第2話

侯爵貴族の屋敷にて(その1)

   

 王都エンドアの東の一画には、大きな屋敷が建ち並んでいる。金持ちや貴族が多く住む、高級住宅街となっているのだ。

 どこもそれなりの広さの敷地を誇っているので、それぞれの門と門の間隔は大きくいている。そんな中で一際ひときわ目立つのが、赤いレンガ塀で囲まれた森のような場所だった。

 塀の内側に沿って、緑の葉の生い茂った大木が大量に植えられている。もしも知らない者が通りかかったら「公園か何かだろうか」と誤解するかもしれないが、もちろん街の人々のための公共施設などではない。

 キリンガルム侯爵の屋敷だった。


 その屋敷の奥に『梅の』と呼ばれる一室がある。

 部屋を囲む四面のうち一つは壁ではなく引き戸で構成されていて、開ければ縁側となり、中庭に面している。中庭といっても小さなものではなく、四季折々の花を咲かせる生垣だったり、片隅には池が掘られていたりする、かなりの規模の庭園だ。

 開放的な構造であり、風情も感じられる部屋をキリンガルム侯爵は気に入っており、今夜も彼は梅ので晩酌を楽しんでいた。

 ただし芸妓や酌女も同席しておらず、むしろ逆に、人払いを申し付けてあるほどだ。モーリッツ大公から送り込まれた者と差し向かいで飲む形であり……。

 いわば密談の真っ最中さいちゅうだった。


「それで、どうなっておるのだ? あのクラウドという男の動向……。用向きは済んだはずなのに、まだ王都にとどまっておるのだろう?」

 行政府や王宮で他の貴族と接する時、キリンガルム侯爵は慇懃無礼にも聞こえる口調の場合が多い。しかし今はおのれの屋敷の中であり、ストレートな物言いになっていた。

 既に七十歳を超えて、髪も髭も真っ白になっているキリンガルム侯爵。頬もこけてきており、若い頃から痩せ気味の体格は、年齢としのせいで痩せ衰えている、と思われるかもしれない。

 しかし、まだまだ老け込むようなタイプではなかった。例えばその瞳の奥には、前途ある若者にも負けないくらいに、野心の輝きが宿っている。

 そんなキリンガルム侯爵と向かい合って座っているのは、灰色のローブに身を包んだ男。ローブのフードは後ろに垂らしているので顔はあらわになっているが、それは普通の人間のものではなかった。

 太く短い鼻面に、いかにも噛む力の強そうなガッシリした顎。刺青みたいな黒い線が顔面に何本も刻まれているところまでは、ファッションの一言で済ませることも出来るかもしれない。しかし何よりも異形なのは、両耳が頭の上に生えていること。

 虎の力を持つ半獣族の男、つまり虎の獣男ケモノオだった。


「はい、まだ国に帰る素振りは見せておりません。殿とのの提案は大人しく受け入れましたから、そちらに関しては問題ないのですが……」

 この虎の獣男ケモノオも、王宮に仕える庭人にわびとの一人。

 しかし現在の王宮の実権を握っているのはモーリッツ大公なので、ミノグールの頭領に率いられた庭人にわびとたちは、モーリッツ大公を『殿との』と呼んで敬っていた。

 だから彼が「殿とのの提案」と言っているのは、キリンガルム侯爵の遠縁の一人がアザッム家に入り、新たな『アザッム伯爵』になるという件だ。それについてはクラウドが王宮に参内したその日のうちに、キリンガルム侯爵もモーリッツ大公に呼ばれて、事の次第を聞かされている。

 元々クラウドは忠義の心が厚いという噂であり、亡くなった主君に対する忠誠心から、この話には難色を示すのではないか。そんな心配もしていただけに、キリンガルム侯爵としてはホッと胸を撫で下ろすどころか、やや拍子抜けするくらいだったが……。

「『そちらに関しては問題ない』とはどういう意味だ、デグロール。何か別の問題が発生しておるのか?」

   

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