第24話


 教会の中は美しい大聖堂だった。

 壁は一面ステンドグラスで彩られ、天井には貴族が好みそうな大きなシャンデリアが吊り下げられている。

 大聖堂の奥には、神の和子が十字架にかけられた大きな像が一つ。その下、祭壇の前で話す祭司が一人。


「神は、あなた方を祝福している。我らは神に愛されし者。神の絶対の信頼を勝ち取った者だ。誇りに思いなさい」


 綺麗に整列された長椅子に座る、修道士たちが祭司の話を聞いて目を輝かせている。

 そこへ、扉が開かれる音が響いた。全員が振り返る。

 アルマは注がれる視線には気を留めず、中央を歩いていく。彼女の登場に修道士達は驚いていたが、祭司は懐かしそうにアルマを見つめている。

 アルマは祭司の前に来ると、嫌悪感を露にした目で睨みつけた。


「ホーグレイ祭司」


 名を呼ばれ、祭司は両手を広げて喜んだ。


「私の事を覚えてくれていたか。嬉しいぞアルマ」

「褒められたくて来たんじゃない」


 アルマはそう吐き捨てながら、銃口をホーグレイに向けた。修道士達は慌てふためくが、ホーグレイは冷静な様子で言った。


「聖武器では殺せないぞ」


 アルマは構わず問い質した。


「エルはどこだ」

「エル? はて、誰の事だ?」

「とぼける気か?」


 ホーグレイは首を傾げる。すると、ホーグレイの後ろから青髪の青年が姿を現した。それは、地下で見たあの聖職者だった。

 彼はホーグレイに近づき、耳打ちをする。ホーグレイは「あぁ」と納得したようにアルマを見た。


「あの半神魔か」

「そうだ、あの子をどこへ」


 ホーグレイは微笑みながら、答えた。


「処したぞ」


 アルマの目が見開かれる。


「あの者は本来、存在してはならない者だ。それを処するのは、祭司として当然の役目だろう」

「今まで放置していたくせに、何で今更!」

「お前が隠していたからだ。だが、やっと見つかった。これで神も、お喜びになるだろう」


 両手をあげると、修道士達が拍手をする。彼の偉業を讃えるかのように。

 反吐が出そうになった。アルマは怒りのまま引き金を引こうとしたが、目の前にあの青髪の青年が立ちはだかった。彼の手にも銃があった。しかし、それは聖武器には見えない。

 ホーグレイはにっこりと笑いながら説明する。


「彼はサイシス。お前の後任だ。お前より優秀で、とても素晴らしい聖職者だ」


 サイシスと呼ばれた青年は、アルマに銃口を向けた。互いに銃口を向け合う。


「ここは、背教者のお前が居ていい場所ではない」

「お前は、神の御心を理解しているとでもいうのか」

「背教者が知れた口を訊くな。神は、祭司様を通して我々を導いている。お前のような愚か者に、神が救いを与えるはずがない」


 話が通じない。まるで、洗脳されているように感じた。

 サイシスは、銃弾を放った。アルマの髪に銃弾が掠れる。アルマは動じない。サイシスはアルマを睨みながら続けた。


「これ以上、祭司様を侮辱するなら――神の名の下に、ここで処刑する」


 もう一本の銃を取り出したサイシスは、アルマに向かって発砲した。

 アルマは身構えたが、銃弾が突然止まった。突然のことにアルマもサイシスも驚いたが、そこへ優しい声が響いた。


「お前は、神の事を理解していない」


 アルマの隣に来たのは、ガブリエル。彼は、悲しい顔をしながらサイシスを見つめていた。

 サイシスは、ガブリエルが見えているのか驚いた顔をして銃を下す。


「お、お前は?」

「他者に死を望むなど、それで本当に神が喜ぶと思っているのか」


 ガブリエルは、片手を横へ動かすと、止まっていた銃弾が床に落ちた。コロコロ、と音がする中、突然サイシスが苦しみだした。

 銃を手放し、両目を抱えて呻き声を上げる。彼の目は、まるで草が枯れるように徐々に生気を無くし、腐っていった。あまりに痛みに彼は悲鳴を上げ、その場で倒れ込んでしまう。その姿に、見ていた修道士達は驚き、恐れ慄いた。

 アルマも驚いたが、ガブリエルを見ると彼は目を伏せて悲しんでいた。


「ルシファーだ」

「え、あいつが、何をしたんだ?」

「この教会全体に、呪いをかけたんだ」


 そう説明するガブリエル。すると、ホーグレイがガブリエルの姿を見て目を輝かせた。


「なんと、私は奇跡を見たのか」


 祭壇から離れ、ガブリエルに近づく。アルマは銃口を向けたが、ガブリエルがアルマを隠す様に前に立った。

 ホーグレイは、足を折って身を低くし、ガブリエルの長い衣の端に触れて持ち上げ、口づけをした。


「あなた様は、天使ですか? 我々を、導きに来たのですか?」

「……お前は道を踏み外している」


 心から憐みの目を向けるガブリエルに、ホーグレイは目を見開いて涙を流した。


「あぁ、その人間を慈しむお姿、間違いない。あなたは天使様だ。神の使いであらせられる」


 その言葉に、修道士達が動き出す。ガブリエルに向かって手を伸ばす。その動きは、まるで人形のようだった。アルマは焦り、ガブリエルの腕を掴んだ。


「ガブ!」


 名を呼んで逃げようとしたが、逆にガブリエルがアルマの手を掴んだ。


「アルマ、私の身体から手を離してはいけない」


 次の瞬間、修道士達から悲鳴が上がった。一人が悲鳴を上げると、もう一人が。次々と声が上がる。その光景に、ホーグレイも驚いていたが、決してガブリエルの服から手を離そうとはしなかった。

 そして、大聖堂に灯されていた蝋燭がすべて消え、暗闇に包まれる。その闇の中を、修道士達の叫びが木霊する。


「哀れな人間。お前達は神から見放されている。ここはもう、悪魔の地だ」


 ルシファーの声だった。次には、悪魔達の笑い声が響いた。


「愚かな人間達。お前たちは神に見放された哀れな子羊」

「罪を侵した愚か者」

「お前達を待っているのは」

「悪魔からの抱擁だけだ」


 ぎゃあ、と声が響いた。修道士の声が一人、また一人とかき消される。

 何も見えない中で、何かが走っている気配だけを感じる。アルマはあまりの恐怖に、銃を構えて無差別に撃とうとした。


「アルマ、神を信じて」


 ガブリエルの優しい声に、アルマは一瞬、躊躇ったが、目を閉じて心の内で唱えた。


(神よ)


 すると、悲鳴が一瞬で止んだ。そして、蝋燭の明かりがひとりでに灯され、大聖堂が明るくなった。

 あんなにいた修道士達が、一人もいなくなっていた。アルマは目を開けて、その光景に絶句した。

 そして、ガブリエルの服を掴んでいたホーグレイも、酷い汗を流しながら震えていた。

 ガブリエルは、アルマの手を離し、ホーグレイの目線に合わせる様に身を低くした。


「神の名を汚す者よ。お前達は永遠に神から愛されない」

「あ……あ……」


 ガブリエルはそれだけ言って、立ち上がった。そして、アルマに振り返る。その目は、悲しみに揺れていた。


「アルマ」

「ガブ……」

「神が信じられなくても、神はお前の事を信じているよ」


 その言葉と共に、祭壇が弾け飛ぶ。粉々に砕かれた祭壇の下から現れたのは、ルシファーだった。彼は微笑みながら、ゆっくりとホーグレイに近づいた。


「ガブの服にしがみついていたとは。失礼な人間だね」

「お、お前は」

「私はルシファー……七大罪の『傲慢』だよ」


 その名を聞いて、ホーグレイは顔を青くし、ガブリエルの後ろに隠れた。その姿に、ルシファーの眉間に皺が寄る。


「無様な。あれだけ悪魔を祓っておきながら、自らは逃げるとは」

「あ、悪魔め! 天使様の前だぞ! 下がれ!」

「……ガブを盾にするか」


 怒りを含んだ目で睨みつけるルシファーに、ホーグレイは慌てふためいてアルマの腕を掴んだ。


「アルマ! お前は優秀なエクソシストなのだろう!? あの悪魔を追い払ってくれ!」

「なっ……」


 その言い分にアルマは言葉を失う。ホーグレイは媚びた笑みを浮かべながらアルマに縋る。


「そうだ、悪魔を祓ったらお前をまた聖職者の地位に戻してやろう! 今までの連中もそうだった! 悪魔さえ祓えればそれでいい! 神にお前が素晴らしい信者であることを、祈りを持って伝えよう! だから――」


 アルマの顔が歪む。こんな奴が、神の信者だというのか。

 アルマは、ホーグレイの腕を振り払い、ガブリエルの腕を掴んだ。ガブリエルは驚いた顔をしたが、アルマは冷めた目で親指を下に向けた。


「誰がお前なんかを助けるか」

「貴様……!!」

「私は神を信じてないし、天使や悪魔の味方もしない。私は、私を信じる者しか助けない」


 そう吐き捨てて、ガブリエルの腕を引いて歩き出す。

 ホーグレイはなおもアルマに手を伸ばしたが、ルシファーが前に立った。ホーグレイが尻もちをつく。

 にっこりと、ルシファーが嗤う。


「さて、お前と、他の祭司達をどうにかしたら、この教会は幾分かいい教会になるだろうね」

「な、何故、何故悪魔がそのような事を言う! 神を憎んでいる悪魔が!」

「……私は、神を憎んでいると言うより、人間を憎んでいるだけだよ。お前のような、神を心から信仰できない、愚かな人間を」


 ホーグレイに手を伸ばす。ルシファーのその手に、ホーグレイは悲鳴を上げた。


「く、来るな! 来るなぁあ!!」


 アルマは、その悲鳴を聞きながら、足早に進んだ。ガブリエルもまた、目を伏せた。

 

 それから二人は、教会の最奥に向かった。途中で聖職者たちに出会ったが、皆、意識が呆然としているのか、攻撃どころかこちらを気にする様子すらなかった。

 彼らを横目に、奥へと進んでいくが、途中でガブリエルが苦しみだした。アルマは慌てて支える。


「ガブ!?」

「だ、大丈夫……少し、疲れただけだ……」

「でも、顔色が悪いぞ」


 すると、そこへ幼い声が響いた。


『あれれ、ガブ、苦しそうだねぇ』


 アルマは銃を構える。その声を聞いて、ガブリエルは顔を上げた。


「ベルフェゴールか」

『久しぶり、ガブ。辛そうだねぇ』


 気怠そうな声は、さして心配しているようには思えない。アルマは、銃を構えたまま辺りを見回すが、聖職者以外、誰もいなかった。


『ごめんね、僕はそこにはいないんだ』

「お前も確か、七大罪の悪魔だったな」

『その通り。でも、今は味方……って言いたいところだけど』


 聖職者の目がギラリと光る。それは敵意の目だった。アルマとガブは目を見開いた。


『せっかくだから、ガブを奪わせてもらうよ。それが嫌なら、頑張ってこの状況を切り抜けてね。この先で待ってるよ~』


 ケラケラと笑い声が響いた後、聖職者達が、まるで悪魔に憑りつかれたような顔で武器を手にアルマ達に襲い掛かった。

 ガブリエルは、アルマに身を預けた。ガブリエルの姿を借りたアルマは、双剣を振り回して戦う。

 憑依している悪魔を斬り捨てれば、聖職者が倒れていく。しかし数が多すぎて、処理しきれず、腕や足を掴まれる。身動きを封じられてしまう中、ガブリエルが叫んだ。


『アルマ、飛びなさい』


 翼を広げ、聖職者達を振り払う。そして、奥に向かって一気に飛んだ。聖職者達の手を逃れて廊下を飛んでいると、背後から何か大きなものが迫ってきた。青い鱗を纏った、まるで蛇のような生き物がこちらを追いかけてきていた。


「なんだ!?」

『レヴィアタン!』

「くそ、七大罪が勢ぞろいじゃないか!」


 今止まれば、その大きな口に呑まれてしまう。アルマは、ひたすら飛び続けた。しかし、堪えるのか、ガブリエルの苦しげな吐息が聞こえる。


「ガブ、もう少し耐えてくれ!」


 出口が見えてきた。そこに向かってスピードを上げると、大きな部屋に飛び出した。その瞬間、憑依が解け、アルマとガブリエルは床に転がった。アルマはすぐに立ち上がれたが、ガブリエルは苦しそうに肩で息をしていた。

 その後ろから追いかけてきた蛇のような生き物も、顔だけその場に出て来てこちらを睨んだ。金色の目が、アルマを見据える。アルマは銃を構えながら、倒れているガブリエルの前に立った。


「あらら、切り抜けられたんだ。すごいねー」


 声に振り返る。そこには、水色の髪の少女がいた。

 アルマは驚く。


「お、お前がベルフェゴール?」

「そうだよ。見た目は子どもだけど、君よりうんと生きているよ」


 ニコニコと笑う姿が、サタンとかぶってぞっとする。すると、ベルフェゴールはふわりと宙に浮いた。


「さて、ここまで来れたからには、ルシファーの命で君達を地獄に案内したいところだけど……ガブがその状態じゃ、ちょっとねぇ」


 ちらりとガブリエルに視線を向ける。彼は苦しそうだったが、やがて呼吸が落ち着いたのか、ゆっくりと上半身を起こした。


「問題ない、このままアルマと共に地獄に向かう」

「ダメだよ。ガブが倒れたらルシファーになんて言われるか。そのお嬢さんが、ガブの為に神に祈れれば、話は別だけどね」


 アルマは、目を見開いた。ベルフェゴールはにっこりと笑う。


「君は神を信じてないよね。でも、ガブを助けたいなら、まず神への信仰心を取り戻さなきゃ」

「な……」

「ガブは、神の力なくしては存在できないんだよ。ガブを助けたいなら、神に祈ってみせなよ。できればだけど。でも、そうでもしないと消えちゃうよ?」


 その言葉を聞いて、アルマは銃を下ろしてガブリエルを見る。彼はこちらを見て、優しく微笑んだ。


「アルマ」


 母親の姿と重なり、アルマは不安になった。

 自分が祈らなければ、消えてしまう。ガブリエルに手を伸ばそうとしたが、その前に彼は立ち上がった。

 そして、揺るぎない瞳でベルフェゴールを見る。


「彼女の心は、彼女が決めること。お前が決めていいことではない」

「えーだって、ガブ、本当に消えちゃうかもしれないよ? いつまで信心を失くしたままの人間の味方をするのさ」

「この子は私を信じている。ならば、私もこの子を信じる。神もまた、彼女の心を信じているのだ。私がどうなろうと、それに変わりはない」


 はっきりとそう言う彼に、アルマは顔を歪ませた。

 自分の行いを否定しない。自分の信じる思いを否定しない。全て心のままに決めていいと教えてくれる。自由意志を尊重してくれる天使。それが、今の自分にとって、どれだけ欲しかったものか。


(それなのに、私は――)


 ベルフェゴールはしばらく黙った後、「ふーん」と言ってポケットに手を突っ込んだ。


「僕は言ったからね。消えても、知らないよ」

「心配してくれてありがとう、ベルフェゴール」

「この廊下の先に地獄の入り口があるよ。地獄で待ってるね。次は、敵になるかもしれないけど」


 フッ、と姿を消すベルフェゴール。いつの間にか、レヴィアタンも姿を消していた。

 ガブリエルは小さく息を吐いてアルマに振り返るが、アルマが肩を震わせていたので、そっと手を置いた。


「どうした?」


 アルマは、なんでもないと言うように首を横に振った。


「では、行こう。地獄はこの先だ」


 ゆっくりと歩き出すガブリエルの後ろを、アルマは顔を歪めながら見つめた。

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