闇夜の襲撃(その5)

   

「ほう。そのような理由で我の幻術を見破るとは……。さすがは伯爵家の騎士団長。只者ではないな」

 クラウドの言葉に応えたのは、エチルゴではなかった。二人の近くに人影は全くないのに、第三者の声だけが響いてきたのだ。

 聞こえてくる方角から判断するならば、声の主は、二人の前方で待ち構えているらしい。クラウドはそちらに向かって剣を構えているし、エチルゴも目を凝らしてみると……。

「ひっ!」

 それが見えてきたと同時に、エチルゴは悲鳴を上げて、腰を抜かしてしまう。

 闇夜の中、二人の数メートル前に突然出現したのは、赤いローブに包まれた怪人物。ただし首から下は存在せず、本来の数倍のサイズという巨大な顔だけが、ユラユラと宙に浮いている状態だった。

 そんなエチルゴに対してクラウドが、叱りつけるような勢いで言葉を投げかける。

「惑わされるな! この者が自ら口にしただろう? これも幻に過ぎない!」


――――――――――――


「そろそろ十分だろう……」

 青いローブを着た熊男が、軽く後方へ跳んで、グレンダから距離を取る。

 その呟きは小声だったが、グレンダは聞き逃さなかった。迂闊に距離を詰めようとせず、その場に踏みとどまったまま、ハッキリとした声で聞き返す。

「どういう意味? 何が十分だって?」

「貴様の足止めだ。それが今この瞬間、我の果たすべき仕事」

「はあ?」

 ますます意味がわからなくなるグレンダ。

 相手の足止めをしていたのは、むしろ自分の方のはず。二人の獣男ケモノオたちがクラウドを襲いに行かないよう、この場に釘付けにしていたのだから。

「我々の任務はクラウドの暗殺。邪魔する者があれば排除もやむを得まいが、我は無益な殺生は好まぬ。ただ……」

 ほんの少し前まで熊の獣男ケモノオは、ガハハと豪快に笑うようなテンションだったのに、それが嘘みたいな落ち着いた話し方になっている。

「……我らの仕事を妨害せぬよう、一定の時間だけ抑えておけば十分ではないか」

「あらあら。暗殺みたいな汚れ仕事を生業なりわいとするくせに、ずいぶんとお優しいことで……」

 グレンダは軽口を挟むが、余裕があるのはそこまでだった。

「今頃は、我の相棒が標的を仕留めているはず」

 獣男ケモノオの「我の相棒」という言葉で、グレンダはハッとして、赤いローブの獣男ケモノオに視線を向ける。

 相変わらず、同じ場所で突っ立っているが……。

「まさか……!」

 短く叫んだグレンダは、彼に向かって突進。右の正拳突きを叩き込むが、手応えは全くなかった。それどころか獣男ケモノオの姿そのものが、霞のようにかき消えてしまう。

「古来より『狸は人を化かす』と言われているだろう? その能力ちからを持つ獣男ケモノオならば、幻術にけているのも当然ではないか」

「あいつ、パンダじゃなくて狸だったのね!」

 悔しそうに叫ぶグレンダ。

 相手の正体を見誤ったのが、大きな痛手となってしまった。赤いローブ姿の獣男ケモノオは「ここにいる」という幻をグレンダに見せたまま、大きく迂回して――あるいはグレンダのすぐ横を素通りして――、クラウド襲撃に向かっていたのだ。

 その相棒である熊の獣男ケモノオが「そろそろ十分」と言っている以上、今さら駆け付けても手遅れに違いない。

 それでもグレンダは、今からでもクラウドの元に急行するため、その場で体を反転させた。強敵に背中を見せるのは大きな危険を伴う、というのも理解した上で。


「もう間に合わぬとわかっていても、それでも行くのか。ならば、最後にもう一つ教えてやろう」

 走り去ろうとするグレンダの背中に、青いローブの獣男ケモノオが言葉を投げかける。

「貴様が間違えたのは、我が相棒の正体だけではない。貴様は我を熊の獣男ケモノオと思ったようだが……」

 彼は話しながら大きく息を吸って、胸を膨らませる。

 そして、右手をガッと前に突き出して……。

「……熊は熊でも、我は白熊! 氷の世界の覇者! だからこのような術も使えるのだ!」

 獣男ケモノオの手から飛び出したのは、真っ白く見えるほどの、巨大な冷気の塊。それが空気中の水分を凍らせながら、無数の氷のやいばとなって、後ろからグレンダに襲いかかる!

   

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