狂人二人


PM 22:44


「うーん。こんな感じでいいかなー?」


 崖から移動した不後取ふしどりは葦の原と森林地帯の境目にある巨木の前に立ち腕を組んでいる。


 彼女の視線の先にあるのは木の枝からロープで吊るされた目黒めぐろ有亜ゆあの死体だ。


 モズの早贄なのか、それとも飼い猫が狩ってきた生き物を飼い主に見せびらかしに来るようなモノなのかあるいは全然別の理由があるのか、そんなことは全く分からない。


 ただ殺した目黒めぐろの遺体をわざわざこんな場所まで運んできて首にロープを巻き付けて木の枝に引っ掛けて吊るし上げたという事実があるのみだ。


 悪趣味極まりないことをしているとしか言いようはないが、どうやら彼女自身はその行動の出来栄えについてそれなりに満足しているらしく、「やり切ったな」という表情を浮かべていた。


「……、有亜ゆあちゃん?」


「うわぁっ!? び、びっくりしたぁ……」


 辺りに響く虫の鳴き声に紛れて突然聞こえてきた人の声に不後取ふしどりがごくごく普通に驚いて振り返ると、真後ろに緑スカーフのド畜生女目代めじろ依乃よりのが呆然と立ち尽くしていた。


 位置関係から考えれば目代めじろには当然不後取ふしどりのことが見えているはずなのだが、どうにも彼女など一切眼中にないようで、ただ無残に吊るされた目黒めぐろ有亜ゆあのことだけを見ていた。


 そんな目代めじろに対して不後取ふしどりは何も言わず、ただにんまりと口角を釣り上げて道を譲る。


 肩を、ひざを、唇を、小さく震わせながら目代めじろが吊るされた目黒めぐろへと近づいていく。


 近づけば近づいただけ、死した目黒めぐろから漂う臭気が強くなる。それは鮮度の落ちゆく血のニオイであり、腐り果てゆく肉のニオイでもあり、総合すれば死せる屍のニオイであった。


 まともな神経の持ち主ならば、迂闊に近づきたいと思えなくなるようなニオイが漂っているというのに、目代めじろは何も気にせずに近づいていく。


 それはある種至極当然ではあった。


 何せ、今目の前に吊るされているのは目黒めぐろ有亜ゆあなのだから。


 目代めじろ依乃よりのが知らない間に目黒めぐろ有亜ゆあが死してしまっているのだから。


 決着も、結末も、死に際も、何一つ見届けることが出来なかった。


 望んでいたことが何一つ得られないまま、ただ既に死んでしまったという結果だけを突き付けられている。


 目代めじろ依乃よりのには目黒めぐろ有亜ゆあの死因さえ分からない。


 絞殺されたのか、死んでから吊られたのか。喉元に開けられた穴とそこから滴る血が原因なのか、それとも腹部に広がる強烈なうっ血痕が原因なのか。目代めじろ依乃よりのには分からない。


 もちろん想像して推定することは出来る。


 だけれどそれはあくまで想像して推定できるというだけの話だ。


 違うのだ、目代めじろはそう言うことが知りたいのではない。


 自分の手で殺したかったなんて贅沢を言うつもりは毛頭ない、ただ純粋に目黒めぐろ有亜ゆあという一人の人間の死にざまを見届けたかった。それが目代めじろ依乃よりのの願いだった。


 どうして目の前で死んでいってくれないのかと、恨み言の一つも言いたい気分だった。


 これじゃあ分からない。


 目黒めぐろ有亜ゆあがどう死んでいったのかが、分からない。


 死に際に絶望に支配されて無様に命乞いをしながら死んでいったのか、それとも自らの死に納得して逝ったのか、あるいは最期の最期まで足掻きに足掻いて花火のように散っていったのか、何も、何も分からない。


 どうして……?

 どうして……?

 どうして……?


 どうして、一番最期のおいしいところが手に入らないのか。


「ずるいよ、ずるい……。今まで私がずっと手塩にかけてあなたの絶望を育ててきたっていうのにっ!! なんで、私の目の前で死んでくれないのっ!!」


 常人には全く理解できない悲嘆の言葉が飛び出した。


 嘘偽りのない心の底からの悲痛なる叫び。


 お気に入りの大きなフルーツパフェの大好きなイチゴを最後に食べようと取っておいたら急に向かい側に座っている他人に横取りされたような、そんな気分を味わわされていた。


 失望と絶望に苛立ちが募る。

 その苛立ちは次第にふつふつとした怒りになって腹の底を沸き立たせてくる。


「ねぇ……、有亜ゆあちゃんを殺したのはあなた?」


 目代めじろはもうすっかり八つ当たりにだろうが何だろうが遮二無二当たり散らしたい気分だった。


 そして奇遇なことにサンドバッグに使えそうな相手は今丁度近くにいる。


「よく分かったわねぇ。そうよぉ、その人は私が殺しちゃった。でもね、思ったより弱かったからちょっと退屈だったわぁ」


 違った。


 近くにいたのは関係ないサンドバッグ候補ではなかった。


 目代めじろ依乃よりのの一番の楽しみを奪い去った憎き敵だった。


 表情が怒りに満ち満ちた剣呑なモノへと一気に染まる。


 鬼の形相とはまさにこのことか。


「それならさぁ……、あなたが有亜ゆあちゃんの代わりに私の前で死んでくれなきゃ収まらないわっ!!」


 強烈な憎悪を滾らせる目代めじろと、その憎悪を嬉しそうに受け止めんと笑みを作る不後取ふしどり


 狂人二人。

 奇妙なことにお互いの利害は一致している。


「いいっ……!! それ、すごくいいわぁ……!! 素敵な敵意にうっとりしちゃうっ!! 沢山沢山愉しみ合いましょうね?」


「愉しむのは私だけで十分よっ!! あなたには有亜ゆあちゃんの代わりにたっぷりたっぷり苦しんでもらうんだからぁっ!!」


 トンッと不後取ふしどりが地面を蹴り飛ばし、握り拳を構えて一気に距離を〇まで詰める。


 目代めじろにとっても距離を詰めに来てくれるというのであればそれは好都合だった。


 が、しかし誤算もあった。

 それは不後取ふしどりの俊敏性が想像の遥か上をいっていたこと。


 握り込まれた拳が目代めじろの鼻っ柱へと叩きこまれる。


 ドパンッ!! と派手な音がなった。

 バシャバシャと辺りに水滴が弾ける。


「水の膜ねぇ」


 拳が直撃する直前に目代めじろは自らの顔の前に水の膜を盾のように展開し、寸でのところで衝撃を和らげていた。


 ただそれでも目代めじろは顔を片手で抑えてよろけてる。


 不後取ふしどりは拳の具合を確かめるようにグーパー、グーパーと握りを確かめ、そしてぷくぅっと頬を少しばかり膨らませ、ゆっくりと息を吐き出し萎ませる。


「それじゃっ、もう一発っ!!」


 たたんっ、と軽くステップを踏んで再度拳を握りしめて、肩を引く。


 その動作に合わせて目代めじろは顔を庇うようにして腕をクロスさせる。


 水の膜で防御できるといっても、完全に威力を殺し切ることは出来ない。


 目も鼻先も口も頬だって、殴られたら衝撃相応の痛みを貰う。


 だからガードを固める必要がある。


 非常に分かりやすい防御反応。


 対して不後取ふしどりは何も気にすることなく先ほどと同じように渾身の力で顔面へとむけて拳を叩きこんだ。


 またしてもドパンッ!! と水が弾ける。

 拳を受けた腕の骨がビリビリと痛んだ。


 これならばいける。


 このまま組み付いて窒息させてやれる。目代めじろがそんな風に判断した直後の出来事。


 すっと素早く拳が引き戻されると同時に展開していた水の膜がバリバリと音を立てて氷結していく。


 ベリッと素肌についた水の膜が薄い氷の膜へと書き換えられていってしまう。


 燃えるような痛みが走った。


「……っ!?」


 思わず絶叫しようとして、だけれど口をまともに開くことも出来なくて、思わずぎょろりと目を剥いた。


 気が付けば視界が白い何かでばっつりと遮られてしまっている。


「相性が悪かったわねぇ」


 顔の前で防御姿勢を取っていたはずの腕が全く持って動かない。


 素手で製氷機から氷を取り出したときのような冷たさが腕全体を覆いつくしていてひどくひどく痛かった。


「強すぎる力っていうのも考え物よねぇ」


 真後ろからのそんな言葉と共に、しゃりりっとステップを踏むような足音が耳に妙に良く聞こえた。


「ばーいばいっ!!」


 ドゴッ、ガゴッ、ドガッ、と背後から後頭部へ向けて幾度も幾度も握り込まれた拳が振るわれる。


 腕と顔をすっぽりと覆い隠した氷の板に思い切り叩きつけるようにして。


「あっ……、がぁ……、おごっ……、ごっ……、ぉぉ……」


 空気を多分に含んで白く氷結した氷の板に血飛沫が塗りつけられ、鮮やかな赤へと染められていく。


 人間の後頭部を握り拳で何度も何度も殴打したらば殴った方も痛いだろうに、不後取ふしどりは嬉々としてひたすらに拳を振い続ける。


 まるでその痛みによって生を実感しているみたいに笑いながら……。

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