『理想の剣』

 破砕。


 壁は一息の間に切り刻まれ、赤い影が飛び出す。


「な――」


 勢いをそのままに、心臓へと迫る灼光。それをなんとか木剣で受け止めることができたのは、少女の中に眠る、本能的な何かのおかげだったのかもしれない。


「ぐぅ……う……!」


 凄まじい衝撃を受け、腕が僅かに痺れるのと共に、木剣に亀裂が走る。

 そのまま押し込まれそうになるものの、キラは渾身の力を込めて、死の一撃を押し返す。


「な、なんなんですか! あなたは――!!」


 叫びながら距離を取り、再び木剣を構える。


 視線の先にあるのは、やはりと言うべきか、真紅の外套を纏い、狐の仮面で素顔を隠した女の姿だった。

 恐らくは夜の学園から奇跡の生還を果たしたキラを口止めするためだろう。

 だが、そんなキラを嘲笑うかの如く、仮面の女はゆっくりとした動作で刀を肩に乗せ、


「――なにってそりゃあ、殺人鬼に決まってるじゃないか。……魔剣士見習いのお嬢さん」


 人を殺すことになんの躊躇いも覚えない仮面の女の態度に、キラは思わず歯噛みする。


「……まあ、そんなことはどうだっていいか。それよりも私は今、とっても機嫌が悪い。せっかく殺したはずの相手が、こうして生き返ってしまったわけなのだからな」

「……ッ」


 その言葉を聞いて、キラの顔が青ざめる。


 やはり、この女は自分を一度殺しているらしい。


 そして、その上で平然と目の前に立っている。


 つまり、この女にとって自分など取るに足らない存在だということに他ならない。


 ――これなら、もしかしたら――


「……にしても。……あー、クソ。一日に同じ相手を二度も殺すことになるとか、どこのフィクションだよ。いちいち手間かけさせやがって」


 ぶつくさと愚痴を溢しながら、仮面の女は気怠げそうに溜息をつく。


「しかしな、こっちにも事情があるわけだし、そうもいかない。だからまぁ、すまないな?  うん。悪いけど君みたいなのには、もう一度死んでもらうことにしよう」


 煽るように言いながら、仮面の女は刀を片手で軽々と振り上げると、切っ先をキラに向け――


「――っ」


 刹那、キラは踏み抜く勢いで床を蹴り、仮面の女との間合いを詰めにかかる。


「おっと」


 対し、仮面の女もまた即座に反応して刀を振り下ろす。


「――ッ」


 が、キラは紙一重のところでそれを回避すると、そのまま流れに乗って身体を回転させ、角速度を上乗せした横薙ぎの一閃を女の腹めがけて、ぶちかます。


 使徒との戦闘でカウンター技として多く用いられる《旋撃》という技だ。

 義務教育の一環である訓練で、誰もが学ぶ、基本中の基本の技である。

 しかしながら、それでも人智を超えた存在との実戦で今もなお使われて続けている技なだけあり、その威力は魔剣士のものともなれば、コンクリートを容易く砕くほどのものだ。

 いかに相手が規格外の存在であろうと、人間である以上は耐えられる筈がない――というのがキラの算段だったが、


「なっ――!?」

「――ほう……。その歳のわりには中々だな。さぞ努力したものだと思われる。あの黒い娘の方が上ではあったが」


 キラの思いとは真逆に、仮面の女は全身全霊を賭けて放った一撃を刀で安々と受け止めていた。


「では、今度はこっちの番だ」

「……!」


 すかさず反撃に転じようとする仮面の女に対し、キラは慌てて後退しようとするが、


「逃がさん」


 行動を起こすよりも早く、仮面の女は刀を一閃――ではなく、蹴りを放ってきた。


「っ!?」


 予想だにしなかった攻撃に、咄嵯の判断で防御を試みるものの、間に合わず。


「ぐふッ……!」


 腹部に強烈な衝撃を受けたキラは、口から胃液を吐き出しつつ、勢いを殺せず背中から窓へと直撃。


「うがッ……」


 ガシャン、とけたたましい音を立ててガラスが割れ、そのまま屋根を転がり、庭へと落下する。


「う……ぐ……」


 幸いにも地面に激突する前に受け身を取ることはできたが、それでもかなり痛い。

 内臓がひっくり返ってしまったかのような感覚に苛まれながらも、木剣を杖にしてなんとか立ち上がり――


「……え?」


 そこで、キラは我が目を疑った。


 つい一瞬前まで、自分が立っていた場所から仮面の女の姿が消えていたからだ。


「――」


 直後、キラの頭上で何かが煌めく。

 反射的にそちらへ視線を向けると、そこには夜空から落ちてくる赤い刃があった。


 ――まず…… 


 理性よりも先に直感で危機を感じ取ったキラは、すぐさまその場から離れようと試みるが、時すでに遅し。

 次の瞬間、キラの左肩に灼熱の痛みが走る。


「あぐぅ……!」


 肩を抉られ、鮮血が舞う。


 幸いにも腕ごと持っていかれるようなことはなかったが、このままではいずれそうなってしまうだろう。


「後ろが隙だらけだぞ」

「――!」


 背後からの声に反応し、キラは振り返りざまに剣を振るおうとするものの、


「遅い」


 仮面の女はその動きを読んでいたかのように刀を一閃。

 今度は左肩から右脇腹に抜けるようにして、灼熱感と共に肉を裂かれてしまう。


「うぐ……っ」


 たまらず苦悶の声を上げるキラ。

 その拍子に木剣を取りこぼしてしまい、手から離れたそれは、ドサッ、と鈍い音を響かせて庭を転がる。


「もう一度」


 直後、再び振るわれる赤の一刀。

 だがしかし、キラはそれを直感のみで躱し、サイドステップで間合いを取ることに成功する。


 ――この人……やっぱり強い……!


 先ほどの攻撃を防がれた時といい、今の一閃といい、やはり只者ではない。


 いやそれ以前に――とキラは仮面の女を訝しむ。


 ――どうして……?


 あまりにも鮮やか過ぎるのだ。先ほどからの攻撃一つとってもそうだが、それに加えて所作の一つ一つに無駄がない。

 戦い慣れているといった印象は元より、洗練されているとすら言えるだろう。

 そんな仮面の女が、どうして人殺しなどしているというのか。


 ――殺してもいい存在なら、壁の外にうじゃうじゃといるのに……。


 キラにはどうしてもそこが理解できなかった。


 だが、かといってここで諦めるつもりは毛頭ない。


 一定の距離を保ちながら、必死に思考を張り巡らせる。


 どうすればこの圧倒的な格上相手に勝てるのか、あるいは逃げることができるのか――と。


 しかし、そんなキラの思惑など知ってか知らずか、仮面の女は呆れた様子で溜息をついてみせた。


「どうした? もう終わりか?」

「……っ」

「先ほども言ったはずだぞ?  今の私は機嫌が悪いと。 故に早く諦めてくれないか? その方がお互い、楽だと思うのだが」

「……まだ、勝負が決まったわけじゃないのに、なんでそんなこと……」

「そうか。なら――」


 言うと同時、仮面の女は地を蹴りキラとの距離を一瞬で詰めてくる。


「――なるべく苦しむように殺してやる」


 そして次の瞬間には、血の匂いのする冷たくて硬い指先がキラの喉元へ絡みつき、そのまま締め付けるように首を鷲掴みにされた。


「かっ、は……っ」


 突然のことに理解が追いつかず、キラは目を白黒させる。


 ――反応できなかった。


 先程までとは比べものにならないくらいの速さで動かれた。それも対処のしようのない速度で。


「……、……っ」


 キラは酸素を求めて喘ぎ、必死に足掻こうとするが、思いのほか強い力で締め上げられているため、満足に手足を動かすことすら許されない。


「――あーあ、ダメだな? なぜ痛みもなく簡単に終われるチャンスを棒に振る? 君だって、本当は痛いのは嫌だろう? さっさと終わらせてしまえば苦しまずに済むというのに、それをしないというのはなぜだ?」

「……ッ」


 首を絞め上げている仮面の女の力は、一向に緩む気配はなく、むしろ徐々に強くなっていく。


 だが、それでも。


 キラは睨みつけた。仮面の女を。


 無言を貫き、ひたすらに抗う。


 ――ここで屈したら、私は私じゃなくなる。


 それは嫌だった。それだけは絶対に認められなかった。


 その言葉を肯定してしまった瞬間、自分という存在は人間から怪物へと成り下がってしまうような気がしたから。


 ゆえに、九嶺キラは諦めない。


 どれだけ無様で惨めだろうと、決して折れることだけはしない。


「――?」


 ふと、魔剣士見習いの少女は気づく。


 意識が朦朧としていくにつれ、全身を駆け巡る奇妙な力の奔流に。

 まるで、血の流れに乗って体内を循環するかのようなソレは、ありとあらゆる筋肉、骨、神経系、臓器に浸透していき、細胞単位で未知の活力を与えていく。

 キラはすぐに、それが右手の痣から溢れ出ているものだと理解した。

 呪いか、はたまた祝福か。もしくは、そのどちらでも無いのかもしれない。

 解ることといえば、右手を起点に身体全体が『熱』を帯びているということだけ。

 徐々にではあるが、確実に増していくその熱に呼応して、キラの身体から傷が消え去っていく。

 しかしながら、仮面の女はその変化に気がついていないらしい。首を絞める手に力を込め続けている。

 もっとも、仮に気付いていたとしても、彼女が取る行動に変化があったとは思えないが。


「はぁ、はぁ……っ」


 呼吸が荒くなる。

 思考にノイズが走る。

 表面的な傷こそ癒えてはいるが、死へと至るその瞬間はすぐそこまで迫ってきている。


 けれど。それに対抗、あるいは共鳴するかのように。


 右手の刻印もまた、熱量を上昇させ続けていた。


 まるで、何かを待っていたかのように。


 その何かが何なのかは分からない。


 ただ、漠然と感じ取っていた。


 それはきっと、今この時なのだろうと。


 故に、


 ――お願い。


 少女は願った。願ってしまった。


 ――まだ生きていたい、と。











 斯くして、次の瞬間――


 轟!! と。


 右手を中心にして、風の流れが渦を巻く。


 目の前の女の目の色が変わった。仮面の女はキラの首から手を放し、大きく間合いを離す。


 今さら気づいたところでもう遅い。


 すでにキラの右手には、まるで空間にでも穴を穿ったかのような黒い球体が、周囲の物を巻き込みながら、顕現しているのだから。


「――え?」


 誰かが呆然と呟く。

 それは仮面の女のものだったのかもしれないし、少女のものだったのかもしれない。

 だが、いま起こってる現実を正しく認識するよりも先に、球体に変化が起こる。


 キラの手から離れた途端、閃光と共に凄まじい衝撃波を周囲一帯に撒き散らしたのだ。


 その威力たるや、まるで小型の爆弾でも爆発させたかの如く。

 爆風が吹き荒れ、地面は捲れ上がり、家のガラスは割れ、クレーターのような窪地ができあがる。


 ――しかしながら、真の異変はそこではなく。


「――アレは……剣?」


 光の中から一振りの剣が現れていた。

 刃こぼれが目立つ、古く錆びついた灰色の刀身に、右手の痣と同じ意匠の象嵌が施された鍔。

 柄は白と黒の二色が混ざり合った不思議な色合いをしており、全体的にくすんだ印象を受ける。

 そんな、見るからに年季の入った剣が、何の前触れもなく、突然として姿を現し、宙に浮いていたのだ。


「――あ」


 魔剣士見習いの少女は直感的に理解する。


 ――この剣は、私のものだ。


 何故だかは知らない。ただ、確信だけが胸の内にあった。


 この剣こそが運命を切り拓く刃であり、己の魂そのものなのだと。


「――来て」


 キラが静かに呟くと、灰色の剣は不可視の力に引き寄せられるかの如く空中を滑り、彼女の右手に収まる。

 まるで最初からそうあるべきであったかのように、キラの手に馴染んでいった。


「…………、」


 仮面の女は無言のままにキラを見つめ――その仕草には、僅かながらも驚きの色が見て取れた。


 それもそのはず。

 今の今まで、取るに足らない子供でしかなかったはずの存在。

 それが、突如として得体の知れない武器を手にしたのだから。


「く、はっ……ははははははは!! ハハハハッ!!!!」


 けれど、そんな驚愕も束の間。


 なにが可笑しいのか、仮面の女は笑い出す。


「よもや、このタイミングで巡り合えるとは。 これもまた、神様っていうヤツのお導きか?」


 ひとしきり笑ってから、女は愉快げに問うた。


「――なるほど認めてやる。君は間違いなく、この星にとって脅威になり得る存在だってことを」


 言って、女はどんな刃よりも鋭い殺気でキラを捉えると、腰を沈めて構えを取る。


 それも低く下段に、刀身を後ろに流した独特な立ち姿。防御など眼中にはなく、獲物を狩り殺す――ただそれだけに特化した獣の構え。


 その構えをキラは知っている。


 数時間前、夜の校庭で行われていた殺し合い。その最後の最後、己の命すらをも削って、放たれる筈だった必殺の一撃。

 あの時は、第三者であるキラの介入に邪魔されて中断を余儀なくされたが、今回ばかりは違う。

 なにしろ相手は、九嶺キラという存在を認知したばかりか、標的として定めているのだから。


「――ああ、そうだ。最後に一つだけ聞いておきたいことがあるんだけど、いいか?」


 ふと、仮面の女は姿勢をそのままに、思い出したように口を開いた。


「なに?」


 キラは警戒心を強めながら、応じる。


「どうして、魔剣士なんかになろうと思った?  正直、あんな自ら死にに行くようなクソすぎる職を選ぶなんて、正気の沙汰とは思えないが」

「……別に、大した理由なんかない。自分を犠牲にすることで、他人を救うことができるなら、私は喜んでそれをするだけ。それぐらいのことでしか、私は私という存在を証明できないから」

「………………ふぅん。想像以上につまらない答えだな、それ」


 女は興醒めだと言わんばかりに鼻を鳴らし、


「まぁ、いい。この手の馬鹿相手には何を言ったところで無駄だし――」


 ぐらり、と。


 仮面の女の周囲が陽炎のように揺らめき、刀に光が集う。

 その輝きは、血潮の色。

 それは、命そのものであり、天すらをも焦がす人の猛り。

 一度でも、その力が無造作に解放されるようなことがあれば、辺り一帯は灼熱の業火に包まれることだろう。

 赤の焔を刀に宿しながら、女は慈しむように、嗤うように、無機質に囁く。


「――それになにより、この一撃で全てを終わらせるつもりだからな」


 直後。


 光が奔った。


 瞬きよりも速く、大気を焼き切りながら、神速の刺突が放たれたのだ。


 だが、


「ッ!?」


 女は見た。


 灰色の剣が振られると同時、凄まじい輝きが放たれるのを。


「……ほう」


 女は、即座にバックステップを踏み、間合いの外へと退避する。


 刹那の後、光の刃が女の外套を掠めて空を切った。


「――やるな。まさか、私の技を見切るどころか、反撃までしてくるとは。

 …………いいだろう。面白いものを見せて貰ったのに免じて、今夜だけは特別に見逃してやる。せいぜい、余生を楽しむことだな」


 剣呑な雰囲気を消し去ると、仮面の女はあっさりと背中を見せ、庭の隅へと移動する。


「――まさか、逃げるつもり!?」


 キラは慌てて、仮面の女を追うべく地面を蹴るが、時すでに遅し。

 トン、という軽い音と共に仮面の女は塀の向こう側へと跳躍。そのまま、夜の闇に紛れて姿を消してしまう。


「くそっ!」


 それでもなお、逃がすまじ、とキラもまた塀の向こう側に跳躍しようと腰を落とすが、途端に力が抜け、その場に膝をつく。


「…………あ」


 同時に襲い来る、激しい倦怠感。

 身体にまるで力が入らず、意識が徐々に遠退いていく感覚。


 ――……こんなところで寝てる場合なんかじゃない。……早くあの人を捕まえないと、誰か死んじゃ、う……。


 途切れ途切れになる意識の中で、なんとか剣を杖にして立ち上がろうとするも、そんな試みも虚しく、光の粒子となって砕け散ってしまう。


 ――……しかも、これ……頭痛が……。


 灰色の剣が現れた瞬間から感じていた、脳にヒビが入るかのような痛みが、より一層強くなっていく。


 ――この痛み……まるで……、


 そんなことを考えている内にも、痛みは絶え間なく続き、ついにはキラの意識は深い闇の底へと落ちていったのであった。

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