Phase One

 ユメを見ている。

 九嶺キラの新たな人生が始まった、あの日のユメを。


「――っ」


 アレはセミのうるさい八月の日のことだった。

 病院の一室で目を覚ました幼いキラは、突如として目の中に飛び込んできた白い光に、思わず顔をしかめた。

 目が慣れるまでのしばらくの間、視界は真っ白に染まり、チカチカと点滅していた。


 ――ここは?  ぼんやりとした意識のまま、身体を起こす。


 すると、身体に掛けられていたモノがはらりと落ちた。

 どうやら自分はベッドの上にいるらしい。

 その事実を認識したところで、ようやく視界が正常に戻ってきた。

 そうして、改めて周囲を見渡せば、そこは病室のような空間が広がっていた。

 窓際には花瓶が置かれ、腕にはテレビで見たことがあるような点滴の管が繋がれている。


 ――どこなんだろう、ここ。


 見知らぬ場所で目を覚ましたせいか、少しだけ不安になる。

 と、その時。


「あら、やっと起きたみたいね」


 不意に、扉の方から聞こえてきた女性の声に、ビクッ、と身体が震えた。

 恐る恐る振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。

 年齢はざっと二十代前半といったところだろうか。

 肩の上で切り揃えられた茶髪に、モデルのような長身が特徴的な女性である。

 女性は部屋に入るなり、つかつかとこちらに歩み寄り、


「あなた、自分の名前はわかる?」


 いきなり質問を投げかけてきた。

 突然のことに戸惑うも、キラは咄嵯に口を開く。


「……きら、です。えっと……あなた、は……?」


 たどたどしい口調ながらも、どうにか答えを返す。

 そんなキラの反応に満足したのか、女性はふふん、と小さく鼻を鳴らして、


「私の名前は九嶺サツキよ。好きに呼んで頂戴」

「……くれい、さつき」


 女性の名を口にする。

 その響きを舌先で転がすようにして、何度も呟いてみる。

 けれども、やはり聞き覚えのない名前だった。

 そんなこちらの様子を見て、サツキはクスリと微笑を浮かべ、


「さて、確認を終えたことだし、単刀直入に聞くけど。キラちゃんは孤児院に預けられるのと、私の家に引き取られるの、どちらがいいかしら?」


 またもや、いきなり質問を投げかけてくる。


「……」


 その問いに対して、キラは沈黙するしかなかった。

 正直な話、急にそんなことを聞かれても困るというのが本音だった。

 とはいえ、いつまでも黙っているわけにもいかない。

 だから、とりあえず何か言わなければ、と思ったところで。


「……? あぁ、ごめんなさい。言葉が足りなかったわね。別に家の跡継ぎとしてあなたが欲しいとかそういうんじゃないの。

 ただ、あなたのご両親が死んでしまった以上、身寄りがないってのも大変だろうと思うから引き取ってあげようと思って。どうかしら?」

「……」


 サツキの台詞に、キラは言葉を詰まらせる。


 ……両親が死んだ。


 分かっていたことではあったが、こうして事実を叩きつけられると、頭が追いつかなくなる。

 いや、理解することを拒絶してしまっているのだ。

 理解してしまった瞬間、自分の中で今まで築き上げてきた大切なものが崩れてしまう気がして。


 故に、彼女は目を背けたくなってしまった。


 自分が生きる意味を見出してくれた両親がもういないという事実から。

 そして、代わりに新しい家族を得ようとしていることから。


 だが。


 それも仕方のないことなのかもしれない。

 なにせ、まだ八歳なのだ。

 両親の死を受け入れろというのも酷な話だろう。

 彼女にとって両親とは唯一の拠り所であり、心の支えでもあったはずだ。

 それが失われたとなれば、ショックは当然、計り知れないものとなるわけで。

 そんなことを一人で黙々と考えているとサツキは、はぁ……と息を零し、


「で、あなたは結局どっちを選ぶつもりなの? 孤児院を選ぶか、私を選ぶか。……別にどっちを選んでも結果的には変わらないと思うけど、私的には断然、後者をオススメするわ」


 言って、サツキはにっこりと胡散臭い笑みをつくる。


「……えっと、それはどうして……?」

「だって、そっちの方が楽しいからに決まっているじゃない」

「……」


 キラは唖然と目を見開く。


 ――この人、何を考えてるんだろう? 出会って間もない人間に対し、いきなりそんな提案を持ちかける彼女の思考が理解できなかった。


「あ、なに言ってるんだこの女は、みたいな顔してる。でも、しょうがないでしょ。これが今の私の性分なんだから」

「えっと、つまりどういう……?」

「要するに、私は面白いことが大好きっていうことよ。それで、キラちゃんを引き取ることに決めた理由はそれだけ。他に深い理由はないわ」

「は、はぁ……」


 曖昧に相槌を打つと、サツキはくすりと笑って、「それに」と言葉を続けた。


「あなたにとっても、これは悪くない話のはずよ?」

「?」


 またもや胡散臭い言葉にキラは眉をひそめると、サツキは子供のように「うん」と言って、


「こう見えてね、私。元魔剣士なの」


 さらりと告げられた一言に、キラは思わずぽかんと口を開けた。


「えっと、冗談ですよね……?」

「冗談じゃないけど」

「……っ!?  ほ、本当に?」

「えぇ。といっても、だいぶ昔の話だけどね……。だから、まぁ、お金に関してはそれなりに持っているの。少なくとも、あなたを養えるくらいの貯金はあるんじゃないかしら」


 サツキは「えっへん」と、得意げに胸を張って、


「まぁ、そういうことだから、私と一緒に暮らす方が得だと思うわよ?  衣食住に困ることはないだろうし、不自由のない生活も保証する。だから、安心してこっちにいらっしゃいな」

「……」


 サツキの提案を聞きながら、キラはぼんやりと天井を仰いで考えた。

 正直、彼女が何を言っているのか、よくわからなかった。

 そもそも、どうしてそんなことを言い出したのかさえ理解できない。


 だが、それでも一つだけわかったことがある。


 それは、どちらを選んでも自分が知らない生活を強いられるということだ。

 孤児院に預けられるということは、即ちそういうことである。

 親の庇護下から外れ、見知らぬ他人と共に暮らしていくということ。

 きっと、そこには様々な苦労があるに違いない。

 なにより、自分のことを知らない人間との共同生活を送っていれば、自分の意見と相手の意見が衝突し喧嘩になるということだって、多々あるはずだ。


 ならば――。


「……あ、別に無理して今すぐ決める必要はないのよ? ……ただ、早めに決めてくれると手続きが楽になるから嬉しいなって思っただけで……」


 答えは既に決まっていた。


「あの……九嶺さ――いえ、サツキさん! 私、あなたの家に行きたいです!」


 キラが勢いよく言い放つと、サツキは一瞬だけ驚いたように目を丸くし、すぐに嬉しそうに微笑を浮かべた。


「ふふん、いい返事ね。気に入ったわ」


 言って、サツキはおもむろにこちらへと手を伸ばしてくる。


「それじゃあ、これからよろしくね。キラちゃん」


 差し出されたその手を、キラもまた、「よろしくお願いします」と握り返す。


 こうして、二人の共同生活が幕を開けることとなったのだった。


 ◆◇◆


「……あっつ……ッ!」


 胸の奥を満たす熱によって、キラは目を覚ました。

 喉元には吐き気。体はどこも同じように熱を帯びていて、心臓が脈を刻む度に、風邪のときのような鈍痛が頭蓋を揺さぶってくる。


「うっ……くぅ……!」


 歯を食いしばりながら、必死になって身体を起こす。と、ぐらりと視界が大きく揺れた。

 思わず壁に手をつけば、そこはひんやりと冷たく、火照った身体に染み渡っていくようで、少しだけ気持ちいい。


「……はあ……はあ……」


 荒い呼吸を整えつつ、キラは周囲を見回す。

 そこは意識を失う前と変わらず、夜の無人廊下のまま。

 先ほどと違うところがあるとすれば、自分が意識を取り戻した瞬間まで横たわっていたであろう場所に、血溜まりが出来ていることぐらいか。


「なんで、わたし……」


 呟くと同時に、思い出す。


 ――そうだ。自分は、あの女に殺されかけたのだ。


 しかし、今は何故か生きている。


「…………」


 わけがわからなかった。

 確かに、自分の胸に深々と突き刺さった刃の感触を覚えている。そして、その先にあるはずの血濡れの光景も、はっきりと脳裏に焼き付いている。


「どういうこと?」


 困惑しながら呟いた直後、突如として血溜まりから七色の炎が立ち昇り、瞬く間に消え去った。

 後に残ったのは、何事もなかったかのように佇んでいる廊下のみだ。


「今のは……」


 愕然と呟く。

 何が起きたのかは分からない。

 ただ、ひとつ言えることがあるとするならば、それは、死んだはずの自分の身に何かしらの変化があったということだけだ。


 ――これは、夢なんじゃ……。


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 けれど、それはすぐに否定された。

 何故なら、自分の手が触れた壁の感触があまりにもリアルだったからだ。


「……」


 恐る恐る、自分の頬をつねってみる。

 じんわりとした痛みが、非情にもこれが現実であることを告げていた。


「本当に、どうして……」


 何度確認しても、自分の体には傷一つない。まるで、初めから存在しなかったみたいに。


「……」


 自分の体をまじまじと見つめてみる。

 制服に穴は空いているものの、そこから覗ける肌には何の痕跡も残っておらず、指先でなぞってみても、あるのはただ滑らかな表面の感覚だけで。


「どうなってるの……これ」


 得体の知れない恐怖が、キラの心を侵食していく。

 自分が今こうして生き長らえているのは事実なのだが、果たしてそれを吉と考えていいものなのか。


「……これじゃ、まるで……」


 ――まるで、人間じゃないみたい――。


 そんな言葉が出かかって、キラは背筋を伝う妙な感覚に戦慄する。

 ……もし仮に。この体が普通の肉体ではないのだとしたら、いったい自分は何者だというのだろうか?

 もしかしたら、自分は人類の敵なのではないだろうか?

 答えのない問いが、頭の中をぐるぐると駆け回り始める。


「……ッ」


 不意に込み上げてきた吐き気に促され、キラは咄嗟にトイレへと駆け込んだ。

 個室に入り、便器に向かって胃の中のものを吐き出していると、やがてそれは透明の液体へと変わっていった。


「……はあ……はあ……うっ……ぇ……っ!」


 何度かえずきを繰り返し、ようやく落ち着いたところでレバーを捻り、水を流す。

 それから、洗面台で軽く顔を洗い、鏡に映った自分と向き合う。


「……」


 酷い顔だった。

 目は赤く充血し、瞼は腫れぼったくなっている。おまけに、唇の端からは僅かに唾液の跡が残っており、髪だって乱れている。

 こんな姿では、とてもではないが恥ずかしくて人前には出られない。


「……」


 キラは黙って蛇口を閉め、顔や髪の調子を整える。

 そうして身なりを整えると、今度はポケットの中から携帯電話を取り出す。

 画面に表示されていたのは、現在時刻と何件かのメール通知だった。


「……もう、こんな時間」


 時間を確認すると、もう既に夜中の九時を回っていた。

 恐らくは、自分の帰りがあまりにも遅いことに皆、心配してくれているのだろう。

 だが、しかし。

 今はメールボックスを開く気力さえ残されていなかったので、携帯電話をポケットの中に戻し、ゆっくりと踵を返す。


「……はぁ……」


 重い息をつく。


 今日は色々とありすぎた。


 朝から調子が振るわず、転校生が来て、授業中には居眠りをしてしまい、挙げ句の果てには仮面の女に襲われ、生き返るという始末。

 この展開だけで原稿用紙五十枚分ぐらいは余裕で書けてしまうのではなかろうかというぐらい、濃密すぎる一日だった。


 ――……それにしても、あの子は一体……?


 キラはちょっとだけ思い出す。意識を失う直前、死にかけの自分の手を握ってくれた、黒髪の少女のことを。


 ――綺麗な子、だったな……。


 容姿端麗、眉目秀麗とはまさに彼女のためにあるような言葉で、月光を浴びながら佇むその姿は、さながら一枚の絵画のように美しかった。

 少なくとも同性であるキラすらをも魅了してしまうぐらいには。


 ――できることなら、もう一度……。


 そこまで考えて、キラは苦笑する。

 ……よく知らない相手に何を考えているのか、と。


「……まあ、いいか」


 呟いて、思考を打ち切る。

 黒髪の少女があの場に居残らなかったのは、つまり感謝とかをされるためではなく、彼女には彼女なりの事情があってのことなのだろう。


 だというのに。


「――」


 キラは無意識のうちに、無人の廊下を見つめていた。


 黒髪の少女は、そこにはもういない。


 そんなこと分かり切っているはずなのに、どうしても期待を抱かずにはいられなかった。


 死ぬ寸前に感じた彼女の『熱』。

 今も尚、掌の中に残るその温もりだけが、キラの胸の奥をチクチクと刺激して、無性に彼女を駆り立てる。


 何故そんなことを思ってしまうのか、九嶺キラは自分自身の内側さえ理解できなかった。


 自分の心は、とうの昔に死に絶えていたはずなのに、と。

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