残像

「――しかし、こうもあっさりと私の攻撃を通すものだから尚更、不思議ね。普通の使徒なら、『対文明防御』によって私の攻撃を弾いているはずでしょう?  なのに、あなたの身体にはちゃんとダメージが通っている。あなた、本当に何者なの?」


 スカートについた埃を、ぱたぱたと払い落としながら、ナギサが問う。


 『対文明防御』――それは、使徒が保有する、ありとあらゆる人の力を否定する概念であり、核の力をもってしても破ることの出来ない、絶対防壁である。

 ――はずなのだが、キラは確かにナギサのつねり攻撃を通していた。


「いや、その、なんというか、さ……。黒瀬さんの期待に添えないようで悪いんだけど、私でも未だによく分かっていないんだよね……。自分が人間なのか、それとも使徒なのか……」

「……どういうこと?」


 目を細めながら問いかける、ナギサの横を通り過ぎたキラは、そのまま屋上の柵に上半身を預けて、告白した。


「私ね、一昨日の夜、確かに死んだんだよ。心臓を貫かれて、血がいっぱい出て、息をするのすら苦しくて……。それで、もう助かる見込みはないと思った。でも、誰かさんが優しく手を握って私を呼んだんだよ。まだ生きるのを諦めてはいけないって……」


 二人の間に夜の訪れを告げる、冷たい風が吹き抜ける。

 キラの桃髪が風に靡く中、ナギサは黙って彼女の話を聞き続けた。


「……そして、気がついた時には、夜の廊下で一人倒れていたの。まるで、時間が巻き戻ったみたいに、殺されたという結果のみを否定して」

「……」

「正直、最初は自分の身に何が起きたのか分からなかったし、夢なんじゃないかって疑った。だって、あんな傷が治るなんて普通あり得ないもん。けど、それは決して夢なんかじゃなかった。仮面の人には今もなお狙われているし、右手からは変な魔剣が出てくるし、それに何より――」


 そこで言葉を切ると、キラはナギサへと向き直り、純白の制服の胸元を止めるリボンに手を掛ける。

 シュルリと音を立てて解かれたそれは、重力に従って、はらりと床に落ちた。


「ッ、な、何をしているの!?」


 突然の奇行に驚き、声を上げるナギサ。

 だが、キラはそんな彼女を気にすることなく、ゆっくりとシャツのボタンを一つずつ外していく。

 そうして露わになった、小さな膨らみの間に存在する禍々しい紋様を見て、ナギサは驚愕に表情を歪めた。


「――私はね、東京が落ちた日に一度、死んでいるはずだったの。誰に知られるまでもなく、地獄の炎の中で野垂れ死んでいるはずだった」

「………………」

「けど、結果として私は今ここにいる。それがどうしてか黒瀬さんにはわかる?」


 キラの問い掛けに、ナギサは何も答えない。

 彼女はただ黙って、目の前の少女の顔を見つめ続けていた。


「答えはね……自分一人が助かるためだけに他人を犠牲にした、だよ」

「……え?」


 ようやく発せられた一言。

 その小さな呟きと共に、ナギサは呆然と口を開けていた。


「私を助けてくれた人は、ある事故のせいで植物状態になっちゃってね。事故の後、その人のご両親が、一生懸命にお世話をしていたらしいの。永遠に目を覚ますことはないと分かっていながらも、もう一度家族みんなで食卓を囲む日を信じて……」

「……」

「だけど、私はそんな人達の希望を奪ってしまった。たった一つの偶然に救われてしまったことによって」


 淡々と言葉を紡ぐ少女の声が響く中、ナギサは考える。

 誰かの命は、誰かの犠牲の上に成り立っている。これは、当然の事だ。


 世界はいつだって不平等に出来ている。


 それはこの世界の誰よりも、彼女がよく知っていることであった。

 だからこそ、今更その程度の事で、彼女に対して失望を抱くことはない。

 とうの昔に覚悟は決まっているから。


 ――けれど、だとしたら。

 何故自分は、こんなにも苛ついているのだろうか?

 ナギサは、己の心が揺れ動く理由がわからず、視線を泳がせた。


「あはは、ごめん。本当はこんなに話を逸らすつもりじゃなかったんだけど、これから話すことをどうしようかと考えていたら、つい興が乗っちゃって……私ってば、少し変わってるよね」


 自嘲しながら、リボンを拾い上げて、キラは乱した制服を整える。

 そんな少女の姿を眺めながら、「……別に」とナギサは小さく相槌を打った。


「あなたが変わっているのは、最初から分かっていたことだから。だから、気にしないで」

「そっか……ありがとうね、黒瀬さん」


 ふわりと微笑むキラ。

 その笑顔が、ナギサの胸の奥底に眠る思い出の破片を抉るように刺激した。


「――!」


 言い表せぬ恐怖に襲われて、ナギサは反射的に後退する。

 しかし、背後にあった柵が背中に当たり、これより後ろへ下がることは叶わない。


 ――どうして今更あの子のことを……。


 ナギサは混乱していた。

 かつての記憶の残像が、キラの笑顔と重なって見えたのだ。


「大丈夫、黒瀬さん?  顔色が悪いよ?」


 心配そうに顔を覗き込んでくるキラ。

 その仕草一つ一つが、ナギサの脳裏に焼き付いた過去の光景に酷似しており、彼女の心を激しく揺さぶった。


「……な、なんでもないわ。ちょっと目眩にも似た立ち眩みを覚えただけ……、あなたが気にするほどのことじゃない」

「で、でも本当に大丈夫? それだったら一度どっかに座ったほうがいいんじゃ……? あ、なんだったら膝枕もしてあげよっか?」

「…………ふざけたことを言ってるんじゃないわよ。その気持ち悪いにやけ面もいい加減に止めなさい」

「ご、ごめんなさい……」


 ナギサの辛辣な一言によって、しゅんと縮こまるキラ。

 そんな姿を見ながら、ようやく冷静さを取り戻した彼女は、ほっと胸を撫で下ろした。


 ――……一体なんだったのかしら。今のは。


 先程から度々起こる不可解な思考の揺らぎに、ナギサは困惑する。

 ……どうにも今日の自分は、普段よりも冷静さを欠いているらしい。

 目の前の少女の姿形が、かつての知り合いと瓜二つであるにしろ、仕草の一つ一つが過去を思い起こさせるものだとしても、それは所詮他人の空似であるはずだ。

 なのに、何故ここまで心を乱されているのだろうか?


 わからない。自分の本当の気持ちが、わからない。


 ナギサは己の心の在り方について、しばしの間、考えを巡らせる。


 ――この胸の中に芽生えつつあるモヤモヤとした感情は?


 ……否、今重要なのはそこではない。もっと手前の部分のはずだ。


 ……自分は一体何を望んでいるのか。


 そこさえ理解できれば、この混乱も綺麗さっぱり解決できることだろう。


 だが――その解を導き出そうとすればするほど、ナギサの中の困惑は大きくなっていく。


「…………」

「……あの、黒瀬さん?」

「……なにかしら」

「いや、さっきからずっと黙っているけど大丈夫? や、やっぱり気分が悪いんじゃ……?」


 キラの心配する声が耳に届く。ナギサはそこで思考を止め、ゆっくりと顔を上げた。


「……別に、なんでもないわ。ちょっと昔のことを思い出していただけ」

「昔って……?」

「――それは……」


 何気なく尋ねられたキラの問いに、ナギサは一瞬口ごもる。


「……本当になんでもないから。気にしないで頂戴」


 それから気を取り直したナギサは、そっと息を吐きながら首を横に振った。


「とにかく、これからのあなたについてだけど……そうね。とりあえず私の家に来てもらうことにするわ。事件のこととかあなたの力のこととかで、色々と聞きたいことがあるから」

「ああ……。うん、了解」


 こちらの台詞に嫌な顔一つせず、コクリと素直に頷くキラに、ナギサは一抹の不安を覚える。

 が、ここで変に突っ込んでも仕方がないと思い直した彼女は、そのままキラを連れて屋上を後にしたのであった。

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