知りすぎる罠と知らない罪
「九嶺さん、下がって!」
ナギサが咄嗟にキラの前に駆け出すと共に、迫り来る刃に向かって剣を振るった。
黒い光となって繰り出されるナギサの剣が、赤の刃と衝突し、辺りに青白い火花を散らした。
「っ……」
勢いを殺すことに成功したものの、殺人鬼の一撃は重かった。
流れる水の如き滑らかな足捌きで後方へと身体を流して、なんとか受け流すことに成功するナギサだったが、その手には嫌な汗が滲んでいる。
しかし、ナギサはそれに臆する素振りなど微塵も見せずに、剣を構え直すと、身体を低く沈ませた。
「今度は私の番よ」
そして、次の瞬間には殺人鬼の眼前まで肉薄すると、剣を大きく振りかぶった。
「はは! いいね、それでこそ闘いってもんだ!」
再び甲高い音を立てて剣と刀が激突する。鼓膜を刺激する重たい音にキラは驚き、目を見開いた。
「す、すごい……」
仮面の女が振るう刀にも驚かされるが、ナギサの剣の腕前にキラは驚愕した。
敵の動きを見てから反応するのではなく、あらかじめ敵の動きを予測し、それに合わせた斬撃を行う。
キラと同年齢の少女とは思えないほどの、凄まじい戦闘センスだった。
……いや、それよりも驚くべきことは、彼女がここまでの境地に至るまで、どれだけの研鑽を積んできたか、ということだろう。
そもそもの話、剣術とは一朝一夕で身に付くものではない。
長年に渡る研鑽と実戦の果てに、ようやく形になる代物なのだ。
そのことにおいては、黒瀬ナギサとて例外ではないはずだ。
しかし、黒瀬財閥の令嬢として生まれ、幼い頃から英才教育を受けてきたであろうナギサに、剣を握るだけの時間や理由があったとは考えにくい。
それこそ、よっぽどの事件が起こらない限り。
だが、現実問題として今の彼女は剣を振るっている。
それすなわち――……。
「っ!」
仮面の女が大振りで刀を薙ぎ払った瞬間、ナギサは身を屈めてそれを回避。
そのまま懐に潜り込むと、敵の腹部に向かって、剣の柄を思いっきり叩きつけた。
「くっ!」
うめき声を上げながら、女は後方へと軽く跳躍し、間合いを取る。
両者の攻撃は互いにクリーンヒットしなかったが、双方共に消耗していることは明らかだった。
「あはは、やっぱりやるねえ黒瀬のお姫さまは! こんなにも戦いというものをイメージしたのは数年ぶりだ!」
「それはどうも。お褒めに与り光栄だわ」
ナギサは挑発するように言うと、仮面の女を鋭く睨みつけた。
対する女は刀を構えたまま、仮面の奥で愉しそうに嗤っている。
……恐らく、ではあるが。
女は未だに全力を出し切っていない。出し惜しみというよりも、まだウォーミングアップの段階といった方が正しいだろうか。
剣を交えれば交えるほどに、殺人鬼の動きはキレを増し、精度と威力が上がっていく。まさしく戦闘におけるインフレーション。
これでは、仮面の女が本来の調子を取り戻してしまうのも時間の問題。
ならば、とキラは考える。
自分が現状においてすべきこと。
それは、殺人鬼の動きを少しでも鈍らせることだ。
相手が剣戟を重ねる度に強くなっていくというのなら、こちらは全力で動きを妨害すればいい。
組み伏せるにしろ、拘束するにしろ、方法自体はいくらでもある。
ただ、相手の動きを一瞬でも止めなければいけないという、ひどくシビアな条件があるが……。
「黒瀬さん、私も戦闘に参加させて。実力不足かもしれないけど、黒瀬さんに任せっきりというのもどうかと思うから」
「……馬鹿言わないで。いつだって私は完璧よ。九嶺さんはそこで黙って見ていなさい」
「でも……」
食い下がるキラを、ナギサは一睨みで黙らせる。
「でももなにもないわ。……それとも、なに? あなたは私を弱い者として扱いたいの?」
「っ、そういうわけじゃ……」
「なら四の五の言わずに、そこでじっとしていなさい。私の指示があるまで、動かないこと。いいわね?」
有無を言わせぬ口調で言われ、キラは言葉を詰まらせると、渋々と頷いた。
……確かに、ここで自分が助け舟を出してどうにかなるような状況ではない。
あの殺人鬼は、明らかに余裕を漂わせているし、何よりキラの再生能力にはダメージを負ってから、再生するまでに多少のタイムラグが存在する。
それはつまり、キラが一度でも斬撃を食らったら、その時点でナギサの足を引っ張ってしまうということだ。
己の非力さを恥じ入りながら、キラは一歩、後ろに下がった。
「分かったよ、黒瀬さん。けど、もし危ない状況になったら、助太刀に入るからね。黒瀬さんの身に何かあったら、私……」
「いちいち言わなくても分かっているわ、そのくらい。……だけどまぁ、心配してくれてありがとうね、九嶺さん」
「っ!?」
突然のお礼の言葉に、キラは頬と耳を真っ赤に染め上げて固まってしまう。
……まさか、こんな命のやりとりの最中に、彼女から感謝の言葉が出てくるなんて夢にも思っていなかったのだ。
どくどくと高鳴っていく胸の鼓動に、キラはたまらず両手を胸に押し当てると、熱のこもった吐息を吐き出した。
「なに、ヒソヒソと話しているんだ、二人共」
「別に何でもないわ。ただ、あんたの悪口を言っていただけよ」
仮面の奥から投げかけられた問いに、ふっ、と鼻で笑ってナギサが答えた。
「はははっ、最近の若い子は遠慮が無いな。本人の前でそういうのを堂々と言える辺り、逆に清々しくなってくるくらいだ」
「そういうあんたは随分と偉そうね。動きを見るからに元は一流の魔剣士といったところかしら?」
「…………何が言いたい?」
声のトーンが急に低くなり、刀を握る手に力が籠もる。
「別になにも。ただ、まだちゃんと魔剣士になれてすらいない子供に、良いようにあしらわれているあんたが哀れに思えて」
ふふふ、とひそやかに嘲笑うナギサに、女が低い声で呻く。
「ほほう、なかなか面白いことを言うね、お姫さま。なら試してみるか? プロの本気ってやつを」
「ええ、いいわよ。やれるものならやってみなさい」
挑発するように言って、ナギサは剣先を仮面の女に向けた。
「ははっ、良い度胸だ。それじゃあ、お言葉に甘えて本気でやらせてもらおうかな!」
瞬間、仮面の女が身を低く屈め、獣の如き疾駆でナギサへと肉薄した。
「っ、速い……!」
殺人鬼が放った、あまりにも素早い斬撃に、キラは驚きの声を漏らした。
しかし、ナギサもまた尋常ではない反応速度で身を捻ると同時に剣を横にし、敵の攻撃を凌ぐ。
甲高い金属音。蒼白い火花が散る。
両者の力は拮抗していたが、しかしそれも束の間。仮面の女が勢いに任せて剣を押し込むと、衝撃でナギサの身体が後方へと吹き飛ばされた。
「くっ……」
空中で身体を捻って着地すると、体勢を立て直すナギサ。
――逃げて、黒瀬さん!
咄嗟にそう叫ぼうとするも、時すでに遅し。
「後ろがガラ空きすぎるよ、お姫さま!」
いつの間にか背後に回り込んでいた仮面の女が、無防備なナギサの背中目掛けて、勢いよく刀を振り抜いた。
「っ、」
振り返る暇すらない。もはや回避が不可能なタイミング。キラはその光景を前に思わず目を背けた。
……だが、次の瞬間に聞こえてきたのは肉を斬り裂く音ではなく、金属同士がぶつかり合うような音だった。
「……え?」
恐る恐る目を開けると、そこには驚くべき光景があった。
なんと、ナギサが思いも寄らない軌道で剣を振るい、赤の凶閃を逸らすことに成功していたのだ。
神業。まさしく、そう表現するに相応しい、華麗にして繊細なる剣捌きだった。
「やるじゃないか、お姫さま」
賞賛の言葉を口にしながら、仮面の女が即座に体勢を立て直して追撃を仕掛ける。ナギサもまたそれを完璧に防いでみせた。
再び剣戟が始まる。目にも留まらぬ速度で繰り出される斬撃の応酬は、さながら悪を討ち滅ぼす物語の再現。どちらも引かぬ鋼の饗宴。激しく擦れ合う剣と刀は、互いの命を燃やし尽くすまで止まらない。
「だが……」
数合打ち合ったところで、仮面の女がふいに間合いを取り、後方に下がった。
「どうやらこの勝負、私の勝利みたいだな」
「……どうしてそう思うのかしら?」
ナギサは呼吸を整えながら、静かに問う。すると女は肩をすくめてみせて、
「何故って、さっきからずっと肩で息してるじゃないか。それに剣を握る手が震えている」
「っ、」
指摘されたナギサは悔しげに唇を嚙み締めた。
確かに、仮面の女の言う通りだった。
ナギサは剣を交える度に体力を消耗し、身体は小刻みに震え、呼吸もどんどん乱れていった。それは遠目から見ているキラにも容易に感じ取れるほどに明確な変化だった。
「そこで、私から黒瀬ナギサ。君に一つ提案だ。大人しく、そこのピンク髪を私に引き渡せ。そしたら、これ以上の殺しはしないと約束しよう」
女はナギサの返答を待たずして、キラの方へと猛禽の如き視線を滑らせた。
蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませるキラを、ナギサはどこか冷めた瞳で一瞥してから、
「……ふぅん。そういうこと」
何か得心がいったのか、彼女の中で合点がいったと言わんばかりに首を縦に振る。
「あんた、最初からそれが目的だったんだ」
「……何のことだ?」
「惚けても無駄よ。雇われか何かは知らないけど、あんたはこの子が持つ異能の力に用がある。……そうでしょう?」
「……ほほう」
女の声に驚きの色が滲み出る。それから、くつくつと喉を鳴らして嗤うと、ナギサのことを興味深げに見つめた。
「――何故、分かったのか参考までに教えてくれるか?」
「そんなの決まっているじゃない。あんたみたいなのが私に執着するなら、いざ知らず。けれども、あんたは私に引き渡せと言った。それがチェックメイトよ」
視線に明確な殺意を込めて、ナギサは淡々と告げた。
「なるほどな……。どうやら君は私が思っている通りの人間のようだ」
感心したように呟きながら、女は顎に手を当てて頷いた。
「しかし、だとするとますます惜しくなってくるな。ここまで魔剣士として優秀であろう人間が、まだ武勇をあげないうちに死んでしまうのは」
残念そうに言うと、女はゆっくりと刀の切っ先をナギサへと向けた。
「……やっぱり、そこのピンク髪を差し出してくれやしないか? なに、君の命だけは保証するから」
「そんなの嫌に決まっているじゃない。この子は私のクラスメイトなの。我が身かわいさにそんな真似をしてしまった日には、ろくに眠れなくなってしまうわ」
「そうかい。なら、交渉は決裂だな」
やれやれと嘆息し、仮面の女が刀を水平に構える。
風が集う。光が集う。赤の刀が怪しく揺らめき、焔を纏う。
だがしかし、その色はあの夜見た血のような赤ではなく――透き通った蒼。
「ッ、黒瀬さん!」
「ええ、分かっているわよ、それくらい。けど、ここは私に任せてくれないかしら。とっておきがあるの」
「とっておきって……」
困惑するキラを余所に、それ以上答えることなくナギサは力強く剣を握り直した。
両者の間に静寂と共に緊張が走る。緊迫した空気が張り詰める中、先に動いたのは女の方だった。
「――――――――!!!!」
声にならない咆哮を上げながら、女が蒼炎の刃を前方へと突き出した。
本来なら届く筈のない刃。
だが、その刀身を覆う蒼炎は、まるで蛇の如く蠢き、大きく刀身を伸ばしながらナギサへと直進する。
対するナギサは、剣を構えるだけだ。剣の切っ先を蒼炎に向け、静かに目を閉じて構えている。
蒼炎の刃がナギサを貫き、鮮血が迸る――その寸前のことだった。
黒の刀身に亀裂が走り、そこから幾筋もの闇が噴き出したのは。
ありとあらゆるものを吸い込んでしまうな漆黒の奔流が、一つの槍となって、眼の前の脅威を迎え撃つ。
「!?」
予想外の事態に、仮面の女が驚愕の声を漏らす。が、漆黒の槍は止まらない。
漆黒の槍は時に、コンクリートの地面を抉りながら、一直線に蒼炎の刃へと肉薄し――接触した。
炸裂した衝撃が、大気を震わせる。
想像を絶する熱量に闇黒が蒸発し、その残滓が蒸気となって辺りを包み込む。
「くっ……!!」
凄まじい熱波に顔を顰めながらも、ナギサは剣を握る手を緩めない。迫りくる死の焔を押しやらんとする。
女の手に握られた刃も、退く気は一切ないようだった。
蒼と黒のせめぎ合いが続く――かのように思えたが。
「っ……、今よ、九嶺さん! あの女にガツンと一撃、与えてちょうだい!」
突如としてナギサが叫んだ。
「!」
その声が耳に届いた瞬間、キラは考えるよりも先に身体が動いていた。右手に意識を集中させながら、仮面の女との間合いを縮めていく。
「!?」
相手がこちらの接近に気づいた時には既に遅かった。キラは剣を顕現させ、女の胴目掛けて、一閃を放つ。
「っ、」
女が咄嗟に身を捩り、灰色の刃を回避を試みる。が、完全には避けきれず、切っ先が仮面を掠めた。
それと同時。刀を操る手許に狂いが生じ、拮抗していた漆黒の奔流が蒼炎を呑み込んで、二人の元へと駆け抜ける。
「う、が……」
耳をつんざくような鋭い音と、衝撃が全身を貫く。あまりの激流に立っていることすらままならず、二人は地面を転がり、近くにあった木の幹や段差などに衝突した。
「はぁ、はぁ……っ」
漆黒の奔流が収まった後、呼吸を荒くしながら、キラは剣を杖にして立ち上がり、
「黒瀬さん! 大丈夫!?」
ナギサに向かって呼びかけると、彼女は険しい表情を浮かべながらも「ええ」と頷いた。
どうやら、先の大技で自身が想定していた以上に体力を消耗してしまったようだったが、これといった外傷はないらしい。
そのことに安堵の吐息を漏らしつつ、キラは仮面の女が転がっていった方向へと視線を送った。
「……ははは、まさか君自らが卑劣な手を打ってくるとは思いも寄らなかったよ、お姫さま。私の目に曇りは無かったようだ」
よろよろと立ち上がりながら、仮面の女がノイズ混じりの声で苦笑した。
見れば、女の仮面に大きなヒビが入っている。仮面の機能としてボイスチェンジの効果もあったのだろうが、先の衝撃で破損してしまったみたいだった。
ボロボロと音を立てて仮面が崩れ、その下から素顔が露わになる。
若干の若さを残した相貌は、苦悶と悲しみに支配され、複雑な感情を孕んでいて。
「……、ぇ……ぁ……?」
殺人鬼の素顔を認識して、キラの膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
――嘘だ。こんなこと、ある筈がない。
だって、ありえないじゃないか。
仮面の下に隠された素顔は、どう見ても……。
「……ぉ母さん、どう、して……?」
自分の口から呆然と漏れ出た言葉によって、キラはようやく理解した。
己の命をひたすらに狙ってきていた狩人の正体が、キラの養母――九嶺サツキなのだと。
「どうして、か。なるほど、言われてみればもっともな疑問だ」
愛娘からの問いに答えるように、仮面の女――否、九嶺サツキは自嘲気味に口を歪めて呟いた。
「私はな、キラ。あの病室で初めて言葉を交わしたその瞬間から、お前を化かし続けてきたんだ。今日というこの日まで、ずっとな……」
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