妖精科学研究所にて
山下大輔53歳。航空自衛隊の空将補にして、航空自衛隊に属する全妖精部隊の総責任者たる「第1妖精隊群司令」の職についている。第1妖精隊司令たる袴田陽子2等空佐の直属の上官だ。「第1妖精隊群」は袴田陽子率いる「第1妖精隊」を含む上級部隊だが、自衛隊をよく知らない普通の人からは聞き慣れない名称のためか「第1妖精隊」司令とか、「第1妖精『軍』司令」などと間違えらることはしばしばだ。いちいち訂正するのも面倒なので、特に支障がない限り、あまりうるさいことは言わないようにしている。
なお、「第1」妖精隊群とあるが、第2以下はまだ存在しない。創設したくても妖精虫の適合者はそう簡単には増えないし、志願者自体も年々減って来ている。妖精隊群を「妖精団」に格上げする計画も存在するが、今のところ実現の目処は立っていない。
山下群司令は、日本の妖精研究の要である妖精科学研究所にお付きの士官、即ち副官と共に足早に向かっていた。なんでも、研究中の新しい装備のお披露目があるらしい。それとそこの研究所長と内々の打ち合わせがあった。
本省での会議が長引いたため、お披露目の開始時間はもう過ぎていた。それでも彼女たちを守る装備を見ておきたいという強い気持ちがあり、なんとか時間を作って研究所に駆けつけていた。
今日本は、いや世界は、年端も行かない少女たちにその命運を託している。『妖魔』と呼ばれる化け物が世界を襲うようになってからはや二十年。奴らには物理攻撃というものが全く通用しない。通用するのは、十年以上前に開発された『妖精』だけだ。妖精は、『妖精虫』と呼ばれる生物を人工的に寄生させた少女のことである。『妖精虫』は、適合した少女にしか寄生しない。成人、特に男性には一切適合しないのだ。妖精となった少女は、3次元空間からわずかに『飛び立ち』、妖魔のいる座標軸と一致させることができるので攻撃が可能となる。逆に座標軸が一致しない通常の兵器ではたとえ核兵器であっても全く攻撃が通用しないのだ。ただ、妖魔と違い、妖精は通常空間にある物体へダメージを与えることはできない。通常の兵器としては全く役に立たず、対妖魔専用の存在だった。
兎も角、妖精の出現のおかげで妖魔はそう簡単には人間に手を出せなくなり、被害は無くならないものの、なんとか世界の安寧は保たれている。とはいえ、年頃の少女たちを、この世で最も危険な場所に送らなけれなならない自分達を本当に不甲斐なく思う。
山下群司令にも丁度彼女たちと同じぐらいの娘がいるが、適合検査では全く箸にも棒にもかからなかった。人様の娘を預かる身としては、せめて装備だけでも向上させて、除隊まで傷ひとつなく親元に帰したかった。
そんな気持ちで、山下群司令の副官が開けた装備試験場の扉をくぐった時、真っ先に女の子たちの黄色い嬌声が耳に飛び込んできた。
「先輩!可愛いーー!」
「たまんない、抱きしめたい!!」
などとキャーキャーいう声が聞こえる。見ると、装備試験というよりは、なんというか、アイドルというか、魔法少女のような格好をした隊員たちのイベントショーだった。
しばしの沈黙の後、山下群司令は副官に訪ねた。
「山田くん、これはどういうことかね?装備試験ではなさそうだが」
訝しる群司令にしどろもどろになりながら「山田くん」と呼ばれた副官が答えた。副官は、通常若い士官がつく事が多く、山田くんもまだ若手だ。
「いえ、その、確か、この部屋で間違いはないはずですが」
そこに割って入る声があった。
「ここで間違いありませんよ、群司令。確かに今、装備試験中です」
その声の元に振り向くと、そこにはこの研究所の所長、南条俊彦が壁に寄りかかりつつ、腕を組んで立っていた。
「南条先生!?これは一体?」
「あ、いや、本当に装備試験中なんですよ、アイドルショーみたいですがね」
第1中隊長兼第1小隊長の荒川祥子と第2小隊長の南りかが、アイドル衣装のような装備で、2人で乱取りらしき動作を行なっている。彼女達は、妖精の力を使い、通常空間からわずかに離れた空間で乱取りをしていた。どうやら、装備の耐久試験と衝撃の吸収試験も兼ねているようだった。
「今彼女たちは我々とは異なる空間で戦闘訓練を行なっています。その空間では、ここでの物理法則は通用しない。分厚いプロテクタなど意味がないことがわかったのです。今彼女たちが装着しているものの繊維には、その空間で防御率を向上させる物質を練り込んでいます。通常の空間では全く意味を成しませんがね。それに従来のプロテクターは動きづらいとか可愛くないとか彼女達からの評判が悪くてねぇ。それで、今回の装備を開発しました」
「がしかし、先生、これはどうかと…」
「確かに自衛隊としてはこれはふさわしくないのかも知れません。しかし、近年妖精隊入隊の志願率が下がり続けています。アイドル的要素も必要だと思いますよ」
渋い顔をする群司令を見てさらに続けた。
「いや、わかっていますよ、こんな欺瞞。可愛い服で釣って、戦場に送り込む異常さをね。しかし、そんなことも言っていられない事情もご理解いただけるはずです」
そう言われては、山下群司令も納得せざろうえなかった。妖精部隊志願率の向上は緊急の課題だ。彼女たちは20歳で除隊してしまうため、このままでは部隊の欠員を補充できなくなる。とは言え、防衛省幹部のお歴々の渋い顔が目に浮かぶようで、ため息の一つでもつきたくなる。というかついてしまった。
「群司令にはお偉方への根回しをしていただかないといけませんからね。ため息をついておられるようでは困ります」
「顔色から私の気持ちを読み当てるはやめてください、先生。悪い癖ですよ」
「はは、申し訳ない。人間観察は一種の趣味みたいなものなので。ところで群司令。お忙しいのでしょう。私の部屋においでください。手短に相談事をいたしましょう」
「わかりました先生、先生のお部屋で」
所長の部屋に行こうとしたとき、妖精隊員の声が聞こえた。
「あ、パパ司令だ。来てくれてたんだ」
「ちょ、群司令に聞こえるでしょ。大声でその呼び方しちゃだめ!」
密かにパパ司令と呼ばれていることぐらい山下は知っていた。そもそも、部下で、第1妖精隊司令の袴田陽子がペーペーの新入隊員だった頃からそんな呼ばれ方をしていた。
その呼ばれ方は嫌いじゃない。いやむしろそう呼んでほしいところだが、群司令という立場上聞こえなかったふりをするしかない。ニヤけた顔をしないように努めていたところに、
「さて私の部屋に移動しましょう、パパ司令」と所長が言う。
「その呼び方やめてください!隊員たちに聞こえてたら困ります」
「ははは、それは失礼。まんざらじゃなさそうでしたので」
「先生!」
「失礼、失礼」所長も人が悪い。
『娘』たちの装備をもっと見ていたかったが、時間がないので仕方がない。山下群司令は副官に指示をした。
「ああ、山田くん、これから所長と内々の話があるんで、君はここで待っててくれ。終わったら連絡する」
敬礼する山田くんを見送って、2人は所長の勤務室へと向かった。
南条所長の勤務室まで行くと、部屋の前で警備隊員が立哨していた。その警備隊員が敬礼する。山下は答礼を返しながら、以前この隊員に会ったことあったっけ、などと考えながら部屋に入った。
「さっきの警備隊員に、私はどこかで会ったことあったかな?」
「袴田2佐の弟ですよ、知らなかったんですか?今年陸上自衛隊に入隊したんだそうです」
「え、陽子君の?そうか、彼はケン坊か!しばらく見ないうちに… なんで教えてくれないんだ。陽子君もひどいなぁ」
「そういえば、袴田家とは家族ぐるみのお付き合いをしてたそうですね」
「はいそうです。彼らの父親が私の同期でしてね。だいぶ前に亡くなりましたが…」
「そうでしたか… 彼もつい最近ここの警備隊に配属されたばかりですからね。袴田2佐も群司令にこのことを伝える機会がなかったのでしょう」
「今度話を聞いてみますよ、ネチネチとね」
「はは、そうしてください。さて、本題に入りましょう。そこのソファにお掛け下さい」
山下群司令はそう促されてソファーに座る。所長は自分のディスクのスイッチで壁に埋めこまれたモニタをオンにして説明資料を写す準備をした。
「群司令はお忙しいので結論から先に申し上げます」と所長は一呼吸してから、結論を述べた。
「男性、それも成人の男性に移植可能、と推測される『妖精虫』が発見されました」
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