とりあえずのエピローグ

袴田賢は入院を余儀なくされていた。美世さん曰く、本来なら意識不明の重体になってもおかしくないダメージを受けているのだという。妖精の力によって事なきを得ているが、不意に妖精の力が一瞬でも弱まってしまうとたちまち死に至るかも知れないと言われている。賢はICUも同然の病室に入れられ複数の点滴に尿道カテーテルまで挿入されベットから動けない。流石に人工呼吸器は勘弁してもらえたが、体力的には問題ないはずなのに身動きできなくて辛い。


賢は病室で美世や陽子などから今回の被害について聞いていた。第1妖精隊群の基地の近隣にある稲ヶ原地区は土石流によって全滅に近い損害を被っていた。死者・行方不明者669人、全壊半壊合わせて4500戸以上、現在でも救助活動が続いていて、死者数はさらに増えることが予想されているという。


そんな大災害を引き起こしたのは、イザベラと名乗り、女王を自称する若い女。この華奢な女が重力場を地上に作り出したために大災害が起こったのだ。人の命などなんとも思っていない人物。そこに住んでいた人々には虫ケラどころか大腸菌ほどの価値もないとでも言うのだろうか?賢は強い憤りを覚えていた。そしてベットの上で動けず何もできない無力な自分にも。


「おにーーーーちゃん!」


賢が悶々としていたところに、妹の祥子が病室に入ってきた。


「病院食じゃ気が滅入るでしょ?果物持ってきたよ!食べて食べて!」


「看護師さんに見つかると怒られちゃうよ。ここの看護師さん容赦ないんだ」


「いいの、いいの。お兄ちゃんなら大丈夫だよ。お兄ちゃんイケメンだから看護師さんも許してくれるよ!」


「一体どういう理屈だい、しょーこ」


後ろから声がした。振り向くと病院着姿の南りかだった。りかは高野邸で倒れ、この妖精研究所附属病院に担ぎ込まれていた。命には別条はなかったが、妖精としての機能に変調が見られたため精密検査を受けていたのだった。


「あんた、動き回って大丈夫なの、りか?」


「もうピンピンしてるよ。検査で退院が遅れただけだよ。そこのお兄さんとは重症度が違うのさ」


「俺も入院は必要ないんだが…」


「賢さんは内臓がぐちゃぐちゃで重要な血管も破損しててなんで生きてるかわからない状態って聞いたよ。観念して寝てるんだね」


「え、そうなの?果物食べられないね。ま、無茶した罰よ、暫く安静にしてなさい、お兄ちゃん」


「時に、しょーこ。妖精隊の皆んなは女王を名乗る個体に強制的に跪かされたんだって?」


「そうよ。あたし達はあの女の意思に逆らえなかったの。跪くしかなかったわ。もしあいつに人を殺せと命じられたら逆らえなかったでしょうね。ある意味、運が良かったわ」


「でも、しょーこだけその女王の呪縛ってやつから抜け出したんだって?」


「突然、変な声が頭の中に響いて、そいつの力で呪縛を抜け出したわ。その女の名前は…、えっと、そう、ニナって名乗ってたわ」


「俺も祥子と一緒に聞いた。ニナは自ら『女神』を名乗り、俺のことを『王様』と呼んでいた」


「『女神』って名乗ってるわりには口が悪いというか、ガサツというか…。でも、そのニナって子に助けられてなんとかお兄ちゃんを助け出したわ」


「ニナは自分がどこにいるのかわからないとも言っていた。本体はどこかで眠っていると。手がかりはすでにあるはずだと」


「自分の居場所すらわからない?別の場所から君達を支援してたってのかい?とどのつまり、助けに来いって言ってるみたいだね。手がかりがあるとすれば…南條先生なら何か知ってるのかな?」


「心当たりはあるって言ってたわ。でも…」


「でも?」


「危険すぎて今は立ち入り禁止の場所みたいよ。過去に何人も入って誰1人戻ってきた者はいないとか」


「それは本当に危険な場所だね。月並みな発想だけど…『王様』である賢さんが鍵になるじゃないのかい?」


「そうかも知れない。いずれにせよ俺は行くよ。ニナと合流すれば、きっと俺たちの力になってくれるはずだ」


「ま、賢さんは暫く動けないし、自衛隊は絶賛混乱中だし。事が動き出すには少し時間がかかりそうだよ」


「そんな危険な場所の調査の許可なんてそう簡単には出ないでしょうし…兎に角、お兄ちゃんはベットでゆっくりしてなさい」


「そうそう。美少女空尉2人に何度も釘を刺されちゃ寝てるしかないね。準備は僕らでやっておくからさ」


賢はただただ苦笑するしかなかった。とはいえ必ずニナを救出し、妖魔に対抗できる力を得たい。『王様』であるはずなのに、女王の分身に過ぎないジークフリートは手加減をしていたし、突然乱入してきたあの巨人の妖魔には手も足も出なかった。ニナに出会えればもっと力を引き出せる、そんな気がした。あれこれ思案に耽っていたとき、不意にりかが喋った。


「ところで、しょーこ」


彼女の口元はイタズラっぽく歪んでいた。


「藍から聞いたんだけどお、女王の呪縛から逃れるときに何か叫んだそうじゃないか。なんでも、お兄ちゃんをオカズにしてなんちゃらとか。一体なんと言ったのかそこんとこkwsk」


「あ“ーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


祥子は大声をあげてりかの発言を遮ろうとしたが遅かった。兄に聞かれてしまった。


「祥子!また大声を上げて!おかずって何だい?祥子は昔から好き嫌いが激しいから兄としては心配だよ」


りかは胸に手を当て片足を下げて騎士っぽい礼をしながら、


「朴念仁王に謹んで申し上げます。オカズってそういう意味ぢゃなくてぇ、ひとりえ、むぐぐぐ」


祥子は、実力行使に出た。りかの口を後ろから手で塞いだのだった。


「その先は言っちゃダメ!!」


「むぐぐぐ、離したまえ!君も大概なんだよ。無茶した罰を君も受けたまえ。この変態しょーこは!むぐぐぐぐ」


「いやよ!私はお兄ちゃんの前では清楚な女の子なの!」


「君のどこが清楚なんだい、むぐぐ」


2人は狭い病室で揉み合う。流石の賢も注意せざろうえなかった。


「危ないぞ、2人とも」


しかし、その注意も虚しく、賢のバイタル監視モニタに2人は当たってしまった。心電図や酸素飽和度などを表示しているモニタが衝撃のせいで異常を来たし、けたたましく警報音を鳴らす。


その警報音を聞いて賢の身に何かがあったのかと看護師や医師達が病室に慌てて雪崩れ込んできた。


が、賢の身に何もないことと、警報の原因は物理的な衝撃により装置の自己診断機能が一時的に測定困難であると判定を下したためと分かり、一同は安堵し去っていった。看護師長を除いて。


そして、残った看護師長にこっ酷く叱られる1等空尉と2等空尉を、苦笑しながら見守る、袴田賢(1等陸士)なのであった。


この騒がしい2人を今度こそ守ってみせると誓いながら。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


第1妖精隊群司令部と第1妖精隊が駐屯する基地に程近い街の夕暮れ時、狭い路地に2人は、いた。


1人は金髪の、そう、天使のような、いや、天使そのものの幼い美少年。


もう一人はサングラスを掛け、黒のスーツを着こなした長身の白人男性。


そのスーツの男は少年に対して跪いていた。


「ぼっちゃま、どうかご下命を」


スーツの男は少年を『ぼっちゃま』と呼んだ。


そう呼ばれた少年は、男に美しい微笑みを返した。美しいが、どこか邪悪だ。きっと、人間への憎しみが極まった者にしかできないであろう微笑を、少年はしていた。


その少年の名は、エティエンヌ。嘗て、少年十字軍のリーダーとして悲惨な結末を遂げた者の名で——


<第一巻終了>

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