第30話
ガブリエルが目覚めて、アルマは彼とベルゼブブを交互に見た。
ようやく、心から安心できたような気がした。
「ベル、もう大丈夫か?」
「問題ない。アルマが奴の呪いを握り潰してくれたからな。お前は? 無理したんじゃないのか?」
「ルシファーに何度か助けてもらったから、今は大丈夫だ」
お互いを心配する姿に、この光景をまた見れてよかった、と心から思った。
「しかし、何故、アルマは奴の呪いに触れられた? そこがわからんのだが」
ベルゼブブの言葉に、アルマは「確かに」と呟いた。
あの時、あの紋章を掴もうと思った理由もだが、何故、自分があの呪いを掴んで平気だったのか、まったくわからなかった。
「アルマに特別な力があるとは思えんが」
「確かに、あの子の呪いを素手で掴むなんて、本来なら到底できないことだろう。だがアルマは――」
ガブリエルが言葉を続けようとした瞬間、層が揺れた。と同時に、ベルゼブブの口から黒い血が溢れ出た。二人は驚いてベルゼブブの身体を支えた。
ぼたぼたと落ちる血を、彼女は拭いながら冷や汗をかいた。
「奴め……」
「サタンか!?」
「私の身体を……引き裂こうとしている。地獄を壊す気か。あの馬鹿力め」
ごふ、ともう一度血を吐く。地獄は彼女の身体の一部なのだ。それを傷つけているのだと、アルマはすぐに理解できた。
「結局、私の力では敵わなかったから七層に閉じ込めたのだが……封印が解かれそうになっている。一部しか復活できていないというのに、あの力は強大すぎる」
アルマはベルゼブブの背中を撫で、落ち着かせようとしながら問う。
「どうしたらいい? 地獄を壊したらルシファーや他の悪魔達に影響が出るんだろう?」
「出る。地獄で大人しくしていた悪魔達が、全員、地上に現れたなら、地上が地獄そのものになるだろう」
その前に、なんとかしなくては。ベルゼブブの目が光る。すると、ガブリエルが離れた。彼は、何かを考えていたが、顔を上げてアルマ達を見た。
「私がサタンを封じ込める」
ベルゼブブの顔色が変わる。アルマに支えられながらガブリエルに詰め寄った。
「自分が、今どんな状態なのかわかっているだろう! 今のお前は、神の加護を受けていない! 無理をすれば……!」
「それでも、私はこの時の為に降りてきた。あの子を、神と対峙させるわけにはいかない。人間やお前達を守るためなら、私は――」
「誰も願っていない! お前が消えることなど! 天使も悪魔も、そして、神でさえもだ!」
ベルゼブブはガブリエルの服を掴んで引っ張った。
「いいか、二度とそんなことを言うな。悪魔の問題は悪魔が片付ける。お前はアルマを守る事だけに専念しろ」
「ベル、しかし」
「二度は言わん。絶対にだ」
二人の様子を見ていたアルマは、ぐっと下唇を噛みしめてガブリエルの手を取った。彼は驚いた顔でアルマを見たが、その顔は真剣だった。
「私も大反対だ。ガブが消えるなんて絶対に嫌だ」
「アルマ……」
「むしろ、私を使えよ。そのために契約したんだ。サタンと対峙する為に、私は契約された。サタンと戦うなら私も戦う」
アルマの言葉を聞いて、ガブリエルは悲しい顔をして彼女を抱きしめた。
「すまない、巻き込んでしまって……」
「いいんだ。前までは、何で私がって思ってたけど、今は、力になりたいと思っているから」
「ありがとう……」
その様子をベルゼブブは黙って見ていたが、今度は多くの血を吐いた。
そして、その場に、赤い蛇が現れる。三人は驚いてその巨大な蛇を見上げていたが、蛇は翡翠の目を細めた。
アルマは、銃を構えた。その目に向かって銃弾を放つ。目に直撃したものの、蛇は怯まず、大きな口を開けてガブリエルに向かって襲い掛かった。ガブリエルは翼を広げ、アルマを抱えて飛び立つ。
そして、その場にベルゼブブが立ち、血を拭って、手についた血を振るった。血は大きな槍となって蛇の頭や口を貫いた。動きが止まる。蛇は苦しむ様子も見せず、動きを止めたままベルゼブブを睨んだ。
『俺を放っておいて感動の再会とか、気持ち悪いな』
「ふん、お前には絶対にわからんだろう」
『当然だ。さて、そろそろここにも飽きてきたから――』
ゴゴゴ、と層が揺れ始めた。宙でガブリエルに抱かれるアルマは、ベルゼブブに向かって叫んだ。
「ベル!!」
ベルゼブブは黒い翼を広げて、飛び上がる。しかし、蛇は飛び上がったベルゼブブを見て、頭を大きく振るった。激突する寸前で、彼女はたくさんの蝶に分裂し、散らばる。そしてアルマたちの元で元の姿に戻った。
離れた場所で蛇を見ていると、蛇はいつの間にか姿を変えてあの少女になっていた。少女は、その場でくるくる回りながら言った。
「ヘテ ヘテ エレベ
トチ トチ シエテ
ウェケ ウェケ ザギデ」
その言葉を聞いて、ベルゼブブが苦しみだす。ガブリエルは慌ててアルマの耳を塞いだ。
「サタンの呪いの言葉……!」
アルマの頭に激痛が走る。何かに頭の中を引っ掻き回されそうな気分だった。
すると、ガブリエルが歌いだす。聖歌だ。呪いの言葉を謡い続けるサタンの声をかき消さんとばかりに張り上げられる歌に、アルマの頭から徐々に痛みが引いていく。ベルゼブブは聖歌とサタンの声に気が狂いそうになっているのか、それでも意志ははっきりとしており、サタンを睨みながら両手を前に出した。
その瞬間、少女の身体がバラバラに弾けた。だが、少女は頭だけになりながらもケタケタと笑っていた。
「アハハ! もっと遊ぼうよー!」
少女の身体が無数の赤い蛇に変わる。歌うガブリエルや、ベルゼブブに向かって飛んでいくが、アルマが銃を構えて撃つ。二、三体は仕留められたが、残りの数体を仕留めることができなかった。だが、歌を止めたガブリエルが片手剣を取りだし、二体を切りつけ、ベルゼブブが残りを爪で引き裂いた。
しかし、目の前に、再び無数の蛇が姿を現す。何百ともとれる数に、アルマは処理しきれないと悟りガブリエルとベルゼブブを見た。二人は顔を合わせ、頷いた。
「アルマ、しっかり掴まっていなさい」
アルマは頷き、ガブリエルにしっかりとしがみついた。すると、ベルゼブブが翼を広げて、大きく羽ばたかせた。層内が大きな風の渦を生み出し、蛇達を持ち上げる。そして、ベルゼブブが爪を振り回すと、まるで鎌鼬が起きたかのように蛇を次々を切り裂いていく。
ガブリエルはアルマを抱えながら巻き込まれないように離れるが、ふと、後ろから声がした。
「おかあさん」
ガブリエルの肩に、少女の顔が乗っていた。アルマはすぐに銃口を向けた。しかし、少女の顔は可愛らしく、ガブリエルの耳元で囁いた。
「わたし、また、おかあさんとお話したいなぁ」
ガブリエルは目を見開いたが、唇を噛みしめて振り払おうとした。だが、それは少女の顔を掴んだ者によって遮られる。
ガブリエルの肩を抱きながら、少女の頭を掴んで離したのはルシファーだった。ルシファーの登場に、全員が驚いた。しかし、少女も驚いた顔をで、悲しい顔の彼を見た。
「にいさん」
「 。私が――」
その言葉は、発することができなかった。だが、ルシファーは少女の顔を優しく包むと、額と額をつけた。
それを見たガブリエルが叫ぶ。
「ルシファー! いけない!」
ガブリエルが止めようとするも、ベルゼブブに身を引かれ叶わなかった。
ルシファーと少女の身体が闇に包まれる。そして、二人はその場から姿を消した。
層内が静まり返る。あの蛇も、風の渦も、いつの間にか消えて静寂に包まれていた。しかし、ガブリエルが苦しそうに顔を歪めながら地面に降り、アルマを下した。アルマは、何が起きたか理解できず、二人を見る。
「一体、何が起きたんだ?」
その問いに答えたのは、ベルゼブブだった。
「ルシファーが、サタンの封印をもう一つ解いた」
アルマは驚愕する。ガブリエルがその場で座り込んでしまった。
「まさか、ルシファー……自分の力を使って……」
「そんな! じゃあ、あいつの力がもう一段階、目覚めたってことか!?」
ベルゼブブが頷く。そんな、とアルマは絶望した。
何のためにここまで、と考えていると、そこへ突然姿を現した者がいた。サマエルだった。彼は三人を前にして、少し嬉しそうに口を緩ませていた。
「ルシファーは、元々、サタンを目覚めさせたかった」
「だからって、こんな……」
「最初から、願っていたこと。それを、人間に止めることは、不可能」
ギリ、とアルマは歯を鳴らした。サマエルの言い分に苛立ちを覚え、銃を構えた。
しかし、それを代わって答えたのはベルゼブブだった。
「ルシファーの意志であろうと、奴は封じ込める」
ベルゼブブがアルマの身体とガブリエルの身体を抱き上げた。
「ルシファーの元へ行くぞ」
「ダメ」
サマエルの胸から、一つ剣が生えた。黒いレイピアだった。彼はその剣を手に取り、抜いた。そしてアルマを見て剣先を向けた。
「そいつは、ここで殺す。あいつの、 の、呪いをかき消す。それは、許さない」
「……私に敵わないのは、お前もわかっているだろう」
ベルゼブブが静かに怒りを露にしていた。アルマも、サマエルを睨みつけた。
するとガブリエルが、サマエルに目を向けた。
「お前も、あの子の復活を望んでいるのか」
サマエルは頷く。
「ずっと、好きな子だから。早く起きてほしい。また、俺と遊んでほしい。そのために――」
サマエルが構える。戦闘の意志を示していた。ベルゼブブは舌打ちをしたが、ガブリエルが彼女の腕から離れ、立った。そして、双剣を取り出す。
その姿に二人はぎょっとした。
「ガブリエル、待て!」
「この子の相手は私がする。二人はルシファーの元へ。ルシファーの状態も心配だ」
「ガブ!」
アルマが名を呼べば、ガブリエルは振り返って優しく微笑んだ。しかし、その目は酷く悲しげだった。
「アルマ、すぐに追いかけるから。先に向かいなさい」
「ガブ……」
「約束、守るから」
お前を置いて消えたりしないよ。
その言葉に、アルマは唇を噛んだ。そして、覚悟を決めたようにベルゼブブを見上げた。
「行こう」
「……わかった。後で必ず」
そう言って、ベルゼブブはアルマを抱えると翼を広げて飛び立った。向かうは、ルシファーの層。
二人が飛んでいくのを見送った後、ガブリエルはサマエルを見た。サマエルは、意外そうにガブリエルを見つめる。
「遊んで、くれるの?」
「時間が惜しい。すぐに終わらせてほしい」
双剣を構えるガブリエルは、今までになく凛々しい姿だった。それを見たサマエルの、無感動な口が大きく歪む。
「ガブリエルと、戦える。嬉しい」
「私は嬉しくない」
二人は駆け出した。お互いの武器を振り回し、衝突する。
ベルゼブブはアルマを抱えてルシファーの層の扉を潜った。
層に入った瞬間、凍えるほどの吹雪が舞っていた。ベルゼブブは降りて羽を仕舞い、アルマを下した。アルマは、一点へと駆けていく。
氷に包まれたルシファーの元へ辿り着き、絶句した。
ルシファーの両腕と、胸から下がなくなっていた。残っているのは頭と肩の一部のみ。追いかけてきたベルゼブブも、言葉を失っていた。
アルマは、顔を歪ませる。
「何で、自分を犠牲にしてまで……」
ルシファーは確かに、弟の復活を望んでいた。だが、ここまですることなのだろうか。
ルシファーも同じだ。ガブリエルとベルゼブブと、同じだ。誰かの為に自分を捧げようとする。
(もう、うんざりだ)
拳を握りしめるアルマを見て、ベルゼブブは目を細めた。
「ルシファーが、サタンのために行動していたのは知っていた。だが、ここまでして復活させたいとは、思わなった」
アルマは振り返ってベルゼブブを見上げるが、珍しく彼女は悲しげだった。
「ルシファーが好きだ。だからこそ、自分の為に生きてほしいと思った」
「ベル……」
「だから、サタンが許せない。ルシファーの気持ちを理解しながらも、振り回すあいつの行動が許せないのだ」
ベルゼブブはアルマを通り過ぎて、ルシファーを包んでいる氷に触れた。そして、手の中心に力を込めると、掌から黒い靄が生み出され、ルシファーの身体を包んでいく。彼の千切れた部分にくっついたかと思えば、徐々に形を変えていく。
まだ黒い靄のままだが、どうやら身体の修復をしようとしているようだった。ベルゼブブは手を離し、アルマに振り返った。
「ルシファーが願ったとしても、私はサタンを許すつもりはない」
その言葉に、アルマも力強く頷いた。あの悪魔を、早く何とかしなくては。
すると、そこへマモンが姿を現した。彼は少し気まずそうに頭を掻きながら近づいてくる。
「ああ、やっぱここにいたか」
「マモン、あの娘は無事に返したのか?」
「ああ、約束通り。だが、戻ってきてこれとは、酷いな」
「それで、今度はなんだ」
ベルゼブブは不満げにマモンを睨んだが、彼は肩を竦めた。
「いや、ルシファーがあいつの封印を一つ解いたおかげでな、地獄の一部の悪魔達が出ていきやがった。また地上が荒れるぞ」
「そんな。ベル、地上に戻れないか?」
アルマはエル達が心配になり顔を上げる。ベルゼブブはしばらく考えていたが、彼女へ目線を向ける。
「戻れるが、お前が行ったところで……」
「サタンの封印が解けたとしても、出てきた悪魔は全部地獄に戻してやる」
そう、自分のやる事は変わらない。エクソシストである以上、悪魔は倒す。聖職者を辞めても、それだけは絶対の信条だった。
アルマの言葉を聞いて、ベルゼブブもマモンも驚いていたが、やがてベルゼブブが肩を震わせ、笑った。
「ハハハハッ! いいだろう、それに私も付き合おう。契約したのだ、お前の言葉に従おう」
「うわ、ベルが笑った。こえぇ」
ベルゼブブの笑い声にマモンは少し引いていた。
すると、そこへ、ガブリエルが追いついた。彼は少し息を切らしていたが、アルマ達に笑顔を向ける。次いで、ルシファーを見て悲しげに顔を顰めた。
「ルシファー……」
切なく名を呼びかけるガブリエルに、アルマは駆け寄って手を取った。
「あいつは?」
「サマエルは地上に向かった。ちょっとお灸を据えたから、しばらく暴れることはない」
アルマは続けて言った。
「ガブ、地上に戻る。悪魔達が地上にたくさん出ているんだ。そいつらを全部地獄に戻して、サタンを何とかしたい」
「アルマ」
「だから、一緒に行こう」
サタンを封印しに。そんな決意に満ちたアルマの目に、ガブリエルは驚いたが、微笑んで彼女の手を両手で包み込んだ。
「ありがとう」
その様子を見ていたマモンは気まずそうに頬を掻いた。
「うーん、ガブを捕まえたいんだが、この様子じゃ無理そうだなぁ」
ぼそりと呟いた言葉は誰にも聴こえなかった。
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