平行線
「……この人って、確か」
「……うん。私のお母さん。そして、私達と戦った例の殺人鬼だよ」
動揺を押し殺しながら、キラはナギサの問いに答えた。
震える手で通話ボタンを押そうとしたキラだったが、隣に座るナギサが止める。
「ちょっと待って、九嶺さん。電話に出ようとするのはいいのだけれど、スピーカーモードにしてくれない? ……私に考えがあるの」
「考え……? よく分かんないけど、分かった」
ナギサの言葉に従い、キラは通話ボタンを押して、スピーカーモードにする。
『──私だ。私の声が聞こえているな、キラ?』
途端に携帯から響いてきた声に、身体がビクリと跳ねた。
電話越しにも関わらず、まるで心臓を直に握られているのかと錯覚してしまうほどの殺気に満ちた声は、やはりキラの義母・九嶺サツキのものだった。
……聞き慣れたはずの義母の声が、今はただ恐ろしい。
ガタガタと恐怖で震える手を押さえつけてみるが、相手は二度にも渡ってキラを殺した張本人。
いくら、死んでも蘇るような不死の力を持っていたとしても、死の恐怖だけはどうにも拭い去ることが出来ないようだった。
「き、聞こえてるよ……お母さん。けど、どうして電話なんか……私を殺したいなら、昨夜みたいに奇襲でも何でも仕掛けてくればいいのに」
『──』
キラの言葉に対し、サツキは沈黙でもって応えた。
しばらくの間、静寂が室内を包み込むが──、
『確かに君の言う通りだがな、キラ。それでは些か面白味に欠けるじゃないか』
次に聞こえてきたのは、なんとも愉快そうに笑うサツキの声であった。
「……? どういう意味?」
『なに、ただの一興さ。それとも君は私のことを殺人鬼と罵って、娘の死に何も思わないほどの外道だとでも思っていたのか?』
「っ……そ、そんなことない!」
聞こえてきた嘲笑混じりの声に反論するキラだったが──、それは無意味な行為でしかない。
……今のサツキは自他共に認める殺人鬼であり、目的の為ならば手段を選ばない冷酷さを全面に押し出している。
『母』としてではなく、『殺人鬼』として、キラと言葉を交わしている以上、何を言ったところで彼女の心には届かないし、逆効果になる可能性だって十分にあるからだ。
『ふむ……まぁ、いいさ。君がいくら私のことを殺人鬼と罵ろうと、君に人を裁くことなど出来はしない。たとえ私のようなクズであってもな』
「そ、そんなこと……ない! 私はお母さんのことを信じて──」
『信じている、か。いい言葉だな、キラ? だがな──いや、だからこそか』
サツキは一呼吸置いてから告げる。
『君のことを心の底から愛している私が、君を殺すのだと理解した方がいいぞ?』
「……ぇ」
淡々と告げられた言葉に、キラは戦慄した。
──今、サツキは何と言った?
……自分のことを心の底から愛している──それはつまり、キラに対する愛情があるということに他ならない。
ならば何故、彼女は自分の子供を殺そうというのか。
キラには、どうしてもサツキの思考が理解できなかった。
『君は知らないかもしれないが、かつての私は生真面目であったと同時に、根暗で不器用な人間だった。
魔剣士というのは、壁外で活動するにあたって、班を作るものなのだが──正直なところ私が配属された班は馬鹿共の集まりだった』
ぽつりぽつりと語り始めたサツキの声は、今までの高圧的なそれとは打って変わり、まるで昔でも懐かしむような穏やかなものとなっていた。
『性格も思想もてんでバラバラな寄せ集め。どいつもこいつも、まるで協調性の欠片もない人間ばかりでな。
特に私と同期だったヤツは最悪だった。使徒を見つければ、さらなる境地に至るためだの何だのとよく分からんことを言って、独断専行しては、毎度のごとく怪我をして帰ってくるのだ。
その所為で、私とヤツとで毎日のように揉めてな。二人して、班長に宥められるまでがお決まりの流れだった』
だが……、とサツキの声が低くなる。
『ある日、ヤツだけがある作戦に動員されることとなった。私も、他の班員達も皆して猛反対したのだが──ヤツは私達の制止を振り切って作戦に臨み、そして右腕を失った』
一言一句を絞り出すようにサツキは告げる。
……その声に宿っているのは後悔か、怒りか、はたまた哀しみなのか──キラには分からなかったし、聞く勇気もなかった。
しかし──一つだけ分かったことがある。
今、語った言葉は彼女にとって心の奥底に沈めた暗部であり、誰にも見せまいとひた隠しにしてきた過去なのだろうということ。
『……腕を失うというのは、魔剣士にとって死刑宣告にも等しいことだ。戦線の復帰はおろか剣を握ることすら叶わなくなるのだからな』
サツキは静かな口調で言葉を続けた。
『その後、だろうか。私達の班に綻びが生じたのは。
一人、また一人と──散っていくのだ。皆、ヤツと同じように死地へと赴き、命を落としていった。私だけが生き残り、私は逃げるようにして、魔剣士を辞めた』
そこで、サツキは言葉を切る。
語り口は淡々としていて何の感情も込められてはいなかったが、まるで彼女自身が懺悔室にいるかのように感じられたのは、きっとキラだけではないだろう。
それ程までに重たい何かが彼女の言葉の端々から滲み出していた。
『それからの私は……ただ惰性で生きてきた。その時の私は仲間を守れなかったことに後悔や負い目を感じていてな。……壁外では、よくある話だと言えば、そうなのかもしれないが、当時の私には耐えられなかった』
……サツキは短く息を吐いた。
『だが──ある日を境にして、私は人が変わったように前向きになったんだ。……何故か分かるか、キラ?』
「そ、それは……」
突如として投げかけられた問いにキラは動揺する。
彼女が前向きになった理由なんて、キラには見当も付かなかったからだ。
『答えは至極簡単。キラ、君のおかげだ』
「えっ……?」
『君と出会ってから、私の在り方は一変した。……まぁ、それが良い方向だったのか、それとも悪い方向に進んでいったのかは今でもよく分からないが──とにかく、君との出会いが私にとって、非常に大きな転機であったことに変わりはない』
「でも、なんで? 私の何がお母さんの支えに……」
キラはサツキの言葉を肯定することが出来なかった。
キラと出会ってから彼女は変わった、と言われても俄かには信じられない。
何か特別なことをしたわけでもなく、彼女と接していたのは他愛もない日常の一部でしかなかったのだから。
だが、キラの自問に対する答えは、すぐに投げかけられることになった。
『君は本当に優しいな。……君に刃を向けた私のことをまだ母親だと呼んでくれるだなんて』
「……ぇ」
電話越しに告げられた言葉に、キラは思わず硬直する。
『だから、君を殺す前に一つだけ。
……今までありがとう。君の母として過ごした七年間は、存外悪くなかったよ』
死ぬ間際のような穏やかさを携えて告げられた別れの言葉に、キラは電話の向こうにいるサツキの意図を察した。
『……私の凶行を止めたければ、日付が変わるまでに、独りで三丁目の操車場まで来い。そこで私は待っている』
「ちょっ、ま──」
制止の言葉がサツキに届くことはなかった。
プツリと通話が途切れると共に、親子の決別を告げる無機質な電子音だけが室内に鳴り響いていた。
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