純白の女王ヒルダ

打ち捨てられた古城。外見とは異なり内部は豪華に装飾されていた。この城の創建当時もこんなに豪華ではなかったのではなかろうか。


廊下ですら、沢山の調度品やら絵画やらが備え付けられていた。その廊下に沈んだ顔で、真紅のドレスの女性、イザベラがトボトボ歩いていた。


「あら、どうしたの、イザベラ。そんな暗い顔して」


声をかけたのは、新緑を基調としたドレスを着た長身の女性、アンネローゼだった。


「アンネローゼ、聞いてちょうだい!私がやりすぎたってからって我が君にまたお仕置きをされたの!」


「で、どんな?」


「どろんじょのこすぷれ?とかの恥ずかしい格好をさせられて、沢山写真を撮られたわ。もうお嫁にいけないわ!どうしましょう!」


「あのね、イザベラ。私たち女王はお嫁に行く必要はないのよ。永遠とは言わないけど、ニンゲンみたいな下等生物とは違ってすぐに死んだりしないんだし」


「だって、写真をばら撒かれたら皆んなに笑われるわ」


「分身は兎も角、私達の配下の兵達には笑うなんて感情はないわ、落ち着いて、イザベラ」


「そ、そうだったわね。取り乱したわ」


「ところで、そのこすぷれ写真というのはいつ見せてもらえるの?」


「そんなの見せられるわけないでしょう!あなた、実は人の不幸を楽しんでない?」


「さあて、リヒャルト様も、お仕置きとか言って、結構楽しんでおられるんじゃない?」


「もう、アンネローゼったらひどいわ!」


「そんなことより、首尾はどうだったのよ」


「そんなことってひどい言いようだけど、まあそれはいいわ。日本に分身を送り込んでちょっと遊んであげたら、もう『幼虫』が孵ってたのよ。お陰で分身を1体失ったけどね。ま、使い捨て用の即席の分身だったけど。でも驚いたわ。まさかそんなに早く「博士』が——」


イザベラがそう言いかけた刹那、別の女性の声が遮る。


「『幼虫』が孵ったですって?」


イザベラとアンネローゼが振り向くと、そこには、長い金髪をシニョンに纏め、銀色のティアラをつけ、純白のドレスを着た女性が立っていた。そのすぐ背後には、2人の幼い少女が首を垂れ、手を前に組み付き従っていた。彼女達の主人と同様に、長い金髪に純白のドレスを着た少女達だ。


その姿を見たイザベラとアンネローゼは、すぐさま2人して廊下の壁に寄り、片膝をついて頭を下げた。


「お兄様は何と?イザベラさん、貴方はお兄様と遊んでいたようだけど、聢(しか)と報告されたのですか」


純白のドレスを着た女性はイザベラの方を向いた。同時に後ろに控える少女達もイザベラの方を向く。その鋭い眼光は、とても幼い少女のそれではない。女王として数多の妖魔の上に君臨するイザベラすら威圧する氷の眼差しだった。


震える声でイザベラは返答する。


「わ、私、ちゃ、ちゃんと報告しました、ヒルダ様!だ、だけど、我が君にはあまり真剣に取り合っていただけず」


「そう、それではわたくしからお兄様に真剣に取り合っていただけるよう申し上げなければなりませんね。ところで、お兄様が見当たらないのだけど、どこにいるかご存知かしら?」


アンネローゼが即答した。


「リヒャルト様は実験室におられるかと」


「そう、またあのお部屋に。ありがとう、アンネローゼさん」


純白のドレスの女性、『ヒルダ』は礼を述べると、顔を正面に向け、カツカツとハイヒールの音を鳴らしゆっくりと歩み出した。2人の少女も同時に進み出す。


イザベラとアンネローゼがほっとしているところ、ヒルダが不意に立ち止まり、振り向いた。お付きの少女達も同時に振り向く。少女達の眼光は相変わらず鋭い。緩みかけていた空気が再び張り詰めていった。


「お兄様は、何故だが、今後、御自身を『妖魔王』と呼ぶようにと言ってらっしゃるとか。本当、幾つになってもお兄様は子供のよう。我らの闘いをお遊びと勘違いされているのかしら」


溜息を吐きながらヒルダは言う。


「お兄様はいつもこうだけど、それでも支えてあげて下さいね、お2人とも。どうかよろしく」


イザベラとアンネローゼは再び首を垂れ、2人して答えた。


「勿論でございます。我が君の御為に、此の身に変えましても」

「このアンネローゼも、リヒャルト様に我が身を捧げますわ」


「ありがとう、お2人とも」


そう言うと今度こそヒルダは歩き去り、張り詰めた空気も漸く緩んだ。


2人の女王はゆっくり立ち上がると、顔を見合わせた。


「ねえ、イザベラ。いくらリヒャルト様の妹君だからって、なんで私達あの子に頭を下げなきゃいけないの?私達だってあの子と同じ女王でしょ?」


「知らないわよ。だけどヒルダ…様の前に出ると体が勝手に。いつの間にかひざまずいちゃうんだわ」


「あの目で見つめられると体が竦んじゃうのよね。一体何が私たちと違うのかしらね、イザベラ」


「このお城の技術は、私達女王でも分からないことが多いのよ、アンネローゼ」


2人の女王は古城の天井を見上げて、ただ溜息を吐くのであった。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


古城の中に拵えた実験室で、この城の主、リヒャルト・フォン・マインシュタインは、何やら試験管を握りしめ、真剣に実験をしていた。いつもの3枚目なおちゃらけた雰囲気は鳴りを潜めていた。おそらくそれは、彼にとって重要な実験なのだろう。そこに、リヒャルトの妹、ヒルダ・フォン・マインシュタインが実験室に入ってきた。


ヒルダはスカートの両端をつまみ、頭を下げた。お付きの少女達も同じ礼を行う。


「お兄様、ご機嫌麗しゅう」


「やあ、ヒルダ。今日はどうしたのかな?」


「『幼虫』が孵ったと聞き及びました」


「ああ、そうみたいだね。僕もこんなに早く孵るとは思わなかったけどね」


「——『幼虫』が孵ったというのに、何も対策をなさらないのですか?」


「ほっといていいと思うよ。『博士』が今後どうするのか、見てみたいしね。ところで今忙しいんで後にしてくれないかな、ヒルダ」


ヒルダは、後ろに控える2人の少女に手を振って下がるよう合図をした。それを見た2人の少女は数歩下がると一礼し、ふうっと、闇の中にかき消えていった。


ヒルダは足早にリヒャルトに近づくと、彼の耳を引っ張った。


「痛い、痛い、やめてくれ、ヒルダ!」


「お兄様は今我らの置かれた状況をよくご理解されていないご様子。『幼虫』は幼虫のままではいないのですよ?」


「痛いやめてぇ、わかってるわかってるって、だから耳を引っ張るのやめてぇ」


ヒルダはリヒャルトの耳を離した。リヒャルトは耳をおさえながら恨み言を言う。


「いたたたたた。一体君主になんてことするんだい?」


「そう、お兄様は我らが君主であらせられる。なれば君主として果たさなければならない責務もおありでしょう?」


「僕も馬鹿じゃないんだから分かってるよ」


「分かっておられるなら何故静観なされているのです?我らの優位もお兄様が唯一の『王』であるからなのですよ?万が一他の『王』が誕生したら高みの見物など続けらません」


むしろ『博士』にもっと頑張って貰った方が僕たちの為でもあるんだよ。この城の技術は僕だってまだわからないことが多いんだ」


「お兄様。我らの城も所詮薄氷の上に立っているのです。今のうちに『博士』を始末すべきでは?」


「だめだよ、そんなこと。僕らの優位を保つために僕は研究を続けてるんだし、『博士』は僕らには必要なんだよ。勝手な真似はしないでよ」


「お兄様は尊き君。我ら女王はただお兄様のお言葉に従うのみ。しかし御身が害されるのを防ぐも女王が責務。できる対処はさせていただきます」


「わかったよ、好きにしてくれ。だけど『博士』を殺すのはダメだよ」


「仰せのままに、我が主」


そう言うとヒルダは再度、スカートの両端をつかみ、礼をする。そして後ろを向き部屋から去ろうとした。


その後ろ姿に、まだ痛む耳をさすりながらリヒャルトは恨み言を言った。


「もう。他の女王は王様の耳を引っ張ったりしないよ。耳がとれたらどうしてくれるんだい?」


ヒルダは振り向き兄に返答した。


「わたくしが他の御三方とは根本から異なるのはお兄様もご存知なはず。わたくしは1人でもお兄様を守って見せますよ」


と言い、前に向き直り、歩き出した。数歩歩いた後、ブワン、という音とともに虚空に消えていった。それを見やった兄リヒャルトは、こう呟くのだった。


「全く。ヒルダのやつは真面目すぎるんだよ。人生はもっとこう、楽しまなくっちゃいけないと思うんだけどね」

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