第15話


 ベツレムに戻って早々、出迎えてくれたのはエルだった。


「トルソ、ちゃ!」


 身体にはまだ痛々しく包帯が巻かれているが、その顔は笑顔だった。後ろからクラウンが「上着忘れてんぞ!」と慌てている。

 エルは、トルソの身体をぎゅっと抱きしめた。彼女が正気に戻ったことを理解しているのだろう。

 トルソは涙が出そうになった。正気を失っていたとはいえ傷つけてしまったのに、彼女は自分を嫌いになったりしなかった。


「……ごめんな」


 そう言って、トルソは彼女を抱き返した。

 その様子に、アルマもほっと胸を撫でおろした。


「ガブリエルのお陰で回復が早かったな。あいつめ、無理をしおって」


 そう呟きながら、ベルゼブブは部屋の中へ入った。

 それから、アルマはトルソに状況を説明した。サタンを復活させないために、召喚された悪魔を片っ端から地獄に送っている事。クラウンは元は悪魔崇拝者の子どもだったこと。サタンと契約させられていること。全てを事細かに話した。

 トルソは、膝にエルを乗せたまま説明を聞いて、溜息をついた。


「お前、色々と大変な目に遭っていたんだな」

「トルソほどじゃないさ……トルソも、大変だったね」

「もう終わったことだ。お陰で目の違和感もなくなったし」


 ケラケラと笑う彼女に、アルマも笑う。

 いつもの彼女が戻ってきてよかった。

 そう思っていると、ベルゼブブがやってきて、金色の装飾がついた眼帯をトルソに渡した。


「こいつは?」

「お守り代わりに持て。私の羽を一枚織り込んだ。その目は神の力で癒された分、悪魔達に狙われやすくなる。これはその力を隠すためにものだ。使え」


 渡された眼帯をまじまじと見ていたが、トルソは「え」と顔を上げた。


「この目、神に癒されたのか?」

「そうだ。ガブリエルが、お前を救いたいと願い、その祈りを聞き入れた神が癒した。あれは、ガブリエルの力ではない」


 トルソは唖然としていたが、それはアルマも同じだった。


「神が、人間を助けた? あたし達を見放したんじゃないのか?」

「誰がそんなことを決めた。それは、お前たち人間の思い込みだろう。神は、遠く離れた人間に対しても、いつでも無償の愛を示している。それを無いものと決めつけているのは、お前達だろう」


 それだけ言って、彼女は離れていった。

 アルマとトルソは顔を合わせて唖然とする。自分達は、とっくに神に嫌われたものと思っていたのに。


 それからベルゼブブが「トルソもしばらくここに住め」と言ってきたので、その提案に賛成して、トルソを新たな住人として受け入れた。

 トルソは、最初こそは断っていたものの、エルがかたくなに「いっしょ!」と怒るので、渋々聞くことにした。エルを傷つけた申し訳なさもあるのだろう。エルの気持ちには応えようとしていた。


 食事の時間になった。今日の献立はオニオンスープとハンバーグだった。

 食事中、クラウンが言う。


「ガブが悪魔崇拝者の拠点にいるっていうなら、幾つか心当たりがある」


 アルマが顔をあげる。


「本当か!?」

「これでも情報屋だぞ」

「それで、どこだ?」


 ベルゼブブが口を挟む。クラウンはフォークを置いて腕を組む。


「つっても、廃墟都市内だけでも10以上の拠点があるからな。いくつかはアルマが潰しただろうが、最低でもあと7つはあるだろ」

「そんなにあるのか……」

「この廃墟都市は、地下施設が有名どころだったからな。それが儀式場になった場所は多い。問題は、そのマモンってやつがどこの儀式場にいるかだ。そこまでは俺もわからねぇ」

「ガブリエルに危険が迫っている以上、時間をかけられん」


 ベルゼブブの言い分はもっともだ。早くガブリエルを助け出さなくては。アルマの手に力が籠る。

 しかし、ベルゼブブは続けて言った。


「だが、助けに行くのは私だけだ」

「え、何で!?」

「相手が同じ七大罪だからだ。奴は、アスモデウスよりも凶暴だ。お前達がかかっても勝てるかどうか。なら、私が同じ悪魔として、奴を地獄送りにしてくる」


 アルマの顔は、納得していない。それを、ベルゼブブは笑った。


「天使を助けてどうする? お前達はもう、神への信仰を捨てたのだろう? なら、天使を助ける理由などなかろう」


 ぐ、と顔を歪めた。その通りだ。神への信仰など、とうの昔に捨てている。だから、天使と関わる事なんてしたくなかった。そのはずだった。


「でも、ガブを放っておくなんて、できない。ガブも私と契約しているんだ。契約者は守らないといけないだろ? だったら、助けにいくのは当然じゃないか」

「……そうか」


 ベルゼブブは静かに答えた。その目は、どこか遠くを見ていた。

 黙って聞いてたトルソは、頭の後ろに両手を置いて笑う。


「ていうかさ、悪魔崇拝者達をやっちまえばさ、ジーゴからたんまり金もらえんじゃね?」

「そうだ、それもいい」


 何故かクラウンが口を挟む。


「俺もエクソシストになるかー」

「お前が!?」

「だって悪魔見えてるし、情報もそれなりにあるし、あとは戦いに慣れればいいだけだろ。な?」


 とベルゼブブに聞くが、彼女はフン、と鼻を鳴らした。


「そうだな、次は実践といくか。敵を前にして戦えるか、見てやろう。手助けはせん」

「悪魔! でもな、俺はガブにめちゃくちゃ鍛えられたからな、多少は強くなったぜ」

「ほう、言ったな。では実践前に腕前を見せてもらおうか」

「言うんじゃなかった!!」


 ベルゼブブに襟首を掴まれて引きずられていくクラウン。

 その光景に二人は可笑しそうに笑うが、アルマの胸には、ガブリエルへの心配が引っ掛かっていた。




「辛そうだな、ガブ」


 マモンは宙にぶら下げられたガブリエルを眺める。両手足は縛られ、その首や胴体にも鎖が絡みついている。ガブリエルは苦しそうに顔を歪めていたが、マモンの声で目を開ける。


「サタンの前に、突き出さないのか」

「そりゃ突き出したいさ。けど、お前はまだ強い。いくら力を使ったとはいえ、まだサタンの前に連れ出すには、もうちっと弱らせないと」

「……なら、私をどうするつもりだ」

「どうもこうも――」


 マモンの指が足先に触れる。その手は、徐々に足首から太ももまでに上がっていく。


「どうしたら、堕天できるか考えてんだよ。一番手っ取り早いのっつったら――寝取ることだよな」

「……悪趣味な」

「だが、ルシファーより前に手ぇ出したら、俺が消されちまう」


 パッと手を離す。ガブリエルは困惑した。


「お前達は、どうしても私に堕天してほしいのか」

「当たり前だろう。大好きながガブが同じ悪魔になったら、俺だけじゃなくて全部の悪魔が大喜びだぞ」

「私は神に従う者。お前たちの言う通りにはしないよ」


 ゴッ、と壁に亀裂が入る。マモンの拳が壁にめり込んでいた。


「この状況でもまだ神に従うっていうのか」

「もちろん」

「なら、そんな事すら考えられないくらいの苦痛を味わってみるか?」


 マモンが片手を捻ると、ガブリエルの身体に巻き付いている鎖が動く。

 彼の身体をきつく締めあげ、痛みを与える。小さな悲鳴を上げるガブリエルに、マモンは嬉しそうに笑った。


「ほれ、苦しいだろ? 神に祈ってみろよ。哀れな私をお救いくださいませ、って」

「わ、たし、は」

「いっそこのまま――殺してみてもいいかもな?」


 メキメキ、と音がする。ガブリエルの身体を徐々に締め付けていく。彼は苦しそうにしていたが、やがて意識を失った。それに気づき、マモンは鎖を緩めた。


「なんだ、つまらねぇ」


 マモンは口を尖らせてガブリエルの頭上に来る。鎖の上に足を乗せて、その場でしゃがんでガブリエルの顔を覗き込んだ。片手で垂れている髪をそっと掻きあげる。それでも目覚めない。


「人間相手に力、使うからこうなるんだ。ほっとけばいいのによ」


 その冷たい頬に、キスを一つ落とす。


「天使がこの手にあるってのも、興奮するな」


 ククク、と笑う悪魔。そこへ、一つの声が響いた。


「マモン様」


 その声にマモンは不機嫌そうに顔を上げた。部屋の中央に、黒い衣服を着た人間が一人立っていた。ヒュブリスだ。


「天使はサタン様の元へ連れて行くのですか?」

「んなことするか。ここでベルを待つ」

「待つ? 何故そのようなことを。あの方は天使の羽を欲しがっていますが」


 マモンは「はっ」と嘲笑いながら地面に降りる。そして、目の前にいるヒュブリスに顔を近づけた。


「サタンに気に入られているかは知らねぇが、俺はお前を信用する気はない」

「……そうですか」

「確かに、お前は凄い人間だ。自分が最も愛したものを捧げて、あいつを目覚めさせた。その意志は褒めてやる。けどな、俺達も同じように動かせると思うんじゃねぇぞ」

「ご尤もです。我々人間が、あなたのような高貴な御方に従っていただこうとは、思っておりません」

「だったら口を挟むな」

「ですが、サタン様がご立腹です」


 その言葉にマモンは一瞬黙ったが、すぐにニタリと笑った。


「いいんだよ。あいつは怒ってこその悪魔だ。俺達が何をしてても怒っているから問題ねぇ。そのせいでお前らに八つ当たりしようが何しようが、俺には関係ねぇ」

「そうですか」

「だが、サタンの復活を急ぎたいなら、ベルを連れてくるのが一番だ。天界にいた時、あいつは賢かったし神の知恵も持っていた。なら、ベルを大人しくさせて連れて行った方が手っ取り早いと思うが?」


 マモンなりの案なのだろう、その言葉にヒュブリスはしばらく黙っていたが、やがて答えた。


「あなた様のお考えがあるのでしたら、何も言いません」

「何で上から目線なんだよ。早く人間を滅ぼしてぇなら、自分も人間を殺せばいいだろ?」


 ヒュブリスの目つきが変わる。それは、酷く冷たく、凍り付いていた。


「もうやりました。けど、人間は増え続けるばかり。もううんざりだ。だから早く、悪魔の手で滅ぼしてほしいと思っているのです」

「……ふーん、そうかよ」


 マモンは背を向けてガブリエルの元へと歩き出す。そして、鎖でできた椅子に座って胡坐をかいた。


「なら、黙ってみていろ。悪魔は悪魔のやり方で事を進める。お前らの思い通りに動くと思うな」

「わかりました」


 それだけ言い残して、ヒュブリスはその場を後にした。

 マモンはヒュブリスがいなくなるまで黙っていたが、やがて見えなくなると大きなため息をついた。


「どのみち、ルシファーの所にもいけねぇんだ。俺は誰にも従うつもりはねぇ。殺し合いができればそれでいい。ガブを餌にするのは悪いが、ベルを引っ張り出すためだ。しばらく大人しくしてもらうぜ」


 頭上のガブリエルに顔を向ける。

 ガブリエルは、まるで彫刻のように動かなかった。




 二日後。トルソとアルマの調子が戻った頃に、ベルゼブブが言った。


「今日から本格的にガブリエルの救出に向かう。お前達にも、その手伝いをしてもらう」


 アルマが頷く。

 エルと遊んでいたトルソが手を上げた。


「あたしも行っていいのか?」

「無論、来てもらう。マモンの元に行く前に下級の悪魔たちに遭うだろう。そいつらの処理を任せたい」

「オッケー」


 ベルゼブブはアルマに顔を向ける。


「アルマは、ガブリエルを探せ。契約しているお前になら、もしかしたら場所がわかるかもしれん」


 その言葉に頷く。

 それからクラウンを見た。


「クラウンは、エルのお守だ。少しは強くなっただろうからな。ここで待て」

「わかった」


 クラウンも了承する。

 だが、ベルゼブブは少し嫌な顔をした。


「先日の内に散りばめた蝶が、マモンの居所を見つけたが……」


 言うのを渋るベルゼブブ。アルマとトルソは顔を合わせるが、気付いたクラウンが顔を青くした。


「まさか、聖域都市とか言わねぇよな?」


 その言葉に、ベルゼブブは頷いた。


「そうだ」


 アルマもトルソも顔を青くした。クラウンが捕捉する。


「実は、聖域都市にも悪魔崇拝者がいる地下が3つあったんだよ。できればそこじゃないことを願ってたが……」

「あぁ、地下というだけあって、聖なる加護から逃れることができたのだろうが、いかんせん入口が正門からしか入れん。お前達はともかく……」

「いやいや、あたしらも無理だ。だって、あの都市、許可証がいるんだぞ?」


 トルソが口を挟む。

 聖域都市。神を信仰する者たちが住まう所謂『祝福された都市』だ。神の信仰を持たない者が入らないように、都市は許可証を作っていた。

 アルマは困ったように腕を組んで唸る。


「どうしよう。どうやって侵入すれば……」

「それに、あたしは亡命者だから、見つかるとやべぇぞ」


 トルソに限っては、見つかっただけで殺される危険もある。

 どうしたものか、と考えていると、クラウンがにんまりと笑った。


「まぁまぁ、俺が、何で聖域都市にある奴らの拠点を知っているか、疑問に思うだろ?」


 そう言われて、二人は確かに、と思った。クラウンは自慢げに腕を組んだ。


「実はな、廃墟都市と聖域都市の間に地下通路があるんだ。そこにいけば、聖域都市に入れんこともない」


 二人は驚いた。


「そんなところがあるのか?」

「ま、今は誰も住んでない。悪魔の巣窟になっているけどな」


 クラウンは懐のポケットから何かを取り出した。折りたたまれた紙だった。それを広げると、地図になっていた。

 細かい場所まで、はっきりと描かれている。


「これは全部地下の地図だ。俺が5年かけて書いた。ここまでが廃墟都市の地下。で、ここからが聖域都市だ」


 指を差した場所は細い線で書かれている。どうやら、そこにしか聖域都市に入れる場所は無いようだった。


「ここまで行けば確実に都市には入れるが、悪魔はいるはずだ」

「よし、早速行こうじゃねぇか」


 トルソがボキボキと手を鳴らす。戦う準備はできていると言ったところか。

 アルマも頷いてベルゼブブを見る。

 彼女の目にも決意が宿っていた。


「では、ガブリエルの救出に向かう」


 その言葉に、全員が頷いた。

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