侯爵貴族の屋敷にて(その5)

   

「いらっしゃいませ!」

「ようこそ『妖狐ようこ亭』へ!」

 店の中に明るい声が響き渡る。また新しく、客が来店したのだ。

 入ってきたのは、二人連れの男性客だった。

 一人は中肉中背。落ち着いた色合いの着物は、一見地味に見えるけれど、おそらく上質の素材で織られたものだろう。表情や物腰からも、衣食住に満ち足りた空気が感じられる。庶民の中でも裕福な、例えば大店おおだなの主人のような雰囲気だった。

 もう一人は、ガッシリとした大柄な男。短く刈り込んだ茶髪と彫りの深い顔立ちが特徴的で……。

「あら、クラウド様。いらっしゃいませ」

 出迎えたクローディア――緑色の髪の娘――がそう言ったように、それは先日も訪れたクラウドだった。ただし服装は前回の来店時とは異なり、黒いシャツに灰色のズボンというラフな格好をしている。

「今日は鎧姿ではないのですね」

「うむ、仕事帰りではないからな。それに、あのような物々しい格好は、この店には似つかわしくないだろう?」

 鎧は着込んでいないけれど、騎士のシンボルとして、腰には剣を下げていた。その点まだ十分「物々しい格好」とも言えるけれど、敢えてクローディアは指摘せず、

「ご配慮ありがとうございます。確かに……」

 とだけ言って、チラリと店内の様子を見回した。

 彼女の視線を感じたらしく、顔を上げてクローディアと目が合った客も何人かいる。その中には、先日クラウドの騎士鎧を見て「この店に討ち入りか?」と驚いていた男も含まれていた。

「……あまりに勇ましい格好だと、人によっては『すわ、襲撃だ!』なんて誤解するかもしれませんね」

 クローディアの声が届いたらしく、問題の男は「えっ、俺?」と反応を示している。その様子を遠目で見ながら、クローディアはクラウドへの言葉を続けた。

「まあ、それは冗談として。私はてっきり、お連れのかたを怯えさせないためかと思いましたわ。お連れ様は、うちの店は初めてですよね?」

「はい、私は……」

 と、商人風の男が名乗ろうとした時。


「いらっしゃいませ、エチルゴ様」

 その場に駆けつけたのは、赤い髪の美人。

 この『妖狐ようこ亭』を営む、女主人のリンだった。

 今日も女給たちと同じようなメイド服――ただしワンピース部分は赤色――に身を包み、長い髪は金色の髪留めでくくっている。

「おや、お二方ふたかたは面識あったのか?」

 クラウドは少し意外そうに、連れの男とリンを見比べた。

 リンが微笑んでいるのに対して、男の方は目を丸くしながら首を横に振っている。

「とんでもない。この店が初めてどころか、こちらの女性とお会いしたこともありません。このような美しいかたと知り合ったら、忘れるはずないでしょうから」

「あら、お上手」

 と一言エチルゴに返してから、リンはクラウドに説明する。

「私もお会いするのは初めてですが、でもエチルゴ様のお店は有名ですもの! 王都の南にある鎧屋、そこでは実用的な騎士鎧だけでなく、飾って楽しむ観賞用の鎧も売られているので、騎士や貴族だけでなく裕福な庶民まで訪れるという……。噂はいつも耳にしていますわ!」

「そう言っていただけると嬉しいですな。こちらこそ、この『妖狐ようこ亭』の噂は、様々な方々から聞かされておりました。ただ直接足を運ぶ機会はなかったのですが、今回こうしてクラウド様が連れきてくださった次第です」

「ありがとうございます。さあさあ、お席の方へどうぞ!」

 二人を案内する形で、リンが歩き出す。

 彼女が担当すると理解して――リンに任せるつもりで――、既にクローディアは彼らの前からいなくなっていた。


「ほう、さすがリン殿。何も言わずとも、こちらの意図は承知しているのだな」

 席に着いたクラウドが、感心したような口調で呟く。

 リンに案内された先は、店の奥まった場所にあるテーブルだった。一人用ではないものの、大人数では使えないような小さなテーブルだ。隣のテーブルからも離れて、ポツンと一つ置かれていた。

「あら、何のことでしょう?」

「とぼける必要はないぞ。内密の話も出来るような席を用意してくれたのだろう?」

 確認するような言い方だが、特に返事を待つことなく、クラウドは続ける。

「そういう態度であれば、一応伝えておこう。今夜は手酌で飲むので、リン殿も他の娘たちも必要ない。酒と料理を運んできたあとは、一時間……いや一時間半くらい、ほうっておいてくれ」

「はい、承りました。私も他の者も今夜は忙しくて、申し訳ありませんが、二時間くらい放置してしまうかも……」

 わざとらしい言い方であり、本当はそんな用事などないのだろう。ただ「二時間は誰も近寄らせないので安心してください」と言っているのだ。

 そうクラウドは理解して、口元に笑みを浮かべながら、

「うむ、それで結構」

 と頷くのだった。

   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る