侯爵貴族の屋敷にて(その4)

   

「寒いのでしたら、俺が戸を閉めましょうか?」

 デグロールに声をかけられて、キリンガルム侯爵はハッとする。

 想像の世界から現実に戻り、デグロールに顔を向け直すと、彼は少し不思議そうな表情になっていた。

 無意識のうちに、ブルッと体を震わせていたらしい。そう気づいたキリンガルム侯爵は、苦笑しながら短く告げる。

「いや何でもない。気にしないでくれ。それより、報告を続けてくれ」

「はい。キリンガルム侯爵は『腕に覚えがある連中を集めているみたい』とおっしゃいましたが、そう受け取られたのであれば、俺の話し方が悪かったのでしょう。実際には荒くれ者ばかりでなく、商人たちとも飲み交わしているようです」

「商人たちと……? 今さら彼らと繋がりを持とうというのか……」

 キリンガルム侯爵は、忌々しそうに口にした。


 商人も身分としては、もちろん貴族や騎士ではなく庶民の範疇だ。しかし、だからといって彼らを軽んじるつもりはなかった。何よりも彼らは多額の金を有しており、その影響力はあなどれないからだ。

 既に有力商人の多くは味方につけているし、記念式典のリハーサルの一件でアザッム伯爵を陥れるのが簡単だったのも、彼らの協力があったからこそ。

 クラウドが何を計画しているのか知らないが、まともな商人ならば、キリンガルム侯爵やモーリッツ大公に反旗を翻すような立場に身を置くはずがなかった。今さらクラウドとよしみを通じるような者たちは、商人の中でも小物ばかりに違いない。

 そもそも貴族ならばいざ知らず、クラウドみたいな一介の騎士の身分では、たとえ商人たちの後押しがあったとしても、政争の場に躍り出るほどの力は持てないだろう。

 ならば放置しておいても問題ないように思われるが……。

「いや、もっと直接的な話なのか?」

 ある程度まで考えたところで、キリンガルム侯爵は、小さく独り言として呟いていた。

 商人の影響力云々ではなく、やはり実力行使の心配をすべきではないか、と思い直したのだ。

 先ほど想像したように、クラウドが手勢を集めて屋敷を襲撃するという可能性だ。

 大量の人員を動かすのであれば、先立つものも必要になってくる。クラウド個人では賄えない分の軍資金を調達するために、いわば討ち入りのスポンサーとして、同情的な商人たちを当てにしているのではないか……。


「いっそのこと、俺の方で取り除きましょうか? クラウドという人間の存在そのものを」

 またもやキリンガルム侯爵の心を読んだかのようなタイミングで、デグロールは物騒な提案を口にした。

「いくら世間が亡きアザッム伯爵に同情的とはいえ、彼やその臣下のために自分から率先して行動しよう、という奇特な人間はいないでしょう。庶民はそれほど暇ではないのです。先導する者も扇動する者もいなければ、何も起こりません」

 再び白い牙を見せて、デグロールはニカッと笑う。

「暗殺こそ、我ら庭人にわびとの本分みたいなものですからね」


 この瞬間、キリンガルム侯爵は、妙に納得したような気分だった。

 ああ、このためにモーリッツ大公は、わざわざデグロールのような獣男ケモノオを送り込んできたのか、と。

 考えてみれば確かに、新しいアザッム伯爵家にとってクラウドの存在は邪魔かもしれない。

 新しく伯爵家を継ぐのは、キリンガルム侯爵の親戚筋に当たる人物だ。クラウドには死んだ伯爵に対する忠誠心が強く残っているだろうし、そんなクラウドから見れば、新たな忠義の対象どころか、憎むべき相手になりそうだ。

 クラウドだけでなく、仲間の騎士団員や家臣一同も多少は同じ気持ちだとしても、クラウドほどではないだろう。もしもクラウドさえ消えてしまえば、彼らは大人しくなるはず。

 何らかの口実を作って、あるいは策に陥れて、クラウドを騎士団長の役職から外す。その程度のことは、キリンガルム侯爵も漠然と考えていたのだが……。

 なるほど、暗殺ならばもっと話は早い。しかもデグロールは自らその専門家だと言うのだから、彼に任せるのが一番ではないか。

 そう結論づけたキリンガルム侯爵は……。

「うむ、頼む」

 と、また獣男ケモノオに対して、依頼の言葉を口にするのだった。


――――――――――――


 キリンガルム侯爵がおのれの屋敷でデグロールと密談を交わした翌日。

 朝から分厚い雲に覆われて、雨こそ降らないものの、どんよりとした空模様だった。そのまま日が暮れて、月も星も見えないような暗い夜を迎える。

 なんとなく憂鬱な気分になる者も多かっただろう。その憂さ晴らしというわけではないが、王都エンドアの歓楽街は今日も賑わっていた。

 裏通りにある『妖狐ようこ亭』も、その例に漏れず……。

   

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