帰還
屋敷へと戻ると、玄関ではミハルがそわそわとした様子で、二人の帰還を待ちわびていた。
よほど心配だったのだろう。主が戻ってきたのをその目で発見すると、ミハルは一目散にナギサの元へと駆け寄っていく。
「おかえりなさいませ、お嬢様! 御身体は大丈夫ですか!? 随分と激しい戦闘をなさっていたようですが……!?」
「大丈夫もなにも、あなたなら見れば一瞬でしょ。ちょっと掠めたくらいよ」
「だとしても、です! 魔剣を使った戦では、そういった慢心が取り返しのつかないことになるんです! そもそも、魔剣とは使徒の核を武器としたもの! 以前にも私の右腕を吹っ飛ばした使徒の話をしたでしょう!」
ミハルは怒り心頭といった様子でナギサに詰め寄るが、当の彼女はというと鬱陶しそうに眉をひそめていた。
「あー、もう、うるさいわね……。今はそういうのいいから」
「よくないです! いずれは黒瀬財閥の跡取りになるかもしれない御方が、そんなでは下の者達に示しがつきません!」
「だから、そういうのがいらないって言ってるのよ。私、お父様の跡を継ごうだなんて一ミリたりとも考えてないし、あの仕事は姉さんが勝手に継いでくれるはずよ」
「そういう問題じゃありません! 例えお嬢様が興味を持たれなかったとしても、周りが納得しません! あなたはその有り余る才能を全て無駄にするつもりですか!?」
「……む、なによ、ミハル。こういう時だけまともぶっちゃって。私がどう生きようと、私の勝手でしよ」
「勝手ではありません! だいたい、お嬢様は昔から――」
ミハルはその後もガミガミとナギサに説教をし続けていたが、当のナギサには馬耳東風。やれやれといった様子で肩をすくめるばかりで一向に話が進まない。
だが、キラはその様子を傍らで見ているうちに、思わず口許が自然と綻んだ。
「……どうしたのよ、九嶺さん? 急に笑い出したりなんかして」
ギロリと睨みつけてくるナギサに対して、キラは笑顔で応える。
「ううん、なんでもない。ただ、二人共本当に仲が良いんだなって思って」
「……別に、そんなのじゃないわ。こんなのは、ただの腐れ縁みたいなものよ」
「だとしても、だよ。私なんかは、七年前の一件で多くの友達を失っちゃったからさ。古くからの知り合いがいるっていうだけでも羨ましいんだと思う」
偽らざる本心をキラは口にした。
……多くを失い、たった一人だけ生き残ってしまったキラにとって、誰かと強い絆で結ばれている光景を見るのは、少しだけ眩しかった。
「それは……」
「……」
キラが口にした言葉に何を感じたのか、二人は口を噤んで両目を大きく見開く。
何か言ってはいけないことを言ってしまったのかもしれないと、キラは慌てて言葉を続けた。
「ご、ごめん! なんだか湿っぽい話になっちゃったね……。私らしくないっていうか、こんなのは私のキャラじゃないっていうか……」
あたふたと両手を左右に振りながら弁解をするキラだったが、当の二人は気にする素振りを見せることなく首を横に振ってみせた。
「いいえ、いいのよ。気にしないで、九嶺さん」
「……私も同じくです。お嬢様、先ほどは出過ぎた発言、申し訳ありませんでした」
「それに関しては私も変わらないわ、ミハル。……けど、ありがとうね、あなたなりに私のことを想ってくれて」
「……っ、はい……」
ナギサの言葉に、ミハルは顔を赤く染めながら返事をした。
……なるほど、これはミハルが彼女のことを心の奥底から慕うのも頷ける。
自分が高貴なる家の生まれだからといって、尊大な態度を決して取ることはない。
相手が自分よりも格下の者であろうとも、相手が自分よりも劣っている部分があったとしても、ナギサは同じ地平線に立って、言葉を交わしてくれる。
己の非を素直に認める潔さ。
そして、必要とあらばこうして自分の過失を謝罪し、感謝の言葉を述べることのできる器の大きさ。
出来て当たり前のことだと感じるかもしれないが、現代社会において、ここまで成熟した考えを持つ人物はそう多くないのを、キラはこれまでの経験から知っている。
彼女は生まれながらにして、人の上に立つ者としてのカリスマを持っているのかもしれない、とキラは直感的に思った。
「じゃ、わだかまりも解けたことだし、私は部屋に戻って仮眠をとってくるわ。今のうちに、なるべく体力を蓄えておきたいしね」
「あ、そういうことなら、私もお供致します。必要とあれば、マッサージなども可能ですので」
「……、マッサージとか言って、先月みたいにまたろくでもないことをするつもりじゃないでしょうね?」
「……えっと、それは……」
ミハルは明後日の方向へと視線を泳がせてから、言葉を濁し、俯く。
どうやら図星だったらしい。
はぁ、とナギサは小さく息を吐き出すと、首を横に振って言葉を続けた。
「いいわ、今日は遠慮しておくことにする。なんだか、変に疲れてしまいそうだし」
「そうですか……残念です」
「なんであなたが残念がるのよ……」
呆れるナギサを余所に、ミハルはどこかしょんぼりとした様子で呟いた。どうやら本気で何かをするつもりだったらしい。
さすがのキラもこれには苦笑するしかなかった。
◆◇◆
二人と別れ、客室へと入ったキラは、すぐにベッドへと倒れこむ。
枕に頭を預け、うつ伏せの姿勢のまま天井に向かって大きく伸びをすると、自然と欠伸が漏れてくる。
「ふわぁ……」
なんて気の抜けた声を漏らしつつ、チラリとベッド脇に置かれた時計へと視線を向ける。
……時刻は午前の八時。
本来なら、とっくに学園へと足を向けていないといけない時間帯なのだが、今回ばかりは仮病を使わざるを得なかった。
――正直、今すぐにでも学園に行って、授業を受けておきたい気持ちはある。
友達と会って、いつも通りの下らない会話をしたいという気持ちだってある。
しかし、今は……少なくとも自分が、この街で起こっている問題を解決しなければいけない。
やらなければいけないことを前にして、ただ漫然と時間を浪費していくのは得策とは言えない。
そうこうしているうちにも、この街では誰かが犠牲になっていくのかもしれないのだから……。
『それが私の、今日まで生きてきた意味であり……贖罪なんだ』
今後のことについて考えているうちに、サツキが発した台詞が、想いがけずしてキラの脳内に蘇った。
サツキが呪うかの如く吐き出した言葉。その言葉の真意とは、一体……?
「……」
枕に顔を埋めつつ、キラは思考を巡らせる。
……右手の刻印。
……不可思議な魔剣の能力。
……致命的な傷を負ったとしても、時間が経てば、何事も無かったかのように復活を遂げる驚異的な再生の異能。
……七年前の災害でたった一人、生き残ってしまった自分。
……そして。
――九嶺キラの中に埋め込まれたという、使徒の心臓。
今までは考えても仕方のないことだと、深く考えようともしてこなかった。
けれど、こうしてまじまじと己を見つめ直してみると、不可解な点がいくつも浮かび上がってくる。
……九嶺キラ。自分は、本当にこの世界に在ってもいいものなのだろうか……?
存在を証明してくれるものは確かに存在していたはずなのに、その事実が今となっては酷く朧げで、かつてのカタチすらも掴めなくなっていた。
「……あれ、なんかおかしいな」
気がつくと、目頭が熱くなり、鼻の奥がツンと痛みだしていた。
さっきまではなんともなかったはずなのに、今は何故だか身体の震えが止まらない。
まるで、この世界には自分という存在を肯定してくれるものなど何一つとして存在していないのだと改めて実感させられているみたいで……。
「……う、おぇ、ええぇ……っ」
嗚咽が止まらない。大粒の涙が止めどなく溢れてくる。
身体の震えが止まらず、胸の中にぽっかりと穴が空いたような虚無感が心を蝕んでいく。
「ひぐ、っ、うぅう……」
キラは嗚咽を噛み殺しながら、枕に顔を埋め続ける。
……あぁ、そうだ。この感情だ。自分はずっと前から、この気持ちに苛まれていたのだった。
失ってから初めて分かる痛みというものがあると聞いたことがあったが、本当にその通りだ。
今まで目を背けてきた自分から逃げることが出来なくなり、キラの弱さが白日の下に晒される。
こんな状態が続くくらいなら、いっそのこと消えてしまえたらどれほど楽だか……。
――いや、でも駄目だ。その選択は、あの地獄で見殺しにした人達に対する侮辱に他ならない。
今はまだ、死ねない。
あの時に散っていった人達の無念を晴らすまでは、歩みを止めるわけにはいかない。
この星から、全ての悲しみを駆逐するまでは、諦められない。
何としてでも、この世界に安寧と自由をもたらさなければならない。
自分だけが生き残った意味を、力を持つ者の責任を果たす為に。
……もう誰も涙を流さなくていいように。
剣を取れ。拳を握れ。血反吐を撒き散らしながら、人類の幸福の為に戦い続けろ。
「は、ぁ、はぁ……」
枕から顔を放し、大きく息を吸って呼吸を整える。
……数分か、あるいは数時間ほど泣き続けただろうか。
部屋の隅に置かれていた姿見に自分の顔が映っているのを見て、キラは苦笑する。
涙で顔がぐちゃぐちゃになっているだけではなく、目元や鼻の頭まで真っ赤に染まっていた。
「あはは、ひどい顔……ばかみたいだ、わたし……。昔はちっとも泣かなかったのに、どうして今更……」
涙の溢れる目元を袖口で拭いつつ、キラは仰向けに寝転ぶ。
……世界から災厄を祓うまでは、泣かない。
たとえどれだけ絶望的な状況に陥ろうとも、涙だけは見せないと決めていたのに……。
「……はぁ、」
自分の心が思った以上に脆かったことに気がつき、キラは深い息を吐いた。
だが、いつまでも引きずっているわけにはいかない。
これまでのサツキの言動を鑑みるに、キラと同じ立場の人間がこの街にいる可能性がある。
だとすれば、弱音を吐いている暇など存在しないのだ。
こうして感傷に浸っている時間があるなら、少しでも身体を休めて、いつでも戦闘に入れるように態勢を整えておかなければ──。
「ん……?」
不意に聞こえてきた、コンコンというノック音にキラは顔を上げた。
……こんなタイミングに一体、誰だろう? 今はあまり人に顔を見られたくないので、出来ることなら勘弁願いたいところなのだが……。
自分に用のある相手を待たせるわけにもいかず、キラはベッドから降りて、部屋の入り口へと向かい、鍵を開ける。
「はいはい、今開けますよーっと。……どちらさまですかー?」
言いながら、ドアを開く。
と、そこには──、
「私よ。少しだけ話があるのだけれど、いいかしら? 九嶺さん?」
眉間にシワを寄せ、どこか険しい表情を浮かべているナギサの姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます