『妖狐亭』は今宵も賑わう(その2)

   

「うちは平和ねえ……」

「そうだぜ、お嬢。危ない話に首を突っ込まなきゃ、平和な暮らしも続けられるんだぜ? まるでヒトみたいにな」

 ボーッと店の娘たちの様子を眺めていると、リンは「これはこれで一つの理想」と思えてくる。

 たった今ヨーゼフが口にしたような「まるでヒトみたいに」「平和な暮らし」。それは、彼女の父親が庭人にわびとかしらとして王宮に仕えていた頃には、たとえ望んでも手に入らない生活だったのだから。

 とはいえ、彼女自身の「うちは平和」という言い方にも示唆されているように、あくまでも『妖狐ようこ亭』が平和なだけ。まだまだ世の中の全てが平和になったわけではないのだ。

 特に、王宮で暗躍するモーリッツ大公や、その私兵と化したミノグール以下の庭人にわびとたち。先日のクラウドのように、彼らに泣かされる者たちは、これからも出てくるのだろう。

 そんな時、それにあらがって立ち上がる力を思っているのは、おそらく自分たちハットーの獣女ケモノメ軍団だけなのだ。


「まあ、無謀なことさえしなけりゃ、俺は構わないぜ。俺だって先代の無念、いつかは晴らしたいからな」

「それこそ無謀な話だわ」

 敢えて軽い口調で、リンは冗談っぽく応じる。

 リンの父親が亡くなったのは病死ではなく、謀殺だったこと。その黒幕は、おそらくモーリッツ大公であること。

 そこまでリンたちは確信しているけれど、だからといって今すぐ王宮に乗り込んでモーリッツ大公と対峙する……という気概はなかった。

 それはモーリッツ大公と差し違えるようなものであり、自分自身はともかくとしても、仲間たちの命を危険にさらすことだけは絶対にけたい、とリンは強く思っていた。


「そうね。それこそ『いつかは』だわ……」

 クラウドの一件をきっかけにして今回、モーリッツ大公のたくらみの一つを潰すことが出来た。

 キリンガルム侯爵の急死に伴って、残された親類縁者の間で、ちょっとした騒動が勃発。アザッム伯爵家に入るはずだった青年も、別のところを継ぐことになったらしい。

 代わりにアザッム伯爵家の後継となったのは、モーリッツ大公の派閥ではないどころか、王宮や行政府の政争とは無縁の貴族だという。

 また、リンたち獣女ケモノメに深く関わることとして、ミノグール十人衆の一人を始末できた、というのも大きな意味を持っていた。

 ミノグール十人衆とまで呼ばれるような強力な庭人にわびとたちを、もしも全て倒すことが出来たら……。それはモーリッツ大公やミノグールの一派を大きく弱体化させることに繋がり、その時こそ、正面切ってモーリッツ大公と戦えるのではないだろうか。


 まだまだ道は遠いだろう。

 それでも。

「うん、いつか必ず……」

 自分の酒場で働く仲間たちの姿を眺めながら、改めてリンは呟くのだった。




(「ケモノメはヒトに紛れてケダモノを討つ」完)

   

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ケモノメはヒトに紛れてケダモノを討つ 烏川 ハル @haru_karasugawa

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