ある欠落
女性教師の言葉を耳にした途端、クラス全体が生気を取り戻したかのように、ざわめきに包まれる。
当然といえば当然の反応だ。
今はまだ新学期が始まって間もない四月の上旬。入学式からまだ一週間すら経っていない。
そんな時期に転校しようとする生徒なんて普通はいないし、仮にそんな奇特な人間がいたとしても、こんな中途半端な時期に編入させてくれる学校など『普通』なら有り得ないだろう。
「せんせー! ちなみに質問なんですけど、よろしいでしょうか!?」
一人の男子生徒が効果音がつきそうな勢いで挙手する。
「はい。なんですか?」
「その子、可愛い女の子なんですか!?」
「変なこと聞きますね……。まぁ、いいです。可愛いかどうかは置いといて、普通に女の子ですよ」
「くっ……、なんてことをしてくれやがる、この学校! 惚れちまうじゃねぇか!!」
女性教師の言葉に、嬉しそうに悔しそうに(?)拳をプルプルと震わせ、ガッツポーズをとる男子生徒。
……はぁ、と女性教師はため息をついた。
「はい、お静かに。騒ぐのはそのくらいにしておいてくださいね」
「あ、さーせん……」
しゅんと、肩を落とす男子生徒にクスリと笑みを浮かべると、女性教師は言葉を続ける。
「それでは、入ってきてください」
女性教師の言葉と同時、クラス中から息を飲むような音がした。
それもそのはず。
一瞬にして、教室のドアを開けて入ってきた少女のあまりの存在感に圧倒されたてしまったのだから。
「――ぁ」
自然とキラの口から、吐息交じりの声が漏れ出る。
それほどまでに、目の前に現れた少女は圧倒的だった。
まるで物語にでも出てくるような、天使のごとき愛らしさと凛々しさを兼ね備えた顔立ちに、肩の辺りで切り揃えられた艶やかな黒髪。
すらりと伸びた手足に、黄金比率の取れた身体つき。
肌は雪のように白く、外見的な欠点は何一つ見当たらない。
彼女の瞳は、ただひたすらに前だけを見ているかのような強い意志を感じさせるものでありながら、汚れを知らない澄んだ双黒の宝玉のよう。
その瞳に見つめられてしまえば、誰もが彼女の虜――いや、それどころか心にある後ろめたい部分すら浄化されてしまうに違いない。
それこそ、この世に悪が栄えることは決してないのではないかと思ってしまうほどの清廉さを、彼女は纏っていた。
「……、」
だがしかし、教室に足を踏み入れた直後、少女はピタリと動きを止めてしまった。
まるで何かに驚いたように。
あるいは――怯えるように。
「?」
一瞬だけ、視線が交わったような気がしてキラは首を傾げる。
が、それも束の間。
すぐに気を取り戻したかのように少女は再び前だけを見据えると、女性教師の隣に立って、小さく会釈した。
「えー、彼女は……あ、これって私から全部言っちゃっていいやつなのかな? まぁ、いっか! 彼女の名前は黒瀬ナギサさん。かの有名な黒瀬財閥の令嬢さんでーす」
女性教師の紹介に、クラスメイトたちが「おお!」と感嘆の声を上げる。
――黒瀬財閥。それは、魔剣の製造と販売を主とする財閥であり、その資産価値は国の予算を遥かに上回るんだとか。
そんな大財閥の令嬢が転校してくるなど前代未聞であり、このクラスにいる人間のほとんどが黒瀬ナギサという少女に対して、強い興味を抱くのは当然のことだった。
「それじゃ、黒瀬さんのほうからも簡単に挨拶お願いね」
「はい。わかりました」
女性教師の言葉に首肯して、チョークを手に取ると、惚れ惚れするような麗筆で黒板へと『黒瀬渚』とだけ書いていく。
それから改めて、一同の顔を確認するかのようにぐるりと見回すと、
「みなさん、はじめまして。第一魔剣士学園より家の事情で転校してきました、黒瀬ナギサです。これから一年どうかよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて、上げる。
たったそれだけの動作だというのに、優雅な印象を受けるのは、きっと彼女が黒瀬財閥の令嬢という立場にあるからだろう。これこそが高貴なる者の風格というものか。
近寄りがたいオーラなるものに気圧されたのか、クラス中が妙な静けさに支配されていくのが肌で感じとれた。
「――はい! それじゃあ、みんなも聞きたいことはあると思うけど、とりあえずプリントを配っちゃいますねー」
ぱん、と手を叩いてこの場の空気を変えようとした女性教師だったが、
「せんせー! その前に黒瀬さんに質問いいですか!?」
先程の男子生徒が再び手を挙げたことに、思わず頬を引きつらせてしまう。
「あ、あのですね! 田中くん!! あなた、さっき先生の話聞いてなかったんですか!?」
「いや、でも気になるものは気になるじゃないすかー。なんというか、一度でも気になったらもういても立ってもいられないんすよ!!」
そう熱弁する男子生徒の姿に、他のクラスメイトたちもうんうん、と何度も首を縦に振って同意していた。
「うっ……。ま、まぁ確かにその気持ちも分からなくはないですが……」
「ならいいですよね! はい! じゃあさっそく質問!!」
「……はぁ、分かりましたよ。黒瀬さん、ごめんなさいね?」
「いえ、大丈夫ですよ」
苦笑しながら、ナギサは首を横に振った。
「あ、ありがとうございます。それでは、まず初めにえっと……彼氏とかいたりします?」
「? 今はいませんが……それがどうかしましたか?」
「な、なら好きな人はいるのかなぁ~なんちゃって……」
「…………、」
予想だにしていなかった問いに、ナギサは目を丸くすると――
「ふふ。それは秘密、です」
人差し指をその薄桜色の唇に押し当てて、悪戯っぽく微笑んだ。
まるで自分たちの中の誰かに気があるかのように、期待させてくる仕草だった。
「――っ」
そんなナギサの笑顔に、キラは災害に巻き込まれたときよりも、命の危機に瀕したときよりも、大きく心臓が跳ね上がるのを感じて、息を詰まらせた。
……なんとも、複雑な感情だった。
ナギサと以前に会ったような覚えはない。自分がナギサという見ず知らずの少女に対して、恋愛感情だとか、そういった好意を寄せているというわけでもない。
だが、それでも――
――なんか、イヤ。
キラは、直感的に思ってしまった。
女性教師の隣に立つ少女のことをよく知りもしないくせに、キラはどういうわけか無性に苛立ちを募らせていた。
その笑顔を自分以外の人間に向けてほしくない――と。
嫉妬。そう、その感情はいわば独占欲に近しいものだった。
ただ、その理由がどうしても分からない。
七年前の大災害で一人生き残った瞬間から、人々の理想に殉ずることのみが九嶺キラの生きる理由であり、意義であったはずだ。
ならば、どうして今更――
「……う、」
目眩にも似た痛覚が頭の中を駆け巡って、キラは額に手をやった。
これ以上のことを考えようとすると、まるでモヤでもかかるように、思考がまとまらなくなる。
目隠しをされたまま、綱渡りをさせられているような不思議な感覚。
一歩でも踏み間違えれば、奈落の底へと落ちてしまうのではないかという本能的恐怖。
気がつけば、既に一限目の地理の授業が始まっており、左隣の空席には教科書を読み込んでいる転校生の姿があった。
「……!?」
「?」
ふと、キラの視線に気がついたのか、ナギサが教科書から目を外し、こちらに向けてくる。
「……えっと、こんにちは。黒瀬さん?」
気まずくなったキラが、この場をやり過ごそうと適当に挨拶をすると、ナギサはぱちくりと瞬きをして、
「……こんにちは? 九嶺さん?」
確かめるように、キラの苗字を呼んできて、思わずぎょっとした。
「わ、私の名前、わかるの?」
「一応ですけど……。さっきのホームルームで座席表を見させてもらったから、なんとか全員分は」
「そ、そうなんだ。すごいね、その記憶力……」
「まぁ、あくまで一応ですけど……」
こくりと首肯して、再び教科書に視線を落とすナギサ。
その真剣そのものといった表情からは、自己紹介のときにみせた悪戯な笑みは微塵も感じられなかった。
感じられるのは、ただ――
早まっていくこの胸の鼓動と、熱くなる身体。
その正体が何なのか知る由もないまま、キラは教科書を広げてノートに板書を書き取り始め。
「―――」
そして、静かに唇を噛み締める。
自分の中に芽生えつつある小さな欲望と、それに相反するかのような衝動に。
◆◇◆
昼休み。
それは、授業で疲弊した脳に一時の休息を与える時間であり、一部の者達にとっては、昼飯を賭けた戦いの時間である。
食堂の一角。
そこで、三二〇円の日替わり定食を貪る二人の勝者がいた。
「……なんなの、この感じ」
彼女と知り合って五年近く経つが、未だにそのファッションセンス(?)はイカれてるとキラは思う。
キラの親友、坂月アヤメは常に右目を黒い帯で覆い隠しているという常軌を逸した厨二病だった。
本人曰く、右目には悪魔の力が封印されているらしく、暴走云々の理由から視力検査を眼帯をつけたまま行った(結果は何故か両目ともA判定だった)という伝説を持つ、ちょっとアレな銀髪の少女だ。
ちなみにキラが七組であるのに対し、アヤメは六組である。こういう変なところでも本領を発揮していくのが、彼女のスタイルなのである。
「なんなのって、かく言うアヤメちゃんも中々に人のこと言えないと思うんだけど……」
キラが苦笑しながら言葉を返すと、アヤメはふん、と鼻を鳴らして、勢いよく机を叩いた。
「うっさいそこー! 我の場合はいいんだよ! 我の場合は!! こうして先生達からも認められていることだし!!」
「……いや、それって認められてるというよりかは、諦められているだけなんじゃ……」
「なにをぉ!! そっちだって、右手にスティグマ刻んじゃってるくせに!!」
「うっ……、けどこれはアヤメちゃんみたいに自分でやったわけじゃなくて、どっかにぶつけちゃって……」
「どっかにぶつけたぁ? なに? 普通に考えて、そんな形の痣が都合よく出来るわけないじゃん」
アヤメの口から普通というワードが出てきたことに、どの口が言ってんだ、と思ったキラだったが、今はそういう時ではない。
深呼吸をして、昂ぶりそうになった感情を抑え込む。
「……はぁ、分かったよ。そこまで言うなら、それでいいから。そんなことより、話を戻そう。ね?」
「むぅ~、なんか釈然としないが、まあいっか」
アヤメは唇を尖らせながら言うと、手に持っていた箸を置いて、キラのほう――ではなく、キラの隣へと視線を向けた。
つられて、キラもそちらを見る。
そこには、
「……」
無言のまま、購買で売っている単価三百円のハンバーガーをもぐもぐと食べている、ナギサの姿があった。
キラの持つ財閥令嬢のイメージが、どこか庶民的なものに変換されそうだった。
「で、アレが転入してきたっていう噂のアレ?」
アレという言葉を連呼して、アヤメがその青色の瞳を子供のように爛々と輝かせながら、尋ねてくる。
どうやら、財閥令嬢が転校してきたという話は一日も経たないうちに学園中に広まっていたらしい。
当然といえば当然の結果なのだろうが、やはり噂の伝達速度というものには、わっと驚かされるものがあった。
「……う、うん。そうだよ」
アヤメの質問に小声で答えつつ、キラは横目でちらりとナギサの様子を窺う。
転校生ということで、学園中の注目の的になっているナギサは、しかし周りの視線など全く気にも留めていないようで、幸せそうに頬を綻ばせていた。
財閥令嬢にとってはハンバーガーの味が新鮮なものだったのだろう。
そんなナギサの笑顔を見て、自然と胸の鼓動が早くなっていくのを感じたキラは、目の前の日替わり定食へと意識を戻した。
これ以上、ナギサの顔を見てると、変な趣味にでも目覚めてしまいそうだったからだ。
と。
「……ん? どうした、我が友。頬なんかを赤らめて。ちょっと気持ち悪いぞ」
怪訝な表情を浮かべながら、厨二病がなんか言ってくる。
「? 私の顔、赤くなってる?」
「うん、赤い。めっちゃ赤い」
「……まじで?」
「まじで」
アヤメの即答に、キラは自分の顔をぺたりと触ってみる。
熱かった。自分の身体のことなのに、内側でなにかが燃えてるのではないか、と疑ってしまうくらいには熱かった。
「もしかして、風邪か?」
「う~ん、どうだろ? 風邪にしては、思考がはっきりしてるから、違うと思うんだけど……」
首を傾げながら答えて、キラは水の入ったコップを手に取り、中身を喉の奥へと流し込む。
「じゃあ、恋の病?」
「ぶっ!?」
アヤメの突拍子もない発言に、思わず水を噴き出してしまった。
……というか、隣に当のご本人様がいるというのに、聞こえるような声で堂々と言うのはやめてほしい。
幸いにも、アヤメの言葉は隣の席に座るナギサにはうまく聞こえていなかったようだが……。
「げほっ、げほ! ちょ、なに言ってるのアヤメちゃん!」
咳込みながら、キラは半眼でアヤメを睨みつける。
すると。
「えぇー、だって恋だよ? 恋! 人助けバカの我が友が、まさかの恋! 色恋沙汰とは全く縁の無かった――ぐふっ!?」
テーブルの下で何者かの襲撃にでもあったのか、片足を押さえて悶えるアヤメに、フッとナギサが鼻で笑った。
その笑みは、とても先ほどまでハンバーガーを食べて、幸せそうな笑みを見せていた人物とは思えないような冷たい笑みだった。
……状況的に鑑みて、アヤメに向けられたものだということは言うまでもないだろう。
「だ、大丈夫、アヤメちゃん?」
とりあえず、そのままにしておくのも悪い気がしたので、心配の声をかけておく。
「う、うむ。なんとか……」
口では強がりを言っておきながらも、まだ痛みが残っているらしく、アヤメは右足をさすっていた。
そんな相変わらずのアヤメに、キラは溜息を零すと、
「で、私を呼んだ理由はそれだけ……? だったら、私はもう行くけど……」
言い残して、立ち上がろうとした。
が。
「ま、待って! 話はまだ終わってない! というか、むしろここからが本題!!」
アヤメが慌てて立ち上がり、この場から去っていこうとするキラの裾を掴んで、引き止める。
「その、なんだ……、今朝言ったじゃんか。我が友に聞いてほしいことがあるってさ」
「……ああ、そういえばそんなこと言ってたね。でも、聞くって何を?」
朧げな記憶を辿りながら、キラは首を傾げる。
確かに朝のホームルーム前にそんな感じのことを言われた気もしなくはなかった。
むずむずと、どこか落ち着かないといった感じで、その銀髪をいじくり回しながらアヤメが口を開く。
「そ、それは、その、あれよ……」
そこで言葉を止めると、アヤメは急にそっぽを向いてしまった。
耳だけが真っ赤に染まっているところを見ると、恥ずかしくて言えないというよりは、単純に言う勇気がないといった感じだった。
けれど、意を決したという様子でキラの顔を見つめ直すと、そのまま言葉を紡ぐ。
「そのなんていうか……、朝方に四丁目の方で騒ぎがあったのは知っているか? 前にケーキを食べにいった辺りの」
「? 四丁目で?」
キラは神妙に聞く。
四丁目となると、アヤメが住んでいるマンションのすぐ近くだ。
彼女の近くで、なにか不穏なことがあったのかと思うと、自然と気がかりになる。
うむ、とアヤメが首肯して、
「なんでも最近、噂になっている猟奇殺人事件がまた起こったらしい。全能である我も詳細こそ分かっていないが、一家三人中、助かったのは子供だけだそうだ」
言って、ちらとアヤメが未だにハンバーガーを食すナギサへと視線をやった。
特に意味は無いのだろうが、一瞬だけみせた鋭い視線には、なにかしらの警戒心のようなものが込められているように思えた。
「で、なによりも気になるのが、両親が刺殺されたというのだが、その凶器はナイフや包丁といったものではなく、長物という点だ」
「…………、」
長物? つまり、槍や刀といったものの類いで両親を殺したということだろうか。
……ふと、頭に嫌な光景が思い浮かぶ。
草木も眠る丑三つ時。
家に押し入る誰か。
災害にも通ずる一方的な日常の略奪。
訳も分からず、凶刃に蹂躙される両親。
なにも出来ず、ただひたすらに目の前で繰り広げられる殺人劇を息を殺して見つめることしかできない、子供の姿。
「――っ、」
歯ぎしりの音が聞こえる。
自然と、拳に力が籠もる。
それは怒りだった。子供への哀れみの感情ではなく、殺人劇を繰り広げた犯人に対する純粋なまでの憤怒だった。
「で、どうして私にそんな話を?」
努めて冷静に、キラは尋ねる。
「あぁ、いや、別に大したことじゃないんだが……。
ほら、我が友って正義感の塊みたいな奴だから、そういう厄介ごとに関わって、危険に巻き込まれるんじゃないかと思ってさ」
言って、アヤメは苦笑した。
「それに、我が友って人助けバカだし」
「……うん、そうだね」
キラは、アヤメの言葉に同意を示す。
前々から、幾度となく言われてきたことだ。
困った人がいればすぐに手を差し伸べてしまう。
たとえ、どんなに困難なことでも、自分の力でなんとかしようと無茶をする。
そして、最後にはいつも痛い目を見る。
「まあ、我が友なら大丈夫だと思うが……。でも、一応は気をつけておけよ?
なんせ、中央通りでの連続通り魔事件に続いてのこれだ。魔剣士達も万が一に備えて、捜査に乗り出しているようだから、あまり下手なことに首を突っ込むんじゃないぞ?」
「……分かってるよ」
念を押すように言ってくるアヤメの言葉に、キラは首肯して、食堂を後にする。
……口では言っておきながらも、なぜだかアヤメの口から出てきた殺人事件と、幸せそうにハンバーガーを頬張る財閥令嬢のことが頭の中にこびりついて、離れなかった。
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