エピローグ

『妖狐亭』は今宵も賑わう(その1)

「いらっしゃいませ!」

「ようこそ『妖狐ようこ亭』へ!」

 賑やかな酒場に響き渡る歓迎の声。

 また一人、客がやってきたのだ。


「あら、いらっしゃい。お兄さん、また来てくれたのですね」

 入り口で佇む若者に声をかけてきたのは、緑色のメイド服の給仕、クローディアだった。

 若者から見れば少し年上の女性であり、彼女から「お兄さん」と呼ばれるのも最初は抵抗あったが、もはや慣れてきた。

 それよりも「また来てくれたのですね」という言葉が嬉しくて、思わず顔がニヤける。

「覚えていてくれたのですね、僕のこと」

「あらあら、もちろんでしょう? 常連さんの顔、忘れるはずないですもの」

 若者が初めて『妖狐ようこ亭』を訪れたのは、まだ夏の真っ盛り。確か、蒸し暑い夜の出来事だった。

 あの頃は彼も王都に出てきたばかりであり、初めての給料で遊びにきたのが、この『妖狐ようこ亭』という酒場だった。

 酒や料理も悪くなかったし、給仕の娘たちも皆、魅力的。個人的に親しくなる機会はないものの、彼女たちが忙しく働いている姿を見ているだけで、なんだか心がなごむ。

 それ以来、彼は毎月給料をもらうたびに、ここへ通う習慣になっていた。


「えーっと……。なんだか今日は、いつもより混んでいるみたいですね」

 軽く店内を見回しながら、若者が何気なく呟く。

 半ば独り言のようなものだったが、これにクローディアは笑顔で対応する。

「ええ、きっとお兄さんと同じじゃないかしら? お給金が出る日って、だいたいどこも同じでしょう?」

「あっ……」

 自分の状況を言い当てられて、若者はドキッとしてしまう。

 色々と見透かされているみたいで恥ずかしい、という気持ちもあったが、同時に「自分のことをよく理解してくれている」と思えば、なんだか嬉しくも感じた。

「私も今日は、三つもテーブル担当してる最中さいちゅうで……。だからお兄さんのお相手は出来ないの。残念だけどね」

 クローディアが手にしたトレイには、白いからの皿が載っていた。客が食べ終わった食器を運ぶ途中のようだ。

「だから、私じゃなくて……。あら!」

 彼女が驚きの声を上げたのは、いつの間にか隣にスザンナが立っていたからだろう。青い髪のスレンダー美人だが、いつも通り無愛想な表情だった。

「……」

「彼女なら今、手がいてるみたいだけど……。スザンナで大丈夫?」

 無言のスザンナに代わって、少しだけ心配そうに、クローディアが若者に尋ねる。

 そんなクローディアを安心させたい、という気持ちも込めて、大袈裟なほどの笑みを浮かべながら彼は頷いた。

「はい、大丈夫です。もう慣れましたから」

「じゃあ、このお兄さんを任せるわね、スザンナ」

「うむ」

 相変わらずスザンナは、客ではなく同僚相手ならば喋るのだ。若者は心の中で苦笑いしながら、スザンナが歩き出したのについていく。何も言われていないけれど、おそらくテーブルへ案内されているのだろう、と判断して。


 歩きながら改めて店内を見回すと、他の給仕の娘たちも忙しそうに、ホール内を動き回っていた。

 ツンツンと跳ねたオレンジ髪が特徴のグレンダは、客たちの前で腰をくねらせている。尻尾を振ってみてくれ、とでもリクエストされたのだろうか。

 金髪ツインテールのアイリスも、トレイに載せた料理を運んでいる。彼女は遅刻癖が多いので、この時間から見かけるのは珍しい気がする。

 そして、珍しいといえば……。

「今夜のオススメは、虎肉の串焼きだ」

「えっ、虎肉!?」

 テーブルへ向かう途中、スザンナが話しかけてきたので、若者は驚いてしまう。

 わざわざ彼女が告げるのだから、よほど重要な話なのだろうか。

「うむ。貴重な食材が手に入ったのだ。今夜しか食べられない、限定メニューだ」

「へえ、限定メニューですか……」

 料理の話に誘われるようにして、若者は厨房に目を向ける。キッチンカウンターの奥では、赤い髪の女主人リンと黒髪の料理人が、何やら言葉を交わしているところだった。

   

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