力の使い方

 翌日。


 朝一番からナギサに『あなたの力について調べるわよ』と叩き起こされたキラは、夕暮れ時になるまで黒瀬の邸宅で様々な実験に付き合わされていた。


「……もう、いやぁ……。これ以上は無理ぃ……」


 ぜぇ、ぜぇと胸を上下させながら、キラはぐったりと芝生の地面に横たわる。

 結局あれから一日かけて色々なことを試してみたはいいものの、結果は撃沈。

 得られたものと言えば、疲れと空しさだけだった。


「情けないわね。あなた、体力には自信があるって言ってなかったかしら」

「言ってたけどぉ……。それはあくまでぐっすりと寝れた時の話であって……」


 言い訳じみたことを口にしながら、キラは首だけを動かして、恨みを込めた視線をナギサに向ける。

 が、やはりと言うべきか、彼女はその視線を歯牙にもかけず、逆に呆れたような口調で言葉を返してきた。


「あなたねぇ、言い訳をするのはいいけど、少し恥ずかしいと思わないわけ? それって単純にあなたの体調管理がなっていないだけじゃないの?」

「うっ……。そ、それは……」

「言っておくけど、私のせいにされても困るわよ。それに、私としてはあなたがそれだけ消耗していることの方がよっぽど意外なんだけれど」


 言って、ナギサは芝生の上に横たわり続けるキラを見下ろしつつ、小さくため息をついた。


「まぁ、一朝一夕でどうにかなる問題だとは一ミリたりとも思ってないけど、それでも早急に対処すべき事柄であることは事実よ。結果が振るわなかったからと言って、そこで立ち止まるわけにはいかないわ」

「それは……分かってるつもりだけど……」


 ナギサの言葉に、キラは顔を伏せながら小さく呟く。


 確かに彼女の言っていることは正しい。結果は振るわなかったが、だからといってこのまま何もせずにいるわけにはいかないのだ。

 だが、頭でそれを理解していても、心が納得できるかと言われれば話は別。

 キラとて、好きでこんな気持ちになっているわけではないのだ。だからこそ、どうすればいいのか分からずにいるわけで――


「お嬢様、お客様が困惑されています。あまり追いつめるような言動は控えた方がよろしいかと」


 なんとも言えない歯痒さに顔を顰めていると、今まで二人の様子を傍らで見守っていたミハルが、やんわりとナギサを窘めるように口を開いた。


「あら、それは失礼。別に彼女を責め立てるつもりはなかったのだけれど」

「分かっています。ですが、お嬢様は少しばかり言い方がきついきらいがあるので、少し注意した方が良いかと思いまして」

「……む。なによ、それ。それじゃまるで私が意地の悪い子供みたいに聞こえるじゃない」

「みたいではなく、そのものではありませんか」


 不満げに唇を尖らせ、抗議の視線を向けてくるナギサを大人の態度で軽くいなしたミハルは、キラの下へと近付くと、


「お客様、大丈夫ですか?」


 どこに隠し持っていたのか、液体の入ったボトルを差し出しながら、心配そうに様子を窺ってきた。


「あ、ありがとうございます……。えっと、これは……」

「私特製の栄養ドリンクです。滋養強壮はもちろん、疲労回復や筋肉痛などにも効果がありますから、もしよろしければお飲みください」

「あ、はい……」


 受け取ったボトルの蓋を開け、中身を口に含む。酸味と苦みが口の中に広がるが、その後に確かな甘みを感じた。

 飲みやすいように、舌に当たらないよう上手く調節された甘みは、疲れた身体に染み渡るようで、なんだか身体がぽかぽかと温かくなってくる。


「凄い……。こんなドリンクがあるなんて……」


 初めて飲む味に驚きを隠せないでいると、


「疲労回復の効能に合わせて甘みを調節してみたのですが、お口にあったようで何よりです」


 キラの反応に嬉しそうにはにかんだミハルが、少しばかり誇らしげに胸を張る。

 そんな彼女に笑みを返しながら、キラはボトルの中に半分ほど残っていた液体を一気に飲み干し、ふぅ、と一息ついた。


「美味しいです。本当についさっきまでの疲れが嘘みたいにさっぱりと……」

「ふふ……。なら、良かったです。では、お客様の元気も復活したことですし、そろそろ実験に戻りましょうか」

「え、まだやるんですか?」

「もちろんです。お嬢様のプランニングでは、今までのはウォーミングアップのようなもの。むしろ、ここからが本番です」

「いや、本番って……」


 そんなまさか、と思ってナギサを見ると、彼女はキラから顔を逸らしながら、ミハルの言葉を肯定するように頷いた。


「そうね、今までのは準備運動みたいなものよ。ここからが、ようやく本番といったところかしら」

「あの、でも私、もうこれ以上は……」

「これ以上? この程度で弱音を吐いているようじゃ、先が思いやられるわね」

「そ、そんなこと言われても……」


 ナギサの言葉に、キラは弱々しく抗議の声を上げる。

 が、彼女はキラの訴えを退けるかのように小さく鼻を鳴らすと、


「いい、九嶺さん? 私達には、さっきみたいなお巫山戯をしている余裕はないの。こうしている間にも、あなたの力は成長していき、宿主であるはずのあなたが逆に支配されていくかもしれないのよ?」

「そ、それは……そう、かもだけど……」

「なら、さっさと立ち上がる。支配される前に、自分の力を支配するの。それが、今のあなたがすべきことよ」

「っ……」


 ナギサの言葉に、キラは開きかけた口を閉じる。


 ナギサの言うことはもっともだった。


 こうしている間にも、キラの中に眠る力は大きくなっていき、いずれは自身の意識までをも呑み込んでしまうのかもしれない。

 そうなった時、自分は果たして、自分を保っていられるのだろうか――。


 否、不可能だ。


 現に、ナギサを始めて目にしたあの朝から頭の中では得体の知れない何かが蠢き、本能がそれに呼応するかのように、疼いて疼いて仕方がないのだから。


「そう、だよね……。うん、わかったよ、黒瀬さん。あと、もう少しだけ粘ってみることにするよ」


 両手で頬を叩きながら立ち上がる少女に、ナギサは満足げに微笑みながら、うんうん、と頷いて、


「その調子よ。それじゃ、さっそく私が指示を出すから、まずは身体の内側に意識を集中させてみて」

「ん、分かった」


 言われるがまま、キラは瞼を閉じて意識を身体の内側に集中させてみる。と、次の瞬間、不意に身体の奥底から得体の知れない力が滾り、全身を熱し始めているのが分かった。


「っ、これは……」

「どう? なにか感じた?」

「う、うん。なんだか体が熱を帯びてきたっていうか、力が湧き出る感じが一つ。それから、少しだけ頭が冴えてきたかも」

「へぇ……、まぁ、ここまでは私の推測通りといったところか……。いいわ、じゃあ次はそれを右手の甲――ちょうど十字の刻印がある辺りに集中させてみて」

「えっと、こう……かな?」


 キラは全身から湧きだした力を引き絞るように右手へと集中させていく。と、そこにある刻印が淡い光を放ち始めた。


「そうそう、いい感じよ、九嶺さん。そしたら、あなたが呼び出したっていう例の剣をイメージしてみて」

「あ、うん。分かった」


 ナギサの指示通り、キラは右手に意識を集中させたまま、脳内で武器のイメージを固めていく。


 構成材質、形状、硬度、質量、切れ味、製造過程、蓄積された経験、内包する力――この身に襲いかかる凶刃をことごとく打ち払った、あの剣に関するすべての情報を力強く、それでいて繊細に。

 やがて、そのイメージが記憶とリンクした瞬間――


「っ、きたこれ……!」


 キラの右手から放たれる光は螺旋を描きながら収束していき、やがてそこに一振りの剣が姿を顕した。


 ――まさか、こんなに上手くいくとは。


 今までの実験が無駄ではなかったと知り、胸の内側から喜びの感情が湧き上がってくる。

 達成感を噛みしめながら、キラはナギサへと向き直る。


「で、できた……! ほんとに、できたよ黒瀬さん!」

「……え、ええ。そうね……。まさかこれほどすんなりいくとは少し予想外だったわ……」

「お嬢様、驚く気持ちもわかりますが、お気を確かに。……今は、一番の問題を解消できたことに素直に喜びましょう?」


 興奮気味にはしゃぐキラに、ナギサは引き攣った笑みを浮かべ、ミハルは労いの言葉と共に主の背中を優しく撫でた。


「そ、それもそうよね。確かに、今一番の問題はこれでほぼ解決したようなものなのよね。まさか、この私がミハルごときに諭される日が来ようだなんて……」


 少し癪だわ、と小声で呟くナギサに、ミハルはクスリと笑みを零し、


「なんですか、お嬢様?  もしかして、私に慰めてほしかったんですか?」

「ち、違うわよ!  私はただ自分に喝を入れなおして……」

「おや、いつもの照れ隠しですか。大丈夫ですよ、私はちゃんと分かってますから」

「だから違うって言ってんの!  もう、調子に乗るんじゃないわよ! このバカ!!」


 羞恥かそれとも憤りからか。顔を真っ赤にしながらミハルの肩を掴んで揺さぶるナギサ。

 しかし、そんな彼女の必死な抵抗も虚しく、ミハルは余裕たっぷりに微笑んでみせると――


「はいはい、そうですね。バカで変態な私は、お嬢様に罵られるのが一番のご褒美ですから、つい調子に乗ってしまうのです」

「くぅっ、この……っ!」


 なおも笑みを崩さないミハルに、ナギサは悔しげに唇を噛んだ。が、それでも彼女はすぐに持ち前の冷静さを取り戻すと、肩から手を離して静かに口を開いた。


「……はぁ、もういいわ。あなたの変態加減には呆れを通り越してもはや尊敬の念すら抱く領域ね。流石はそのイカれた精神性のみで猛者の座へと登りつめただけのことはあるわ」

「おや、聞き捨てなりませんね、お嬢様。私は変態でこそありますが、嗜好的な変態ではなく、あくまで手段的な変態。そうした方が効果的だと感じたのなら、その手段を選ぶまでです」

「いや、だから、あなたのそういうところが……って、まずいまずい。あともう少しでまた脱線するところだったわ。とにかく、今は九嶺さんよ」


 またもやミハルのペースに呑まれかけたナギサが、小さく咳払いをして話を元に戻す。

 すると、その意を汲んだのか、ミハルもまたそれ以上口を挟むことはなく、静かにキラの方へと視線を向けた。


「えっと……これからのこと、だよね? 確かに、これならなんとかなるかも」

「ええ、そうね。とりあえず、そっちは一段落といったところかしら。まだ完全に安全が保証されたわけじゃないから、警戒しておくことに越したことはないけど」

「まぁ、そうなるよね。この力の使い方が分かったからと言って、この力の全てを理解したわけじゃない。むしろ、この力はまだ私達の知らない力を秘めているかもしれないわけだし……」


 ナギサの言葉に、キラは表情を曇らせながら静かに頷く。


 言われてみれば、この力を自分の意思で使えるようにこそなったが、力の正体や性質については、まだなにも分かっていないのだ。

 よくわからないものをわからないまま使っている状態。それはまるで、先の見えない暗闇の中を手探りで歩いているかのような感覚であり、底知れぬ不安感をキラに抱かせた。


「ま、まぁ、それに関しては多分大丈夫だと思うわ。九嶺さんの中の力は、宿主の意思によって善にも悪にも転ぶものの類いだと思うから。少なくとも、あなたが悪に染まるようなことがなければ人を傷つけることは無いんじゃないかしら?」

「黒瀬さん……」


 慰めるようなナギサの言葉に、キラは少しだけ安堵感のようなものを覚える。が、相変わらず彼女の笑みにも不安げな色が滲んでいることに気付き、ナギサもそう楽観視していないことを改めて思い知った。


「えへへ、黒瀬さんは私のことを信用してくれてるんだ? ありがとうね」

「っ……そ、そういうことは口にしなくていいのよ。あくまで私の妄言みたいなものなんだから。確証もないのに鵜呑みにされても困るわ」

「ふふっ、そういうことにしておくね」


 ナギサの不器用な気遣いに、キラは小さく笑みを零すと、彼女の言葉を頭の中で反芻させながら、右手へと握られた剣に意識を落とす。


 ナギサの言う通り、この力はまだ自分の意思で扱えるようになったばかりで、使いこなすには時間がかかるのかもしれない。

 だが、それでも自らの意思で発動させることができたという事実は、九嶺キラの小さな背中をほんの少しでも押してくれる。

 たとえ今はこの力の正体を、剣の正体を、真に理解しきっていなかったとしても、きっといつかは使いこなせるようになると信じて。

 未知なる力が己の内側に宿ったことに、ナギサ達と出会えたことに、キラは静かに感謝し、そして誓うのだった。


 この力を決して悪には染めないと。


 この力を決して私利私欲のためには使わないと。


 そう、心に刻みつけて――。

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