第32話


 向かった先は、大聖堂の祭壇の前だった。いつの間にかホーグレイ祭司も修道士も誰もおらず、四人しかこの場にはいなかった。

 エナはアルマを優しく抱きとめ、涙を流した。


「元気そうでよかったわ。ずっとあなたの事、心配だったの」

「エナさん……」


 少し離れて、エナはガブリエルを見る。ガブリエルは優しい笑みを見せていた。


「天使様、御名をお伺いしても?」

「ガブリエルだ」

「まぁ、四大天使様の……ウリエル様には、助けられておりました。感謝を申し上げます」

「ウリエルに?」


 もう一人の天使の名にガブリエルは驚く。エナは言葉を続けた。


「ホーグレイ祭司が教会を管理し始めてから、教会は酷い状態となりました。アルマが嫌う、金銭に欲深い者達ばかりになってしまったのです」

「そう、なんだ……」


 アルマは悲しそうに顔を俯かせた。エナはそんな彼女の気持ちを落ち着かせようと頭を撫でた。


「その影響は修道士達や聖職者達にも出たのよ。皆、欲深く、それでいて他者に従順になっていって……とてもじゃないけれど、神を信仰するに値する者達には見えなかったわ」

「……やっぱり、この地は神に見捨てられていたんですね」

「それでも、私達は神への信仰を捨てなかった。そのおかげか、四大天使のウリエル様が私達を助けてくださったの」


 エナは、懐からあるものを取り出した。それは、赤く光る一枚の羽根だった。見たことがあった。クラウンが持っていた、あの小瓶に入っていたのと同じものだ。


「彼らの影響を受けないように、安心して神を信仰できるように、私達に勇気を与えてくださった。ある時、ウリエル様が言ったの。『サタンが復活した。この羽根を持って身を守るように』と。それから私たちはこの羽根を肌身離さず持ち続けたの」

「そんなことが……」

「祭司様にもお伝えしたわ。でも、誰も耳を貸さなかった。だからせめて、私達はエミリも無事であるようにと羽根を送ったの。だから、あの子が無事であるならよかったわ」


 ハッとなってベルゼブブを見ると。すると彼女も同じことを思ったのか、髪から蝶が一羽でてきて消えた。


「見ておく」

「ありがとう」


 彼女の行動の速さに胸を撫でおろした。エナはその行動に「どうしたの?」と顔を覗くが、アルマは簡単に説明した。エミリは羽根が見えなかったからと、別の者にウリエルの羽根が入っていた小瓶を渡してしまったことを。

 エナは「あらら」と申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんなさい、ちょっと手紙の説明が悪かったのね。あの子、ちょっと雑なところがあるから……」

「でも、この後すぐ彼女の様子を見てきます」

「ありがとう。なら、これも持っていきなさい」


 そう言って渡されたのは大きめの瓶だった。中には透明な液体が入っている。それを見てベルゼブブは嫌そうな顔をした。


「聖水か」

「はい、祈りを込めて作りました。きっとあなた方の役に立つでしょう」

「エナさん、ありがとうございます。何から何まで……」


 瓶を受け取りながら、彼女の優しさにアルマは胸を熱くした。まだ、信心と優しさを捨てない者がいてくれてよかったと安心した。

 すると、そこへドボルトがやってきた。彼はアルマを見て嬉しそうに微笑んだ。


「アルマ、お前も無事でよかった」

「ドボルトさんも」

「我々はウリエル様と神のお陰で無事だよ。それで……直球で申し訳ないんだが、何故、天使様と悪魔と一緒にいるんだ?」


 アルマは、二人にならと思って説明した。

 サタンによって死にかけたところを、天使と悪魔と契約することで助かったこと。上位の悪魔を地獄に送り返しながらサタンと対峙していたこと。この天使と悪魔は、自分にとって本当に大切な存在であることを。全てを話し終えると、二人は悲しそうにアルマを抱きしめた。


「お前は、本当に辛い思いをして……」

「あなたは昔から優しい子だから……」


 二人に抱きしめられ、アルマは目尻に涙を溜めた。両親に抱きしめられた記憶が蘇る。

 そんな三人の姿を、ガブリエルとベルゼブブは静かに見守っていた。夫婦はアルマから離れ、少し考えていたがお互いに頷いてアルマを見た。


「何かあったら、私達に手紙を寄越しなさい。力になれることなら、惜しまない」

「そうよ、聖職者を辞めても、あなたの努力はきっと神が見ておられる。私達も、見守るわ」

「ドボルトさん、エナさん……ありがとうございます」


 二人の言葉に、アルマは感謝した。

 ドボルトは、ガブリエルとベルゼブブを同時に見た。


「我々は、誤解しているのかもしれない。天使様のことも、悪魔のことも」

「いいや、間違ってはいない」


 そう言ったのはベルゼブブだった。


「悪魔は人間にとって害ある存在。そして、神への信仰を折らせようとする存在だ。それに対して敵意を示すのは当然だ。神への信仰を繋ぎ続けるなら、その対応を怠ってはならない」


 ベルゼブブの言葉に、夫婦は目を見開いた。それはそうだろう。この悪魔の言葉は助言そのものだった。

 私も最初そうだったな、とアルマは少し懐かしくなった。


「貴女は、悪魔の中でも上位の方では?」

「……私はベルゼブブ。七大罪の一人だ」


 ドボルトは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに悲しい顔をした。


「あの、地獄の入り口を創られた方でしたか……」

「お前達にとって不快だろうがな」

「あの地獄の入り口に関しては、ウリエル様から聞いております。同じ聖職者として、彼らを許せません」


 拳を握りしめるドボルト。エナもまた申し訳なさそうに俯いた。


「まさか、聖職者が悪魔を召喚するなんて思いませんでした。ですが、あの地獄の入り口を見て……何故と思わずにはいられませんでした。そして、不快というなら、あなたにとってもそうでしょう……」

「過去を気にしても仕方あるまい。まだ、お前達のような者がいるのが、教会にとってせめてもの救いだろう」


 ベルゼブブの言葉に夫婦は目を見開く。ガブリエルはそれに対し、夫婦に近づいて微笑んだ。


「二人とも、神への信仰を続けなさい。さすれば、神はあなた方を救うだろう」

「ありがとうございます。私はこの教会を立て直すつもりです。本来あるべき姿に。神が心から愛してくださる、愛ある場所に」


 ドボルトのその言葉に、ガブリエルは嬉しそうに頷いた。その様子にアルマは、心を温かくしていた。

 すると、ベルゼブブがアルマの肩を掴んだ。


「そろそろ行くぞ。エルたちが心配だ」


 確かに、と頷いて、アルマはドボルトとエナを見た。


「では、これで行きます」

「アルマ、エミリによろしくね」

「今度は我々から会いに行く。サタンに関しての情報も、調べておこう」

「ありがとうございます」


 二人に礼を言って、アルマはその場から駆け出した。ガブリエルとベルゼブブもついて行こうとしたが、その矢先、ドボルトが止めた。


「お待ちを」


 振り返ると、ドボルトは真剣な目で二人を見つめた。


「アルマは、本当に優しい子なんです。小さい頃の彼女を知っている者として、何もできないのが本当に心苦しい。ですが、どうか、あの子を助けてあげてください。お願いします」


 その言葉に二人は顔を合わせ、頷いた。

 アルマは教会の外に出て、その場でしゃがみ込んでしまった。後ろから来た二人が心配そうに駆け寄る。

 アルマの肩は震えていた。そして震えた声で、話し出した。


「なんか、めちゃくちゃな気分だ」


 大きく息を吐いて立ち上がる。そして、泣きそうな顔で二人を見る。


「サタンが言っていた。神の愛を受けているって。私は、神の事なんて愛しているかすらわからないのに、神の愛を直接、受けているって」


 自分は神に仕えるのを辞めた身だ。それなのに、神の愛を受けている理由が全くわからなかった。


「私は、神に背くつもりでやってきた。煙草も吸うし、入れ墨も入れたし、自堕落に生きてきたつもりだ。でも、神は、それでも私を愛している。なら、私は、それにどう応えたらいいんだ?」


 アルマの目はガブリエルに向けられる。

 ガブリエルは静かに、頷いた。


「アルマ。アルマの気持ちは、神が一番、理解している。私達にはお前の心を読むことはできない」

「理解しているなら、何で、そっとしてくれないの。私はもう、神に相応しくなんかないのに」


 神への信仰心も、忠誠も、何もかも捨てたつもりだ。もう神に関することは何も欲しくないと思っていた。神に対して怒りを抱いたことすらあるのに。

 それでも、神は――何故、手を差し伸ばして来るのか。

 ガブリエルは、しゃがんでアルマの顔を覗き込んだ。


「まだ、神が嫌いか?」

「……嫌い、じゃないと思う。でも、自分の気持ちがまだわからないんだ。理解が、できないんだと思う」

「理解したいと思うのか?」


 その問いに、考え込んでしまう。


「なんか、どう言えばいいのかな。理解したいのか、したくないのか、それも、わからない」

「そんなことをいちいち考えてどうする」


 はっきりと言い捨てたのはベルゼブブだった。彼女は、アルマに近づき、その頬に手を添えた。

 赤い目が、アルマを映す。


「お前が思ったことが答えだ。それ以外、何もない」

「私の、思ったこと」

「そうだ。神への信仰心が全てだと思うな」


 がば、とベルゼブブはアルマを抱きかかえた。アルマは驚いたが、ベルゼブブは嗤っていた。


「お前は、自分がどうしたいのかだけ考えればいい」

「……うん、そうだな」


 ベルゼブブはその場から飛び上がった。ガブリエルもその後ろを追いかけようとしたが、ふと、振り返ると、あの夫婦が見送りに来ていた。

 ガブリエルはその二人に向かって微笑んで、追いかける様に飛んでいった。夫婦は、静かに三人を見送っていた。




 息苦しい声が響く。暗闇の中で、地面に転がりながら、苦しそうに呻き声を上げる者が女が一人。

 胸に突き刺さっている双剣に触れようとするが、バチンと音を立てて弾かれる。手はそのまま地面に落ち、胸で息をする。

 その様子を、離れた場所で見ている男が一人。静かに転がる女を見つめていた。


「おのれ……この俺にこんなものを……ガブリエル、これで封じるつもりだったか……」


 なんとか引き抜きたいのか、また手を伸ばして掴もうとするが、弾かれる。これをもう何度もやっている。手は火傷を負っていて痛々しい。


「サタン様」


 女は顔を横に向ける。傍に立つ男、ヒュブリスは、無表情のまま女を見つめていた。女――サタンは自虐的な笑みを見せた。


「なんだ、死にぞこない。俺が苦しんでいるのが楽しいのか?」

「そのような感情はありません」

「そうだろう。欠落しているのだから」


 サタンはケタケタ笑うが、胸の剣が揺れるだけで顔を歪める。

 すると、そこへもう一人の男が姿を現した。その人物を見て、サタンは嬉しそうに目を見開いた。


「サマエル」


 両腕を失くしたサマエルは、サタンに駆け寄って、その顔にすり寄った。懐かしそうに、挨拶をするように。


「会いたかった」


 嬉しそうに言うサマエル。サタンはその言葉ににっこりと笑顔で応えた。


「両腕を持っていかれたか」

「すぐ治る。でも、その剣……」

「俺の手でも取れない。しばらくは、大人しくするしかない」


 そう言って、サタンは距離を置いて立つヒュブリスに顔を向けた。


「そういうことだ。俺はしばらく動けない。今後は、お前が動け」

「わかりました」

「クラウンを狙うのが一番早いだろう。地獄から一緒に出てきた悪魔を使っていい。俺の命令だと言えば何とでもなる。だが、ゲーティアには気をつけろ」

「はい」


 ヒュブリスはそう答え、その場から姿を消した。

 その姿をサマエルは少し不満げに見ていたが、サタンの手が頬に伸ばされ視線がサタンに向けられる。


「あいつは嫌いか?」

「……あまり」

「そうか。だがいい人形だ。お前も、うまく使いこなせ」

「……ルシファーはどうする?」


 ふん、とサタンは満足そうに鼻を鳴らした。


「にいさんは、どうせガブリエルの味方をする。それでも封印の鎖を一本解いてくれた。もう何も言わない」

「……じゃあ、対峙しても問題ない?」

「ない。だが問題はガブリエルと一緒にいる女だ」


 身体を起こそうとするが、突き刺さる剣のせいでうまく身体が動かせず舌打ちをする。


「あの女、人間なのに俺を叩いた。神の加護が強くなっている。あの時、ガブリエルとベルゼブブが助けなければ、そのまま殺せたものを」

「俺が、殺す?」


 サマエルの言葉に、サタンはニヤリと笑みを深めた。


「そうだな。お前に任せていいか?」

「わかった。お前のために、女を殺してくる」


 楽しそうに、笑みを見せるサマエル。


「ついでに、ガブリエルも捕えてほしい。やつの羽を食べれば、俺はもっと強くなれる」

「   ……羽、まだ壊れてる?」


 名を呼んでも聞こえない。サタンは冷めた目を一瞬見せたが、すぐににっこりと笑った。


「羽が使えないだけ。問題ないよ」

「……俺の羽、あげられたら」

「お前の羽もウリエルに奪われているだろ。ともかく、しばらくお前も治るまで俺と一緒だよ」


 サマエルがサタンの隣に寝転がり、身体を寄せ合う。痛みを分かち合おうとするかのように、お互いにすり寄って。




 ベツレムに戻って、最初に出迎えたのはエルと、ベリアルだった。


「お、かえり!」

「おかえり~!」


 ベルゼブブの蹴りがベリアルの顔面に入った。

 その光景に唖然としていると、部屋の奥からトルソとクラウンが慌ててやってきた。


「アルマ! 大丈夫か!?」

「無事か!?」


 二人の姿に、アルマは安心したようにようやく笑みを零した。

 ベリアルは、何故か椅子に縛られて大人しくさせられており、距離を置いて机を囲み、これまでの状況をガブリエルとベルゼブブが説明した。

 サタンの封印が一つ解けてしまったこと。サタンが地獄を出たことで多くの悪魔が地上に出てきたこと。聖職者の夫婦が教会の立て直しを考えている事。

 トルソとクラウンは黙って話を聞いていたが、やがて大きなため息をついた。


「そうか……そうなったか」

「まぁ、悪魔が悪魔を起こしたがるのはしょうがねぇ話だろうけど。でも、今後はどうする? アルマ」


 トルソの問いに、アルマは真剣な目をする。


「私達はエクソシストだ。悪魔を退治をして、サタンの居場所を突き止める。奴の好きになんかさせない」


 その言葉に、クラウンもトルソも笑顔で頷いた。


「なら、あたしも頑張るかね」

「俺も。サタンに一番近いのは俺だから、なんとか居場所を見つけられるようにしてみる」

「二人とも、ありがとう」


 頼もしい言葉に笑顔が零れる。すると、後ろにいたベリアルが「仕方ない」と言う。


「俺もその女と契約しちまったし、契約者に従うぜ。何せ、ルシファーが動けねぇんだ」

「その言葉に嘘はねぇな?」

「おう。それに、ベルが一緒じゃ勝手なことはできねぇしな」


 目線をベルゼブブに向けると、彼女は「ふん」と鼻を鳴らしながらアルマを見た。


「とはいえ、あいつはガブリエルの剣を受けた。あれは神の剣。しばらく奴が動くことはないだろう」

「神の剣?」

「私が神から賜った剣だ」


 隣でガブリエルが言う。


「サタンを封じるとき、あの二本の剣でサタンの首を切れば……封じることができる」

「首を斬る」

「しかし、今は、あの子の胸に刺さったまま。確かにサタンは動けないだろうが、だとすれば今後はサマエルが動くかもしれない」


 ベリアルが「へー!」と声を上げる。


「あいつ、ようやく地獄から出てきたのか! こりゃ戦うのが楽しみだ!」

「馬鹿を言うな。あいつはサタンと同等の力を持っているんだぞ。なるべく相手をしたくない」

「サマエルが出てきたら私が……」

「お前は何もするな」


 ガブリエルの言葉を遮るベルゼブブは、そのままクラウンを睨んだ。


「一番危険なのはクラウンだ。お前はサタンと契約している以上、何が起きるかわからん。単独行動は気をつけろ」

「お、おう」

「ウリエルの羽があるから、多少影響を受けにくくはなっているはずだが、そうでなければ精神に攻撃を喰らっていたところだろう」


 クラウンは顔を少し青くして冷や汗を流した。それもそうだ、自分が死ねば、それだけでサタンが完全復活できるというのだから。彼にとっては危機でしかない。


「それと、アルマ」


 名を呼ばれて顔を上げる。ベルゼブブと、心配そうなガブリエルが見つめている。


「お前はこれからもっと悪魔と戦うことになるだろう」

「心の負担も増えてしまうかもしれない」

「それでもお前は」

「これからも戦うのか?」


 アルマは、迷うことなく頷いた。


「あぁ、私には二人がついている。もう、一人じゃないから」


 にっこりと笑うアルマに、二人も笑みを返した。

 ――次の戦いが、始まる。

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灰の境界線 玻璃青丹 @Hariaoni

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