撃鉄
時は少し遡り。
「…………?」
妙な胸騒ぎを起こして、黒瀬ナギサは目を覚ました。
枕元の時計を確認すると、針はまだ夜の十二時を指していた。
普段なら、一度眠りについてしまえば朝まで起きない彼女だったが、今だけは目が冴えてしまっていた。
どうも、何か良くないことが起こりそうな予感がしたのだ。
「……ふぁ」
小さな欠伸をして、ナギサはベッドから起き上がる。
「……少し喉、乾いたわね……」
着崩れた寝間着姿のまま、彼女は自室を後にし、階段を下りて厨房へと足を踏み入れた。
冷蔵庫を開けて、水の入ったボトルを取り出すと、蓋を開けて喉に流し込む。
「……ふぅ。これでよし、と」
飲み終えたペットボトルを冷蔵庫に戻して、ナギサは踵を返す。
しかし──その足は途中で止まった。
「ん……? こんな時間にどうしたんだろ、あの変態……」
無駄に長い廊下を慌ただしく駆け回るミハルの姿に気がついて、ナギサは首をかしげた。
いつもであれば、真夜中であろうが早朝であろうが常に鬱陶しいほどに元気なミハルなのだが……今夜はやけに深刻な顔をしているように見えたのだ。
「ちょっと、ミハル。どうしたのよ? そんな真っ青な顔をして……」
流石に心配になって声をかけてみると、ミハルは血相を変えてこちらへと駆け寄ってくる。
「お、お嬢様! 大変です! お客様の姿がどこにも……!」
「……は?」
ミハルの言葉を聞いて、ナギサは凍りついた。
「いないって……それ本当なの? まさか、黙って出ていったとか?」
「はい、恐らくは。私がちょっとした野暮用で、お客様の部屋を覗いた時には既に……」
「……嘘でしょ?」
「嘘じゃありません!」
信じられないとばかりにナギサはミハルから話を聞くが、残念ながらそれは紛れもない事実のようだった。
「も、もしかしてあのバカ……本当にアイツを止めにいくつもりなの……?」
呆然と呟き、ナギサは先程まで感じていた胸騒ぎの正体を理解して、歯軋りする。
──九嶺さんを、あんな風に苦しませたくなかっただけなのに……。
脳裏に昨夜の光景が浮かび上がってきて、ナギサは拳を強く握りしめた。
腐っていても何かが始まるわけじゃない。
──今からでも操車場に向かわないと。
キラを一人きりにすることなんて出来るはずがなかった。
「お嬢様? ……その、大丈夫ですか? あまりお顔の色が優れないようですが……」
不安げに声をかけてくるミハルにナギサは即答する。
「悪いけど、今夜は休んでられないわ。事情が変わったから」
「ええ!? それってどういう……」
「とにかくあなたは車を出しなさい。私は速攻で身支度を済ませてくるから」
有無を言わせぬ口調でナギサは言い放つと、早足で自室へと戻っていった。
◆◇◆
灰色と赤色が交差する。
幾度にも渡って振るわれる炎の刃、幾重もの太刀筋。
互いに間合いを詰めては離れ、また詰める。
何度も同じ作業を繰り返しながら、二人の魔剣士は火花を散らし、互いの命を削り合っていく。
だが──決着は一向につく気配がない。
それもそのはず、サツキとキラではそもそものスペックに決定的な差があるからだ。
不死に近い能力を有しているとはいえ、実戦経験がほぼゼロと言っても差し支えないキラと、かつて数多くの死線を潜り抜けてきたであろうサツキとでは戦闘技術がまるで違う。
だから、必然的にサツキの攻める回数が多くなり──キラは守りに徹する展開になってしまう。
「どうした、そんなものか? 君の覚悟はその程度のものなのか!?」
何度目になるか分からないサツキからの挑発の言葉を受けても、キラの表情は変わらない。
……否、変えられないのだ。今この瞬間にも少しでも気を緩めれば、時を待たずして殺されるという状況下。
とてもじゃないが、キラには言葉を返す余裕などない。
「はぁっ──!」
刀を弾き返し、キラはなんとか後方へと飛びのく。
が、それを易々と逃すサツキではない。
即座に間合いを詰めて、追撃を仕掛けてくる。
「くっ!」
サツキの切り上げを何とか防いだキラだったが──すかさず繰り出された回し蹴りが無防備な腹へと直撃した。
「がっ……は……!」
体がくの字に折れ曲がり、地面の上を吹き飛ばされる。地面を二転、三転と転がってからようやく勢いが止まる。
「げほっ……ごほっ……」
腹部の鈍痛と吐き気に耐えながら、キラは地面の上に片膝をついた。
──こんなはずじゃ……ないのに……!
このままでは負けてしまう。勝てるわけがない。
そんな感情がサツキに圧倒されていくうちに心の中で湧き起こってくるが──必死に首を横に振って振り払う。
──諦めちゃだめだ……。ここで私が諦めたら、お母さんはずっと苦しみ続けるハメになる!
……そう、キラの目的はあくまでサツキを救うことであって、決して殺すことではない。
実力差など初めて剣を交えた時から分かっていたことだ。
……弱音を吐いたところで、その差が埋まるわけじゃない。
「はあ……はぁ……」
疲労と痛みで軋む全身に鞭を打って、キラは立ち上がり、頭の中を整理する。
……サツキの持つ刀の異能は十中八九、炎熱系能力。
これが熱量操作だった場合、勝ち目はほぼゼロに近いと言っても良いだろうが、火を使う能力であるのならば話は別だ。
対処する手段自体なら、いくらでもある。
……あとは状況や環境を見極めて、相手の能力を逆手に取った罠を仕掛けさえすれば、それが王手となるに違いない。
残る問題は、サツキに自分が望んだ通りの動きをどうさせるか、だが……。
「大丈夫、やれる。今の私なら……絶対に……」
弱気な心を勇気で上書きして、キラはぐっと剣の柄を握りしめた。
……思い出せ、今まで見てきたものを。自分が経験してきたものを。
心を奮い立たせながら、キラはサツキの一挙手一投足を見逃すまいと睨みつける。
「来なよ、お母さん。私の覚悟を見せてあげるから」
「……ほう?」
キラの挑発的な言動を受けて、サツキは興味深そうに目を細める。
「言ったはずだよ。お母さんを止めてみせるって」
ただの決意表明ではない。確固たる信念と自信に裏打ちされた言葉だ。
そんな娘の姿を見て……サツキは笑みを浮かべると、改めて刀を構え直した。
「いいだろう、見せてもらおうじゃないか! 君の覚悟とやらを!」
サツキの言葉を合図に、戦いは再開する。
今まで以上に激しく、熾烈な剣戟。
何度斬り合い、何度撃ち合ったかすら分からない。
……だが、それでもキラはサツキの剣戟の多くを跳ね返し、躱してみせる。
二人が織り成す斬撃の応酬は一向に止む気配を見せなかった。
「――ッ!」
裂帛の気合いと共に、キラは剣を振るう。それをサツキが刀で受け流し、返しの一太刀を浴びせにかかる。
サツキの一閃を直感だけを頼りに回避し──立て続けに放たれた二撃目を受け流す暇もなく、受け止める。
刃が肌を掠め、剣と刀のぶつかる音が鳴り響く中、二人は一歩も引かないどころか果敢に攻め込んでいく。
「ッ!」
渾身の力を込めてキラは剣を振り抜き──勢いでサツキの刀を大きく弾くことに成功する。
しかしながら、それでもサツキは動じることなく、即座に来たるであろう追撃に備え──
「!?」
直後、サツキの目が驚愕に見開かれる。
キラは追撃に出るどころか、背を向けて走り出していたのだ。
好機だと判断したサツキは刀身に炎を纏わせる。
雨の中でも一切衰えることなく燃え盛る炎の渦。
まさに切り札と呼ぶに相応しい火力だが……故にこそ、サツキは警戒すべきだった。
――ここがどこであるのかを。
「待て! 逃げるつもりか!」
叫びながら、雨に濡れたアスファルトを蹴り、サツキは真っ直ぐにキラの背中へと迫っていく。
けれども、キラは一向に止まる気配を見せず──コンテナおよび資材が山積みにされている区画へと足を踏み入れ、行方をくらました。
「ちぃっ! 小癪な真似を!」
舌打ちしながらサツキは見えなくなったキラの姿を捉えようと、辺りを見渡す。
が、その程度のことでキラの姿を捉えることができるはずもなく。
「くそ……どこに行った……!」
闇雲に駆け回るサツキだったが──その動きは不意に止まる。
「……こっちだよ、お母さん」
声のした方向へと視線をやれば、コンテナの前に佇むキラの姿が見えた。
「バカめ、そんなところに逃げたところで──」
追い詰めたと確信して、サツキは踏み出そうとするが──その時になって初めて気がついた。
足元の水溜まりがオレンジ色に染まっていることに。
「――まさか、」
サツキが目を見開き、言葉を発し切る前に。
炎を纏った刀身から火花が散り――足元の水溜まりへと引火する。
次の刹那、音を吹き飛ばして、爆炎がサツキを覆い隠した。
――やった……!
あらん限りの手段で攻撃を放ったキラは、肩で息をしながら爆炎が消えるのを待つ。
完全に舞い上がった炎の中に包まれてしまえば、いくらサツキといえど無事で済むはずがないと信じて。
しかし──そんなキラの願いは呆気なく砕かれた。
炎が消えて、視界が開ける。
「……そ、んな……」
愕然とした声を漏らして、キラはその場に立ち尽くした。
炎が消えたその場所に立っていたのは──全身に深い火傷を負いながらも、まだ戦意を失っていないサツキの姿だった。
「なんで……?」
思わず口から漏れ出た疑問の言葉。
あれだけの熱量を浴びれば、大抵の人間は耐えられないはず。
それなのに、なぜサツキは炎に焼かれても尚、刃を振るうことができるのか──キラには皆目見当がつかない。
いや、そもそもの話として……一体全体どういうカラクリであの爆炎に耐えてみせたのか?
そのカラクリを導き出すことができずにいると──刀を構えたままこちらに歩いてきていたサツキが口を開いた。
「さすがに……今のは効いたよ」
「……え?」
サツキの言葉に、キラは思わず呆けた声を漏らしてしまう。
「まさか、君がガソリンを使ってくるなんてね。なかなかに意表を突かれた」
「……お母さん、どうして」
「君は、こういう話を知っているか? 一つの魔剣を長い間使い続けていると、身体の方が適応していき、やがてその魔剣が持つ能力に近しい事象に対して、ある程度の耐性を得るという話を」
「……そんな」
次に続くサツキの台詞を察して、キラの顔が悲痛に歪む。
「そうだ、君の想像通りだよ。どうやら、こんな私にでも天は味方してくれるらしい。……まぁ、もっとも君の張った罠にかかるまでは、こんな話など眉唾ものとしてしか捉えていなかったのだがね」
言い終えると同時、サツキの姿が消える。
「っ!?」
キラは慌てて剣を構え、攻撃を防ごうとするが──
「遅い」
防御するよりも早く、サツキの刀による斬撃が放たれた。
両腕を斬り落とされ、鮮血が飛び散り──痛みのあまりキラはその場に膝をつく。
「残念だが……これで、君とはおさらばだ、キラ。……ありがとう、私を止めようとしてくれて」
動けなくなったキラの頭上に赤い刀が高々と掲げられた。炎を纏った刀身がギロチンとなって、キラの首を刈り取る――。
――その寸前。
キラとサツキの間に猛スピードで飛び込んでくる影が一つ。
「え?」
影は、仰天するキラを思いっきり蹴り飛ばすと、振りかざされた刃を一身に浴び――赤が迸った。血の赤が。炎の赤が。
「黒瀬さん……どうしてここに……?」
屋敷で睡眠をとっていたはずのナギサが、キラの前に倒れていた。
斬りつけられた彼女の背中には、見るも無惨な切り傷の跡と、その上に出来た火傷があった。
……不幸中の幸いといえば、炎で背中を炙られたことによって、出血が一瞬で済んだということだろう。
だが、その傷は決して軽いものではない。一刻も早く処置をしなければ、ナギサの命が危うい。
──だと言うのに、キラの身体は金縛りにあったかのように一ミリも動けなくなっていた。
ただただ、目の前の光景が信じられず、呆然と動けなくなってしまう。
「ほう……この期に及んで、まだ私の邪魔立てをするつもりか? 黒瀬ナギサ」
キラにトドメを刺せなかったことに多少なりとも憤りを覚えたのか、その腹いせと言わんばかりにサツキは刀をナギサの太腿に突き立てた。
「あ゛っ……!」
刃が肉に食い込む。ナギサは苦痛に表情を歪ませた。
「やめて、お母さんっ!」
ようやく我に返ったキラが叫ぶも、サツキは聞く耳を持たない。
ぐりぐり、と刃を肉の中で動かし、傷口を広げていく。
「あぐっ……! あ゛あ……ッ!」
苦痛に耐えようとしていたナギサだったが、流石の彼女でも耐えかねたのか、苦悶に満ちた音色を奏で始める。
「やめて、お母さん! お願いだから、黒瀬さんを傷つけないで! 傷つくのは、私だけでいいから……!」
懇願するようなキラの声。しかし──サツキはそれすらをも無視した。
「ダメだ。私たちの戦いに土足で踏み込んできたコイツには、けじめが必要だ。今後、同じ過ちをさせないためにも、徹底的に痛めつけておかなければならない」
歪んだ笑みを口許に浮かべながら、サツキはナギサの太腿から刀を抜き――そのまま彼女の腕へと刀を突き刺す。
「あ゛ああああッ!」
辺りにナギサの絶叫が響き渡る中、キラはその場から足を進めることも立ち上がることもできない。
恐怖で膝が笑っているのだ。
「……もうやめて……お願いだから……」
喉奥から絞り出された願いなど聞き届けられるはずもなく──それからも何度も何度も執拗に、サツキはナギサの身体を痛めつけた。
「やめて……やめてよ……」
「君が何を言おうとも、私はやめない」
「どうして……! もうやめてよ……。これ以上、黒瀬さんを傷つけないで……!」
「……愚かな」
サツキは軽蔑するような目で、涙に顔を濡らすキラを見下ろした。
「君は何も分かっていないんだな。だったら教えてやろうじゃないか」
刀が閃き、ナギサの悲鳴が再び響く。
「何が傷つけないで、だ。君の言うそれは、自分のせいで誰かが傷つくのを恐れている臆病者の戯れ言に過ぎない。
彼女を傷つけて欲しくないなんてのは、ただの口実。君の本音は、自分が傷つきたくないだけ。
その偽善的な言葉を用いて自分を正当化したつもりかもしれないが……残念だったな。私は止まらない」
「……っ」
言い返す言葉を見つけられずに唇を噛みしめるキラを尻目に、サツキは刀を引き抜くと、ナギサの腹を蹴飛ばした。
胃の中のものを吐き出して、身を捩らせる彼女にとどめを刺そうと、死の刃が向けられる。
「今日を君の命日にしてやる。死ね、黒瀬の娘」
サツキの冷たい宣告と共に、ナギサの首筋へと刃が迫り。
「――あ、ああ、あああああああッ!」
キラは天を裂かんばかりの慟哭を上げ──目の前が真っ黒になった。
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