幕僚会議

向林輝空将57歳。彼は航空幕僚長、即ち航空自衛隊のトップであり、山下群司令の上司でもある。ヘビースモーカーな彼は喫煙室でタバコを吸っていた。


航空幕僚長室は個室だがそれでも禁煙なので、たとえ空幕長であっても禁煙室でしかタバコは吸えない。空幕長はタバコを吸いながら部下で20年来の飲み仲間の山下群司令のことを考えていた。彼の階級は『空将補』だが、そろそろ『補』が取れた『空将』に昇進してもいい頃だ。だが、彼は妖精隊群司令の地位に固執していて、昇進に積極的ではない。できれば将来彼に航空幕僚長を任せたいが、昇進が遅れるほど航空幕僚長に就任できる可能性が低くなる。空幕長は今度飲みにいった時に、説得をしようかと思っていた。


喫煙室から出て廊下を歩いていると、防衛省に出向いてきた山下群司令とばったり出会った。


「おはようございます空幕長」


「やあ、山下君。こないだのステーキは美味しかったよ」


「お陰で毎月のお小遣いを半額にされましたよ」


「わはは、それはご愁傷様」


「笑い事じゃないですよ。これから私はどう生きていけばいいんですか」


「少しは君も痛い目にあった方がいいんだよ。大体、今度のことで昇進に影響が出てもおかしくなかったんだよ。いや昇進がどうのというより」


航空幕僚長は一呼吸おいてから続けた。


「死んでもおかしくなかったんだ。僕は数少ない飲み友達を失いたくないよ」


「…申し訳ありません」


「ほんと、昔から無鉄砲なんだから。ま、今日は頼むよ」


「わかりました、空幕長」


今日は、防衛省・自衛隊の幹部と特別に出席が認められた実務担当者を集めて、今回の妖魔大規模来襲事案についての会合を行うのだった。


本日の会議の座長は、自衛隊制服組の最高位で、向林航空幕僚長のさらに上位に立ち、陸海空の自衛隊を統括する統合幕僚長だった。


「只今より、妖魔大規模来襲事案について、会合を始める。まず、今回の作戦指揮の中心を担った山下第1妖精隊群司令より説明を」


山下群司令は、200体という多数の妖魔の出現、指揮官のような個体の出現、支援ヘリコプター隊全滅という大きな物的人的被害、『光る妖精』の突然の出現と妖魔の全滅について、順を追って説明した。出席した幹部には、これまで概要は伝えられてはいたものの、次から次へと話される内容に誰もが驚きを禁じ得なかった。


「その、群れのボスのような妖魔は本当に言葉を喋ったのかね?」


幹部の1人が思わず質問する。


「はい、しかも間違いなく日本語でした。録音した音声の一部をお聞かせします」


山下群司令は、プレゼン資料の音声再生ボタンを押して、妖魔の声を再生した。


“てめえらは俺たちのことを『妖魔』とか呼んでやがンだろ?そいなら、こいつらの頭の俺様はさしずめ『妖魔将』だな!今思いついたんだが、どうだ?カッコいいだろ!ウチんとこのちょいと厨二病とやらを拗らせた王様が喜びそうなネーミングだぜ!ケケケケケ”


「この『妖魔将』とは一体?」


「前後の文脈から察するに、我々が奴らを『妖魔』と呼んでいることを知っていて、その指揮官であることから、この場で名乗ったようです」


「なぜそのような地位を名乗ったのだ?」


「我々はおそらく遊ばれていたのです。そうでもなければわざわざ通信に割り込んでペラペラとお喋りなどしないはずです。彼がその気になれば、我々はいとも簡単に全滅していたでしょう」


「この『妖魔将』を名乗る個体の発言を録音したものを、情報本部において解析をしたので、それを特別情報官に説明をして頂こう」


座長の統合幕僚長が、特別情報官に解析結果を説明するよう促した。特別情報官は自衛隊の情報機関である情報本部に、妖魔事案の情報集収集や分析を扱うために置かれたポストだ。


「情報本部特別情報官の松本です。録音音声の現時点での解析結果をご説明いたします。この『妖魔将』を名乗る個体の声紋の解析を行いました。その結果、結論から申し上げますと、この話者は、日本語とドイツ語のバイリンガルと推定されました。聴いているだけではわかりませんが、声紋にはドイツ語話者の特徴が見られます」


「ドイツ語だって?このバケモノがドイツ人だとでも?」


出席者の1人が思わずツッコミを入れた。松本は冷静に返答する。


「この化け物がドイツ人である証拠はありませんが、発言の中で『分身』、『王様』、『女王様』という単語が出現します。また、この個体は最近生み出されたことも自ら説明しています。これらから類推するに、さらに上位個体からその言語能力を引き継いだ可能性があります。つまり、『王様』、『女王様』などにあたる個体がドイツ語と日本語の『話者』である可能性が考えられます」


この推測に会場はざわついた。座長の統合幕僚長が発言する。


「つまり、特別情報官はこう言いたいのか?『我々が相手をしているのは、人間である』と」


「その可能性を考慮すべきかと思っています。少なくとも、上位個体については。もしそれが人間だとして、大規模襲撃には何らかの目的があったはずです。襲撃後、いわゆる『光の妖精』が出現したのは偶然ではないのかもしれません。きっとその目的と関係あるかと」


「では、その『光の妖精』について南条所長に現在までの解析結果をご説明願いたい」


統合幕僚長は南条所長にプレゼンを促した。


「妖精科学研究所の南条です。すでにご存知のことかと思いますが、この『光の妖精』の正体は、本研究所の特別警備隊所属の警備隊員だったと推測されています。この警備隊員の名前は、『袴田賢』、1等陸士、第1妖精隊司令袴田陽子2等空佐の弟で、本年度、陸上自衛隊に入隊した新入隊員です。この人物は、妖精部隊の基地内で倒れているところを発見され、自衛隊病院に搬送、意識を取り戻し、現在意思疎通可能です。すでに事情聴取は、警務隊立会のもと行われていますが、研究所内で倒れた後、病院で意識を取り戻すまで記憶がないと証言しています。彼の身体は調査中ですが」


 一呼吸おいて、南条所長は重大な解析結果を述べた。


「妖精虫の寄生が確認されました」


会場は騒然とした。男性への妖精虫の寄生は、日本、いや世界初の出来事だ。妖精虫は通常、女性にしか移植できず、その力を発揮できるのは、12-20歳ほどの少女だけだ。しかも彼は妖精と思われる能力を発揮していたという。それどころか、通常の妖精とは比べ物にならない能力を発揮していたらしい。


「この人物に寄生した妖精虫は、他の妖精虫とは異なる性質も持つ個体でした。おそらく男性体に寄生する能力を持つ個体です」


出席者の1人が質問をした。


「では、我々はついに性別や年齢を選ばずに妖精を『生産』できる技術に辿り着いたのですか」


「まだ解析中ですが——— 残念ながら、適合する確率は非常に低い可能性があります。しかも非適合時の死亡確率は相当に高いことも推測されています。この人物に寄生できたのは奇跡というほかありません」


南条所長はさらに続けた。


「また、ビデオや重力波観測より、南りか2等空尉が敵将を撃破したことがわかっていますが、この時の彼女の出力は、通常の約50倍ほどです。このレベルの出力はこれまで記録されたことはありません。通常、妖精は物理空間にほとんど干渉できませんが出力がこれほど上昇すると物理的干渉が可能となるかもしれません。『光の妖精』はさらにそれを遥かに凌ぐ能力を持つ可能性があります。ビデオ解析によれば、一瞬姿が消えている箇所があります。よほど異空間方向に『高く』跳躍をしないと消えたりはしません。通常の妖精も妖魔もここまで跳躍はできないのです」


「南条先生」


特別情報官が質問のため挙手をした。


「なんでしょう、松本警視正」


「私の古巣での階級をご存じとは。以前お渡しした名刺には警察での階級は記載されていなかったはずなんですけどね。それはともかく、先生にお聞きしたいのですが、この録音された音声の中に『王の卵』という単語が出現します。この単語について何か思い当たることはありませんか」


「恐らくですが、この特別な妖精虫のことを指しているのでしょう。実はこの妖精虫はシロアリの『王』アリに生態が似ています。従って『王の卵』と呼ばれても不思議はないかと」


「そうですか…」


松本は納得したようなセリフを吐いたが、果たして本当に納得したのか疑わしい。しかしそれ以上質問はしなかった。


その後、『妖魔将』から強い重力波が観測された件についても討議が行われた。どうやら本来ならありえない重力場を瞬時に発生させることができることが推測され、一同は驚愕した。巨大惑星レベルの質量が突然出現して消失したのだ。その質量のエネルギー源は異空間からのはずだが、そんなとてつもないエネルギーを異空間から持ってこれるとは知られていない。そんな敵に打ち勝った『光の妖精』とはいったい…


会合が終わった後、山下群司令は松本に声をかけられた。


「山下群司令、本日はお疲れ様です」


「松本さんこそお疲れ様です」


松本は態度こそ慇懃だったが、なぜか目つきが鋭い。公安警察によくいるタイプだと思っていたら、


「申し訳ありません、人を威圧するつもりなんてないんですが、どうしても職業がら目つきが悪くなってしまって。妻に怒られます」


「こちらこそ申し訳ない。顔に出てしまったようです」


「群司令は正直な方ですな。ところで、お聞きしたいのですが、最近、南条先生に何か相談されたりしませんでしたか?」


群司令はドキッとしたが、以前相談されたことは黙っておこうと思った。


「特に重要なことは何も… もしかして、そちらでは、南条先生に何か疑念がおありで?」


「いやいや、そんなことはありません。ただ、今後南条先生にはいろんな勢力がマークすることになると思いますので」


「というと?」


「群司令、今回の事件の意味をお考えください。『光の妖精』は他の妖精の強化まで可能だったそうですね?」


「そうです。彼が出現したおかげで、我々は難を逃れました」


「今まで妖精は、妖魔にしか意味のない『兵器』でした。ところが、『光の妖精』の強化で、通常空間への物理的干渉が可能になるかもしれないと南条先生がおっしゃっていた訳で」


「つまり、『兵器』としての意味が変わったと?」


「その通りです。通常の兵器にも攻撃が可能であることを意味します。妖魔のようにね。それどころか『光の妖精』の袴田賢なる人物は妖魔を遥かに凌ぐ能力を発揮していたと言うではないですか。すでに各国の情報機関が動いています。これを放っておけば日本に危険な兵器が誕生しかねない。米国ですらもはや信用するに足りないのですよ」


確かにそれは検討すべき事項だった。しかし自衛官という立場でありながら今までその可能性について思考が到達しなかった。


「仕方ありません、群司令は当事者ですから。それを補うのが我々情報屋の仕事です。汚い仕事は我々に任せて、群司令は是非妖魔対策に専念いただきたい。ただ」


松本は、なおも続けた。


「敵は、妖魔だけではないことを頭の片隅に入れておいてください。真の敵は、いつだって人間なんですから」

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