第22話


 三人は足早で通路を走った。途中、悪魔崇拝者が襲い掛かってきたが、応戦して黙らせた。

 やがて、一番奥へ辿り着くと、あの大きな角のある部屋へと辿り着いた。

 初めて見るその光景に、トルソとクラウンは言葉を失う。その角から感じ取れるものが、とても悍ましいものだったからだ。

 ごくり、と息を飲む二人に対し、アルマは角の前に立つ者の姿を見て叫んだ。


「ベル! ガブ!」


 そして、彼らの前に――ヒュブリスと、椅子に座るあの少女がいた。

 少女はアルマの顔を見るや、つまらなさそうに頬杖をついた。


「つまんない。せっかく神への心を潰してあげようと思ったのに」


 睨みつけて銃を構える。しかし、少女は言う。


「そんな玩具じゃ俺は倒せないよ。というか、そもそも俺を倒すなんて、神にしかできないことだ」


 すたっ、と椅子から飛び降りる。ヒュブリスの後ろまでやってきて、少女は可愛らしい笑顔で言った。


「パパ、怖い人たちがわたしを殺しに来たの。たすけて」


 ヒュブリスの目が細くなった。

 華麗な動きで剣を構え、走り出す。それに答えたのがガブリエルだった。双剣を振り回し、ヒュブリスが繰り出す剣技をすべて受け止める。

 隣でベルゼブブが手を前に出す。少女に向けてだった。少女の周りに、あの黒いもの達が姿を現し、襲い掛かる。しかし、少女はにっこりと笑って両手を上げた。

 黒いものが、全て弾け飛び、ベルゼブブの口から黒い液が噴き出した。その様子を見て少女は笑った。


「キャハハハ! 地獄の玩具で俺を大人しくさせるなんて無理でしょ!」

「――ならば、これでいくぞ」


 バサッ、と彼女の背中から四枚の羽が現れる。艶のある、美しい翼だった。


「もはや、お前相手に手加減などせん」

「えー、まだ封じられている俺に対して本気だそうとするのー? 乱暴だなー」


 こわいこわい、と言いながら、少女は片手を前に出した。ベルゼブブの片足が吹き飛ぶ。

 しかし、彼女はお構いなしに少女に向かって飛んでいき、その顔に向かって爪を立てようとした。

 そして、言った。


「地獄の檻、我は導く者、彼の者を地獄へと――抑え込まん」


 地面に叩きつける様に少女を片手で抑え込んだ。すると、少女の周りから、あの大きな口が現れた。

 少女は面白そうに笑った。


「うっそー! 俺を地獄に抑え込むつもり!? マジでやっちゃうの!?」

「アルマたちに危害を加える前に、私が地獄でお前と戦ってやろうではないか――安心しろ、地獄は楽しいぞ」


 バグン、と少女とベルゼブブが口に飲み込まれる。

 アルマは驚愕して、手を伸ばした。


「ベルッ!!!」


 そのまま、その口は消えて行った。

 そこに残されたのは、戦うガブリエルとヒュブリスだけだった。

 ガブリエルがヒュブリスに蹴りを入れる。ヒュブリスが距離を取ると、ガブリエルの身体から水が現れる。それはヒュブリスに向かって飛んでいき、その身体を包み込んだ。


「凍れ」

 

 ガブリエルの一声と共に、バキン、とヒュブリスの身体が凍り付いた。彼は動かなくなり、辺りが静寂に包まれた。

 一瞬で戦いが終わり、三人は唖然としてしまったが、ガブリエルがその場に座り込んだので、アルマは慌てて駆け寄った。


「ガブ! 大丈夫か!?」

「あぁ……少し力を使っただけだ。ここは、神の加護を一切感じない。私の力が弱まるのも早い……」


 少し息を整えてから、ガブリエルは立ち上がり三人に振り返った。


「彼はしばらく動けない。だが、神の加護がない分、時間が経てば解けるだろう」

「ベルは、サタンは、どこに?」

「……地獄に行ったんだ」


 ガブリエルは顔を歪めて、目を伏せる。


「あの子は、最初からこのつもりだったんだな」

「どういうことだ?」

「サタンを、地獄に封じようとしているんだろう。だが、いくら力が一部だけとはいえ、サタンの力は強大だ。地獄で暴れれば……ベルが危険だ。地獄は、ベルの身体の一部で生み出されているんだ」


 え、と三人は顔を上げた。


「あの子は他の悪魔達の為に自分の身体……お前たちで言う臓腑に当たる部分を、それぞれ地獄として創りかえたんだ」

「それじゃあ、地獄って、ベルの身体の中ってことか?」

「そうだ。悪魔達がベルに頭が上がらないのは、彼女に住処を貰っているからなんだ」


 地獄の王と名乗るだけの理由を、今ここで実感する。


「しかし、自らの身体にサタンを封じ込めようとするなんて、無茶だ。恐らく、あの子の精神と本体を、引き離したいのだろうが……」


 大きな角を見る。角は依然としてそこにあった。

 その角を見て、アルマは不安になった。


「……ベルの助けに、いかなくていいのか? ベル、一瞬でサタンに足をもがれたんだぞ」

「……できれば行きたい」


 ガブリエルは悲しげに顔を俯かせる。


「サタンが、ベルに何もしないはずがない。サタンは、心をかき乱す悪魔だ。ベルの心が持つか、不安だ」


 それはアルマにもわかっていた。あの時、暗闇の中で、ずっとサタンに言葉をかけられていた。ただ聞かされているだけなのに、その心はどんどん悲しみと苦しみに包まれていった。

 あれが、奴のやり方か。そう考えると、ベルゼブブが心配になった。

 すると、トルソが言った。


「あたしら人間が、地獄にいくことはできないのか?」


 その質問に、ガブリエルは顔を伏せる。

 すると、そこへ姿を現した人物がいた。


「あるにはあるよ」


 全員が顔を上げて身構えると、そこにはルシファーとベリアルがいた。

 本当は武器を構えたいところだが、ルシファーから敵意を感じられず、銃を握る気にもならなかった。

 ガブリエルがルシファーの前に立った。


「ルシファー、それは……」

「ベルを助けたいんだろう? なら、方法は二つ」


 ガブリエルからアルマへ目線を向ける。


「聖域都市に、地獄の門があるのは知っていたかい?」


 え、とアルマとトルソが目を見開いた。それもそうだ、二人にとってはそれは初耳だったからだ。


「な、なんで聖域都市に?」

「実はね、君たちがいる教会は、もうとっくの昔に神に見放されていたんだ」


 言葉にならなかった。

 信じられない目をするアルマ達に、ルシファーは言葉を続けた。


「もちろん最初の彼らは、神のために教会を創り上げた。けど、ある一部の者たちが、罪を侵したんだ」

「罪……?」

「ベルを、召喚したんだ。見せしめとして、悪魔を見世物として扱う為に。人心を神へ向けさせる為に。悪魔なら何でもよかった」

「そんな……!!」

「そうして、召喚されたのがベルだった。彼女は、人間に敵対する気はなくとも、聖職者が自分を利用しようとしたと知って、怒った」

「そんなの、当たり前じゃないか!」


 アルマが叫ぶ。

 ルシファーは静かに続ける。


「だからベルは、その者達を地獄に落としたんだ。悪魔達の餌として」

「聖職者が……そんなことを……」

「人間は愚かだ。自分の意志を通すために、神の助言を無視してまで罪を侵す。ベルはそのまま教会の地下に、地獄の入り口を作っておいた。愚か者が落ちる様にするために。だが教会も、それを利用することにしたんだ」

「利用、だと?」


 沸々と怒りが湧きおこる。拳を強く握りしめた。


「教会の中で、罪を侵した者を、その地獄の入り口に落としている」

「まさか、教会が行う、処刑って……」


 トルソが顔を青くする。ルシファーは頷いた。


「地獄に落とされて、悪魔の餌食になっている」

「なんで……なんで……!!」


 アルマは信じられなかった。まさか、教会がそんな愚行に走っていたなんて。しかし、この悪魔が嘘をついているようには聞こえなかった。

 ガブリエルは悲しそうに顔を伏せたまま、言った。


「だから、あの都市には、神の加護はもうないんだ」

「……私の祈りも、届かないわけか」


 虚しさが胸を満たす。そんな教会のために戦っていたことが、酷く悔しかった。自分が信じていたものとは、なんだったのか。

 ルシファーは、顔を歪めるアルマを見て、言った。


「けど、ベルは君には優しい。それはきっと、君がガブリエルを見たからだろう。本来の彼女は、人間に対して関りなんて一切持とうとしない。それでも君に接してくれているのは――君の純粋な気持ちを、理解しているからだろう」


 顔を上げた。そこあった悪魔の顔は優しかったが、胸中の蟠りは、少しも晴れはしなかった。


「話を戻すけど、地獄に行く方法は教会へ行くこと。もしくは、死ぬことだね」


 簡単に言うルシファーに、クラウンが「無理だろ」と即答した。


「死んで地獄に行くなんて、生き返れるわけでもなし」

「そうだよ。でも方法の一つとして提案しただけだ」

「……どうする、アルマ。教会に行くか?」


 トルソが心配そうにアルマの顔を覗き込む。アルマは顔を歪ませたままだったが、銃を握りしめて決意する。


「……聖域都市に行く。ベルを放っておくわけにはいかない。でも、教会に行くのは私だけだ」


 え、とトルソとクラウンが顔を上げた。


「トルソもクラウンも、教会には連れていけない」

「で、でもアルマ、お前だって聖職者を辞めたんだ! 行ったら何をされるか……」

「それで地獄行になるなら、むしろ願ったりだろ……私は行く」


 いつものアルマと違う、とトルソは感じた。冷静さがない。

 トルソはアルマの肩を掴んだ。


「アルマ、一旦落ち着け」

「落ち着いているよ」

「嘘つけ、今のお前、ちょっと変だぞ」

「……ごめん。ちょっと一人にさせてくれ」

「お、おい!」


 トルソの手を振り払ってアルマは走り出した。トルソは手を伸ばしたが、どう言えばいいかわからず立ち尽くしてしまう。ガブリエルはその様子を見て、トルソ達を見た。


「先に拠点に戻っていなさい。このままここにいては危険だ。アルマは私が追いかける」

「……わかった」


 答えたのはクラウンだった。そして、ガブリエルはルシファーと顔を合わせる。ルシファーは微笑んだ。


「私達は、先に教会に行くよ」

「……そうか」


 それだけ答え、ガブリエルはアルマを追いかけた。その後姿を見つめるクラウンとトルソに対し、ルシファーは言った。


「さて、君達にも手伝ってもらおうか」


 その言葉に、後ろにいたベリアルが、にやりと笑った。




 鉄の教会を出て、スラム街を抜けて、廃墟都市へと戻る。アルマは、ひたすら走り続けた。

 苦しい。腹が立たしい。教会のことも、自分のしてきたことも。全て、神に捧げていると思っていた、両親のことでさえも。

 廃教会の中に入り、壊れた祭壇の前で立ち止まって、アルマは上を向いて叫んだ。


「何で、何で教えてくれなかったんだ!!」


 その言葉に、誰も答えない。

 アルマは叫んだ。


「どうして、あいつらを罰してくれないんだ! 私が、私がしてきたことは、全部、意味がなかったのか!? なんでなんだ!!」


 膝から崩れ落ちる。両手を地面について、顔を歪ませる。


「何故なんだ……私が信じていたものって、なんだったんだ……」


 自分の存在を否定された気分だった。今までの経験、覚えてきた事柄、過去の一切が無駄にされたような気がした。

 悪魔と戦うことで、人々を救うのが使命だと思い続けてきた。それは聖職者の時からずっと、エクソシストになっても抱えていた信念だった。それも、無意味だったのかもしれない。


「もう、いっそ……殺してくれ……」


 今の自分が、酷く醜く感じた。消えてしまいたいと、心の底から思った。


「アルマ」


 名を呼ばれ、顔を上げる。

 振り返れば、そこにはガブリエルがいた。

 彼は、優しい微笑みをかけてくれる。


「こっちにおいで」


 優しい声で言われ、アルマはそろそろと立ち上がる。ふらつきながらも、ガブリエルの前に来ると、彼は、優しく抱きしめてくれた。母が抱いてくれた感覚と似ていた。


「過ぎてしまったものは、二度と元には戻らない。けれど、変わっていくことはできる」


 背中を優しく撫でられる。目に涙が溜まっていく。


「アルマが神を信じていたことは、無駄なんかじゃない」


 じわり、と胸が熱くなる。ガブリエルの服を掴み、肩に顔を埋める。


「ずっと、認めてほしかったんだな」


 その言葉を聞いて、今やっと気づいた。自分が、認められたかったことに。


「よく、ここまで頑張ったな」


 わっ、と声を上げて、アルマは子どものように泣いた。

 ガブリエルは、優しく抱きしめ、親が我が子をあやすように背を撫で続けた。


「神も、私も、アルマのことを愛しているよ。ここにいていいんだ」


 彼の言葉が、心の傷に染み渡る。今の自分にとって、欲しかった言葉を彼は言ってくれた。この孤独が、報われたような気がした。


「優しい子。アルマの心に平穏が訪れるように」


 額に優しくキスをする。それは、母がよくしてくれた。あなたのことを、愛しているわ。大好きよ。と、そう言って。

 ガブリエルと母親の姿が重なり、アルマはガブリエルを見て、口にする。


「おかあさん……」

「うん」

「おかあさん、どうして死んじゃったの……どうして、一人にしたの……」

「……うん」


 ガブリエルは、アルマの問いに頷くだけ。アルマは、泣きながら言い続けた。


「私、ずっと神さまを信じ続けたよ。でも、神さまは、私を助けてくれなかったよ。だから、神さまなんか嫌いだ」

「……そう」

「でも、でも、私、ずっとがんばったんだ。でも、つらかったんだよ……」


 強く抱きしめられる。ガブリエルは、涙を流しながら「ごめんね」と言った。


「お前の気持ちに、気付いてあげられなくて、ごめんね」

「うう、うぅ」

「それでも、神は、ずっとアルマを愛しているよ――私も」


 優しい言葉に、アルマはまた声を上げて泣いた。心に抱えていたものが、一気に溢れ出たような気がした。

 ガブリエルは、泣きじゃくるアルマを大切に抱きながら、共に涙を流し続けた。

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