽鳥ごくらくちょうは優しく微笑み小さく首を横に振った。


「何よっ……、何よその表情は……。そんな悟ったみたいな表情しないでよ……」


 小鶴瓶こつるべが握る極楽鳥ごくらくちょうの手からはすっかり温もりは失われていて、それどころか徐々に徐々に力さえ抜けていく。


「生きて……、幸せになるのよ……?」


 まばらな呼吸を整えることもないままに極楽鳥ごくらくちょうは絞り出すようにそう囁く。


 本当はもっと言いたいことは沢山あった。


 生きて自分の力で自分の願いをかなえるのよだとか、お姉さんの代わりにあなたがみんなを幸せにしてあげてねだとか、こんなところじゃなくってもっと楽しい場所に遊びに行きたかったねだとか、あんまり一人で抱え込まずにちゃんと誰かに相談するのよだとか。


 だけれど、そんなことをいう余裕はもうない。


 その上、きっとあんまり多くを語れば小鶴瓶こつるべはそれを重荷として背負い込んでしまいそうだ。


 根本的なところがすごく真面目な性質である小鶴瓶こつるべがそんな重荷を背負ってしまったらきっときっといつまでたっても捨てられなくなって困ってしまうだろう。


 だからただ、本当に大事なことだけを掠れる喉で震える唇で言葉にする。


「何言っているのよっ!! そんな今わの際の遺言みたいなこと言わないでよ……。やだっ……、やだよ……、だめっ、ダメ、だよ……」


 そしてするりと極楽鳥ごくらくちょうの手が小鶴瓶こつるべの手をすり抜けて落ちる。


 小鶴瓶こつるべはその手を慌てて掴みなおす。


 冷たい手。


 血液の流動が止まった手。

 脈拍の感じられない手。


 温もりの消えた手。


 もうすっかりと命が抜け落ちてしまっていた。


「うそよ……、うそっ……、やだっ……、やだぁ……」


 命の無くなる確かな実感が、小鶴瓶こつるべ波子はしの身体に伝う。


 どうしようもなく。

 そう、もうどうしようもなく、終わっていた。


「ばか……、あんたバカよ……」


 冷えていく物言わぬ屍の上に小鶴瓶こつるべ波子はしはただただ泣き崩れることしか出来なかった。



AM 05:03


「ハシちゃん、極楽鳥ごくらくちょうさんは……?」


 ぐったりと動かない不後取ふしどりを抱き抱えた加成谷かなりやが元居た場所まで戻ってきたとき、樹に寄り掛かった極楽鳥ごくらくちょうのそばで小鶴瓶こつるべが座り込んでいた。


 その少し後ろで瑠璃斑るりまだらが樹に背を預けるようにして立ち、ただ小さく首を横に振る。


「生きているの……?」


 小鶴瓶こつるべからは疑問への返答ではなく、別の疑問が返ってくる。


「いや、亡くなってる」


「そう、こっちも同じ……。良かった、私その人が生きていたら何をしでかすか分からなかったと思うから」


 昏い表情の小鶴瓶こつるべが泣きはらした様な目元を歪めて笑って見せる。


 明らかに無理をしている。


 それは分かっているのに加成谷かなりやにはどうすることも出来なかった。


「そっか……、そっか……」


 何せ彼も極楽鳥ごくらくちょうエマの命が尽きてしまうとは思ってもいなかったから。


 だからゴウンッ!! と側頭部をハンマーでぶん殴られたような衝撃を受けて身体が硬直し抱えている不後取ふしどりの身体を思わず取り落としそうになる。


 よろけそうになる足を何とか踏ん張って堪え、前へと踏み出し、そのまま極楽鳥ごくらくちょうの遺体のそばまで歩み寄って、抱えてきた不後取ふしどりの遺体をそっと横に寝かせる。


「……、なんでここに置くのよ……」


「死体まで粗末に扱う必要はないっしょ。それにどういう理由なのかは分からないけど、この人は随分極楽鳥ごくらくちょうさんに執着してたっぽいし」


「そっ……」


 それっきり三人は押し黙ってしまう。


 ただだからといってこの場にこのままとどまり続けることは出来ない。


 だから――、

「そろそろ移動しよう。ついてきて、安全そうな場所に案内できるから」


 瑠璃斑るりまだらがパチンパチンと手を叩いて提案する。


「っす。お願いしやす」


 加成谷かなりやが頷いてしゃがみ込んだ小鶴瓶こつるべへと手を差し出す。


「……、」


 彼女は躊躇いがちにその手を取り、体重を預けるようにして立ち上がる。


 それから瑠璃斑るりまだらの先導に従って歩き出す。


 向かった先は滝の根本。


「この滝の裏に洞窟があってね。ミサキさんには奥に隠れて貰ってるんだ」


 彼はほとんど崖に張りつくような格好になって滝の裏側に入る道筋を指し示す。


「先輩流石っスね!! ってことは、ずっとここに隠れてたんすか?」


「うん、そうなるね。本当は堂佶とうきつたちも一緒に連れてこられたら良かったんだろうけど、ボクが気付いたときには既に誰もクルーザーに残っていなくってね。タイミングが噛み合わなかった」


「いやそんなっ!! 先輩が無事だったんなら俺からはそれだけで本当にいうことないっすよ」


 三人は岩壁に身を貼り付けてソロリソロリと滝裏へと進んでいく。


 ゴゥゴゥと流れる水の音を通り抜けると、そこには薄暗く湿っぽい岩の洞穴が広がっていた。


 洞窟の入口の少し先の壁に現代では中々お目に掛れない松明が立てかけられ、入口近くまで明りを届かせている。


 瑠璃斑るりまだらが足早にその松明へと近づき拾い上げ、


「暗いから足もとに気を付けながら付いてきて」


 先導するために先を進む。


「うっす。ハシちゃん、足もと分かんないし手でも繋ぐ?」


「……、そうね、お願い」


「うっす」


 暗い一本道の洞窟を三人はゆっくりと進んでいく。時折岩肌にキラリと松明の光が反射されて僅かなプリズムが混じっていることが窺える。少しばかり掘ってみたりすると水晶の類が採掘できたりするのかもしれない。


 しばらくの間無言で進んでいると、


「そう言えば、アンタは特にこの島に来た目的がないって言ってたわよね」


 ぽつりと小鶴瓶こつるべがそんな風に切り出した。


「そっすよ。俺はナンパし放題のビーチって聞いたのと先輩に誘われたから来たってだけ」


「改めて考えたんだけど、私だけ目的を話してないのって、不公平かなって思って……。だから、話しておきたいの、私のこと」


「どうぞ」


 頷いた加成谷かなりやに対して、小鶴瓶こつるべは握った手に本当に少しばかりの力を込めて言葉を続けていく。


「もしかしたら気付いてたかもしれないけど、私は実は結構いいところのお嬢様なの」


「あー、もしかして小鶴瓶こつるべ温泉のご息女とか?」


「流石のアンタでも知ってるのね。そう、私はその小鶴瓶こつるべ温泉の三女なのよ。姉さんも兄さんも優秀でね、私だけが不出来だったから、いっつも比べられては落胆されてたの。言ってしまえば、家系の落第生なのよ、私って。自分だけがいっつも誰にも認められないっていうのが辛くってね。だから、願いを叶えるさざ波の秘宝なんてモノに縋ろうとしたの」


「つまり……、みんなに認められるって願いを叶えたかったってこと?」


「違うわよ。そんな洗脳みたいな願いの叶え方をしたって私自身は絶対に満たされないじゃない。私はただ欲しかっただけなの、なんでも願いを叶えられるさざ波の秘宝が」


「叶えるべき願いはないけど、願いを叶えられる秘宝が欲しかった?」


「そう」


「……? それって何のためなんすか?」


「落ちこぼれのレッテルを見返すために、かな。私はただ見返したかったの、ただの落ちこぼれじゃないんだぞって、証明したかった。ただそれだけなのよ」


 劣等感の払拭。


 それが小鶴瓶こつるべ波子はしの望みの全てだった。

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