分かっていたことだけれど、話し合いの余地はないらしい


 そんな言葉と共に川の水が逆流するように立ち昇って、不後取ふしどりの体側面を激しく叩いた。


 柳のように華奢な身体が易々と水流に飲み込まれ、波に揺られる浮きのように流れのままに押し流されていき、ドガンッと近くの樹木の幹へと叩きつけられた。


 下流からゆっくりと人影が昇ってくる。


 見知った金髪のダイナマイトドスケベボディの持ち主、極楽鳥ごくらくちょうエマが肩で息をしながら、背中からぎゅるぎゅる回る水流を携えて昇ってくる。


極楽鳥ごくらくちょうさんっ!!」


「遅いわよっ!! バカっ!!」


「はぁーい。二人とも無事でよかったわ。それに愛しの先輩さんとも合流できたみたいね」


 別れたときと比べると短期間で随分やつれた感があるが、それでも見紛う事なき極楽鳥ごくらくちょうエマその人だった。


「痛たたた……。あぁ、あなた生きてたのねっ!! 嬉しくなっちゃうわぁ!!」


 激突した樹にそのまま身体を預けるように立ち上がった不後取ふしどりみちるは、頭を軽く振りつつ極楽鳥ごくらくちょうエマのことを視認して、狂気的な笑みを浮かべる。


「お姉さんはあなたと再会するのはあんまりうれしくないわね」


「つれないこと言わないでよ。私、やっぱり一番最期はあなたと戦って決着を勝ち取りたかったんだものっ!!」


 どうやら不後取ふしどりは初日の会敵でまんまと逃げられたことを今の今まで根に持っていたらしい。


「お姉さんにはあなたを殺す気はないわ。ただ全力であなたの行動を阻止するだけ」


「く、くふふふぅっ……。あくまで殺し合いをする気がないって言い張るのなら、仕方ないわね。あなたの心を掻きむしれそうなこと言っちゃおっか?」


 口の中に入り込んだ水をケホケホと吐き出しながら不後取ふしどりが不気味なほどに口角を持ち上げ、


「あなたが今ここで私の命を取らなかったとしても、七か月もすれば私の心臓は確実に止まるわよぉ?」


 両手を広げてそう言った。


 そこに諦めの色はなく、恐怖も怯えも、哀しみも絶望もなく、ただ淡とした事実を言葉にしただけという様相。


 その飾り気のなさが言葉の生っぽさを逆に増幅させていた。


「……、なるほどね。じゃああなたの願いは『生きたい』ということなのね?」


「そうよぉ。私は生きたいの。あなたには本気で阻止できるかしらぁ? 余命半年の私が未来を生きるために人を殺してでも生き残ろうとすることをっ!!」


 切なる願い、生の感情。


 不後取ふしどりの側が退く気がないのであれば、もう正面から戦い合うしか道はない。


 そして今この場で彼女のことを邪魔するということは、つまり彼女の未来を奪うということに他ならないのだ。


 極楽鳥ごくらくちょうは思わず舌打ちをしてしまった。


 キレイごとを何とか押し通そうともがいているのに次から次へと自分の手を汚して進めと何かが迫って来ている。そんな風に思えてしまって仕方がない。


 もちろんそんなのは錯覚でしかないということは、重々承知している。


 しかし、だからといって簡単には割り切れない。


 残酷な二者択一だ。


「お姉さんにはどっちの命が大事なのか、大切なのか、価値があるのか、生かすべきなのか……。そんなことは分からないわ。分からないけど、だからといって、目の前で毟り取られそうな子たちを見捨てることだって出来やしないのよ……!! あなたの抱えていることなんて何にも、何一つだって知らないし、分からない。お姉さんとは違うモノを抱えて、違う絶望に飲み込まれて、それでここにいるんだと思う。だから……、そうね、せめてこの戦いが終わったらあなたの命が終わるまでの間、お姉さんがそばにいてあげるわ。それじゃダメかしら?」


 どちらか片方を簡単に切り捨てられるような人間性であるならば、極楽鳥ごくらくちょうはここまで加成谷かなりや小鶴瓶こつるべを守りながら一緒には居なかっただろう。


 いや、むしろそれが出来ないからこそ、今彼女はこの場に立っている。


 不後取ふしどりみちると対峙している。


「無理。無理、無理、無理、無理よっ!! ムリムリっ!! 私はそんなことでは満たされないっ!! そんな、安い憐憫では、満たされないっ!! あなたが自分の人生を苦しみながら歩んだように、私だって今からもっとずっと命の重みを感じて生きて生きたいのよっ!! 分かったでしょう!? あなたと私じゃ、平行線なのっ!! 戦うしかないのよっ!! 意地を願いを押し通すためには、どっちかが死ぬしかないっ!! もういい加減に分かっているのでしょう?!」


 自らの手を、心を、ボロボロにしてでも他の誰かの幸せを願わずにはいられない極楽鳥ごくらくちょうエマという人間にとって、自らの願いのためならば他の全てを犠牲にしてしまえる不後取ふしどりみちるは天敵と言える。


 何せ、不後取ふしどりの幸せを願うことは不後取ふしどり以外の人間の不幸を許容するということに繋がってしまう。


 最大幸福の矛盾。


 どれだけ多くの人間に幸せが分配されるシステムが出来上がったとしても、物理的な幸せが無限ではない以上、競合に破れたモノに望む幸せが訪れることはない。


 だから選ぶしかない。


 残酷だとしても、傲慢だとしても、どの幸せを尊重するのかを、自らの手で選ぶしかない。


 そしてそれをしろと、不後取ふしどりみちる極楽鳥ごくらくちょうエマへと迫っている。


 分かり切っている答えから結論から、逃げ出すなと迫っている。


 そう、極楽鳥ごくらくちょうエマはたった一人だけの幸せのために他の全てを犠牲にすることを許容できるはずがない。


 それが分かっているからこそ不後取ふしどりみちるは、極楽鳥ごくらくちょうエマに今すぐに結論を出せと迫っている。


「あなたがどうしてそうまでして望むのかは分からない。分からないけれど、でもそう望むのであれば……。分かったわ、お姉さんが引導を渡してあげる」


 諦めるように静かに息を吐き出して、極楽鳥ごくらくちょうエマはそう言った。


 それは今まで徹底的に忌避していた戦うことを、殺し合うことを肯定してしまう悪魔の言葉。


 目の前にいる相手から先の幸せをはく奪するという意思がなければ紡げない言葉。


 主義主張を曲げてでも今この場でどうにかしておかねばならない相手と認めてしまった故の言葉。


極楽鳥ごくらくちょうさん……!! それでいいのかよ? 本当に、それで……、いいのかよ?」


「アハッハハハッハハッ!! そうっ!! それで良いっ!! そう来なくっちゃ楽しくないっ!!」


 正反対の二つのリアクションが重なった。


 一つは加成谷かなりや堂佶とうきつのモノで、もう一つはもちんろん不後取ふしどりみちるのモノだ。


 極楽鳥ごくらくちょうの表情に寂し気な笑みが乗る。


「本当はね、お姉さんもずっとずっと気が付いてはいたのよ。キレイごとにも押し通せるモノと押し通せないモノが確かに存在しているって。そして、お姉さんが望む道の先にはきっと押し通せないキレイごとが沢山ある。それはきっと不可分で不可逆なの。でも、必ず選ばなくっちゃいけない。心配しなくってもいいのよ、どうせいずれどこかでぶつかっていた問題にたった今ぶつかったというだけなんだから」


 加成谷かなりやからの言葉に答えているようで、その実自分に言い聞かせている。


 利害の対立。

 エゴの押し付け合い。


 多分これが極楽鳥ごくらくちょう一人だけの命で済むのであれば、彼女はきっと諦めていただろう。


 諦めて、自分の願いを一方的に相手に背負わせて、不後取ふしどりを生かすために命を捨てていた。


 けれど、極楽鳥ごくらくちょうは弱っている小鶴瓶こつるべを放っておけなかったし、戦う意思を持たずただ尊敬する先輩を案じて探す加成谷かなりやの力になることを選んでいる。


 自分が諦めるということは、彼らの命も諦めるということとほとんど同義だ。


 手助けすると決めたことを投げだして、命を捨てさせるなんてことは彼女には出来ない。


 故に折衷案も妥協案も落としどころもなにもない。


 であれば自分か相手かどちらかの心か身体かが折れるまで徹底的にやり合う以外の道はない。


「巻き添えにしたくないから、あなたたちは少し離れていてね」


 疲れた笑みと共に極楽鳥ごくらくちょうは拳を握って腰を落とす。


 それが開戦の合図だった。

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