学校帰りの魔剣士見習い
午後の戦闘訓練を終えた放課後。
今日はこれといった予定もなかったキラは、アヤメに言われたことを頭の片隅に思い浮かべながら、一人寂しく帰路についていた。
「ん~、これからどうしようかな……」
独りごちて、ぼんやりと空を見上げる。
時刻はちょうど夕暮れ。橙色に染まった太陽が壁の向こう側へとゆっくりと沈み、夜の帳が下りようとしていた。
「……今日はバイト無いし……かと言って、このままなにもせずに、直で帰るのもなんか癪だし……」
とはいえ、特別やりたいことがあるわけでもない。
戦闘訓練後の疲労が蓄積された身体を引きずるようにして歩くと、キラはふっと息を吐いて、そのまま近くの公園の中へと入っていった。
そこは、普段から子供たちが遊んでいる場所だ。遊具で遊ぶ者、砂場で遊ぶ者、ベンチで楽しく談笑する者と様々だが、共通しているのはみんな笑顔を浮かべているということだった。
そんな光景を横目に見ながら、キラは自販機へと向かう。
「……百四十円……また値上がりした……」
ポケットから五百円玉を取り出して、自販機の投入口に入れる。
ガタンッ、と音を立てて落ちてくる缶コーヒーとお釣りを取り出すと、そのまま近くのベンチに腰掛けた。
プルタブを引いて、口をつけ、缶を傾ける。
途端に、ほろ苦くも香ばしい香りが口の中を蹂躙していく。
「……う」
苦さに顔をしかめる。
下手に大人ぶってブラックを買ってしまったのが間違いだった。
いくら、公園の子供達が第八魔剣士学園の制服に身を包んだキラに憧れと尊敬の眼差しを送ってくるからといって、中身まで大人になれるわけではないのだ。
というか、『……百四十円……また値上がりした……』とか、格好つけて言っている時点で、見栄を張りすぎた。
相も変わらぬ自身の子供っぽさにキラは頬を赤く染めて、俯いた。
「……なんか、私もわりと人のこと言えないのかな……?」
ふと、頭の中に浮かんできた厨二病の姿と今の自分の姿とが重なって、少しだけ自己嫌悪に陥る。
しかし、それも束の間。
すぐに気分を切り替えると、キラはコーヒー缶に視線を落とした。
別にこのまま家に持って帰って、排水口に流すという選択肢も無くは無いのだが、一度乗りかかった船ならぬ、一度口をつけたコーヒーだ。
自分で買ったものとはいえ、お金を使ってしまったものを一瞬で無駄にするというのはやはり気が引ける。
……それに、その事実をあの厨二病に知られたら、金の無駄遣いだの、おこちゃまだのと、少なくとも一ヶ月くらいはネタにされそうだし。
「……はぁ、やっぱり飲むしか無いか……」
溜息混じりに呟き、覚悟を決める。
――そうだ。逃げてなんかいられない。逃げたところで、何かが解決する訳じゃない。
今はとにかく前に進むしかない。立ち止まっている暇なんてないのだ。
「……私はやれば出来る子……なんとかなるはず……」
ぶつぶつと小声で自分を鼓舞すると、キラは再びコーヒー缶に口をつけて、ぐいっと一飲み。まだ半分以上も残っているそれを一気に喉の奥へと流し込んだ。
「……、」
胃が熱い。
胸が苦しい。
全身が震える。
キラの目尻には、自然と涙が浮かんでいた。
「っ――!?」
苦味が舌の上で踊り狂い、思わず吐き出してしまいそうになる。
「~っ!」
しかし、ここで吐き出してしまうのはなんだか負けたような気がして嫌だったので、必死に堪えることにした。
ごくり、と無理矢理にでも嚥下させると、キラはぷはぁっと大きく深呼吸をした。
「……うぇ」
苦い。苦すぎる。苦すぎて逆に美味しい。
「……、」
いや、それは流石に嘘だけど。
苦さのあまり、思考がおかしくなっているのかもしれない。
「はぁ……」
キラは小さく嘆息して、ベンチの背もたれに深く寄りかかる。
そして、ぼんやりと目の前に広がる景色を眺めた。
「……平和だなぁ」
しみじみと思う。
こうして、のんびりと穏やかな時間を過ごせるのも、あと三年。
魔剣士学園を卒業すれば、自分は晴れて成人となり、正式に『魔剣士』の一人として認められることになる。
そうなった時、自分を取り巻く環境はどう変わっていくのだろうか。
きっと、今までのようにはいられなくなるだろう。
人類を守るということは、つまりそういうことだ。
常に死と隣合わせの生活。自分の最期を看取ってくれる人がいるかも分からない。
――それでも、やるのか? 本当に、この道を選ぶのか?
「……でも、それしか無いよね……七年の災害で私の命を救ってくれた人たちの無念を晴らすためにも……私が必ず……」
左胸に手を当てて、ぎゅっと握り締める。
脳裏に浮かんだのは、地獄と化したあの日の光景だった。
いつも通りの時間に起きて、朝食を食べて、それから学校に向かった。
学校に着けば友達と談笑したり、授業を受けたりする。
放課後になれば、公園に遊びに行った。
そうしているうちに日が暮れて、家に帰ると、温かい夕食が用意されていて、家族みんなで食卓を囲む。
それが、キラの日常だった。
そんな当たり前の日々が突然終わりを迎えた。
当時八歳だったキラは、その光景を目の当たりにして、ただ呆然とすることしか出来なかった。
大好きだった東京の街並みは、一夜にして黒煙に呑まれ、火の海と化していた。
「――――」
悲鳴を上げることすら忘れていた。
それほどまでに、その出来事は唐突で、衝撃的で、残酷なものだったのだ。
今でも、夢に出てくるほど鮮明に覚えている。
焦げ付くような臭い。肌を刺すように刺激してくる炎の痛み。呼吸をしようと口を開けば、たちまち肺に黒煙が侵入してきて、むせ返ってしまう。
視界は赤に染まっていた。
空は黒く濁っていて、どこを見回しても死しか広がっていなかった。
地獄とはまさにあの場所のことを差すのだと、幼いながらに理解した。
――怖い。
――助けて。
――誰か。
――死にたくない。
誰かを助けようとして、誰かが死ぬ。
誰かを守ろうとした人から殺されて、誰もいなくなる。
そんな世界だった。
「あの時、どうすればよかったんだろう……」
……例えば、今にも殺されそうな一人の子供を助けたとする。
しかし、その代償として、今度は自分が殺されてしまう。
仮に運良くその場を凌げたとしても、街を覆う炎によって殺されてしまうかもしれない。
結局、全員を助けることなど出来はしない。
全てを救うことなんて、誰にも出来やしない。
「……けど、だからと言って」
――誰もが助かって、幸福で、笑いあえるような世界を求めるのは間違いなのか。
壁に囚われることのない世界を求めるのは欲張りなのか。
――違う。違うはずだ。……だって、そんなのは――
「――ひゃう!?」
唐突にひやりとしたものが頬に触れ、キラは素っ頓狂な声を上げた。
慌てて振り向くと、そこには缶ジュースを両手に持った銀髪系眼帯少女が立っていた。
「あ、アヤメちゃん!?」
「やっほー」
驚くキラとは対照的に、アヤメはひらひらと手を振ってくる。
「ど、どうしてここに?」
「たまたま通りかかったら我が友がいたからね。隣、座ってもい~い?」
「う、うん」
「ありがと」
言って、アヤメはキラの隣に腰掛けた。
「はい、これあげる」
「え、ありがとう」
差し出された缶を受け取ると、キラはまじまじとそれを見つめた。
「……アイスコーヒー?」
「そっ。我が友は大人っぽい味のやつ大好きって言ってたでしょ? ……って、アレ? その手に持ってるのはコーヒー? もしかして我ってば、買うもののチョイスミスっちゃった感じ?」
「い、いやいや! 全然そんなことない! コーヒー好き! 大好き!! ブラック最高!!」
「おぉ、さすがは大人の女だねぇ」
「う、うぅん……!」
キラは曖昧に笑って誤魔化した。
正直、コーヒーは苦手だが、ここで飲めないなどと言ったところで、目の前の少女は許してくれないだろう。それに、せっかくの厚意を無下にする訳にもいかない。
「じゃ、じゃあさっそく頂こうかな」
「おっけー」
プルタブを引き上げ、ぐいっと口をつける。
「ん、美味しい……」
「ふふん、そうだろ~!」
「……」
なんだか子供扱いされている気がして釈然としなかったが、とりあえず今は口内で広がる苦味と共に我慢することにした。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。
アヤメは相変わらずニコニコと笑みを浮かべているが、その青い瞳の奥には、どこか懐かしむような色が宿っているように見えた。
「……どうかしたの? なんか元気無さそうだけど……」
「……へ? いやいや、ぜんぜぇん? いつも通りのパーフェクトプリティーガール、坂月アヤメちゃんだよ? なんなら、今すぐ抱き締めてあげよっか? ぎゅってして頭ナデナデして、それからチューしちゃおうか? ちゅっちゅーって」
「…………いや、遠慮しておく」
「ちぇ、残念」
唇をすぼめて、じりじりと詰め寄ってくるアヤメに、キラが少し身を引きながら答えると、彼女はつまらなそうにベンチの背もたれに身を預けた。
「……まぁ、でも、そうかもしんないかも。転校生がどうとか、殺人事件がどうとかっていう話もあるんだろうけど ……」
「何かあったの?」
「いや、なんていうかさ、我が友のその顔を見ているとちょっと心配になってきちゃって」
「顔……?」
言われて、キラは自分の頬に手を当ててみる。
……いつも通りだった。特に変わったところはないと思うのだが……。
「? 別に普通だと思うけど……」
「ん~、そういうんじゃなくてさ。もっとこう、心の問題的なヤツ。いや、我が友はもともと、まともそうに見えて欠点だらけの精神性をしているんだけど」
「それ、褒めてるの? 貶してるの?」
ジト目で睨むと、アヤメは「あはは」と快活に笑った。
「大丈夫だって。我が友はちゃんと強いから。けど、その強さが自身の身を滅ぼすからさ。だから、我としては、もうちょい肩の力を抜いてほしいなって思うわけよ」
「アヤメちゃん……」
アヤメの言葉に、キラは目を丸くした。
彼女の言いたいことは分かる。
けれど、今の自分にとっては、これが精一杯なのだ。
「……ごめん。その気持ちに応えることはまだ出来ないかも。せめて、自分の命を救ってくれた人達に恩返しが出来るまでは……何も諦めたくないから」
真っ直ぐに見据えながら告げると、アヤメは困ったように眉尻を下げた。
「ま、七年前のを思えば、そうなっちゃうよね。我もそれは理解できる。だから、これ以上は何も言わない。だけど、さ――」
そこで言葉を切ると、アヤメはおもむろに立ち上がって、キラの正面に回り込む。
……ただ、それだけの動作だと言うのに、キラは思わず息を呑んだ。
「……えっと、なに?」
「ん? あー、いや、別に大したことじゃないんだけどさ。なんて言うか、こういうのは気分的にやった方がいいかと思って」
まるで、今から散歩にでも行くかのような気軽さでアヤメはキラの前に立つと、両腕を大きく広げて言った。
「ほれ、来るが良い」と。
一瞬、言っている意味が分からなかった。しかし、アヤメが満面の笑顔のままこちらを見下ろしている姿を見て、ようやく理解が追いつく。
「あ、あはは。なに言ってるの、アヤメちゃん。そんな恥ずかしい真似、公衆の面前で出来るわけが……」
「いいから、そういうの。今の我をあの転校生にでも見立てて、好き勝手にやって良いからさ。ほらほら、遠慮しないで。あの時、本当は今すぐにでも抱きつきたかったのだろう?」
「いや、え、えぇ……?」
「ほら、早く」
アヤメが急かしてくる。
だが、いくらなんでもこれは無理だ。こんなところを公園の子供達に見られた日には、恥ずかしさで、きっと自分は生きていけない。
「だ、ダメだよ。人目があるし、なんていうか、その……」
きょろきょろと周囲に目を配らせながら、キラはおどおどと答えた。
すると、アヤメは小さく嘆息して、
「あのなぁ、我が友よ。そういうのは雰囲気とか勢いが大事なんだよ。周りなんか気にせず、本能に従って、がおーって感じに襲ってくればいいじゃんか」
獣の如く吠えるような仕草をしてみせるアヤメに、キラはますます困惑して、頬を赤らめていく。
……襲うって、つまり、そういうことなのだろうか……?
「いや、さすがに、それは……」
「ん~? なんだい? まさかとは思うけど、我のこと嫌ってたりとかする?」
「そ、そういう訳じゃ……」
「じゃあ、問題なし! ほれ、おいで! むっつりさん!!」
「……、」
アヤメは再び両手を広げて、催促してくる。
……流石のキラでも、これに関してはカチンときた。
ここまで自分をからかっているということは、何かしらの意図があっての行動なのかもしれないが、それにしても限度というものがある。
「……もう知らない」
小さく吐き捨てて、キラはぷいっと顔を背けた。
そして、手に持ったコーヒー缶の残りを飲み干すと、ベンチから立ち上がって、ゴミ箱へと向かう。
……抱いてほしいなら、素直に言ってくれればいいのに。
なんて思いながら、空になったアルミ製の容器をゴミ箱の中へと放り投げて、再びアヤメの方を向いた瞬間だった。
「……あれ?」
キラの視界が真っ暗になる。
何が起こったのか分からない。ただ、後頭部に回された腕と、鼻腔をくすぐる甘い香りには覚えがあった。
「…………アヤメちゃん? ……、なにを」
キラが問いかけると、一拍おいて、
「どうだ? これで少しは楽になったか? 我が友よ」
耳元で囁かれた声は、先程までの子供っぽいものとは違っていて、どこか大人びたものに聞こえた。
「……うん。ちょっとだけ」
「そうか。ならば良かった」
満足げに言うと、アヤメはゆっくりと身体を離し、
「……なんか、空気が湿気っちまったな。……良かったら、このあといつものファミレスで飯を食っていかない? 勿論、奢ってやるからさ」
今度は、アヤメの方がほんのりと頬を赤く染めて、笑みを浮かべてきた。
「えっと……、まぁ、アヤメちゃんがそれでいいっていうのであれば」
「うむ、決まりだな」
アヤメは嬉々として言うと、キラの手を引いて歩き出す。
「……っと、その前にちょっと待って、アヤメちゃん。お母さんに連絡入れとかないと。あの人、心配しちゃうから」
「む、それもそうだな。んじゃ、電話終わったら、そのまま店に向かおうぜ」
「ほんとに、いつもありがとうね。アヤメちゃん」
「気にすんなって。別にこの程度、大したことじゃないんだからさ」
ニッ、と唇の端を吊り上げて答えてみせるアヤメに、キラもまた笑みで返すと、通学鞄の中から携帯を取り出そうとして――
「? あれ? 携帯がない……?」
――そこでようやく気が付いた。
自分が携帯を持っていないことに。
「? 嘘だ、そんなこと言っちゃって。実はポケットに入ってたりするパターンでしょ、それ」
「いや、ないみたい……。多分だけど、学園に忘れてきちゃったんだと思う」
愕然と呟いて、キラは力なく肩を落とした。
――不幸だ。よりにもよって、こういう時に限ってこんなことが起こるなんて。
「あー、そういうこともあるよな。だから、そんな落ち込むなって。我の携帯を使って連絡すればいいだろ? ほら」
アヤメが自身の携帯電話を差し出してくる。
「いや、でも……悪いよ……」
気まずくなったキラは、思わず視線を逸らした。
「なーに言ってんだよ。こういう時はお互い様だって。ほら、遠慮せずにさ」
「……けど、あの人、迷惑電話とか嫌いで仕事と私以外の電話には出ないようにしてるから……」
申し訳なくキラが言うと、アヤメがうわと顔をしかめて、
「これじゃあ……完全にお手上げじゃん。どうすんのこれ」
「どうすんのって……そりゃ、取り行くしかないでしょ。教室に置いたままってのもなんか問題になりそうだし」
キラの言葉にアヤメは、「だよねぇ……」とため息混じりに項垂れた後、なにかよからぬことを思いついたのかポン、と手を打って、
「しゃーない。なら、我はどっかで適当に時間を潰してるから思う存分、夜の学園探索を楽しんでくるがよい……」
あからさまにびくびくと肩を震わせて、告げてくるアヤメにキラは、ふぅん、と目を細めた。
「……もしかして、アヤメちゃん。怖いの苦手だったりする?」
「そそそそそそんなわけなかろう! 我はこれっぽっちも怖くなどはない!」
ぶんぶんと首を左右に振って否定するアヤメだったが、その反応はあまりにも分かりやすかった。
「まぁ、良いよ。これは私の失敗なんだし、私一人で行ってくるから」
「え、ほんとに?」
「ほんとに」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとに」
「ほんとのほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとのほんとに」
「ほんとのほんとのほんとのほんとに?」
「ほんとに、しつこい」
「……ごめんなさい」
「素直でよろしい」
「……はい」
しゅん、と小さくなったアヤメを見て、キラは小さく微笑んでみせる。
……正直なところ、キラ自身も夜の学校はちょっぴり苦手意識があるのだが、そこは我慢することにしよう。
「んじゃ、今度こそ行ってきます」
「……はい。どうか、お気をつけて」
「大丈夫だってば。じゃあまた、いつものファミレスで落ち合おうね」
「了解。じゃ、あとでな」
アヤメに見送られながら、キラは校舎へと足早に向かっていく。
そんな親友の後ろ姿を見て、坂月アヤメはふと思う。
――いつか、この日常は壊れてしまうのではないだろうか、と。
なんの確証もない、予感めいた不安の念だけが、いつまでも彼女の胸中を満たしていた。
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