考える人と愉しむ人


PM 20:26


 緩い風で僅かに揺れる赤いマフラーを撫でながら目黒めぐろ有亜ゆあは考えていた。


 むき出しの岩肌に大きなお尻を乗っけて考えていた。


 肌に潮風を感じながら切り立った崖から海を眺めながら考えていた。


 主に二つのことが中心だった。


 一つは今夜をどうやって過ごせばよいのか、ということ。


 この常夏島という場所は森林地帯と草原地帯と砂浜がほとんどを占めている。昼間に動き回っていた限りでは然程大型の生き物はいなかったけれど、だからといって夜にそういう生き物が動き出さないという保証はない。故に野宿をするにしてもしっかりと場所を選ぶ必要がある。


 正直なところいっそ安全に睡眠をとるためだけに一旦クルーザーに戻ることを選択肢に入れたくなる程度には安全な寝床を確保することは難しかった。


 しかし、下船の仕方が下船の仕方だったので、こっそりあの場に戻って寝泊まりをするというのは些かにダサい。


 けれども恥を忍んで戻った方が絶対に丸い。


 ただ、クルーザーに戻ったとしても問題はある。一応あの場所自体は中立であるとは謳われている。が、だからといって安全地帯であるわけではないというのは今朝起きたことから考えても明白だ。よって、もし同じ考えの誰かしらに遭遇した場合、そのまま殺し合いに発展しかねない。


 最悪のケースを想定するならば、自身が眠りについた後で同じことを考えた何者かが後からやってきた場合、恐らく無抵抗に殺されるしかなくなる。今朝のあの少女のように。


 そのどちらの状況も楽観視できるほど起きる可能性が低いとは思えないのが、もっとも難儀な点だった。


 そしてもう一つはこの戦いのことだ。


 もちろん目黒めぐろ有亜ゆあにはこの戦いを放棄するという選択肢はない。


 背負わされた莫大な量の借金をきっちり完済しなければまともに人生を再スタート出来ない。この戦いに勝ち残って借金を完済し自由の身になる。目黒めぐろにとってはそこがスタートラインなのだ。今はまだスタートのライン位置にすら立てていない。


 今まで頼れると思っていた友人を失ったという事実はそれなりの痛手だけれど、しかしこれまでの不幸の原因もまたソイツだったわけなので、プラスマイナスで考えれば差し引きややプラスだろう。


 問題はどうやってスタートラインに足を乗せるかだ。


 目黒めぐろ有亜ゆあは自分が割と身勝手な人間であるという自負があった。だから自らが幸せになるためならば他の誰をも足蹴に出来ると信じていた。


 正直なところ目黒めぐろは自分のためにだれかを犠牲にするのなんて簡単だと高を括っていた。


 それがいざ、蓋を開けてみれば殺すことが出来なかった。しかもその相手は今まで人生を散々滅茶苦茶にしてきた相手だったのにも関わらずだ。


 目代めじろ依乃よりのを殺せなかったという事実が目黒めぐろ有亜ゆあを惑わせる。


 彼女の目的が目的を達成するためには間違いなくあの場で目代めじろ依乃よりのを殺すことが最善だった。そしてあの瞬間の彼女自身もそれを理解できていた。だのに殺せなかった。


 だからきっと今のままではダメで、まともな倫理の壁を一つ越える必要があるのだろう。


 けれど、だけれど、そのまともな倫理の壁というモノを一度でも破ってしまったならば、きっと後戻りが出来なくなる。


 二者択一。


 どちらにせよ今まで通りの普通の幸せを望むというのはもう無理なのかもしれない。


 だとしたら――、

「負けて今までと未来の全てを失くすよりは、壊れたとしても勝ちたいわよね」


 もう全てをかなぐり捨てる覚悟を決める以外に道はないのかもしれない。


 目黒めぐろがそんな風に答えを出した直後に、ガサリと地面が擦れる音がした。


「やぁーっと人を見つけられたわぁ。あぁ、良かったぁ」


 目黒めぐろが吐き出した嘆息と、誰かのそんな声が夜闇に重なる。


 その声は風鈴のようにか細くて、妙によく通り妙に聞き心地が良かった。


 ひた、ひた、ひた、っと最初の地面を擦る音は何だったのか、と思うほどに静かに静かにその誰かは歩み寄ってくる。


 ソイツは黒い日除け帽子目深にかぶって白の長い髪が特徴的なワンピース姿の女だった。


 そう、彼女は不後取ふしどりみちるだった。


「こんな時間にこんなところで会うなんて随分と奇遇ね。もしかしてあなたも安全に夜を過ごせる場所を探している口かしら?」


 向かってくる相手に対して立ち上がって答える。


 相手側の意思次第ではあるが、一時休戦して夜を凌ぐのに手を組めるかもしれない。


「あらぁ、夜を過ごす……。その考えはなかったわぁ」


「へぇ、それなら一体何の用で声かけてきたのよ」


「えっ? 何って、そりゃ殺し合いでしょぉ?」


 けれど問いかけに対する返答は頭のネジがぶっ飛んでいるとしか思えないモノだった。


「……、正気?」


 この『ゲーム』と称される殺し合いにおいて必勝法があるとすればそれは相手に話しかけるようなことをせずにいきなり背後から近寄ってナイフでも突き立てることだろう。


 今この島にいる人間でいわゆる対人戦のプロフェッショナルの括りに入れられるような人材は存在していない。だから、基本的には誰も彼も隙だらけだ。


 故に本気の本気で勝ち残る気で相手を殺そうというのであれば、不意打ちを狙うというのがもっとも合理的な判断だ。


 であるにもかかわらず、不後取ふしどりみちるは用件を聞かれて平然と殺し合いと答えてきた。しかもその表情はゴミ出しの日の朝に近隣の住人と顔を合わせたときに軽く挨拶をしているときと何ら変わりない。


 いきなり殺し合いゲームです、なんて言われて巻き込まれて、「はい、そうなんですね、分かりました」と前向きになれるわけがないというのに、目の前の相手にはそういうまともさを一切感じられなかった。


 だから目黒めぐろ有亜ゆあには目の前に立っている不後取ふしどりみちるは狂人であるようにしか思えない。


「正気だろうと、正気じゃなかろうとどっちでもいいでしょう? だって殺し合って勝者になれば願い事が叶うんだもの。私は願いを叶えたい。だから殺し合いをするし、それを肯定する。不満?」


 言葉に筋は通っていて、破綻はない。論理的にはそれほど滅茶苦茶なことを言っているわけでもない。


 だからこそ空恐ろしい。


 論理的に状況を理解しているということはつまり、何もかもの問題を全部理解しているということだ。細かいルールの把握が出来ていない可能性を否定するつもりはないが、それでも概ねの問題点は理解できているはずだろうと考えられる。


 つまりは全て分かったうえで問題点そのものを肯定し、そして踏みつぶしていることになる。


 彼女の所作や態度言動からはそういう意識がなんとなく汲み取れる。汲み取れてしまう。


 よって目黒めぐろはもう「やるしかない」と半ば諦めのような形で覚悟を決めることを強いられていた。


 どうせ悩んでいたところで選択肢が増えることはない。


 であれば、自らの望みのためにただ前に進み続ける以外に道はない。


「いいさ。それでいい……。どうせ私の望みなんて自分勝手なモノなんだし。私は私のために戦って生き残る。それしかないのよ」


 何より心に迷いを抱えたままの状態でこんなネジの外れた相手とまともに相対するのは自殺行為と変わらない。


「アハっ!! やったっ!! うれしいわぁ!! じゃっ早速始めましょ?」


 不後取ふしどりの表情は微塵も曇りのない喜びで満ちていた。


「イカレ女め……」


 思わず、本当に思わずうっかり言葉が口をついでてしまう。


「悪口も殺し合いの華よね。でも、悪いお口は徹底的に塞がせて貰っちゃおうかなぁー?」


 一歩、力強く踏み込んできた不後取ふしどりの速力に目黒めぐろは度肝を抜かれる。


 見かけの線の細さからは想像も付かない力強さで文字通り一気に距離を詰められてしまった。


 大慌てで指で銃の形を作り出して引き金を引く。


 ドパンッ!! と水の礫が射出されて、不後取ふしどりの眉間の真ん中へと吸い寄せられていく。


 肝を冷やしたけれど、顔面にぶち当たれば一瞬怯むだろう。その隙にもう何発かド玉にぶち込んでやる。


 そんな算段を立てたその直後、グリンッと無茶苦茶な軌道を描いて不後取ふしどりの身体が僅かに沈み込んだ。


 当たるはずだった水のつぶてが黒い日除け帽子の真上をすり抜けていく。


 普段よりも深く沈みこんだ後の一歩はより伸びが良くなる。まるで手元で伸びが良くなる変化球のように。


「まずっ……!?」


 純粋にカウンターパンチを叩きこみに掛かった方が確実であるにもかかわらず目黒めぐろは慌てて指先で狙いを付けようとしてしまった。


 もし仮に目黒めぐろがステゴロでの喧嘩や殴り合いに慣れていたならば、自分が一発貰う代わりに相手の顔面に一発くれてやれていたかもしれない。


 そしてそうなっていたならば、眼前に拳が迫ってくるという圧によって、一撃の威力にはゆるみが生じたはずだ。


 だが――、

「ごはっ……!!」


 そんな有得たかもしれない可能性をぶち切って、放たれた掌底が腹部中央みぞおちの中心へとキレイに突き刺さった。

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