つけるべき決着


 自分と出会うよりも前から恩人のためにこんなことを計画していたというのであれば、今まで加成谷かなりやが見てきて信じてきた瑠璃斑るりまだらは一体何だったのか? 騙されていたのか、それともそういう意図はなかったのか?


 彼には何も分からなかった。


堂佶とうきつが何を勘違いしているのかは知らないけど、ボクが明確に悪意を持って騙したのはこの常夏島に呼ぶときだけだよ。それ以外は普通に本当のボクだった。そもそも別に人の世を恨んでこんなことをしているわけではないからね」


 いつもの、底抜けにやさしい先輩と何一つ変わらない口ぶりで答えが返ってくる。


 加成谷かなりやはそれを否定したかった。


 言葉の内容ではなく、その所作を、佇まいを、振る舞いを、否定したかった。


 瑠璃斑るりまだら遊馬ゆうまがこんな風にいつも通りの姿形で、異常な何かを成し遂げてしまえるような人物であるという、目の前の現実を否定したかった。


 でもそれは無理だ。


 どんなに頑張って頭の中で言い訳を考えてみたところで、目の前の現実は何も変わらない。いつも通りの優しい振る舞いを見せながら淡々と恐ろしい答え合わせをし続ける瑠璃斑るりまだらが立っている。


 逡巡。


 頭の中で狂気に笑う不後取ふしどりみちるの声がした。


"叶えたい願いがあるなら覚悟を決めろよ、そうした方が楽しいぞ"


 楽しいかどうかはともかくとして、瑠璃斑るりまだらは今までの加成谷かなりやとの関係に嘘はなかったと、そう言った。


 全部本当の自分だった、と。


「……、先輩、一個だけおかしなことを聞いてもいいすか?」


「一つと言わずいくらでも答えよう。どうせ数時間後には二人ともその命を散らすことになるわけだしね」


「殺し合わせる理由はそれで命を精練させるって話っすけど、それならどうして俺にはなんの"力"も与えなかったんすか? それにハシちゃんにだって、ゼロから実体を伴った水を時間をかけて生成出来るなんて"力"よりもっと戦うために使いやすい"力"を渡していた方が目的に合うはずっす」


「それは……、」


「俺は正直今でもまだよくわかってないっすよ。でも今まで俺と一緒にいた先輩が嘘じゃないっていうなら、迷いがないなんてこと、絶対にないはずっすから。だから……、だからっ!!」


「例え仮に堂佶とうきつの言うとおりだったとしても、もうこの儀式は止まらないよ。この島を出れるのは受肉したミサキさんと儀式の見届け人たるたった一人だけだからね」


 瑠璃斑るりまだらは小さく首を振って少しだけ寂しそうに笑った。


「生き残るのは、彼女さんと一人だけっすか……」


「そう。だから望みを叶えるなんて大層なことは言えないけど、最期に言いたいことがあるなら言ってくれていいよ」


「それなら先輩……、俺と一緒に死んでほしいっす」


 言葉と同時にカランと音を立ててサバイバルナイフが瑠璃斑るりまだらの足元に転がる。もちろんそれを投げたのは加成谷かなりやだ。そして当の加成谷かなりやの手にも一本鞘が外されたサバイバルナイフが握られている。


「あんた何言って……?」


「ずっと不思議に思ってたんすよ。話しているときの先輩はずっと他人事みたいで、まあ普段からそういうところがないとは言わないっすけど……、でもそれでも変だった。で、だから考えてたんすよ、先輩が俺をこの島に呼んだ理由を」


「それで導き出せた結論がこれってことか」


「っす。元々先輩自身が生き残って島を出るつもりがなかったのであれば、あの語りぶりにも納得出来るんすよ。それに俺に"力"を持たせなければ俺を殺すことに掲示されたルール上のうま味がなくなる。そうすれば、俺は最期の一人に近いところまで生き残りやすくなる」


「つまり丁度今この状況こそがボクが理想としていた状況だと」


「俺の考えではそうなるっすね」


「オーケー。それじゃあ試してみようか」


 瑠璃斑るりまだらは足もとに転がるサバイバルナイフを拾い上げ、前後からその刃を観察するようなしぐさを見せた後、手にした松明をザクッと地面に思い切り突き立て、ぎゅぅっと柄を両手で握り込んで正面に構える。


 その動作を見た加成谷かなりやもまた小さく息を吐きだして片手で真正面にナイフを構える。


「ちょっ……!? ちょっと、正気!? ダメよっ……!! 止めなさいっ……!!」


 二人のやり取りを大人しく聞いていた小鶴瓶こつるべが慌てて、制止の声を上げた。


 だけれど、

「ハシちゃん突然割り込んでくるとかは止めて欲しいっすよ。俺は先輩のためなら殺し殺されも許容するっすけど、だからといってハシちゃんのことを刺したくなんてないんっすから」


 返ってきたのはそんな言葉と取り繕ったような笑みだった。


「それじゃあ答え合わせをしようか、堂佶とうきつ


「いつでもいいっすよ」


 そしてお互いに短く息を吐きだすと、ダッと真正面に向かって駆けだす。


 小鶴瓶こつるべ波子はしは動けなかった。


 止めに入ったらあのナイフが腹部と背部に突き刺さるということが明確にイメージ出来てしまったから足が動かなかった。


 直前に加成谷かなりやの言葉がなければただ感情のままに飛び出していたに違いない。だけれど、飛び出す前に飛び出した後のことを確かなイメージとして頭の中に作り上げさせられてしまった。それ故に、動けなかった。


 そしてザクリと鈍い音が暗闇に響く。


「はっ、ははっ……。やっぱり思った通りじゃないっすか……、先輩……」


「そりゃ、そうだよ。ボクは確信犯で悪人になり切れるほど強くはないんだ……」


 向かい合った二人はお互いに軽く咳をしながらよろよろと後退りをして距離を開ける。


 お互いの腹部にはバッチリとナイフの柄が突き刺さっていて、だらだらと血が垂れていた。


 そして、ばたりと同時に仰向けに倒れる。


「カナリヤ君っ!?」


 事ここに至ってようやく小鶴瓶こつるべの足が動いた。動いてくれた。


 駆け寄って止血のためにナイフを引き抜こうとして、そして手が止まる。


 今このナイフ大きさの傷を塞ぐための用意がないのだ。


「なんでこんなバカなことしたのっ!!」


「先輩のやったことをちゃんと咎めて、ハシちゃんが生き残れる可能性が何かって、俺なりに考えたんすよ。その結果がこれ……。俺としちゃ上出来だと思うんすけどね……」


「それであんたが死んじゃったらダメじゃないっ!! バカっ……!! 本当に……、バカぁ……」


 すぐに止血が出来ない以上今小鶴瓶こつるべに出来ることは手を握って声をかけるくらいしかない。


「ははは……。俺、今、極楽鳥ごくらくちょうさんがなんて言って逝ったのか、なんとなく分かったすよ」


「しゃべるんじゃないわよ……、大人しくしてなさい」


「俺は……、ハシちゃんの幸せを願ってるっすよ」


 酷く重い、軽い咳を言葉に織り交ぜながら加成谷かなりやが無理をして作り笑いをして見せる。


「バカッ……、ばかぁ……」


 けれど、確実に体力はすり減り、鼓動は弱っていく。


 その時、石柱に納められているさざ波の秘宝がぼぅっと一際大きく輝いた。


 次の瞬間、七艶ななつやミサキが姿を現す。


遊馬ゆうま……、どうしてこんなことを……」


「ごめんね、ミサキさん。でもこれで儀式に必要な贄は足りる。彼女と一緒にこの島を出て、……あんまり人に不幸を振りまかないで幸せに暮らして欲しい」


「……、遊馬ゆうまが居らぬ人の世になどわらわは興味なぞないわ。おい娘、宝玉を破壊せよ」


「それでどうなるっていうのよ……」


「決まっておろう。集めた力と魂を注いで遊馬ゆうまの傷を治す」


「カナリヤ君は……?」


「……、宝玉を破壊したら集めた魂の力を長く留めておくことは出来ぬ。故にわらわが使う分の力以外は必然的に今残っている"力"の所有者に流れる。今のおんしにはあの女に渡していた"力"が流れているだろう? それをうまく使え」


 その言葉が本当に信用に足るモノなのか、小鶴瓶こつるべには分からなかった。


 分からなかったけれど、一縷の望みに掛けて従うほかないのだろうと、即座に確信してしまえた。


 時間はない。傷の深さから考えて、グズグズしていたら失血によるショック死という結果が待ち構えている。


「分かったわよ……。で、どうすれば壊せるわけ?」


「集めた力とわらわが蓄えた力をこのナイフに注ぐ。これを引き抜いて思い切り宝玉へと突き立てよ」


 七艶ななつやミサキが瑠璃斑るりまだらの腹に刺さっているサバイバルナイフを指さす。


「封印されてる当人の力で宝玉が壊せるの?」


「この封印における器の破壊は被封印者の死滅、絶命を意味しておる。今まで器が破壊されていなかったのは単にわらわが破壊される気がなかったというだけの話ぞ。破壊されぬように防御に回していたわらわの力を器を破壊する方向へ傾けたれば容易きことよ」


「……、時間がないんでしょう。早くして」


「こちらの準備は今しがた終わった。あとはおんしがナイフを引き抜いて宝玉を破壊するのみよ」


 小鶴瓶こつるべはどうして七艶ななつや自身がナイフを引き抜かないのかと、疑問に思うが同時に何かの事情で引き抜けないのだろうと勝手に一人で納得して、倒れる瑠璃斑るりまだらの腹部に突き刺さっているサバイバルナイフへと手を伸ばす。


 気後れがないわけではない。


 だけれど、躊躇ったら躊躇っただけ二人の身体からは血液が失われていく。


 それは死に近づいていくということ。


 いや、もうほとんど眼前まで迫っていると言ってもいい。


 そのギリギリの瀬戸際で何とか引っ張り戻せる可能性があるのなら、四の五のと言い訳を並べるよりも一旦感情は感情として抱えたままで行動した方が絶対に良い。


 だから、小鶴瓶こつるべは気後れを抱えたまま、深々と傷口に突き刺さっているナイフの柄を強く握る。


「う゛ぅ……っ」


 僅かに柄に残った温かさが手のひらに伝わるのと同時に、瑠璃斑るりまだらが痛みによって小さく呻いた。


 今だって痛いのに、ここからナイフを引き抜いたならばきっとさらに大きな痛みが彼のことを襲うのだろう。


「……っ!! ごめんなさいっ!!」


 それはきっと小鶴瓶こつるべが想像してしまったモノよりももっとずっと深く大きく熱くそして派手な痛みだろう。


 それでもぐぃっと力を込めて刺さったナイフを思い切り引っ張り上げる。


 ビャッ!! と返り血が噴きあがった。


「うわっ!?」


 刺さったナイフによってせき止められていた血が枷を外され瞬間的に派手に噴いた。


 それに驚いた小鶴瓶こつるべは返り血をまともに浴びつつ思わずよろけ尻餅をついてしまう。


「何をしておる娘……!! そんな暇があるならさっさとしろっ!!」


「分かってるわよっ!!」


 同時に返り血を浴びていてもおかしくないだろう七艶ななつやミサキが、だのに一滴の血もつけぬままで叱責してきた。


 一つ睨み返して立ち上がり、たたたっとさざ波の秘宝の前に立つ。


 そしてナイフを掴んだ手を大きく振り上げ、その切っ先を叩きつけるように振り下ろす。


 バギンッ!! と派手な音が鳴り響く。


 淡く輝いていたさざ波の秘宝は呆気なくも砕け散り、すっと瞬く間にその輝きを弱めていく。


 同時に七艶ななつやミサキがしゃがみ込み、瑠璃斑るりまだらの腹部へ淡く輝く両手を当てる。


 当の七艶ななつやミサキは足の先からゆっくりとその姿を溶かし始めていた。


 その溶けゆく速度は早いとも遅いとも言い難いモノがあるが、半身が消えるまでの時間はおおよそ二から三分程度程度だろう。腕の先をギリギリまで維持したとしても残された時間は一〇分もない。


「ミサキさん……、どうして……?」


「先ほども言うた。わらわはそもそも世俗に対してもう何の感慨も持たぬ。遊馬ゆうま、お主の居らぬ世界でわらわだけが自由になったところで、もうそこに幸せなぞない」


「……、ボクはミサキさんに生きて欲しい……」


「だとしてもわらわは遊馬ゆうまの死なぞ認められぬ。生きるのはお前さまだ。もう何をしても手遅れなのだと、受け入れよ」


 瑠璃斑るりまだらの伸ばした手が七艶ななつやミサキの頬へと触れて、軽く撫でる。


「最期にお前さまと触れあえたこと、嬉しく思うぞ」


「ボクもだよ……」




 カランッと血にまみれたナイフが洞窟の地面を転がって音を立てた。


 弾かれたように小鶴瓶こつるべ加成谷かなりやの元へと駆けつける。


「今助けるから……、絶対に死ぬんじゃないわよ……!!」


 奥歯を噛みしめるように宣言した小鶴瓶こつるべは意を決して今度は加成谷かなりやの腹部に突き刺さったナイフへ手を伸ばして、掴み、傷口近くに軽く手を添えて一気に引き抜く。


 今度は返り血は吹き出なかった。


 それどころか、倒れる加成谷かなりやの下に広がる血だまりの広がる速度が徐々に徐々に落ちていく。


 極楽鳥ごくらくちょう不後取ふしどりの絶命は奇跡的に寸分違わぬ同時だった。


 故に行き場を失くした極楽鳥ごくらくちょうの"力"は肉体との接触者である小鶴瓶こつるべ波子はしへと移譲されている。


 その力を使って、傷口から流れ出る血液の方向性、指向性を操作しこれ以上の失血を押さえにかかったのだ。


 だけれど、いやだとしても既に失った分の血が戻ってくるわけではない。


 腹部に空いた刺し痕から生じる痛みがなくなるわけでもない。


「……、許さないんだから……!! アンタまで死ぬのは絶対に許さないんだから……!!」


 それでも小鶴瓶こつるべは命を繋ぐために極楽鳥ごくらくちょうから最期に手渡された"力"を懸命に使う。


 最期の戦いのとき極楽鳥ごくらくちょう自身は不後取ふしどりの攻撃を一度も喰らっていなかった。


 だから死因は恐らく身体に馴染みのない不可解な"力"の使い過ぎによる肉体への過負荷によるモノなのだろう。 


 この"力"を維持し続けられる肉体的限界がいつ来るのか、そもそも七艶ななつやミサキが完全に消え去った後どれほど維持されてくれるモノなのか、判然としないことばかりだ。だけれどそれでもやるしかない。


 そうしなければ加成谷かなりや堂佶とうきつの死を覆すことが出来ないのだから。


 これ以上はもう嫌だった。


 もうこれ以上目の前で人が死んでいくのを見ているだけなのは嫌だった。


 だから続ける。


 ただひたすらに加成谷かなりや堂佶とうきつの命を繋ぎとめるためだけに……。

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