訓練と実験
「賢君、その服は妖精隊の新型インナーにも使われている繊維で編んだものよ。通常の服と差して変わらないでしょう?」
高野美世は袴田賢に尋ねた。
「はい、とても動きやすいです」
高野美世、袴田賢、及び数名の研究員は研究所の訓練室にいた。妖精は通常空間からわずかに離れた空間に『跳躍』することで通常空間では不可能な能力を得る。その際に妖精は自らの体は保護できるが衣服までは保護できないため、衣服が傷んでしまう。妖精の表皮に流れる波動をよく浸透させる素材を繊維に練り込むことで、異空間でも痛みにくくしてあるのだ。これまではどうしても動きづらくなってしまっていたが、新開発されたそれは通常の衣服とさして変わらなかった。
「それじゃ研究員の皆んなは退避して」
美世はこの場の研究員に退避を指示した。美世以下研究員は強化ガラスの向こう側へと退避する。この部屋は訓練室よりも一段高くなっていて、訓練室を上から見渡すことができる構造だ。
「じゃあ、賢君。こないだやったように『跳躍』して。勿論、無重力状態には気をつけてね。『羽根』でちゃんと自分の姿勢を調整するのよ」
美世がマイクを使って賢に指示する。
「はい、わかりました。やって見ます」
強化ガラスの向こう側で賢が答える。『跳躍』によって通常空間からわずかに軸をずらすことで、重力がほとんど伝わらなくなり無重力状態に近くなるため、妖精は空を『飛ぶ』ことができるのだ。
賢は言われた通り、『跳躍』してみた。本当に感覚的に空に舞い上がろうとする感じだ。
その瞬間、パーーンという破裂音がした。インナーが粉々に飛び散ったのだ。賢を保護するインナーは弾け飛び、彼は生まれたままの姿になった。
「嫌ぁああああーーーーー!」
賢の大事な部分をモロに見てしまった若い女性研究員が悲鳴を上げた。その声をモニタスピカー越しに聞いた賢は、自分に起きた不幸な出来事をようやく理解した。
「わああああああ!」
2人が悲鳴をあげる中、主任研究員の美世は冷静に、沈着に、賢のそれを見てこう論評した。
「まあ、かわいい♡」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ごめんね、賢君。予想よりも賢君の力が強くてインナーが耐えられなかったみたい。ちょっと動きにくいけどこの厚手のを着ててね」
賢は渡されたインナーを更衣室にて着用して再度訓練室に戻ってきた。美世の言うように厚くて動き辛い。ガラス越しに美世と先ほど悲鳴を上げた若い女性研究員が 再実験の準備を行なっていた。女性研究員はちらっと賢を見るが、すぐに恥ずかしそうに目を背けてしまう。そんなことをされると自分も恥ずかしくなってしまからやめてほしいと賢は思うのだった。
「さあ、気を取り直して実験を再開しましょ。じゃあ賢君。もう一度同じように『跳躍』してみて」
「はい、わかりました」
賢はぐっと力を込め再度『跳躍』を試みる。直後体が熱くなり視界が霞む。賢は既に何度も『跳躍』を行なってはいたが、直後の気持ちの悪さにはまだ慣れそうにない、と思った。
「体に働く重力が弱くなるわ。バランスを崩さないよう気をつけてね」
フワッと賢の体は軽くなる。背中に出現した4枚の羽で、バランスを取る。ところで、ピチッとしたインナーを着ていて羽など通る隙間はないはずなのだが、なぜ背中に羽が生えるのかは自分でも謎だ。
「それじゃ、賢君。10メートルほど先にマトが見えるでしょ。手かざしてそれを『撃って』みて」
美世に言われたが、意味がわからず
「え?撃つって?どうやるんですか?」
「わたしは妖精じゃないから感覚はわからないのだけど、祥子ちゃんは『波動拳を撃つ感じ』って言っていたわ。別に動作を真似することはないけどそんな気持ちで」
「波動拳って…遠い昔そんなゲームがあったけどさ」
流石にあの格好をここでやるのは恥ずかしいので、片手だけを突き出してマトに何かを当てようとした。特撮映画でもアニメでもないんだからそんな気弾みたいのが出るハズがないと思ったが、目に見えない『何か』が明らかに掌から発射された。その直後、
ぼーーん!
と音がして、マトが爆発した。マトどころかマトを固定していた台や周辺の機器類までも破壊してしまった。
試験室内の火災報知器がけたたましく鳴り、スプリンクラーが作動して部屋内は大変なことになった。
「うわーー! あ、え、すいません美世さん!大事な備品類を破壊してしまいました!」
「え?い、いいのよ、賢君!!賢君のせいじゃないからね! 落ち着いて!危ないから急いで一旦退避してて!『跳躍』しているから煙の影響はほとんど受けないはずだけど。慌てて『跳躍』を解除しちゃだめよ!!通常空間に戻ると煙をモロに吸っちゃうわよ!」
この事態に動揺しいてた美世だったが、なんとか取り繕って賢を落ち着かせるために冷静なふりをする。
幸い火災はすぐおさまったものの、賢は駆けつけた警備隊員に連れられて安全な場所に隔離された。
研究所の警備隊長が美世のいた部屋に駆けつけて、美世に問うた。
「高野主任!これは一体!?」
「え…、そ、そう、実験機器が爆発して、操作ミスだわ、ちょっと無理に感度を上げようとしたから」
美世は、口から出まかせを吐いた。
「そうですか。規則により事情は警備室で伺いますので、よろしいですか?」
「え、ええ…」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
始末書と報告書をしこたま書かされ、疲れ果てた美世が、所長室に入ってきた。
「はは、ちょっと派手にやってしまったみたいだね」
「ここの警備隊長さんしつこいわ」
「ここの警備隊は、松本さんの一派をあまり快く思ってないみたいだからねぇ。君もその一派だと思われてるから追及もきつくはなるでしょうよ」
「私、別に彼の一派じゃありません。仕事だから命令を聞いてるだけで…」
「そんな言い分、聞いてもらえるわけないだろう?松本さんの部署は公安警察出身なだけでなく自衛隊に睨みを効かせてるからね。そりゃ嫌われもするさ」
「まったく、そんな自衛隊のおじさん達の事情なんて知ったことじゃないわ。私はここで研究をしたいだけよ」
「まあまあ。ここで管を巻いてもねぇ。ところで報告書読んだけど、これ嘘でしょ」
「さすが所長さんね。その通りよ。予め偽のデータは用意してたから。所長なら調査なんてどうとでもできるでしょ」
「全く。私を共犯にしようというわけだね。山下群司令には伝えておくよ」
「わかったわ。こちらは松本警視正に報告したけど」
「そういう約束だ。問題ない。で、本当のデータはどんなだったんだ?」
「これをみて」そういうと美世は壁のモニターをオンにし、手元の携帯端末と接続し映像を映した。
「賢君がエネルギー弾を発射した時の異空間データよ。凄まじいエネルギーだわ。もし近くに妖魔がいたら、一掃されてたはずよ。ほとんど異空間にエネルギーが逃げてしまっているから実験室はボヤ程度程度で済んだけど、もし通常空間に向けられていたらこの辺り一帯は火の海だったでしょうね」
「これは…。想像以上だね。でも、彼はそのエネルギーを通常空間に限定できるのかな?」
「それはわからないけど、今回通常空間方向の出力は、最初の0.1秒程度だわ。賢君が無意識に異空間方向にエネルギーを逃したとも考えられる」
「うむ。異空間方向とは言え大きなエネルギーの放出があったわけだけど、この研究室以外に観測できた者はいただろうか?」
「絶対にいないとは言えないけど、遠くからじゃ難しいでしょうね。でもこっちは防諜のプロの集団よ。情報が漏れた場合の対策だって考えれらているから心配しないで」
「その辺は君たちに任すよ。しかし、予想はしてたけど、本当にこんな力が出せるなんて…。これじゃ通常兵器、いや核兵器ですら妖精には意味のない兵器になってしまうかもだね」
「それも通常の妖魔を遥かに凌ぐ能力だわ。このことが知れ渡ったら世界中大騒ぎよ。だから先生」
「なんだい?」
「念の為、先生に護衛をつけるわ。まだこのことを知っているのはごく少数の人間のはずだけど、もう既に察知されてると先生の身に危険が及ぶ可能性があるから。私は賢君だけで手一杯なのよね。護衛の1人はすごい美人の子よ」
「それは楽しみだね!」
「でも先生、美人だからって手を出しちゃダメよ。あの子、警察官の彼氏がいるし、彼女自身も相当腕が立つから。大体、先生は常に公安のエージェントにも四六時中監視されてるしね」
「それは夢のない話だね…」
「うふふ。これからは護衛の許可なく誰かに連絡しちゃダメよ。盗聴されてるかもしれないし。それじゃ先生、よろしくね」
そう言うと、美世は所長室から退出した。
南条所長は手を振りながら彼女を見送ると、ぼそっと独り言を言うのだった。
「全く彼女も、よくやるよ」
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