唯一無二で代用不可
時刻は午後六時半頃。
「はぁ~……、疲れた」
大急ぎで校門を抜けてきたためか、額に浮かんだ大粒の汗を拭いながら、キラは陽の落ちた校舎の前まで戻ってきていた。
人の気配はない。
おそらくは殺人事件がどうのこうのという話で、職員も皆して早く帰宅するようにしているのだろう。
「さすがにこの時間だと誰もいないか……。まぁ、当たり前といえばそうかも知れないんだけど」
独り言を漏らしつつ、キラは職員玄関の方へと歩いていく。
魔剣士学園において、夜間の校内への立ち入りには生徒手帳が必要不可欠だ。
というのにも、これにはちゃんとした理由があって、過去に文化祭の準備で夜遅くまで残っていた生徒が、校舎から出る際に学園の防犯セキュリティに引っかかてしまうという、人騒がせな事件があったという話だ。……それも一件や二件という話ではなく、結構な数で。
それからというもの、学園側も夜間の出入りについては厳しく管理するようになり、生徒手帳にICチップを埋め込むようになったのだ。
ちなみに、この制度について当初は世間的にも懸念の声があったのだが、現在ではすっかり定着していて、ほとんどの学校が同じようなシステムを採用している。
というわけで、扉のロックを解除し、校舎の中へと入る。
「……にしても、やっぱり暗いと雰囲気が違うなぁ」
土足から来賓用のスリッパへと履き替えたキラは、薄暗くなった廊下を見渡して呟いた。
窓から僅かに差し込む月明かりのおかげで、かろうじて視界は確保できるものの、喧騒に溢れている昼間とは打って変わって静まり返っているせいか、どこか不気味だ。
「うーん……、なんか変な感じ。ホラー映画に出てくる廃墟みたい」
そんな感想を口にしながら、キラは生徒達の靴箱が並ぶ昇降口を通り過ぎて、階段を上っていく。
パタン、ペタンと、自分の足音だけが響き渡る空間は、普段の賑やかな場所に慣れ親しんでいるキラにとっては少し新鮮なものだった。
「そういえば、昔はよく病室からこっそりと抜け出して、夜の病院を探検してたっけ……」
懐かしむように、キラは思い出に浸る。
それはまだ、災害に巻き込まれた彼女が入院してた時の話。
当時のキラは、寝たきりの危篤状態から完全に回復した(それも、寝たきりになる前の時よりもなぜか、身体の調子が良くなった)ということもあってか、誰よりも活発で好奇心旺盛、天真爛漫という言葉をそのまま形にしかたのような少女だった。
特に消灯の時間帯になると、その好奇心はピークを迎え、あまり良くないことだと分かっていても、つい夜の病棟内を徘徊してしまう悪癖があった。
そして、その度に看護師さんや医師にバレて怒られるの繰り返し。
ひいては、神ヶ咲病棟のピンク髪怨霊として、手術に失敗して死んだ女の子の幽霊がーとか、被災者の無念がーとかいった根も葉もない噂が街中に流れてしまったこともあった。
とはいえ、当人はそんなこと気にする様子もなく、ただ毎日を楽しげに過ごしていた。
幼かった自分にとって、夜の病院というのは絶好の遊び場だったのだ。
「あの頃は良かったなぁ。何も考えずに遊べてたし」
しかし、今となっては、もう叶わない願いである。
「……、」
少しだけ寂しさを感じながら、キラは渡り廊下を通って教室棟へと向かう。
――それにしても、少し意外だったかもしれない。
道中、キラはなんの脈絡もなく、そんなことを思った。
「アヤメちゃんのことだから、絶対に一緒に行くって言い出すと思ったのに……」
別に、無理に付き合ってもらう必要はない。
けれども、なんだかんだ言ってアヤメはいつも自分に寄り添って、傍にいてくれる存在なのだ。
だからこそ、今回もまた口では闇の支配がどうたらこうたらとか適当に言って、一緒についてきてくれると思っていたのだが……、
「……まさか、あのアヤメちゃんがホラー苦手なんてね」
ふっと口元を緩める。
正直なところ、かなり意外な一面を見た気分だが、なんだかんだでアヤメらしいと言えばアヤメらしくもある。
「……っと、いけない。アヤメちゃんが待ってるから早く携帯を回収しちゃわないと」
小さく呟いて、キラは足を早めた。
◆◇◆
数分後。
七組の教室に到着したキラは、自身の机の中から目的の物を見つけ出して、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「よかったぁ。すぐに見つけられて……」
手に持った携帯電話を見て、安堵のため息をつく。
これで、残るはアヤメと合流して、母親に連絡をするだけだ。
「さてと……」
そこまで呟いたところで、キラは不意にある違和感を覚えた。
「……ん?」
それは本当に些細な感覚で、一瞬の気の迷いとも呼べる程度のもの。
しかし、なぜだろう。
――なんかいま。
遠くから変な音がしなかっただろうか? それも車のエンジン音とか、そういった類のものではなく、もっとこう、金属と金属がぶつかり合うような――、
「……まぁ、いっか」
そんなことを考えながらも、結局は首を傾げる程度に終わった。
だって、考えてみればこの時間帯に学校の敷地内に入る人間などいるはずがないからだ。
仮に誰かが入ってきたとしても、すぐにセキュリティが反応して警報が鳴るはずだし、そうでなくとも人の気配を感じた時点で、自分が真っ先に気づくだろう。
そう結論付けたキラは、特に深く考えることもなく踵を返すと、そのまま速やかかつ慎重に廊下を進んでいく。
もしかして、と思って耳を澄ましてみたものの、先ほどの音らしきものは聞こえてこない。
やはり、聞こえてくるのは心臓の鼓動と自分の足音、窓の外を吹き抜けていく風の音くらいだ。
「……うーん」
それでも、キラの中には小さなしこりのようなものが生まれつつあった。
その正体は分からない。
ただ、妙な胸騒ぎだけは確かに感じている。
「……」
少しだけ不安になりつつも、キラは階段を下っていく。
一段、また一段と下へ降りていけばいくほどに、心拍数が上がっていく。
……おかしい。やっぱり、なんか変。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
けれど、歩みを止めることはできない。
自分の意思がどうとか、そういった問題ではなく、まるで見えない力によって操られているかのように足が勝手に動いてしまうのだ。
「…………ッ」
そして、とうとう階段を下り終えて、一階の廊下へと足を踏み入れる。
やっぱり、ここも先ほどまでとなんら変わることのない静寂に包まれていた。
「……?」
どこか肩透かしを喰った気分になったものの、同時に少しだけ安心した。
……どうやら自分の思い過ごしだったようだ。
キラは少しだけ緊張を緩めると、土足に履き替えて、外へと出る。
「……、」
そこで、キラはまたしても奇妙な感覚に襲われた。
なんというか、背筋をなぞられるかのような嫌な寒気が全身を駆け巡る。
それは、虫の知らせというやつだったのかもしれない。
あるいは、第六感とも言うべきか。
とにかく、キラの直感が告げていた。
――ここから離れろ、と。
次の瞬間、キラの聴覚が何かの音を捉えた。
今度は、曖昧なものではない。
はっきりとした音を耳に捉えて、それが何なのかを把握する。
「――」
そして、理解してしまった。
その音の正体が何であるのか。
その音の出所がどこにあるのか。
その音が意味するものは一体、何なのか。
気がつけば、駆け出していた。
音の発生源であろう場所に向かって。
ただ、ひたすらに。
そうして、キラが辿り着いた場所は校庭だった。
誰一人とて居らず、閑散としているはずの場所。
しかし、今夜に限っては違った。
「――え、」
眼前に広がる光景を目の当たりにして、思わずキラの意識が凍りつく。
そこにあったのは、凄まじいまでの暴力と暴力の応酬だった。
砂塵を巻き上げながら、黒と赤の勢力が互いの命を奪わんと、刃と刃を交え、火花を散らし、甲高い剣戟の音色を校庭全体に響かせている。
そして、そんな戦いを繰り広げているは、二つの人影。
一つは、紅蓮に染まった刀を手にした誰か。
もう一つは……、夜の闇とほぼほぼ同化していて視認することは難しいが、どうやら少女の姿をしているようだった。
そんな両者の戦いは、まさしく熾烈を極める激戦。
常人が介入できる余地など微塵もなく、ただ見ていることしかできない領域にまで達するほどのもの。
五十メートル以上もの距離があるにも関わらず、両者の放つ覇気や殺気は肌をビリビリと震わせ、まるで戦場にいるかのような錯覚をキラに与えてくる。
「……っ」
そんな圧倒的な存在感を放つ存在を前にして、キラは恐怖に似た感情を覚えていた。
……怖い。
無意識のうちに身体が震え、額からは冷や汗が流れ落ちる。
けれども、目を逸らすことができない。
一歩でも動いたが最後、自分の存在が気づかれて殺されてしまうのではないか、と本能的に思ってしまうから。
それほどまでに、両者は殺すことのみに集中しており、見るもの全てを威圧してくる。
……ふと、昼休みに聞かされた殺人事件のことが脳裏を過ぎった。
犠牲になった家族は剣や槍のような長物で惨殺されたという。
それを聞いて、自分に出来ることはなんだろうと思い、想像した。
けれど、この場に立ってみて初めて分かることがあった。
――これは無理。
あんな化け物みたいな連中の間に割って入るなんて絶対に不可能だ。
そもそもの話、仮に自分があの二人と渡り合うなら、自分もああなるしかない。
そう確信できてしまった。
だからこそ――
「……」
音が止まった。
二人は距離をとって向かい合ったまま、動きを取らない。
それで殺し合いが終わったのかとキラが安堵した瞬間、より一層濃密な殺意が大気を揺らした。
「っ……!」
鼓動が止まる。呼吸すらも忘れそうになるほどの重苦しい空気の中、先に動きを見せたのは赤い方だった。
「あれって……」
呆然と呟く。
赤い方の獲物を軸として、風の流れが渦を巻く。
魔剣を媒体とすることによって、周囲のありとあらゆるエネルギーを吸収し、人が『奇跡』を扱うための力に変える。
その行為自体は、なんら珍しいことではない。
魔剣士ならば、壁の外を生き抜く為の手段として、誰もが学園で身につける技術であるからだ。
けれど、今の赤い方がやろうとしていることは軽く度を超えている。
今の赤い方がやろうとしているのは、自身の命すらをも力に変換させるというものだ。
当然、そんな真似をすれば寿命を削ることになるし、下手をしたら死ぬ可能性だってある。
それを赤い方は躊躇うことなく、実行に移した。
「――――」
殺される。
あの力が解き放たれれば、黒い方は間違いなく殺される。
……いいのか、それで。
誰かが死ぬのを黙って見過ごして。
見過ごして、九嶺キラの日常に戻るのか。
日常に戻って、誰かの死を無かったことにするのか?
――否。そんなの間違ってる。
全ての命は唯一無二で代用不可なものなのだから。
――だから? だからッ!!
キラは大きく息を吸い込み、
「……こ、こんばんはーッ!!!!」
唐突な挨拶が、夜の校庭に響き渡った。
「「!?」」
突然のことに驚き、二人の動きが固まる。
それはそうだ。
こんな時間にいきなり大声で話しかけられたら誰だって驚くに決まっている。
「あ……、ごめんなさい。お邪魔……だったですよね! 私はこれで失礼しますので、どうぞ心置きなく〜」
赤い方が身を沈ませるのを見て、キラは即座に回れ右をする。
ただそれだけの動作で、標的が自分に切り替わったと悟ったからだ。
全身の力を両足に束ね、逃げるためだけのモノとして、費やした。
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