バカばっか

「――それで、ナギサお嬢様。この方は一体……?」


 時刻は既に七時。


 ナギサが車窓越しに流れ行く夜景をぼんやりと眺めていると、運転席に座る赤髪の女性が眉を八の字に歪めながら言った。

 肩の上で切り揃えられた赤髪はネオン灯によって燃えるように輝き、紅玉の瞳はまっすぐ前だけを見据えている。

 黒のスーツをその身に纏っているということも相まってか、見る者によっては、男性的な印象を受けるだろう。

 しかし、彼女の顔立ちは女性そのもの。

 化粧っ気こそないものの、整った容姿をしており、スタイルも抜群であった。

 そんな彼女の名は間園ミハル。

 かつては、死を恐れない戦いぶりから『鮮血』と呼ばれた恐るべき魔剣士であり、現在は黒瀬財閥に仕える者の一人である。

 余談ではあるが、彼女の右腕は義腕となっており、本人曰く特別製らしい。

 右腕を失った経緯は色々とあるのだが、今は置いておくことにしておこう。


「なにって、そりゃあクラスメイトに決まっているじゃない。それ以上でもそれ以下でもないわ」

「いえ、そうではなくて……」

「それともなに? 変態の分際でこの私に口答えでもするつもり?」

「いや、その、なんと言いますか……」

「なによ?  はっきり言いなさい」

「……ええと、ですね。どうして、お嬢様のクラスメイトの方がこの車に同乗しているのかと……。しかも、こんな時間に……」

「ああ、そういうことね」


 相槌を打つと、ナギサは隣に座っているキラの方へ視線を向けた後、簡潔に答えた。


「私が拾ったのよ」

「……はい?」

「なんでも、この子が言うには命を何者かに狙われているらしくてね。私としては面白くない事態だったし、ちょうどいい機会だと思って保護することにしたの」

「……なるほど、そういうことですか。ですが、仮にそうだとしても、なぜ、お嬢様が面倒事を引き受けなければならないのですか。普通、こういうのは警察がやる仕事だと思うのですが……」

「警察はダメよ。あいつらにこの子のことを説明したところで、そもそもまともに取り合ってくれるとは思えないもの」


 ナギサの言葉にミハルは沈黙する。


 一般人にとってみれば、キラの存在は異質そのもの。

 なにせ、キラは一度死んだにも関わらず、蘇ってきたのだ。

 そんな存在、普通の人間が受け入れられるはずがない。

 下手をすれば、頭がおかしいと判断され、精神病院送りになるのがオチだろう。


「それに、この子には利用価値があるから」

「利用価値、とは?」

「簡単な話よ、ミハル。この子には再生の力がある。それが完全な形であるか、不完全な形であるかはわからないけど、その力で一度蘇っている以上、世界中の有権者達が放っておく訳がないでしょう?」

「それはつまり……モルモットやサンプルということですか……?」


 僅かに鼻息を荒らげて、ミハルは尋ねた。


「言い方が悪いかもしれないけれど、まぁ、概ねその認識で間違いはないと思うわ。

 万能の薬をつくるために、あるいは、表では公に出来ないような非人道的な実験を行うためだけに拘束し、監禁される。ま、薬漬けにされて脳みそ弄くり回されたり、無理矢理に孕ませられたりするのが関の山といったところかしらね」


 ナギサはそこで一旦言葉を区切ると、隣でじっと右手を見つめているキラの顔を一別した。


「そういうことだから、とりあえずのところは、この子は私達で預かることにするつもりよ」

「……わかりました。そこまで言うのであれば、私からはもう何も申しません」

「ふぅん……。今回ばかりは随分と物分かりがいいのね。いつもなら、私に殴られるまで絶対に引き下がらないくせに」

「はい。このような人の命とかそういった類いの、難しいものがかかってる重要な局面で、お嬢様に意見するなんて、私にはとても出来そうにありませんでしたから」

「……あなた、もしかして何か企んでいるんじゃないの?  やけに素直すぎて逆に気持ち悪いんだけど。私の知らない間に、変なものでも食べた?」


 ナギサの指摘に、ミハルは笑みを浮かべながら、そうだと良かったのですが、と呟いて首を横に振った。


「残念ながら、お嬢様の考えているようなことはありません。ただ、お嬢様はあの頃と変わらず、どこまでもお優しい方なのだなと思っただけです」

「……優しい? まさかこの私が? 私はただ、ある程度の事情を知っておきながら、そのまま傍観するような真似はしたくないだけ。……それに」

「?」

「寝覚めがより一層、悪くなるじゃない。何もしなかった結果、クラスメイトの一人が行方不明になりましたー、なんていうことになったら」

「それを避けるための保護、ですか?」


 ミハルの指摘にナギサは首肯した。


「そ、だからこれはあくまで私の我が儘。自分の立場とか、誰かからの評価なんてのはどうだっていい。でも、嫌いなのよ。誰かのせいで犠牲になる人がいるのは、ね」


 それはかつての自分が嫌というほど味わったもの。

 無力な自分によってもたらされる結果がどれほど残酷なものであるかを知っている人間にとってみれば、それは耐え難い苦痛だった。


「ふふっ、相変わらずですね、お嬢様は」

「……む。なによ、ミハル。あなた、また私をバカにしているつもり?」

「滅相もない。私はただ、お嬢様のことを誇りに思っているだけです」

「……そ。けど、あまり私に期待するのはやめてよね。私なんかに期待したところで、何も返ってこないんだから」


 突き放すように言って、鼻を鳴らすと、ナギサは再び遠い視線で窓の外を見つめ始める。

 窓越しに見える景色は、ここが繁華街の一角であるということもあってか、人気で賑わっており、皆一様にして活気に満ち溢れていた。


 ……ほんの一瞬、窓の外を見つめる主の横顔に翳りが差す。


 妬んでいるのだろう。

 面倒くさい立場に置かれ、人並みの幸せを奪われた者として。

 こればかしは誰の手でもどうすることのできない問題だと分かっていても、そう簡単に割り切れるものではない。


「……ほんと、どいつもこいつもバカみたい」


 ぽつり、と。

 ナギサの口から溢れた言葉。

 それはナギサ自身の境遇についてだろうか。

 それとも、他の誰かに対する呪いの言葉だったのだろうか。


「……お嬢様」

「なに?」

「私だけは何があっても、お嬢様の味方ですから」

「……バカね、そんな当然のこといちいち言わなくていいわよ」


 ぶっきらぼうに言い放ちながら、ナギサはミハルから視線を外して窓の外を見つめ続けるのだった。


 ◆◇◆


「にしても、九嶺さん。あなた、本当にこれで良かったわけ……? 私の家に来るのにもう少し抵抗があるものだと思っていたけど……」


 しばらくして、窓から人の営みを眺めているのに飽きたのか、ナギサは隣の席に座っているキラの方に視線だけを向けて、問いかける。

 ナギサの問いかけが予想外だったキラは、一瞬目を瞬かせた後、少し照れくさそうな顔をしながら答えた。


「えっと……抵抗が無いかと言われれば嘘になるかな。けど、私のことで家族を危険に巻き込む訳にはいかないし……」


 それになにより、とキラは言葉を続けた。


「……みんなの命と笑顔を守れれば、私はそれで満足だか、ら……?」

「……」


 キラの言葉に、車内が静まり返る。それは、彼女の発言がナギサ達のデリケートな部分に触れたからだろう。

 まるでお通夜を想起させるかのような空気の中、最初に口を開いたのはやはりナギサだった。


「……下らないわね、それ。要するに綺麗事ばっかり並べて結局は自己満足に浸りたいだけの偽善じゃない」

「別にそういうつもりで言ったんじゃ……」

「つもりもなにも同じことよ。あなたならわかるはず。そうやって誰かを救おうとした人間が早死する姿を。そして、残された人間がどういう気持ちを抱くかを」


 今度はナギサの言葉に、キラが沈黙する番だった。


 誰かを救うということは、何かを犠牲にすること。

 一人でも多くの人間を救いたいと考えるのならば、生半可な覚悟では到底成し得ない。

 否、その覚悟があったとしても、その先に待ち受けているのは、長く辛い道のりだけ。

 そこに間違いがあるとは思わないし、キラとて、もちろんそれに関しては覚悟している。


 ……けど。


 キラは考えてみたことがなかった。


 理想に身を捧げた者に、想いを馳せた人間がどうなるのかを。


「……お嬢様。それはいくらなんでも言い過ぎでは……?」

「ミハル。あなたは黙ってなさい」


 横槍を入れてきたミハルを一蹴すると、ナギサは続けて言った。


「いい? あなたが本当の意味で大事な人達を守りたいなら、もっと利己的に生きるべきよ。他人のために自分の命を投げ出すこと以上に愚かな行為はないんだから」

「けど、私は……!」


 そんなつもりで言ったんじゃ、と反論するよりも先に、ストップと唇にナギサの人差し指が当てられ、キラは口を閉ざした。


「私はあなたと議論するつもりはない。するだけ時間の無駄でしょうから。けれど、これだけは言っておく。あなた、このままだと自身を破滅に追いやるどころか、周りの人間まで破滅に追いやることになるわよ」

「……っ」


 ナギサの瞳の奥でどす黒く渦巻く、憐憫と軽蔑の色彩に、キラは思わず息を呑む。

 それはまるで、自身の奥底にある心の闇を覗かれているような錯覚を覚えたからなのかもしれない。

 あるいは、黒瀬ナギサという少女が持つ、ある種の恐ろしさを感じ取ったからか。

 いずれにせよ、今のキラにはナギサの忠告に反論できるだけの覚悟を持ち合わせていないことに、変わりはなかった。


「……ま、何かを守れるような人間になりたいのなら、せいぜい葛藤しながら守りたいものに優先順位をつけることね」


 それだけ言うと、ナギサは深く息を吐いて、瞼を閉じた。

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